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私は高校の教員をしている者です。

人間の哲学的な話になりますが、知識をお持ちの方御回答いただければと思います。

質問したい内容は、児童養護施設がなぜなくならないかということです。

子供は誰しも望まれて産まれてくると思っているのです。
なのに、児童虐待などの事件は後を絶たない・・・。
全てこれが要因でないにせよ、親元で生活できない等の事由で児童養護施設で思春期を過ごす子供はこの少子化の時代にあっても増えていくように思うのです。

こうした状況において、私は何とか出来ないものかと憂慮してならない・・。

どうしたらなくなるのでしょうか。
自分一人の力では何ともならなくても、何か出来ることをしたい・・。

皆さんは何かされていることがあるでしょうか。

よろしくお願いします。

A 回答 (15件中11~15件)

私は、43才、国立大卒、妻と3人の息子と生活しています。


私は、児童擁護施設や少子化についての知識は持ち合わせていません。
私の感覚的なことを回答させていただきます。
知識のない者のコメントはいらないなら、スルーして下さい。
おそらく、整理されていないコメントになると思います。

私は、昭和40年に生まれ、バブル期を小学校~大学時代に過ごしてきました。その頃は、親が商売をしていて、結構な贅沢をさせてもらい、育ってきました。「世の中で、お金が一番大事だ。お金がないのは、首のないのと一緒だ。」という教育を受けてきました。「お金があれば、人間以外、何でも買える。人身売買ではないが、愛も買えた時代」です。その頃、「3高(高収入、高学歴、背が高い?)」という言葉が流行りました。
この頃、「鍵っ子」という言葉も流行りました。両親が共稼ぎで、子供は、学校から帰ると、家に一人。もしくは、兄弟だけ。ということです。

そんな時代に育ってきた子供が、今、親になっています。親からの愛情を「お金」以外の形では受けていないで大きくなった大人が、子供に愛情を注ぐことができると思いますか?私は、無理だと思います。

私が子供だった頃の親と、今の親を比較してみました。

子供を叱る時
30年前「お父さんに言うよ。」「おまわりさんに言うよ。」など
今「お母さんに叱られるよ。」「お母さんに言うよ。」

祖父母について
30年前:子供(長男とは限らない)の家に住んで、孫と直接にふれあい、家族の一員だった。お盆や正月は、一族が集まり、新年会などが行われた。
今:老人ホーム、擁護施設(または病院)に住んで、孫も子供も、滅多に訪れず、お盆も正月も、施設で過ごす。また、夫婦が義理親の家に行くのを嫌がる。またそれを、認める。

学校の先生について
30年前:学校の先生は、絶対的に正しくて、親も先生のいうことを聞くので、子供も、学校の先生には従う。子供にとって、怖い存在だった。
今:親が学校の先生を馬鹿にし、「A先生は頭悪い。」「B先生は、教師やめた方がいい。教師の資格ない。」などと言うから、子供も、教師を馬鹿にする。また、教師の不祥事が、毎日のように、報道され、「聖職」じゃなくなってる。

また、私の親のことについてですが、今、頭に浮かぶことを書きます。
「家の中で、お父さんが一番偉いから、鯛を食べる時は、お父さんが頭を食べる。」今の親は、魚の頭は面倒くさいから食べません。第一、お頭付きの魚は買わない。
お小遣いは、父親から貰った。また、買い物をする時など、お金が必要な時は、父から貰った。旅行、外食も、いつも父親が払った。今は、父親の小遣いまでも、母親が渡す。もちろん、子供のお金も、母親の管理下。
家の中での最終決定権(引越し、高額商品など)は、父親にあった。今は、母親。

すみません。全然回答になっていないですね。
>質問したい内容は、児童養護施設がなぜなくならないかということです。
なくならないでしょう。少なくとも、昔の家庭よりも、核家族化が進み、また、共働き率が増加している今の時代で、親子愛が育まれる環境ではないです。その中で、躾と虐待の区別がつかない親が増えていると思います。昔は、親、祖父母、地域、学校の先生など、周りの大人が、みんなで躾をしていました。親の躾が悪かったら、地域の年寄りや、祖父母が、親を嗜めたものです。今は、それがありません。そこから、「育児ノイローゼ」というものも出てきます。

すみません。やっぱりまとまらないので、この辺で終わります。

少なくとも、あなた一人が頑張っても、なくなりません。
ただ、あなたのように考える人がいないと、また、いつまでもなくなりません。

この回答への補足

御回答頂きありがとうございます。

自分のなかのもやもやみたいなものが、少し整理されたような気がします。

>躾と虐待の区別がつかない親が増えていると思います。昔は、親、祖父母、地域、学校の先生など、周りの大人が、みんなで躾をしていました。親の躾が悪かったら、地域の年寄りや、祖父母が、親を嗜めたものです。今は、それがありません。そこから、「育児ノイローゼ」というものも出てきます。

今の時代、誰しもが自分の生活で精一杯になっているものですが、まずは自分が強くなって、しっかり自立して周囲を見守る大きさをもって行きたいと感じました。

ありがとうございました。

補足日時:2009/01/04 18:19
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この回答へのお礼

自分なりに得た思いをお礼に代えさせていただきたく思います。

今回『夫婦・家族』のカテゴリで質問させて頂きました。家族の在り方という観点で、児童養護施設が不可欠であるという社会情勢について、必要とされなく時代はこないのか、それが質問に至った経緯です。
親により本来育まれるべき純朴な子供が、親の身勝手によって犠牲となっている社会。やむを得ない理由で児童養護施設を頼る事情もありますが、この問題は、garrrrrrrfさんが「子供は社会の共有財産」とおっしゃっているように、社会の大人が真剣に向き合っていかなければならない問題だと考えておりました。

しかし、予想はしていましたが、社会全体で解決していかなければならない問題と考えておられる方があまりにも少ないことに愕然と致しました。
こうした問題の解決には、「学校で子供達に」という言わば「他人任せ」の思想。社会情勢分析・論評に終始するもの、教師としての在り方を教授される方や、根本的に教師の資質に疑問を投げられる方、「理想論」であると一蹴される方。はたまた、転職を促される方。大変申し訳ない言い方ですが、こうした社会問題が一向に可決しない理由でないかとさえ思いました。

forever116さんが述べられていました。
>何も事情も理解できないまま、私の腕の中でスヤスヤと眠る子供を見るたび、激しい怒りと悲しみが襲います。
>この子には何の罪もないのに、どうして?こんな言葉ばかりが心から出ます。

施設の方の御尽力で健康に成長していますが、なんとしても満たされない思いを持つ施設の子供達は、突如それを満たすために人を困らせたり、暴れたり・・・
表現の仕方は人それぞれでも、周囲の大人ではどうしても満たしてあげることの出来ない、肉親にしか満たせない問題が存在します。
その幼児や小学生に「生きる意味」や「宿命」を説いても理解できないからです。
その度に胸が締め付けられる思いです。

哲学的な話になると最初にもお断りしていたとおり、人の思想や信念が関わる問題で、他人がどうにか出来る問題では無いのはわかった上で、今自分の立場で考えていきたかった問題です。

立場や経験ではなく、真剣にこの点について考えていただいた方もいらっしゃいました。何をするか、何が出来るかではなく、真剣に考えを頂いたことは、涙の出るほど嬉しかったです。

多くの皆様に御回答頂き感謝いたします。

お礼日時:2009/01/08 13:37

あなた,児童養護施設に通った経験はありますか。


週に少なくても2,3回でいいので,児童養護施設への訪問を3年間続けてみてください。春も夏も秋も冬も通い続けてください。
そうすれば,いろんなことが分かってきます。私は,高校の教員ではありませんが,5年間通い続けました。
児童養護施設とはどんな意味を持っているのか,どんな子どもたちが生活しているのか,ひとりひとりの子どもたちがどんな思いで生きているのか,そして,その施設に通っている職員がどんな思いでいるのか,どんな仕事をしているのか,どういうふうに子ども達と接しているのか。
その施設の子ども達と心を打ち解けられて,職員のみなさんとも仲良くなった時に,児童養護施設に対する偏見がなくなるはずです。そして,児童養護施設の役割や意義が理解できると思います。
そう,あなたは児童養護施設に偏見を持っていると私は思います。

高校の教員として,あなたができることはそういうことです。
地道にあなたの足で,あなたの目で,あなたの心で,通い続けてください。
机上の空論でいくら論議しても,それは「嘘」と現実からかけ離れた「理想」にしかなりません。
少なくても3年間,児童養護施設に通ってみてください。
そうすれば,自ずと答えが出るはずですし,あなたは一歩,教員として大きく成長するはずです。
あなたにそれができますか。
ぜひ,そういうことができるそんな教員になってください。

この回答への補足

御回答ありがとうございます。

>児童養護施設に対する偏見がなくなるはずです。そして,児童養護施設の役割や意義が理解できると思います。

私は「児童養護施設」のあり方や必要性を問題にしているのではありません。
子供達が「児童養護施設」を頼らなくてもいい時代、すなわち親がしっかりと自分の子供に責任を持てるように、たった一人でも、そうした境遇の子供達がいなくなるようには出来ないかと考えているのです。

補足日時:2009/01/04 17:33
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この回答へのお礼

自分なりに得た思いをお礼に代えさせていただきたく思います。

今回『夫婦・家族』のカテゴリで質問させて頂きました。家族の在り方という観点で、児童養護施設が不可欠であるという社会情勢について、必要とされなく時代はこないのか、それが質問に至った経緯です。
親により本来育まれるべき純朴な子供が、親の身勝手によって犠牲となっている社会。やむを得ない理由で児童養護施設を頼る事情もありますが、この問題は、garrrrrrrfさんが「子供は社会の共有財産」とおっしゃっているように、社会の大人が真剣に向き合っていかなければならない問題だと考えておりました。

しかし、予想はしていましたが、社会全体で解決していかなければならない問題と考えておられる方があまりにも少ないことに愕然と致しました。
こうした問題の解決には、「学校で子供達に」という言わば「他人任せ」の思想。社会情勢分析・論評に終始するもの、教師としての在り方を教授される方や、根本的に教師の資質に疑問を投げられる方、「理想論」であると一蹴される方。はたまた、転職を促される方。大変申し訳ない言い方ですが、こうした社会問題が一向に可決しない理由でないかとさえ思いました。

forever116さんが述べられていました。
>何も事情も理解できないまま、私の腕の中でスヤスヤと眠る子供を見るたび、激しい怒りと悲しみが襲います。
>この子には何の罪もないのに、どうして?こんな言葉ばかりが心から出ます。

施設の方の御尽力で健康に成長していますが、なんとしても満たされない思いを持つ施設の子供達は、突如それを満たすために人を困らせたり、暴れたり・・・
表現の仕方は人それぞれでも、周囲の大人ではどうしても満たしてあげることの出来ない、肉親にしか満たせない問題が存在します。
その幼児や小学生に「生きる意味」や「宿命」を説いても理解できないからです。
その度に胸が締め付けられる思いです。

哲学的な話になると最初にもお断りしていたとおり、人の思想や信念が関わる問題で、他人がどうにか出来る問題では無いのはわかった上で、今自分の立場で考えていきたかった問題です。

立場や経験ではなく、真剣にこの点について考えていただいた方もいらっしゃいました。何をするか、何が出来るかではなく、真剣に考えを頂いたことは、涙の出るほど嬉しかったです。

多くの皆様に御回答頂き感謝いたします。

お礼日時:2009/01/08 13:38

本当に高校の先生?



思い込みではなしに、
現実を見てから
文章を構築しませんか。

アナタさまなりの改善・改革ヴィジョン
あるいは、プランが添えられているわけでもないですし……ホンマに
アンタさんは高校の先生?

先ず、フィールド・ワークから始めてみることを提案します。
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この回答へのお礼

ご提案頂きありがとうございました。

お礼日時:2009/01/04 17:48

…それは「考え方」に要注意ですね。


養護施設の職員さんが読んだら、きっと悲しむよ。
みんな…本当に懸命に戦ってるんだからさ?。
私は職員じゃないけど、彼等がいかに「不条理」と向き合いながら、日々の仕事をこなしているかは、良く知っています。

あなたが仰る通り、親元での生活が送れなくなっている児童数は増加の一途を辿っています。
理由としては昔は「貧困」が多かったのですが、最近はこれに加えて
「家庭内暴力」「親の育児放棄」が増加する傾向にあり、また「養護すること」を実感できないままに親になってしまった「未成年」が、育児放棄をするケースも増えました。

親が育児放棄を行ったり、あまっさえ暴力を振るったりですから、それを「放置」しておくことは、社会的道義に基づき、不可能です。
児童に「生活の場」を与え、教育環境を与え…それは「施設」という環境抜きでは達成できません。
ただ一点…親の愛情だけはあげられない、と知り合いは漏らしておりました。

「他人のことだから他人に任せとけば良い」
「自由主義」とやらを「思いっきり間違えて理解してきた」日本人への、これは警告とも言えるでしょう。
社会というもの無しに、道徳観も、理性も、教えることなんか出来ない。
「プライバシー」というものを行きすぎて捉え、腫れ物に触れるように他人と接することを良しとしてきた傾向が、子供達から「社会の入り口」を奪い、親が勝手にその「入り口」を個々の理想に基づいて開けてしまったから、こういう事態が起きたのです。

教師であるあなたには「針のむしろ」かもしれませんが、私が考える「理由」はこんなところです。
個々の親、個々の子供達、大人達が「真剣に考える」ことを要求される時代が来たのでしょう。
「希望」というものを、作り上げる作業を考えねばいけないと言う「面倒くさい時代」が来てしまったのです。
「先人の知恵をおろそかにする」っていうのは、こんなものですよ!!。

この回答への補足

御回答頂きありがとうございます。

>養護施設の職員さんが読んだら、きっと悲しむよ。
>みんな…本当に懸命に戦ってるんだからさ?。
>私は職員じゃないけど、彼等がいかに「不条理」と向き合いながら、日々の仕事をこなしているかは、良く知っています。

私は、児童養護施設に必要があり毎日の様に通っています。
おかげさまで、施設内の子供達にも顔を覚えられて、共に食事をすることもよくあります。
施設の経済状況も逼迫している中、毎日17時間労働の施設長さんの苦労をみていると、ホント頭があがりません。

私は「児童養護施設」が必要ないと言っているのではありません。
「児童養護施設」を頼る子供がいなくなる時代が来ないものかと、考えているのです。

私の担任をもっている生徒には、現在児童養護施設から登校してきている生徒がいます。
加えて、児童養護施設出身の親友も2人います。
自分の責任でないのに、彼らは悔しい境遇に置かれている事に、やりきれない悲しみに襲われているとひしひしと感じるのです。

御回答頂いて誠に失礼ですが、社会分析に終始するような評論は回答は避けて頂きたかったです。
施設を必要とする理由も必要ありません。

どうしたらなくなるのでしょうか。
自分一人からでも何か出来ることをしたい。

もしよろしければ、この内容について御回答ください。

補足日時:2009/01/04 17:18
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この回答へのお礼

自分なりに得た思いをお礼に代えさせていただきたく思います。

今回『夫婦・家族』のカテゴリで質問させて頂きました。家族の在り方という観点で、児童養護施設が不可欠であるという社会情勢について、必要とされなく時代はこないのか、それが質問に至った経緯です。
親により本来育まれるべき純朴な子供が、親の身勝手によって犠牲となっている社会。やむを得ない理由で児童養護施設を頼る事情もありますが、この問題は、garrrrrrrfさんが「子供は社会の共有財産」とおっしゃっているように、社会の大人が真剣に向き合っていかなければならない問題だと考えておりました。

しかし、予想はしていましたが、社会全体で解決していかなければならない問題と考えておられる方があまりにも少ないことに愕然と致しました。
こうした問題の解決には、「学校で子供達に」という言わば「他人任せ」の思想。社会情勢分析・論評に終始するもの、教師としての在り方を教授される方や、根本的に教師の資質に疑問を投げられる方、「理想論」であると一蹴される方。はたまた、転職を促される方。大変申し訳ない言い方ですが、こうした社会問題が一向に可決しない理由でないかとさえ思いました。

forever116さんが述べられていました。
>何も事情も理解できないまま、私の腕の中でスヤスヤと眠る子供を見るたび、激しい怒りと悲しみが襲います。
>この子には何の罪もないのに、どうして?こんな言葉ばかりが心から出ます。
施設の方の御尽力で健康に成長していますが、なんとしても満たされない思いを持つ施設の子供達は、突如それを満たすために人を困らせたり、暴れたり・・・
表現の仕方は人それぞれでも、周囲の大人ではどうしても満たしてあげることの出来ない問題が存在します。幼児や小学生に「生きる意味」や「宿命」を説いても理解できないからです。
その度に胸が締め付けられる思いです。

哲学的な話になると最初にもお断りしていたとおり、人の思想や信念が関わる問題で、他人がどうにか出来る問題では無いのはわかった上で、今自分の立場で考えていきたかった問題です。
立場や経験ではなく、真剣にこの点について考えていただいた方もいらっしゃいました。何をするか、何が出来るかではなく、真剣に考えを頂いたことは、涙の出るほど嬉しかったです。

多くの皆様に御回答頂き感謝いたします。

お礼日時:2009/01/08 10:15

「子供は誰しも望まれて産まれてくると思っているのです。


のくだりが間違いです。

だからあなたの思う理想と現実の壁が埋まりません。

どうして、高校教員でありながら、この単純な事が理解できないのでしょう。
もっと現実を知るべきです。

生活能力の欠如した、あるいは常識の欠如した、もしくは男運に恵まれない、育児できない、自立できない母親でも子供はできます。
このようなケースの場合、不幸です。

この回答への補足

御回答頂きありがとうございます。

>もっと現実を知るべきです。

pilotpowerさんは、私が現実を知らずに憂慮していると思われたのでしょうか。
そう捉えられたのであれば、私の質問がわかりにくかったのかもしれません。

「産みたい」と思わない母親であれば、中絶すると私は考えました。
産む意志のもつ母親にのみ、胎児はこの世に生を受けると思うのです。

pilotpowerさんがおっしゃるように、どんな親でも子供は出産できます。
>生活能力の欠如した、あるいは常識の欠如した、もしくは男運に恵まれない、育児できない、自立できない母親でも子供はできます。


しかし、前述する理由から不幸となる子供は後を絶たない・・・。
職務上、こうした境遇に直面している親御をもった子供を、少しでも減らしていくことが出来ないものか・・・
毎日の様に憂慮しながら生活をしているのです。
子供達と直面し、何とかしたいと願ってやまないのです。


御回答頂き誠に失礼ですが・・・・

>どうしたらなくなるのでしょうか。
>自分一人の力では何ともならなくても、何か出来ることをしたい・・。

私の質問の趣意はここです。
頂いた回答にはこの趣意が記載されておりません。

冷やかしであれば、スルーして頂きたかったです。

補足日時:2009/01/04 17:12
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この回答へのお礼

自分なりに得た思いをお礼に代えさせていただきたく思います。

今回『夫婦・家族』のカテゴリで質問させて頂きました。家族の在り方という観点で、児童養護施設が不可欠であるという社会情勢について、必要とされなく時代はこないのか、それが質問に至った経緯です。
親により本来育まれるべき純朴な子供が、親の身勝手によって犠牲となっている社会。やむを得ない理由で児童養護施設を頼る事情もありますが、この問題は、garrrrrrrfさんが「子供は社会の共有財産」とおっしゃっているように、社会の大人が真剣に向き合っていかなければならない問題だと考えておりました。

しかし、予想はしていましたが、社会全体で解決していかなければならない問題と考えておられる方があまりにも少ないことに愕然と致しました。
こうした問題の解決には、「学校で子供達に」という言わば「他人任せ」の思想。社会情勢分析・論評に終始するもの、教師としての在り方を教授される方や、根本的に教師の資質に疑問を投げられる方、「理想論」であると一蹴される方。はたまた、転職を促される方。大変申し訳ない言い方ですが、こうした社会問題が一向に可決しない理由でないかとさえ思いました。

forever116さんが述べられていました。
>何も事情も理解できないまま、私の腕の中でスヤスヤと眠る子供を見るたび、激しい怒りと悲しみが襲います。
>この子には何の罪もないのに、どうして?こんな言葉ばかりが心から出ます。
施設の方の御尽力で健康に成長していますが、なんとしても満たされない思いを持つ施設の子供達は、突如それを満たすために人を困らせたり、暴れたり・・・
表現の仕方は人それぞれでも、周囲の大人ではどうしても満たしてあげることの出来ない問題が存在します。幼児や小学生に「生きる意味」や「宿命」を説いても理解できないからです。
その度に胸が締め付けられる思いです。

哲学的な話になると最初にもお断りしていたとおり、人の思想や信念が関わる問題で、他人がどうにか出来る問題では無いのはわかった上で、今自分の立場で考えていきたかった問題です。
立場や経験ではなく、真剣にこの点について考えていただいた方もいらっしゃいました。何をするか、何が出来るかではなく、真剣に考えを頂いたことは、涙の出るほど嬉しかったです。

多くの皆様に御回答頂き感謝いたします。

お礼日時:2009/01/08 10:02

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