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辛い思いをしてきた人は、その分だけ人に優しくなれる、とよく言われます。

しかし、そればかりじゃない、むしろ逆になってしまうのも多いのではないか、と最近思います。

心理としては、「これだけ辛い思いをし、乗り越えてきた」ので、同じように辛い思いをしている人に対して、冷たく言い放つ。
その冷たく言い放つというのは、エールも込めているとは思いますが、自分が乗り越えてきただけに、乗り越えられない人の心理が理解できないと・・。
なぜ、頑張れないんだ!という一方的な気持ちになりがちなのでは。

これはもしかすると、「乗り越えて今が充実している人」と、「乗り越えているけれど、なかなか出口が見えない」という人の違いなのでしょうか。

皆様どう思われますでしょうか・・。

A 回答 (11件中11~11件)

確かに法則的な言い切りは危険ですよね。


ただ言えるのは、辛い思いをしている人ってやはり同じ思いをしている人に対しての眼差しが優しくなるんですよ、自然と。
頭じゃなく気持ちとして理解できるから。共感として。
でもそれを態度や言葉や接し方で伝えられる人もいれば、気持ちとしては理解していても敢えて示さない人もいる。
それは個人的な問題でね。
優しくなる、というのは凄く難しい事。
貴方が書いているように、自分にゆとりが無いと他者に気を配れない事はあるからね。でも優しくなろうとしなくても、辛い思いをしてきたという経験は自分が弱者であり、辛さの受け止め手として、もがいていた自分としての感覚がある。だから敢えて優しくなろうとしなくてもその感覚で接すること自体が相手からすれば理解に近いものになっている部分があるんだよね。それをより深く強く伝えていけるか、あくまで共感で終わらせるかはやはりその人によって違うし。
でもハッキリ言えるのは経験した人の言葉には重さがあるんです。
その重さは今その渦中でもがいている人にはしっかり届くという事ですね☆
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この回答へのお礼

たとえば、「乗り越える」というのは、自分次第であって、周りを見ると特に乗り越えるべきことでもない問題だったりもします。
たとえば、ある程度の年齢になったら家を出て、独り立ちするとか、、。たとえばの話ですが。
そういうのも、家を出ることを若いうちに決心し、一人でやってきた、という強い意志と、その過程での辛さなど、、そういうものを同じ思いで、「うちをでないといけないのではないか」と悩んでいる人に、「出るべきだ。独り立ちできるよう乗り越えるべきだ」と、つい自分の経験から強く言ってしまうような気がするんです。
でも、この場合、違う考え方だってあると思うんです。
家にいて、親と共同生活をしながら自立している人だっている・・・。

なんと言うか、「乗り越えた辛い出来事があって、今幸せがある」と思える人の発言ならば、回答者様のおっしゃるようにどこか「ゆとり」があり、違う意見も受け入れられると思うんですね。

うーん。。人によるのでしょうかね。
ありがとうございます。

お礼日時:2009/04/09 03:01

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