【お題】引っかけ問題(締め切り10月27日(日)23時)

 都会は人間関係が薄いと思います。
 それについて、なぜそうなのか、などのご意見を下さい。

 東南アジア、南ヨーロッパ、アメリカ、日本の地方などは、人間関係が濃いと思います。
 東京は、みんな、内に本心があって、容易に出さないと感じています。
 濃い人間関係を作ろうとすると、嫌がられたりします。
 あるいは、気楽に声をかけようとしても、田舎っぽいと言われそうで、躊躇しているのかもしれません。

 私は都会生まれ都会育ちで、あまり地方のことはわかりません。
 関西人はもっと濃いという話も聞いたことがあります。
 東南アジアは何度かいったことがあります。

 こういう自分の考え方に関して、ご意見を下さい。

 よろしくお願いいたします。

A 回答 (1件)

まずはご質問の都会の人間関係と田舎のそれとの比較ですが、都会が薄くなりがちであり、田舎が濃くなり勝ちであることは必然です。

都会では対応する人間の数が田舎に比べて圧倒的に多いです。その状況でそれぞれに濃い人間関係など作れるわけ訳がありません。 一人の人間の時間は限られています。そのなかで多数の人間の相手をする必要があれば必然的に関係は薄くなります。
そのような上状況で、一人だけ故意人間関係を求めれば、それは他の人間関係を犠牲にすることを意味しますので嫌われる可能性はあります。(ですが、、、)

アメリカと台湾に関係が深かったのですが、人間関係に関して言えば、人間というものに関してはどこでも同じものであると感じていますが、ことその人間関係の求め方付き合い方に関しては、各国の文化が影響していると感じております。その違いは、日本での都会と地方の違い以上のものを感じております。

「東南アジア、南ヨーロッパ、アメリカ、日本の地方などは、人間関係が濃い」と
お書きですが、これは単純にはいえないことだと思います。 もっと複雑な要素が入り組んでいます。少なくとも日本での感覚の人間関係の濃さのイメージとは違うとおもいます。 アメリカはどこ行ってもキリスト教的博愛主義意で表面上は農耕な人間関係ですが、それは日本のそれとは違います。 中国は中華思想がありますので、あくまでも漢民族とそれ以外は区別していますが、時代が時代だけ日本人には親切です。 中国の都会上海や台北での現地人間の人間関係についても、日本の都会以上に希薄であると思います。それは中国や台湾は日本ほど平等意識が無いからです。階級意識と書けばいいのか、貴族意識と書けばいいのか、差別意識と書けばいいのかわかりませんが、非情に差別感覚があります。
自分の所属階級、出身地(台湾では内省人、外省人)等が意識の中にあり、それが人間関係の濃さという次元を超えて影響を及ぼしています。

この外国のことを考えると、日本国内での都会田舎での人間関係の濃さ薄さなど
は他愛のないことです。 どんどん人間関係の濃さを求めて行動すればいいと思います。 それによって人間の生命に影響を及ぼすような誤解は生じません。
どんどん人間関係を求めましょう。 あくまでも日本人の間の他愛無い出来事です。
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この回答へのお礼

 いや~、素晴らしいですね。
 とっても勉強になりました~。
 ありがとうございます。
 

お礼日時:2009/01/19 15:00

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