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言葉での表現が得意な方というのは、必ず、
自分の人間関係を広げたり深めたりすることも得意なものですか?

心のひだの細かいところまで、何でも言葉で表現できる自信をお持ちの方というのは、相手の表現を受け取り正しく解釈でき、相手にそれをうまく伝えている自信もありますか?

そんなふうに言語表現や会話に自信がある人が、人間関係について不安になることって、ありますか?

言葉の力や国語力を大切にお考えの方に教えていただきたいのですが、
人が生きていく上で他に大切なものがあるとすれば、何でしょうか。

A 回答 (4件)

これは、自動車の運転の上手の人が旅行の名人かと云うのと同じで、二つの事は関連はあるのでしょうが別の事でしょう。


イ)人間関係を広げる深めると云う事は相手に対する思いやりとかも必要になります。言語表現は上手だが人が嫌がっているのも構わずにと云う小説家がいると云う事を聞いた記憶があります。
ロ)一般的には自己の表現の機微に長けている人は、他人の表現の細部にも注意を払うとと考えて良いでしょうが、自己中心的な性格の人ですと自己に都合よく曲解してしまうケイスも過去にあったやうです。
ハ)言語表現や会話以外にも人間関係は色々の要素が複雑に絡まっています。却ってそのやうの人の方が他人の言辞を深読みし過ぎて精神的に参ってしまうと云う危険性すらあります。

言葉の力や国語力も重要ですが、言動と云うやうに自身の行動や心遣いと云うものも重要でしょう。
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この回答へのお礼

イもロもよくわかります。
相手の気持ちを想像して発言し行動するのが良いんですね。
ハもなるほどとわかります。そういうの、たまにあります。
どこまでも深読みしていったら迷宮のようです。
言葉で掘り下げるのにとらわれ費やす暇があったら、行動、ですね。
学びました。ありがとうございました。

お礼日時:2009/03/11 23:29

1.言葉での表現が得意な方というのは、必ず、自分の人間関係を広げたり深めたりすることも得意なものですか?



そうとは限りません。作家などには人嫌いや付き合い下手の人は多いです。

2.心のひだの細かいところまで、何でも言葉で表現できる自信をお持ちの方というのは、相手の表現を受け取り正しく解釈でき、相手にそれをうまく伝えている自信もありますか?

自信があるかどうかは別にして、そういう人のコミュニケーション能力は高いです。

3.そんなふうに言語表現や会話に自信がある人が、人間関係について不安になることって、ありますか?

あるでしょうね。

4.言葉の力や国語力を大切にお考えの方に教えていただきたいのですが、人が生きていく上で他に大切なものがあるとすれば、何でしょうか。

真心をもって人と接するということでしょう。
言葉による表現の上手下手よりも真心が大事です。
真心が人の心を動かします。
子供の頃は口下手で、バカとかアホと言われていた人が、真心一本槍で人と接するようにつとめ続けた結果、成功して、今や人も羨む老後生活に入っています。

【真心】Goo辞書
http://ext.dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/182362/m …
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この回答へのお礼

まごころ、本当におっしゃるとおりですよね。
人の為に、という発想が抜けてるままで、言葉だけ巧みなのは嫌ですね。
言葉はコミュニケーション能力の要素のひとつということでしょうか。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/03/11 23:22

何でも表現は出来ないでしょう?


語弊もありますし。
NO/1のいうとおりかもわかりません。
でも、何でも出来るとは思いません。
相手も意思がありますから。
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この回答へのお礼

言葉がもし、全てを表せるような記号だったとしたら、
人間はどうなっていたのかなあ、っということを考えました。
何でもできたらこわいことになるかもしれませんね。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/03/11 23:18

割と能力が高いと思っていて、他人からも評価が高いですが、なんでも口に出来てしまうので、かえって人の気持ちが判っていないとも言われます。


言葉に出来ない人の気持ちが理解できないようです。

普通の方より、相手の気持ちを汲み取る能力が高いので、初対面での親密度がかなり高いです。詐欺師と同じ能力だと思っています。

人間関係は、基本的に諦念感が強いです。非常に平等な為に、身近になるほどドライだと受け取ります。
どんなに頑張ってもわかり合えない事を理解しているので、人に過度の期待しない為、寛容の心が強く、短所をあまり考えず長所だけが見えます。

ですので、人間関係に不安は感じませんが、孤独にも不安がないため、他人から見ると非常にフラットで、深く愛されることは非常に少ないです。
愛することは、愛さないとの差別であり、他人と解り合うことは平等に向かうことで、客観的には誰も愛さない行動です。それが博愛。

生きてく上で大切だと思うことは智慧。
知恵を、頭で考えず身体で表現できるように変換することが智慧。その知恵を読み取る能力が慧眼。
言葉はその道具のひとつであると考えています。行動が口よりも多く物語らなければ言葉は伝わりません。
同時に、言葉は「サルにもわかる」くらいじゃないといけないと思っています。ここが他人に嫌われます。

好き嫌いをなくすのではなく、好きを増やす事だけを考えたいですね。好きは沢山あった方がいい。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。意思疎通の骨組みが見えるような気がしました。

言葉という道具を使いこなせないとか自信がない人の場合、
自分のとるべき行動は、日常、正しく導き出せるのでしょうか?難しい気がします。

自分の状況や心情を言葉に整理する能力を身につけることは、
ただしい行動を判断し行動する絶対条件だと考えたのですが、どうでしょうか。

未翻訳の混沌の自分の心を、他人に区分整頓され言語化されあらわにされたとき、嫌悪感を抱くのは、
やっぱり本当に国語力不足は不便だからじゃないのですか。
「わざわざ思い知らせてくれるなよ」などというような、
無意識の防衛反応、なのかなあ…と思いましたが、合ってますでしょうか。
気遣う言葉を添えても添えてもかえって嫌われることも、あるのでしょうか。

行動が口よりも多く…ですね。
どんな言葉でも、その人の入口にすぎないって感じをイメージしました。そんなのを目指したいです。
まだまだ勉強しようと思いました。

お礼日時:2009/03/09 00:47

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