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もし世の中から戦争がなくなったら
世界中が日本のように平和ボケになってしまうのでしょうか?
平和すぎて
「むしゃくしゃしてやった、誰でもよかった」みたいな事件が
パレスチナでも起きてしまうのでしょうか?
食べるものがありすぎて
ダイエット食品の摂取のし過ぎで健康被害がアフリカなどでも起こってしまうのでしょうか?
敵から逃げることに一生懸命だった子供も
テレビやゲームばっかに依存してしまうのでしょうか?

何かご意見いただければ幸いです。

A 回答 (8件)

経済が更に破綻します。



GEはアメリカの電機メーカーですが、三菱財閥同様軍需財閥です。
ミサイル・戦闘機・などなどで儲けてます。
アメリカ経済の2割が軍需産業です。

日本の軍事力が世界第二位なのも、財閥が軍需産業だからです。
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この回答へのお礼

専用によって経済が保たれているのですね。
ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/01/19 16:03

戦争がなくなることと平和になることは同じではありません。


例えば...

1. 人類の滅亡により戦争が絶える
 ある意味平和なのかもしれませんが...

2. 圧倒的な勢力(人間以外の存在でも可)による支配により戦争が絶える
 支配する側と支配される側の関係が未来永劫続きます。
 そこでどんな人権侵害が行われるか分かりませんが、戦争はなくなります。

ちなみに、戦争というのは(法的な定義はともかく)軍事力の衝突のみによって起きるのではありません。
平和ボケしている者は、自分たちが他国の侵略を受けていてもそれに気づきません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/01/19 17:58

戦争がなくなるっていうことは、争いがなくなるっていうことで…国境がなくなるっていうのにつながるのではと思うのです。

でもそれは…譲り合う精神が必要です。約束される豊かさが必要です。

そして、必要最低限の豊かさで満足出来れば、問題ないです。

でも、人は欲を好みます。支配をしたがります。平和による被害は、結局、戦争も無くならないことに繋がっています。地球上の人全てが一斉に変わらないと無理なことを証明してます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/01/19 17:57

世界中が平和になってしまう可能性は、ふたつあると思います。



ひとつは、核兵器みたいな恐ろしい兵器が世界中どこの国も保有してしまうこと。もうひとつは、人間が争うことを放棄してしまうことです。
前者の場合、表面上は平和となりますが、しかしもし世界中のどこかの誰かがブチ切れただけで人類は滅亡するというようなストレスに世界中の人々がさらされることになります。今日は平和でも、明日突然もう滅亡しかないカタストロフィが来るかもしれない、と思いながらの毎日です。
後者の場合、これは戦争だけではなくて、世の中のありとあらゆる争いがなくなるということです。例えばライバルのあの会社は売り上げを伸ばしたが我が社も負けるなとかそういうものも全て失われます。ということは、人類が活力そのものを失うということです。
戦いは何も戦争だけではなくて、例えばガンに負けないとかいうのも戦いのひとつです。だから、全ての戦いを放棄した人類は衰退して滅亡への道をひた走るということになります。
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この回答へのお礼

闘争心が全て駄目な訳ではないのですね。
すばらしいご回答です。ありがとうございます。

お礼日時:2009/01/19 17:56

「戦争」は政治的手段のひとつであり、経済活動のひとつです。


何か変わりの方法が見つかれば無くすことは可能です。
現に60年近く一部地域では戦争は起きていません。

人間は争いをしてなければならない生き物です。
闘争本能を消すことは難しいでしょう。
ですので、別な形で争いをするでしょう。
SFなどでは、合法的に殺し合いをするゲームなどが出てきます。

戦争と食糧問題は全然別の話です。
ですので、平和になれば飢えがなくなるわけではないです。
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この回答へのお礼

人は本能的に争ってしまうのですね。
ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/01/19 17:23

戦争がなくなったら確かにあなたの仰る弊害はあるでしょう。

でも戦争で人が死ぬことを考えればはるかにましだとは言えます。
戦争そのものがなくなることは可能で、現実に日本では60年以上戦争をしておりません。要するに知的水準が上がれば戦争はほぼなくなると考えます。いま戦争をやっているところは必ず一方または双方の知的水準が低いです。
しかしながら先進国にも経済戦争や受験戦争など厳しいものはありますからそれらがあるため完璧に平和ボケすることはないでしょう。
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この回答へのお礼

そうですね。常に何かと争っていると言うことですね。
ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/01/19 17:05

戦争がまるでゲームであるかのような感覚で物言ってますな。



戦争はやらなきゃならないのでやってる。
戦争をしたい感情的衝動があるからやってる。
戦争をしろと言われたのでやってる。

これらの条件の何れか又は複合で戦争は行われているのであり、戦争が楽しいとか、戦争が社会の潤滑油だからやってるわけではない。少なくとも戦闘行為当事者達は。

想像するに、あなたはまさに「平和ボケ」の典型例ですな。

一度義勇兵でも志願兵でも傭兵でもいいから、或いはボランティアでもNPOでも救援部隊でもいいから、戦地に行って周りの雰囲気を体感して来るといいよ。
あなたの言う「平和ボケ」を防ぐ為にも?

Yes we can !

我々には出来るけど、あなたには出来ない事がある。
我々には平和を作り出すことが出来るが、あなたには出来ないかもしれない。

我々は「平和」と「戦争」の意味が理解できるが、あなたにその理解があるのか不安だ。

Yes we can !

我々は戦争が出来る。そして平和でいる事、平和を作り出す事が出来る。
一方、あなたは平和が社会悪を作ると言う。社会悪を防止し、社会に緊張をもたらす為に戦争の意義を主張してますか?

青い人も赤い人も、誰一人として戦争を楽しいと思う人は居ない。
戦争するのは、平和が楽しいと思うからだ。平和だった時が懐かしい記憶となって心に刻まれているからです。

日本に居て「平和貢献」に役立つ事をするには、「平和を真面目に願う事」「戦争するなと言い続ける事」。
無理に戦争しなくともよい。出来もしないのに戦闘地帯に行って無理やり戦争をやめさせようとする事もない。
既に平和ならその平和を尊重して、周りの人々に平和を説き続けることだ。

そうすればきっとその中から、「平和の為に戦う」人たちも出てくる。
なぜ戦うのかと言えば、「平和の為」だ。

既に戦っている人たちは何のために戦っているのかと言えば、現代の世界においては、「平和の為」だ。
日本に居る平和を願う人々と、平和を尊ぶ考え方は、多くの国々・地域の戦闘地帯の人々を勇気付けてる。
世界の片隅にも、日本の平和主義を心の糧として、精一杯戦争している人達がいる。

その人たちの為にも、日本の平和主義者たちは、自分の信念を曲げることなく、平和を説き続けなければならない。
その人たちの替わりに、その人たちの信念を主張し続ける必要がある。

きっとそんな日本の中からも、「平和の為に戦う人達」も出てくる。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/01/19 17:04

>もし世の中から戦争がなくなったら



この仮定自体意味の無いものですな。
戦争とは外交の一形態ですからね。

「戦争がなくなったら」が成り立つのなら
如何なる紛争もなくなるわけで
「裁判所が無くなったら」「警察が無くなったら」・・・「兄弟喧嘩が無くなっらた」
なんて続くと思いますが。

人間は神や仙人じゃないですからね。無駄な議論ですわ。

阿呆な教師がこんな仮定を持ち出してきたら
「じゃあなんで先生はいつも組合活動で醜い諍いを起こすんですか?」
と尋ねましょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/01/19 16:26

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