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こんにちは。


根拠の無い侮辱が不快なのは何故ですか?

根拠の無い侮辱――
たとえば、試合に勝った人が「俺の方が凄いんだ!」となるようなケースではなく、
試合もせずに「俺の方が凄いんだ!」となるようなケースのことです。
つまり「お前らよりも俺の方が凄いんだ!」と言わんばかりに威張った態度で歩くようなケースや、
謙虚な人を馬鹿にするようなケースです。

そのような侮辱的な言動は妄想に由来する言動、または妄想的な言動であることは言うまでもありませんし、
そんなものに心を乱す必要も無いように思うのですが、なぜか心の中に不快が生じます。

そのような状況において不快が生じるのは何故ですか?

また、心の状態によって不快の生じ方が異なりますが、
その辺りも詳しく教えて頂きたいです。

また、そのような不快を消し去るには、どうすれば良いですか?


以前、怒る理由について質問したのですが、『怒り』よりも『不快』の方が適切と考え、
また、質問ももう少し具体的にした方が良いと考え、もう一度質問させて頂きました。


宜しくお願い致します。

A 回答 (16件中11~16件)

!わかりました、侮辱する側があたかも愚なことかのような言い方をするが故に本能的に相手の心を読むと相手は嘘をついているように思えないと思い込むじゃないだろうか?つまり意識的にはそうでないと思えるけど本能が嘘っぽくないと感じるので、事実的に侮辱されたかのような錯覚に本能が陥ってしまうのではないかと思うわけです、侮辱する側も半分本気で言っているので、本能が危険と感じて不快信号を出すということだと思う。

なので後々シコリが生まれたりする人もいるということだと思う、つまりそのシコリは本能に対する圧力そのもので幾ら嘘だと分かっていてもなにか残ってしまったという感覚になったのではないかと思うわけです、つまり要約すると相手は半分本気で思っていることを喋っているので幾ら意識がその侮辱内容に対して嘘だということに気がついていても本能が危険信号を出してしまうのです、人間は表情や状況、声、発言のタイミング、などで生命体の本音や感情を無意識に読んでいるのでそれが攻撃本能をもっている生命体に対して不快感を覚えるということなんじゃないだろうか!?無論認知と感情においてもその危険信号は発せられるので、もし侮辱の言葉の中に負の感情を想起させるようなものが含まれていた場合その負の感情と快感を混合させられてしまうが故に快感潰しということになるわけです、つまり危険信号を無意識のうちに発して負の感情という警告感情が沸き起こって来てそれが快感を潰してしまう効果があるということだと思います。実験に次の文章を読んでみてください、まったく負の感情が沸かないとは思えません。
「あなたは無能で馬鹿です、直ぐに怒って感情的になるなんて馬鹿wwww」どうですか?怒りが沸いてきませんか?ここには「無能」「馬鹿」「直ぐ怒って感情的になる」=動物的な下等生物これを「あなた」とくっ付けているわけですどうですか沸いてきませんか?もし沸いてきたなら僕の理論はビンゴだと思います。
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 なんで侮辱されると不快に感じるのかが分かりました、つまり侮辱の内容が相手を潰すもしくは下等扱いもしくは下部扱いされるので、相手から下等扱いされたり下部になったり潰されておもちゃにされるような相手の癒し役や召使役にされてしまうことに対する不快と考えるのが妥当だと思います。

それがなぜ不快に感じるのかと言えば侮辱される人も人から慕ってもらいたかったり、苦痛や恐怖を感じない安心できる生命体から癒してもらいたかったりするのではないだろうかと思うわけです、無論侮辱される側の願望は社会的にも認められているものばかりでしょうが、侮辱する側はそれを禁じ手でやってしまうが故にされる側は不快を感じるのではないかと思うわけです。
 つまり、内容はまったく違うけど本質的な欲望というのが似ている一面を人間は誰しも持っているところがあると思います、なのでその方法を悪意を持ってやられる立場に立たされることに対する憤りということになるんじゃないだろうかと思うわけです
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また思いついたので書いてみたいと思います。


「周り」「普通」「世間一般」と違うという祭り上げと同時に狂気めいた顔つきと甲高いキキーと言うような声を上げるのが侮辱の典型バージョンだと思いますが、そこで甲高い声のキキーという泣き声というのが猿が殺される際の声と同じだということを聞いたことがあります、つまり甲高い声を上げることによって殺される恐怖を味合わせる事が出来るそうです、なので侮辱というのは祭り上げて侮辱内容と甲高い声で切り刻んで殺して喜ぶ行為の代替であると思います、なので受ける側は憎しみが沸いてくるんだろうと思います、無論する側がその理屈を知っていてやっているとは到底思えませんのでおそらくそのような目にあってその代償で行っているか、猿の本能で行っているかあるいはそのようなシーンを見て学習しているかでしょう、つまり侮辱されるということは血祭りに上げられると同等の思いをさせられるということかもしれません(・・・・)つまり侮辱というのは血祭りに上げられ快感を切り刻まれる感覚(・・・・・)
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僕も一生懸命考えたんだけどたぶんね次のようなことじゃないかな


幸福と快感を得ている時に華やかとかほのかな的な形容詞が入りそうな心地よい暗示に掛かっているというかなんというか、とにかく「気持ちいい~w」というような快感に浸っていると思うんだよね、侮辱する側はその快感を味わっう瞬間を無意識の内に嗅ぎ付けて、その至福の快感を味わう瞬間にタイミングよく潰すのが侮辱の苦痛ということだと思う、なんで華やかな幸福の感じがヒリヒリ、ジワーン、鉄砲で撃たれたような、などの形容詞が似合いそうな不快感に変わるということだと思う、する側は嫉妬だと思う、至福の快感を本当は味わいたいのだけどそれを潰された経験があってうまく味わえないとかうまくいかずに劣等感を感じている人とかがそのような行為をしているはず、これは間違いないと思う、やられた側はとてつもない悔しさに見舞われるからその対象を破壊してやろうという無意識が働いて「憎しみ」「憤り」等の感情が沸いてきてしまうということだと思う。
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 たとえば、鳥や猫が侮辱した行為をできるとして、侮辱されても意味がありません。

相手を何らかの位相で自分の存在に意味あるものとしていることなのでしょうね。
 補足要求ですが、根拠がある侮辱だとどうなのですか?
 或いは思い違いなるが故の侮辱行為言動ならどうなのですか?
 上下の比較が為されて、自分を上にする相手を気の毒に思うときってないのですか?
 相手の都合や事情からの単なる行為がどうしたって、失礼だ、侮辱だと、判断せざるを得ない場合などは、侮辱だろうし、たしなめることになるけれども、怒りませんが。
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プライドが高いんじゃないでしょうか。


言う側はもちろん聞く側も。
同じ穴の狢、同類嫌悪?
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この回答へのお礼

同じ穴の狢と言えるような人間、つまり妄想に由来する非現実的に高いプライドを持った人間でなければ、
質問のような状況において不快が生じることは無い、とお考えになられるわけですね。
承りました。

お礼日時:2008/12/23 05:05

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