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2~3年前のテレビの日本語雑学系バラエティ番組により、「申し訳ございません」という表現は実は誤用、というのはすっかり有名になってしまいました。

「申し訳」が「ある」とか「ない」とかの問題ではなく、「危ない」「情けない」同様、「申し訳ない」で一つの形容詞だからですよね。

それが、昨今の、「何でも丁寧にいえばよい」という風潮から、「申し訳」が「ない」ので「ございません」となった…。なるほどなあ~と思ったものです。

さて、2009年2月8日放映のNHK大河ドラマ「天地人」(第6回)を観ていたのですが、「申し訳ない」について気になるシーンが出てきました。

七尾城を攻めあぐねていた上杉の陣中では、景勝と景虎の家臣同士のいさかいが起こっていました。

景虎の家臣たちが、犬に景勝の幼名「喜平次」と名付けてからかっているのを見て兼続が激怒、思わず相手に切り掛かりました。

この騒ぎを起こしたことで処分を待つ兼続。謙信は兼続に「心が迷っている。故郷・上田庄で己を見つめなおせ」と言い渡し、兼続は失意のまま陣を去りました。

この場面の直前なのですが、兼続の主人である景勝は、トップである謙信に対し「こたびの不始末、申し訳ないことでございました。」と謝罪しました。

一方、この場面の直後では、兼続が景勝に対し、「殿、申し訳ござりませぬ!」と謝罪していました。

16世紀の当時でも「申し訳」が「ない」と勘違いして、「申し訳ござりませぬ」と本当に言っていたのでしょうか?

A 回答 (4件)

> 「申し訳ございません」という表現は実は誤用、というのはすっかり有名になってしまいました。



そうなんですか?
私は、「とんでもございませんは誤用」だというのは聞いたことがありますが、「申し訳ございません」もそうなんですか?

この2つは、完全にパラレルではないような気がします。
「とんでもない」は、確かに1語の形容詞だと思います。その意味で、「ない」だけを独立させて「ありません・ございません」と敬語化するのは、文法にかなっていないと思います。
仮にこれを、「とんでも」と「ない」が複合してできた語だと考えたとしても、実際に「とんでも」の部分だけが独立して使われることはありませんよね? その意味で、語の生い立ちはともかく、形としてはやはり「1語の形容詞」とだけ考えるのがふつうでしょう。

一方、「申し訳ない」も、確かに1語の形容詞です。その意味では、「申し訳ありません・申し訳ございません」と変化させるのは、「とんでもありません・とんでもございません」と同じ間違いだとも言えます。
しかし、「申し訳ない」が1語の形容詞だとしても、生い立ちとしては、「申し訳+ない」の複合です。
しかも、「申し訳」自体が、名詞として独立して使われることがあることは、先回答者の指摘するところです。
その意味では、話者の意識に、「申し訳の立てようがございません」という気持ちがあれば、「申し訳ございません」と表現しても、絶対に間違いだとは言えないのではないでしょうか? 「本則ではない」かもしれませんが…。

ま、何と言っても「言葉は生き物」ですから、「とんでもございません」も「申し訳ございません」も、これだけ日常的に使われるようになると、「本来は間違いだ」と指摘することにどれだけの意味があるか? という気もします。
それと似たような意味になりますが、私としては、マスコミがうんざりするほど使いまくっている「○○さんと××さんが破局する」という表現の方が、よほど耳障りです。
これは本来、「恋愛関係が破局を迎える」とするか、「恋愛関係が破綻する」とするかのどちらかであって、「破局する」というのはこれらを混同したものだと思います。
ま、これも慢性的に使われた結果、世間ではごくふつうの表現になっているのでしょうけど。

※追記
謝罪の意味の「すまない(済まない)」は、「どんなに償おうと思っても償えないようなことをしてしまった→そんなことでは済まないことをしてしまった→済まない→すまない(すみません)」というような経路かと思いますが、いかがでしょうか。
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こんにちは。



大河のほうは、私も見ていましたけど、

>>>「申し訳」が「ある」とか「ない」とかの問題ではなく、「危ない」「情けない」同様、「申し訳ない」で一つの形容詞だからですよね。
>>>それが、昨今の、「何でも丁寧にいえばよい」という風潮から、「申し訳」が「ない」ので「ございません」となった…。なるほどなあ~と思ったものです。

「申し訳ない」は、
「申し訳」+(が)+「ない」
ですよ。

「申し訳が立たない」「申し訳程度に」という言い方からわかるように、
「申し訳」は名詞です。

そして、
「誕生日おめでとうございます」

「誕生日‘が’おめでとうございます」
「誕生日‘を’愛めでとうございます」
と言ったり、
「残寒の候、皆様にはますますご清祥のことと・・・」

「残寒の候ですが、皆様にはますますご清祥のことと・・・」
「残寒の候において、皆様にはますますご清祥のことと・・・」
と書かないのと似たようなことです。


むしろ、私は、
なぜ「申す訳」ではなく「申し訳」になっているのかが不思議ですが、
勝手に想像しますと、
「申す訳ござりませぬ」だと、「私が言うはずがない」という意味とこんがらかっちゃうからでしょうかね。


>>>16世紀の当時でも「申し訳」が「ない」と勘違いして、「申し訳ござりませぬ」と本当に言っていたのでしょうか?

これは、誰も答えられないと思います。
当時の言葉を録音したものがないのですから。
また、時代考証というのは確かに必要ですが、脚本というものは現代の人にわかる言葉で書くものです。
心から深く謝罪する言葉として「申し訳ござりませぬ」以外の言葉はあるのでしょうか?

そして、
古い時代に実際に使われていたかどうかはさておき、
「勘違い」と扱ってしまうのは、どうでしょうね。
元の意味から転じて新しい意味になっている言葉はたくさんあるはずです。
たとえば、
「有り難し」(ありがたし)
は、どう見ても元々の意味は、
「なかなかないことだ」「滅多にない珍しいことだ」
ですよね。
「なかなかないことです」 → 転じて、感謝の意味

それから、
「愛でたし」(めづ+たし) → 賞賛したい
  → 転じて、祝福したい気持ちを表す形容詞
というのもあります。

また、謝罪の言葉としては、「すまぬ」というのもありますが、
「済まぬ」が転じて謝罪の意味になるというのは、ちょっとわかりにくいですよね。


それらに比べれば、
「申し訳ござりませぬ」(申し上げる理由もござりませぬ、弁解の余地はござりませぬ)
  → 転じて ‘申し訳(弁解の余地)はなく、ただただ謝るだけでござります’
     (謝罪の意味)

こっちの方が、むしろ連想しやすい転じ方だと思いますが、いかがですか?


以上、ご参考になりましたら幸いです。
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今ちょろっと古語辞典を引いてみたら「申し訳なし」も「申し訳」も載っていなかったので、その語自体当時は存在しなかったのではと思います。



「申し訳ないことでございました」も、当時言っていたかどうかは怪しいですよ。
「ござる」に「ます」に「た」をつけるということが、本当に行われていたのかどうか。
「見つめなおす」という複合動詞、「不始末」なども怪しいです。

16世紀当時の言葉は今と全然違うものなので、そのまましゃべらせては現代人にはわからないので、TVドラマの古語はほとんど間違いだと考えた方がいいかもしれません。

ある語がいつごろから存在していたのか知りたい場合は、「日本国語大辞典」を引くといいです。たいていの図書館にありますので、それで「申し訳ない」を引いて、初出が何年ぐらいなのか調べてみては。
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「申し訳ない」で一つの形容詞というTV番組での解説について一言いたしたく候。


漢字を使うことで品詞や自他動詞の識別がしにくくなるという弊害に関係してもおります。

「申し開き」と同様、
「申し訳」だけでも意味ある名詞として扱うことができますから、
それに主格の助詞をつけて「申し訳が無い」の形にすることも可能であります。
ならば、この形の中の「無い=abcent」を「ございません=not present」に換えることもまた可能となりますよね。
その延長上で、「が」が脱落した形が「申し訳ござい/りません/ぬ」であります。
この点がTV番組で意見を言った人の考察から抜けていたことが問題であります。
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