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No.3
- 回答日時:
これは辞世の句ですが、臨終の床で詠んだのではないでしょう。
死期を感じてあらかじめ作るよくあるパターンでしょう。「夢のまた夢」にはかなさを感じます。
「天下人になろうと一心不乱に努力しその夢がかなえ、浪速に立派な城を築くことが出来たが、死に行くこの身を振り返るとこれも又夢にすぎなかったなあ」という感慨を述べたと思います。
どんな栄華を極めても朝日にあたる露のように、消えねばならぬ命の宿命を感じて詠んだ句と思います。
No.2
- 回答日時:
>ここでいう「浪速のことは 夢のまた夢」ってどういうことでしょうか?
まず、当時の辞世の句は「健康な時に、書く」のが通例でした。
戦場では、辞世の句を書く余裕はありません。
敗軍の将として、自ら降伏を申し出た場合は「処刑の前に、末期の酒及び辞世の句を詠む」事が許された程度です。
水攻めで有名な備中高松城城主・清水宗治が該当します。
(松の廊下事件では、浅野内匠頭は辞世の句を詠む事を許されませんでした)
秀吉の場合ですが、有名なこの辞世の句と称されるものは「天下統一黎明期に出来たもので 死の際に詠んだ唄ではない」ようです。
「露と落ち露と消えにしわが身かななにはの事も夢のまた夢」(旧男爵・木下家古文書)
死に際に「夢の中で夢を見ているような、はかない一生だった」との解釈が大勢を占めていますね。(絵本太閤記の影響)
そうすると、「なにはの事」が意味をなさなくなります。
「露」は(昔から)「涙」を意味します。(今でも、広辞苑では涙の意味)
ですから、「露と落ち露と消えにしわが身かな」は「次々と色んな場面に登場する自分」でしようか。
「大坂での出来事は、次から次へと夢の様に(思いのままに)実現出来る」と絶頂期の気持ちを表したものとの解釈もあります。
辞世の句が、秀吉絶頂期に完成している現状を見ると、後者の解釈が妥当かな?
秀吉死後、重臣等で「辞世の句」を選択加筆した可能性もありますね。
本当の所は、秀吉・重臣しか分かりません。
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