dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

辛い思いをしてきた人は、その分だけ人に優しくなれる、とよく言われます。

しかし、そればかりじゃない、むしろ逆になってしまうのも多いのではないか、と最近思います。

心理としては、「これだけ辛い思いをし、乗り越えてきた」ので、同じように辛い思いをしている人に対して、冷たく言い放つ。
その冷たく言い放つというのは、エールも込めているとは思いますが、自分が乗り越えてきただけに、乗り越えられない人の心理が理解できないと・・。
なぜ、頑張れないんだ!という一方的な気持ちになりがちなのでは。

これはもしかすると、「乗り越えて今が充実している人」と、「乗り越えているけれど、なかなか出口が見えない」という人の違いなのでしょうか。

皆様どう思われますでしょうか・・。

A 回答 (11件中1~10件)

乗り越えた人には乗り越えられない人がどういう道を歩んでいくかまでは不明ですし責任取れませんから、適当にアドバイスも出来ないですよね自分の理解できる範囲内での意見しか語れません


だからある意味では成功者は融通利かない面もあるかもですね応用利かないというか。
わからないけどわからないとは言えないので冷たく言い放つこともあると想像できます
    • good
    • 0

そのとおりで、辛い思いをした人が100%優しくなれるわけじゃないし、優しい人はみな辛い思いをしているわけじゃないです。



辛い思いをしたんだから他人にも同じ思いをさせたいという人も居ます。
質問文のような強い優しさはそれを理解してくれない人には優しくないように感じることもあります。
猫っ可愛がりをするような人も受け手次第では優しく感じないでしょうし、その人のためにもならない場合が多いですね。
人もそれぞれ違うし、受け手の感じ方もさまざまです。

ではなぜそういう言葉があるのか。
そう言い聞かせることで辛い思いをした人が他人にも同じ思いをさせようなどと思わないで、優しくなってもらうためにあるのだと思いますよ。
    • good
    • 0

#8です。


ゴメンなさい。

結論としては「辛い思いをした」経験として、それが豊富であることはいいことでしょう。
しかし、それをフィードバックする「強さ」がなければ、何にもなりません。
    • good
    • 0

♂です。


私は「優しさ」と「強さ」は、同じと言ってもいいくらい近いものだと思います。
やはり「優しさ」には、相手に親切にする「勇気」が必要です。
本人が親切でやったつもりでも、相手にとっては余計なお世話であったり、また逆に厳しさこそが逆に真の優しさでもあったりします。
つまり、優しさと言えば、単に「相手のためだから」と安易に思いがちですが、実は優しさであってもあくまで「自己責任」で行動しなければいけないのです。
結果として、自己責任で行動できない人には、本当の意味での優しさはできず、大抵は「恩着せがましい」だけで終わるのです。
    • good
    • 0

確かに一概には言い切れないと思います。

また「辛い事」の内容にもよるでしょうしね。

個人的には辛い思いをしただけ優しくなれる、というのはあると思います。というのは、まず「辛い事」が相手と同様の経験である場合、気持ちを理解しやすい、また自分が(悩んでいた当時より)精神的に成長している、と考えるからですね。

私の見解から言えば、いくら同様の経験だといっても、全く同じであるはずがなく、その人の性格や思考に左右される部分がありますから「自分が乗り越えたから~」というのはナンセンスだと思います。アドバイスは出来ても、解決はその人しか出来ないわけで。
そこらへんを理解していれば「一方的な気持ちになりがち」という事もあまりないのではないでしょうか。

「乗り越えて今が充実している人」と、「乗り越えているけれど、なかなか出口が見えない」という人に関して言えば、人間は浮き沈み(精神的にも肉体的にも)のある生物だという事は無視できないと思います。
いい時もあれば、悪い時もある。いつまでも充実が続くわけではありませんし、一方で出口が見えないまま、という事もありませんからね。今が充実しているという事はそれなりに辛い事を経験した結果でしょうし、今悩んでいるとしてもそれは未来において役立つものだと思えます。

一般的に言えば、いじめや虐待というのは、繰り返す(自分がする側になる)人も多いらしいですが、そこは個人差もありますし、少なくとも私は「自分がこういう経験をしたからこそ、自分の周りや子どもにはさせたくない」と思う方ではあります。

散文でしたが、結局の所、個人差(精神的な成長の度合い)によるという事でしょうか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。
色々考えていますが、やっぱり乗り越えた後の充実感がある程度ある人にしか、「優しいアドバイス」は出来ないんじゃないかって思うのです。
優しい、というのは、生やさしい、表面的ではない、優しさです。

特に、辛い思いをした人は、同じように辛い思いをした人が、案外楽に乗り越えられている(乗り越えられている、というか、人の助けがあったり、他者の影響で乗り切ったり)場面を見ると、やりきれないんじゃないかと・・。
そして、今が充実している人ならば、他人のことなぞ関係ないのでどうってことないと思いますけど、乗り切っても乗り切っても辛い状態が慢性的に続いている、なかなか出口が見えない人にとっては、本当に、同じ悩みを持っている人に対して余計きつくなるんじゃないかと。

これも、人それぞれだとは思いますが・・。
ありがとうございます。

お礼日時:2009/04/09 18:39

hanabipanpanさん、おはようございます。



例えば、
(1)自分は辛い思いをした → だから他の人には同じ思いをして欲しくない → だから優しくアドバイスしてあげよう。
(2)自分は辛い思いをした → 自分だけ辛いのは面白くない → 他の人にも同じことをしてやる。
(1)か(2)になるのはその人の人間性によると思います。hanabipanpanさんの回りにはたまたま(2)の人が多いのでは?ないでしょうか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

(1)になるのは至難の業かなあ・・・なんてちょっと思ったりします。
でも、(1)でありたいって思いますね。
(2)は、結果正しかったとしても、やはりいやなものが残ったりして・・。

嘘の自分でもいいから、なるべく余裕は持っていたいですよね
。案外、こういうところに本当の自分が出てきたりするんですよね。

お礼日時:2009/04/09 18:31

辛い思いをすればその分だけ人の辛さもわかるハズ。


でも全く同じ環境というのはありえないですから100%理解する事はできないですし、その辛さにも色々あると思うんですよね。
それに、辛い環境下をただ我慢してやってきた経験だけで、得たものは「乗り越えた」という事実だけである人と、本当の意味で理解して乗り越えた人というのでは、相手に対する理解の仕方は違ってくると思います。

>同じように辛い思いをしている人に対して、冷たく言い放つ。
乗り越えた人がエールを込めて冷たく言い放つのと、周りを見る事もせず残ったものが辛さだけだった人の冷たさというのがあると思うのですが、後者の場合は他者にも同じ思いをさせてしまう場合が多いのかもしれません。
そういう人は常に自分を中心に考える人だと思うので、自分のした辛さをわかって欲しいという気持ちからそうなるのかもしれませんね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

そうですね。
あまりにも辛い思いをしてしまったりすると、それは傷になっていて、同じような思いをしそうになっている人に対して厳しくなる、というのがあるんじゃないかって思うのです。

これだけ辛い思いしたんだから、あなたもして当然、みたいな。

口には出さないけれど、無意識にそういう態度になるんじゃないかって。

ありがとうございます。

お礼日時:2009/04/09 18:27

>そればかりじゃない、むしろ逆になってしまうのも多いのではないか


あながち間違ってはいないでしょうね。

しかし、そういう人は辛い思いをしたぶんの
『人間としての成長』をしていないのだと思います。
そして、『自分は乗り越えたんだ』という自負が、
『まだ乗り越えていない苦しみ』ということを忘れているのです。

>心理としては、「これだけ辛い思いをし、乗り越えてきた」ので、
>同じように辛い思いをしている人に対して、冷たく言い放つ。
>その冷たく言い放つというのは、エールも込めているとは思いますが、
>自分が乗り越えてきただけに、乗り越えられない人の心理が理解できないと・・。

これこそまさにそう、『自分が乗り越えた』という経験が
『かつて自分も同じ状態にあったのだ』ということを忘れていますよね。
自分は乗り越えれたかもしれないが、乗り越えていない人に
とっては、まだまだ苦難の道半ばです。
ましてや、他人の苦しみがどれだけのものかも、当事者ではない
赤の他人が100%理解できるなどというのは、自分に経験があるからと『驕り高ぶっている』としか思えません。

いえるとしても
『私があなたの苦しみをすべて理解できているとはいえないかもしれないが
 自分のときはこうだった、だから必ず道は開けると信じたほうが
 これからもがんばれるよ。』

位のことしか、本来はいえないはずなんです。
それと、やさしさと一口に言ってもその示し方には人それぞれやり方があります。

>「乗り越えて今が充実している人」と、「乗り越えているけれど、なかなか出口が見えない」という人の違い
出口が見えていないのなら、乗り越えたとはいえません。
比べるなら、「乗り越えて今が充実している人」と「乗り越えたが充実していない人」
になると思いますけれどね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。
一旦乗り越えてしまった人は、乗り越える前、乗り越えようとしている途中、挫折しそうになってる最中の状態の人に、どう応えるのだろうって思います。

乗り越えるべきだ

という考えになりがちなんじゃないかと思って・・・。

色んな人がいて、色んな解釈があるんだなと思いました。

ありがとうございます。

お礼日時:2009/04/09 18:24

なんとなくこの疑問に共感できたので答えます。


やっぱり、みんな自分軸で生きてるから、自分ができたんだからら君も!って感じる人は多いんじゃないかな。

ましてや、たとえばうつ病の経験がなければ「気合が足りない」とか平気で言いますし。
見たことも聞いたこともなければ、それが現実にあることさえ信じないし、関心ももてない。
悪意はなくても想像力が欠けてる人はたくさんいると思います。

乗り越えた人は冷たくて、乗り越えられない渦中にいる人は優しい、という極論ではなく、個人差によるかな?

乗り越えられた人でも、他人の苦悩に受容的なタイプ、無関心タイプ、突き放して叱咤激励するタイプなどさまざまじゃないかなあ。

でもいえることは、苦悩があった人・ある人の方が何かと深いし、よく考えるし、広義的には優しいと思う。

あまりに人生が順風すぎて挫折に耐性がない人も、意外とべつの苦労があるかもしれないですね。

根本的な人間愛をかかえもっていると、それが人にじわじわ伝わってると思います。
自分としては、あからさまに親切、やさしさを振りまく人より、そっけなくても、不器用でも、無口でも、何かぬくい感じがする人が信用できます。(余談)

たとえきつく言われても、その人の人柄を好きで敬えたら、きっとどんな助言も素直に聞けるんじゃないかと感じました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

共感できました。
結局のところ、人にもよるのでしょうね。

あからさまに親切、やさしさを振りまく人より、そっけなくても、不器用でも、無口でも、何かぬくい感じがする人が信用できる・・・。

私もそう思います。

でも、なかなか難しいですね。
人は自分の経験を中心に生きているようなものですもんね。
あとは想像力なのでしょうか。
ありがとうございます。

お礼日時:2009/04/09 18:20

>むしろ逆になってしまうのも多いのではないか、と最近思います。


その通りです。
逆になってしまう人の方が、圧倒的に多い。

例えば、学校を卒業して会社に入る。
嫌な上司がいて、苛められる。
苛められた人は、数年たって自分に部下ができると、自分がされたことを、そのまま部下にやってしまう。

「自分が新入社員のとき、上司からこういう嫌がらせをされて苦しんだから、自分は絶対にこういう嫌がらせはしない」
と思える人は少ないし、そう思える人でも、実行できる人はさらに少ない。


>自分が乗り越えてきただけに、乗り越えられない人の心理が理解できないと・・。

これも全くその通りですね。
人には得手不得手があるという事実さえ見えない。
「俺は乗り越えた。だからお前も乗り越えろ」
という単純極まりない発想をする。
目の前にいる人を、すぐ駄目人間呼ばわりする。
もしかしたらその人は、自分ができないことを楽々とこなすかもしれない。

人の気持ちがわからない人は、結局、自分もわからない人です。
自分がわからないから、過去の自分を美化する。
そして人を侮蔑する。

>これはもしかすると、「乗り越えて今が充実している人」と、「乗り越えているけれど、なかなか出口が見えない」という人の違いなのでしょうか。

その通りだと思います。
もっと言えば、後者は「乗り越えたつもり」になっているだけです。

>辛い思いをした分だけ優しくなれるのでしょうか
優しくなれる人はごく少数の人格者だけです。

たくさん辛い思いをすると、他の人もその辛さを味わってもらいたい、と思う。
それが普通の人だと思います。

残念なことに、「普通」であることに安心してしまう。

悪いことでも、
「あいつもやっている」
と妙な言い訳をする。

尊敬できる人とは、他人が自分をどう見ているか、ではなく、自分の言動を自分で観察して、
「これでいいのか?」
と常に自分に問うことができる人です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

自分の言いたかったことが理解してもらえて嬉しいです。

でも、大なり小なり、人間はそう簡単に自分と他者を分けて見れないところがある、って言うことかもしれませんね。

自分がこう思うんだから、こうできたんだから、みんな出来るんだっていうか・・。

いじめにしても、不登校にしても、鬱にしても・・・・。
出社できない何かの原因があるとしても・・・。

普通に行けた人は、いけない人のことが理解できない。

それは「甘えだ」。

そういう人から見たら、甘えなんですよね。

でも、人それぞれ違うラインにいるっていう風に考え直すと、ちょっと違う意見になってくるような気がしますね。

他者を理解するっていうか・・・。理解できないんだっていうことを受け入れるというか。

それが、優しさに繋がるのかなあとも思ったり。。。

でも、強く言い放たれたことによって、今の自分があるっていう人もいるのは確かで・・・。

一概に、応えは出ないでしょうけど、人それぞれの価値観、育ちもあるのかもしれませんね。

ありがとうございます。

お礼日時:2009/04/09 03:24

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!