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哲学カテゴリーで質問するべきなのかなとも思いましたが、以前、似たような質問が哲カテで立てられたとき殆ど回答がなく、結局、数学カテゴリーで質問し直していらっしゃったので、私も、こちらで質問してみます。よろしくお願いします。

以前、ある変なトラブルが起きたときに、ようすを見ていらしたかたが私に教えてくださったには
「論点を逸らしては別の話を持ち出し、議論を発散させてしまう」それが「「形式論理学」の亜流である、とのことでした。

私は論理学だろうが形式論理学だろうが数理論理学だろうが、いっさい知りませんので、「論点を逸らして別の話を持ち出し」「議論を発散させてしまう」(実際、そんな感じのことが行われていたわけなんですが)そういうことが、およそ「論理学」として何のために必要なのかが分かりません。

私としては、日常レベルの会話のなかで敢えて論点を逸らすといったようなことは、わざわざ「論理学」と呼ぶ必要はなく、だいたいにおいて本質的に心理的な理由が絡んでいることが多いとみております。

あるいは形式論理学の「亜流」であるというところに何か理由があるのでしょうか?

A 回答 (3件)

外したようですので、再答を。


と言いましても、質問を把握しきれてはいません。通常のQ&Aではないと見ています。その点を悪しからず。
まず誰がどういう意味で「形式論理学の亜流」といったのかが疑問です。亜流があるなら本流があるのでしょうか。現代において「学」としてその呼び名はないでしょう。例えば、岩波の「哲学・思想事典」では、その項目「形式論理学」はありません。「記号論理学」の中で触れられています。西洋哲学の流れで言えば、単に論理学と言われものから、事象的内容を抽象し、真となるべき論証をのみ「学」の対象とするようになった。それは日常言語を離れ、数学的な記号を駆使するようになって「学問」として一分野を形成するようになった、と理解しています。
と言うことで、私はその言葉を、形式的な、形だけ、見かけ、で且つ、正当なものでなく、という単なる「語感」だけの意味で言ったのだろうと、思いました。
古代ギリシャのソフィストのやり取りなら、論争に負けそうになったら論点をずらして逃れるテクニックを磨いた人は居るかもしれません。中国の春秋時代でも居て、論点をずらすことを「ナンタラ」言うかもしれません。かくいう私も、雲行きが怪しいので、話がずれているなと思いながら、喋ったこともあります。あるは逆に、相手に対して内心「ずれとるぞ」と思いながら苛ついたこともあります。
まとめますと、それはなんら「形式論理学」と呼ばれるべきものではなく、「論点をずらす」というのも際立った方法でもない、と考えます。
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この回答へのお礼

どうも御丁寧な再投稿、恐縮です。
>通常のQ&Aではないと見ています。
>質問を把握しきれてはいません。

実は私も似たようなものです、申し訳ございません。なにしろ論理学など、いっさい存じませんし、当質問で挙げた事例の直接当事者ではないんです。ただ、こういうことだから気をつけなさいよと忠告してくださったかたの言葉なんです。

>「形式論理学」はありません。「記号論理学」の中で触れられています。

そういえば、そのようですね。どっちが正式名称なんだろうとか思ったことはあるのですが、とくに関心もなくて。ひとつ勉強しました。

>形式的な、形だけ、見かけ、で且つ、正当なものでなく、という単なる「語感」だけの意味で言ったのだろうと、思いました。

だから気をつけなさいよということだったのかしら。

>ソフィスト
ああ、そうですね。実際はソフィストと呼べるほどの技量もなさそうな体たらくですが(苦笑

>相手に対して内心「ずれとるぞ」と思いながら苛ついたこともあります。

リッパな?ソフィストなら、「論点をずらして逃れ」ていることに気づかせないくらいでなければ。ヘタクソ(笑
それどころかモロばれ(笑
ずれてることに実は本人が一番気づいてないとか(苦笑
気づいてしまうからこそ苛つくんですよねぇ。

でも、その効果を狙って敢えてやってるんだという話で、そりゃあ余計イラつきますわね。そんなつもり毛頭ないのに踊らされるようなものですから。ま、人格の問題なんでしょうか(笑
学問の精神をあまり歪めないでもらいたいものです。

私、疎いものですから参考になりました。
有難うございました。

お礼日時:2008/12/15 05:08

 推測ですが・・・


「形式上論理的に何も間違っていないが、その問題の解決とはまったく関係ない方向に話が進んでいる」
ということが言いたかっただけではないでしょうか。
 それを『論理学』という言葉を使って言おうとしたら、わけのわからんことになってしまったと。
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この回答へのお礼

アドバイスいただき有難うございます。

>「形式上論理的に何も間違っていないが、

「間違っていない」からアタリ!というわけではないという、、、まぁなにも「論理」の問題に限ったことでもないですが。

>その問題の解決とはまったく関係ない方向に話が進んでいる」ということが言いたかっただけではないでしょうか。

それもあったようです。(私は直接の当事者ではありませんが)
解決と全く関係ない方向に話を進めることで「酔っ払いのグダグダ話」のごとく、不毛にして久遠のループ・プログラムへと引きずり込み、相手を疲弊させることを狙っているのでしょうね。陰湿な一種の虐待方法として行うもののようです。同時に、解決させるだけの力量の乏しさとともに解決をみるのが実は寂しいという屈折した心理も窺えます。
多分、相手には「わけのわからん」思いをさせ、自分だけは「わけがわかっている」と思うことでセコい優越感と自己満足を満たしているようにも見受けられます。
私自身も形式論理だか記号論理だか存じませんが、そういうことで妙な分析めいたことをされたことがありましたが、まさに「間違ってもいないがアタリでもない」といった体のものでした。

どうやら忠告してくださったかたが仰った「亜流」というのは、「まねごと」という意味だったようです。実際その程度しかできない相手だったようです。

お礼日時:2008/12/18 18:57

形式論理学の「亜流」である、云々は、その話の落ちなのでしょう。



議論を発散させて、終わらせる例題でもあるわけです。論点をそらせて云々と言う話を、論理学云々でさらに話をそらせて、ちゃんちゃん、と言うわけでしょう!?
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この回答へのお礼

早速の御投稿ありがとうございます。せっかくですが仰っていることはイマイチよく分かりません。
実際「話の落ち」というのでもなさそうでしたし。。。
もともとの議論のテーマが、論点を逸らせてしまってどうする、というような内容でしたので。逸らせる必要なんかないはずのことを敢えて逸らしたということみたいです。そのことを言ってたようです。
ですから私は、こうしたことは、なにも本来の「論理学」に則ってやったことでもなんでもなくて、
必要がないはずなのに逸らすということは、何かしら別に思惑があるということに過ぎないのではと思えます。

お礼日時:2008/12/14 14:35

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