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昨今は不景気と言われていますが食べ物や物に
溢れ戦前の生まれの人などは毎日が祭りのようだと言います。
戦後の焼け野原は服や食べ物、物資がないかわりに復興の需要が多かったと
思われます。
現在は飽和状態での不景気ですが比較するとどちらが
大変な状態なのでしょうか?

A 回答 (7件)

>現在は飽和状態での不景気ですが比較するとどちらが


>大変な状態なのでしょうか?
 比較する必要性を感じないほど、現在のほうが幸せです。

 あの時代は、食糧生産に関わらない都市部の住人なら犯罪行為に手を染めなければ明日食べる食事にも困る状態でした。
   http://homepage1.nifty.com/zpe60314/se50-2.htm

 食料だけでなく、米軍による婦女暴行も切実な問題でした。
   http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20070509/beigun
   http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_disp …
 国会で「キヤンプから飛出して来た米兵が、民家の一軒々々を、女はいないか、女はいないかと、戸を叩いて叫び起す」と発言され、国会で犠牲者を減らす為に売春宿に関して真剣に議論される時代です。

>復興の需要が多かったと思われます。
 復興の資金獲得と債務軽減の為に、預金封鎖と新円切替(この二つで国民の現金資産は実質無価値)と、財産税法による個人資産に最大90%以上の税金をかける事を行っています。
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%86%86% …
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%A1%E7%94%A3% …

 ここまでしても、日本復興への資金は足りず世界銀行(アメリカを中心に)に膨大な資金を融資してもらいました。
 完済したのが1990年である事が、如何に多くの融資を受けていたかを示しています。
   http://www.mofa.go.jp/Mofaj/gaiko/oda/hanashi/st …

 あの時、もしアメリカが日本など必要ないと思えば、その時点で日本国民の過半の逃れられない運命の結末は「餓死」です。

 そんな時代が今より幸せでしょうか?

 正直あの時代に比べれば、今など金持ちの坊ちゃんが人生に生き甲斐がないと不満を言っているだけの我侭に過ぎません。

 現在の日本には「派遣村」の様に不幸な境遇の人に、僅かながらも支援の手を差し伸べる程度の余裕がありますから。
 町を歩けば夫を亡くし、子供を抱えガリガリに痩せた女性の施しを求めるしがみ付きを心を鬼にして振り解かねば成らなかった時代と比べれば…。
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単純に比較すれば、現代の方が幸福でしょう。



ただ、人が幸福を感じる度合いは、
幸福の絶対値ではなく、微分値に比例します。

そういう意味では、社会に充満する閉塞感は、
現代の方が深刻かもしれません。
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 50年後にこんな状況になるならみんな楽観的だったでしょうが、中途半端なところで復興は止まり、内戦や共産主義革命といった混乱で国土は再び荒廃という可能性もあったと考えられるので、社会不安という面でも今以上の心配があったと思います。


 最大源に経済復興しても、日本がアメリカ並みになるとは夢にも思わなかったでしょう。例えば、一番楽観的な未来像を書いていそうな鉄腕アトムの初期の作品(1951年連載開始)でも、アトムは「アメリカに比べて遅れていた日本がやっとまともなロボットを作れるようになった」象徴にしかすぎません。作品中では21世紀になっても日本製品はすぐ壊れる工業製品の象徴ですし(アトムをみて、どうせ日本製だからすぐ壊れるだろう、とアメリカ人が馬鹿にするシーンあり)、アメリカでは商業放送が始まっている立体テレビが日本では基礎研究の段階だったりします。もともと戦前の日本が大国といっても、生活水準で言えば、現在途上国と言われている国と極端な差はなかったので(現在は一人あたりで数十倍~数百倍の格差があるが、当時は格差なし~10倍程度)、まさか日本がアメリカに匹敵する豊かさを持つとは考えられなかったようです。

 経済指標でいっても、海外から大量に人が引き揚げて(当然職なし、現金の持ち込み制限があり、ほとんど所持金もなし)きて失業率は20%以上になっていたと予想されますし、インフレは5年で200倍(20000%)と言われていますから、今とは比べ物になりません。

 良かった点としては、今ほど硬直的に人を排除する傾向がなかった事でしょうか、人の解雇とかは容赦なかったと思いますが、少なくとも簡単な労働に関して、携帯がないと連絡取れないからダメ、身なりが悪ければ不可、住民票がないとお断り、短期の仕事でも電車賃を払って面接会場にいって自己アピールが必要・・・、給料受け取りには銀行口座が必要で、支払は半月後、なんて面倒な事はなかったと思います。戦災孤児や女性は苦労したでしょうが、健康な成人男性であれば、ボロさえまとっていれば、仕切り屋の方々の目を盗んで(まあ、これが難しいのかもしれませんが)工事現場の人足運びのトラックにまぎれて乗り込んでしまえばその日の仕事と食事にはありつける、というような状況はあったと思います。
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「昨今の不景気」と、「戦後の焼け野原」時代と比較すると、どっちが大変か。

テンスが違いすぎて比較になりにくい。
戦後は衣服や食料品、贅沢物資がなかったが、一生懸命働いて、貯蓄して、五球ラジオを買ったり、白黒テレビを手に入れたり、洗濯機をヤット据え付けたり、夢が大きかった。現在は「飽和状態」ですから、食に困るとか、職に困るとかは、ありえません。派遣を切られて騒ぐのは、景気のよいときに稼いだ給料を、不時に備えて溜めておかないから、不景気感・不安感が増感するのです。
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現代世の中が安定しては階級が固定され、成り上がる夢が持てない。


それを打開する宗教(マルクス主義等)も無い。
若年層の多くは平和地獄におちいっている、とおもって居る。
しかし退職公務員は莫大な年金を貰ってウハウハである。
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終戦直後の経済状態と現在とは、比べ物にならないほど前者の方が悲惨な状態だったと思いますよ。

あの頃、外地からの引揚者家族や元兵士などの膨大な無就労者が発生し、もちろんそれらの中の少なくない人々がホームレスとして都会を中心に町にあふれていました。人口比にしても絶対数にしても、その頃の経済指数の方が格段に悪かった事は確かでしょう。一番の違いは当時の生産財も食料も戦争で費消しつくされて極小だったことで、前途の見通しも今と変わらないほど良くなかった。戦後数年で300万人が餓死するだろうという予測もあったほどです。
今と違った点でプラスの面は、アメリカという豊かな国があって、この国の多大な援助や商取り引きなどでなんとか前途に目途がつけられたということと、ご指摘の旺盛な国民の需要と意欲もあって上昇機運が掴めたということでしょうか。

まとめると現状としてはそれほど悪くないけれど、前記のプラス面が現在はない(頼るところがない、意欲に欠ける、負のスパイラルが発生している)ということで、未来への展望が開けないということでしょう。これも考えれば非常に深刻なので、戦後との比較は難しいと思います。いや、今のほうが悪いかも、ともいえないことはないでしょうね。
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受け止め方次第です。



で、貴方はその頃何歳でした?

生まれても居ない方にお話しても・・・・・

ぉわかりになれない・・・・・

歴史ってそんなモンなんです。
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