あなたの習慣について教えてください!!

こんにちは。
ボクはプロレスが嫌いですし興味もありません。
ズバリ聞きます。
プロレス(の試合)は真剣勝負なのですか?
台本のある予定調和のものですか?

A 回答 (18件中1~10件)

自分はプロレス(といってもアメリカのプロレスですが)が好きなので、少し擁護する回答になりますが御了承下さい。


ちなみに昔は総合格闘技好きでした。
(総合ファンからプロレスファンに蔵替えした変わり者です。)

まず、日本のプロレスに台本の有無に関しては詳しくないので、今回は割愛いたします。
アメリカのWWEは株式公開の際に「台本がある。」と明言しています。
それを分かった上で観客も試合観戦しているので、非常に興味深いと思います。
それでも好きな選手が王座戦の場合はこっちまで緊張してしまいますから!

WWEに関して言えば大まかな打ち合わせと勝敗は既に台本があります。実際の動きなどは大凡は選手に任されているようですが、重要な試合などではリハーサルを行う場合もあると聞いたことがあります。

プロレスにおいては「入場→試合の流れ→勝敗」全てが評価の対象です。攻撃や受けの技術は勿論、如何にキャラたちしているか等も重要な評価のファクターです。
また、技術に関しては選手ごとに試合の運び方や技の出し方・受け方に明確な優劣があり、技を掛けられて上手い選手という者も存在します。

簡単に言えば、
・「格闘技」は試合の優劣(勝敗)を競うもの
・「プロレス」は試合の流れを競うもの
といった方がイメージ出来やすいかもしれません。

最後に「スポーツ」といった観点では総合格闘技等の「格闘技」の方がスポーツに近いでしょう。ルールが明確に有、その厳守が絶対条件で、勝敗がブラックボックスですからね。
一方、プロレスは他の方も書かれているように「演劇」の要素が強いです。どちらかというと役作りの為の体系作りと理解して頂いた方が分かりやすいかな…と思います。

もし、あなたが食わず嫌いで「プロレスが嫌い。」と言っているのであれば、1度上記の内容を頭において見てみてください。少し見方が変わるかもしれませんよ。
駄文長文で失礼いたしました。
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 まず多くの人が誤解しているのですが、プロレスと言うのはプロのレスリングと言う意味ではありません。

元はそうだったのかも知れません、しかしとっくの昔にその意味は消失して跡形もありません。では何か?、これはプロレスと言う名の演芸の一種です。格闘技ではなく、スポーツではなく、あくまでも演芸なのです。特に最近は格闘技の世界で通用しなくなった人間や売れない芸人がよくリングにあがっており、あたかも食い詰め者が最後に流れ着く場所と化しています。

 よくプロレスを指して八百長と呼ぶ人がいますが、実は大変的外れで、それは時代劇を見て「今のはわざと斬られた、八百長だ」と言うのと同じです。
 と言っている自分自身、子供の頃はプロレスファンでしたが、大人になれば自然と解りますよね。特に自分の場合は本物の格闘技に興味を持つようになって、あっという間でした。
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好きな話題なのでかなり長くなりましたが、よかったらお読み下さい。



近代レスリングの起源と言えるのは19世紀始めにフランスで生まれた「グレコローマン」です。(上半身のみの攻撃を認めるレスリング) その後、ヨーロッパ各地で試合、興行が行われるようになり、更には1896年のアテネオリンピックでグレコローマンが競技として採用されました。

一方でイギリス、ランカシャーのレスリング「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン」を母体に「フリースタイル」が行われるようになり、これらのレスリングの要素がミックスして誕生したのがプロフェッショナルレスリング、プロレスです。

また、同じく19世紀初頭イギリスでもレスリングの試合が行われていましたが、もう一つプロレスに間接的に影響を与えたのが、ベア・ナックル(素手)での殴り合いの試合です。特に当時のボクシングは、殴るだけでなく、蹴り、投げ、絞めや、髪の毛をつかんだり、目潰し、噛み付きも認められているという過酷なものでした。

1830年代にはアメリカにもレスリングの興行が伝えられ、グレコローマンスタイルで賞金を懸けて競う「プライズ・マッチ」が行われています。一般的に欧米では、アマチュア、民間、学校教育レベルでもレスリングが盛んで、例えばリンカーン大統領や、モルモン教創始者ジョセフ・スミスなどもレスリングの強者として知られていました。

1905年にはプロ初のヘビー級決定戦と言える、ヨーロッパ王者ジョージ・ハッケンシュミット対アメリカ王者トム・ジェンキンスの試合がニューヨークで行われています。

プロレスの試合が多く行われたのはサーカスです。カーニバルの出し物であったためカーニバル・レスリング、またATショー (アスレチック・ショー 訳すと、体を使った力自慢の曲芸ショー) と呼ばれました。サーカスを舞台にしたフェリーニの映画「道」(1954年 イタリア)でも力自慢の鎖芸人が出てきますが、重いもの、動物を持ち上げる、体中に針を突き刺す、飛び入りの客と力比べをするなどの他に、レスリング、ボクシングの試合もありました。

特に開拓時代は土地の荒くれ者たちと勝負したり(オール・カマーズ all comers)、賞金試合も盛んに行われ、それを糧としていた賞金稼ぎもいたほどです。

ですが、やはり見世物として飽きさせないように筋書きを用意して面白おかしく脚色する、善玉、悪玉を作って盛り上げるということも必要でした。

なぜなら純然たる競技としてのレスリングだけでは盛り上がりに欠けたり、大衆には良さが理解できず、逆に客のほうが演劇的要素を好んだと言えるからです。また全て真剣勝負では体の負傷が絶えず、次の巡業にどうしても差し障りがあります。

そして、客寄せの口上、文句はやはり今日と同じで「最強」「○○○戦無敗」「真剣勝負」であり、レスラーのキャッチフレーズ、肩書きも非常に派手なものでした。

つまり、プロレスの歴史的背景には、「競技」「見世物 興行」「力比べ 腕試し」「賞金稼ぎ」の要素があったということです。競技としてのレスリングをバックボーンに持ち、見世物として演じながらも、飛び入りの客と勝負したり、賞金を奪い合った。

なぜ、見世物、筋書きがある、八百長と言われるのに、プロレスラーたちは日々、重いものを持ち上げて体を鍛え、レスリングの技の修練を積むのか? それは以上のような経緯があったからです。

そして、戦後、テレビ、メディアが発達し、見世物としてのプロレスがメインになっても、ルー・テーズやカール・ゴッチなどレスリングの実力を備えた王者が多かった。また彼らの鍛錬は伝統的なレスリングやボディビルを基礎とした激しいものでした。プロレスの道に進む者はやはりレスリング、ボクシングなどの格技やフットボール経験者など頑強な者が多かったんです。

1950年代にもサーカス、ATショーの巡業はあり、特に人気があったのはレスリングとボクシングの異種格闘技戦でした。アメリカのプロレス史に詳しい小泉悦次氏によると、50年代、極真空手の大山倍達先生がアメリカ遠征時に「真剣勝負」をしたのも実はこのATショーでのことだったそうです。ちなみに、牛との格闘を思い付いたのも、自身の武勇伝、履歴に脚色を加えたのも (これは朝鮮半島出身の出自を隠すためや梶原一騎の演出もありましたが) ATショーの影響です。熊と相撲を取るレスラーもいたそうです。

大山先生は韓国系レスラー、グレート東郷に随行していましたが、グレート東郷の用心棒役を務めていました。用心棒のことをプロレス界の隠語で「ポリスマン」といい、身辺擁護だけでなく、時には身代わりとなって新しい土地のレスラーと「真剣勝負」をしました。レスラー同士の縄張り意識や、序列、格付け争いがあり、実は見世物だけではなく隠れた本当の真剣勝負も行われていたんです。

戦前、戦後、ハワイ、アメリカには日系人レスラーがいて、特に戦後、彼らの中には「東洋の神秘 空手使い」をアピールする者がいました。同時代にアメリカに渡った柔道の木村政彦先生によると、大山先生の空手人気は特に高くテレビ局でレンガや石割りを披露して拍手喝さいを浴びていたのを羨ましく思ったそうです。

アメリカ遠征後にプロレスを日本に導入した力道山の「空手チョップ」にはこういった遠因がありました。

そして、その空手チョップが本当に火を吹いたのが、1954年の力道山・木村政彦戦です。プロレス日本ヘビー級王座決定戦、プロレスと柔道の頂上対決、という触れ込みで大変話題を呼びメディアも一斉に注目した試合でしたが、結果は力道山の空手チョップを浴び木村先生は倒れ惨敗しました。

今日この対決は「八百長崩れ」だった試合として知られています。木村先生の「わが柔道」によると、「最初は引き分けで、その後は交互に勝利する」という取り決めがあったそうですが、試合中、突然、力道山がその約束を破り、本当に手刀を打ち込んだ。

勿論これは「だまし討ち」であり正当な評価は与えられませんが、ただ同時に力道山の空手チョップはどれ程のものなのか?真の威力を思い知らされた事件です。見世物であることに徹しプロの自覚を持っていた力道山は、しかし同時に自身に凄まじい手刀の稽古を課し、弟子たちへの指導も相撲そのままの竹刀が飛ぶ非常に厳しいものであったそうです。

そして時代は進み、弟子のアントニオ猪木はボクシングのモハメッド・アリに挑戦、1976年、猪木対アリ戦が実現します。当初、エキシビジョン、エンターテインメントとして試合を引き受けたアリ側は来日後にこの試合が真剣勝負だと知らされ驚きます。公開スパーリングで猪木の実力を目の当たりにしたアリは怒り狂い大声を上げ、危機感を感じたアリ側はルール改正を強行に主張。アリの頭部への攻撃だけでなく、タックル、投げ、関節、立った状態での蹴りも禁止、という圧倒的に猪木不利のルールのもと試合は開始されます。

結果、猪木は終始寝た状態でのローキックに徹せざるを得ず、怒号と野次に囲まれたまま3分15ラウンドが終了。引き分けに終わり、世紀の凡戦と酷評されました。しかし、猪木の蹴りでアリが足を負傷し入院したこと、試合の舞台裏が明らかになるにつれ年々猪木への評価は上がりました。

テレビメディアの発達のため見せる試合ばかりになったのと、グレイシー柔術の台頭、総合での負けもあってプロレス人気は下降しました。しかし、一昔前は確実に最先端を行く技術をレスラーは持っていたし、激しい鍛錬を経験したレスリングの実力者がいました。桜庭は意地を見せてくれたと思います。

柔道の小川直也が新日本プロレスにはじめて出稽古に行った時に筋力トレーニングについていくことができなかった、引退後も猪木は早朝、若手レスラーとスクワット運動をしている、練習中にジャイアント馬場の河津落としで某レスラーが本当に失神して倒れた、などの逸話を聞くにつれ、プロレスラーはやはり凄いなと思います。
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プロレスはある意味真剣勝負です。

ある意味というのはお客さんを満足させるエンターテイメントを演じる部分です。プロレスに興味ない人は単に筋書きがある八百長だと感じるでしょうけど、プロレス支持者はエンターテイメントの部分を承知して見ています。だから熱狂的なマニアが存在します。最近の人気凋落は団体の乱立が一因だと思います。昔みたいに全日と新日や国際など団体が少なければ対戦カードも面白くなりますが、団体乱立で興味が出るカードが少なくなり、結局テレビ中継は深夜に追いやられたのだと思います。

本来力と力の真剣勝負になった場合は総合格闘技のように寝技と打撃が中心となり、プロレスのようにロープに振って攻撃したり、ブレーンバスターなどの大技や、トップロープに上って飛ぶなんて時間的な余裕はないでしょう。どちらが面白いかは人それぞれで良いと思います。ちなみに自分は総合格闘技のように寝技中心では面白みにかけると感じています。かといってプロレスが好きという訳ではなく、ボクシングが好きな人間です。

結論は台本の有無は関係者ではないので分かりませんが、予定調和はあると思いますし、プロレスファンはそれを納得の上で楽しんでるのであれば、それはそれでひとつのスポーツ文化だと思いますね。
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真剣な勝負ではないと思います。


やっている本人はリングの上でテンションが上がっているので、
途中、脱線して台本にないことをやっているかもしれませんが、結末は
あらかじめ筋書きの決まったものだと思います。
あんなもの本気でやっていたら、毎試合ごとに勝負が付く前にどっちかが死んでます。

プロレスはショーだと分かっていながら、選手や関係者、ファン達が
真剣勝負のように振舞っているので、私もプロレスが嫌いですし興味もありません。
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ビヨンド・ザ・マット


レスリング・ウィズ・シャドウズ

上記2本の映画を見ると、およそのことはわかるかと。
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この質問は定期的に目にします。

それだけ関心を持つ人が多いのでしょうね。いわば「真剣勝負と紙一重のショー」というところでしょうか。ただし大方の筋書きはあっても試合中はアドリブの連続で、それをうまくこなすのがプロの技なんでしょうね。
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プロレスのテレビ中継が、深夜に追いやられ、あげくに打ち切られてしまうのは、とにもかくにも、スポンサーがつかないからです。



昔、馬場や猪木といった二大巨頭が活躍していたころは、スポンサーがたくさんついていたので、ゴールデンタイムで放送されていました。
そうすると人の目に触れる機会が増えるので、人気も上がると。

現在は、そういうカリスマ性のあるレスラーや営業がいないのと、古いタニマチ気質の社長さんがいないので、放送は深夜。挙句に打ち切り。結果、人目に触れる機会が減り、人気低迷といった事態になっているわけです。

真剣勝負であるかどうかは関係ありません。
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> プロレス(の試合)は真剣勝負なのですか?



真剣勝負というものについて、勝利至上主義とでもいいましょうか
相手に勝つことがすべて、という意味での真剣勝負なら
プロレスは真剣勝負ではないかもしれません。
ただ、お客さん相手に満足させるという別の意味の真剣勝負をしています。

質問者様も
> ハッスルなんてHGや泰葉や和泉元弥などが出てくるくだらないエンタメであって
> スポーツではない。
とおっしゃっていますが、プロレスを他のスポーツと同列に扱うには
やはり無理があります。他のスポーツで審判が見ていても5秒間なら
反則が許される、なんていうスポーツはありません(審判が見ていないところで
こっそりと反則をするテクニックはありますが)。
なので、プロレスと他の格闘技と比較をすることは無意味なのではないかと思います。

それと、他の方にしているお礼からいくつか。

#2さんのお礼
> そのエンターテイメントの究極がハッスルとやらですか?

エンターテインメントの究極がハッスルではなく、エンターテインメントだと
自ら認めた団体がハッスルというべきでしょうか。

> 柔道の小川はメダリストだったのにそんなんでいいんでしょうか。

もともと小川はハッスルに行く前に新日本プロレスに行っていますし、
そんなのを目指していたのかもしれませんよ。
それとメダリストは少ないですが、格闘技で日本を代表する選手だった人が
プロレス入りした例はかなり多いです。

#8さんのお礼
> 結局はスポーツでなくショーであるということが一般のプロレス離れを
> 起こしたのではないでしょうか。

まったく関係ないとは言いませんけど、真剣勝負だから見るかといったら
そんなことはないでしょう。K-1はゴールデンでやっていますが、
ボクシングや空手といった他の真剣勝負の格闘技がゴールデンでやって
視聴率を稼げるかといったら厳しいのでは、って思いませんか?
ボクシングも亀田の試合は視聴率はあったけど、大晦日の坂田の試合は
それほどでもなかったのでは(あっさり終わっちゃったっていうのも
あるかもしれないけど)?

で、ゴールデンで放送しつづけようと思ったら、そのジャンルを見たことない人を
いかにひきつけるかなのではないかと思います。そういうのをギミック
(興行的な仕掛け)と言ったりします。

例えば初期のK-1や総合格闘技ではKOが売りだったと思います。
そして世界を相手にできる日本人も出現しました。つまりKOという
明確な勝敗と日本人対外国人という2つのギミックを使えたのです。

しかし、時が経つにつれて技術が向上しKO決着が少なくなる、
世界を相手にできる日本人もヘビーでは武蔵の後はどうなのか、
MAXでは魔裟斗が引退した後はどうなのかといったことから、
一時期ほど視聴率が稼げているとは思えません。
もちろん技術の向上はマニアにはいいのですが、マニア向けにしていたら
楽しむためには予備知識が必要になり、敷居の高さからゴールデンの視聴率は
稼げない、色物を出したらマニアはソッポを向く、と非常に難しいと思います。

ちなみにプロレスがゴールデンだった頃は、力道山や馬場、猪木が
外国人レスラー相手にはじめはやられながらも最後は必殺技でやっつける
といった、日本人対外国人というギミックに加え、勧善懲悪のドラマに近いことをして
一般の注目を集めていました。しかしこれらの次の世代に移るときに、
世代抗争といった日本人同士の戦いをしたため、以前は外人をやっつける
ということだけで楽しめたのに、日本人同士の戦いを楽しむためには
いろいろな予備知識が必要になりマニアな世界に行ったのでは
ないのかな?と思っています。

そんなわけで、一般の人のプロレス離れの要因は単に真剣勝負かどうかといった
単純な話ではないかと思います。
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要はね、予定調和かどうか聞くのに、嫌いですって言う前置詞が必要ないでしょってことです。

あなたはその気がなくても、「私はプロレスは嫌いです。だって八百長でしょ?真剣勝負の総合のほうが上じゃん・・・」って言ってるようにしか聞こえないんですよね。

で、国内外限定してないってなら、海外の話し持ち出してもいいわけでしょ。WWEがいきなし近年、予定調和になったわけじゃない。そこのトップどころである、サンマルチノ、バックランド、ホーガン、アンドレ、最近ではそこを離れたばかりのレスナーやアングルが日本み来た時だけ真剣勝負してるわけないでしょ。だったら、そういうことです。
ただね、そういうことを声高に言うことが、学がある行為ではないのですよ。言わなくてもわかってるものだから、エンタメであれば、それを受け止めればいいだけ。受け止めたくないなら、かかわらなければいいだけ。

放送時間が変わったってのは、あなたはゴールデンでばんばんやってるK-1や総合と比べて落ち目だし、その理由は八百長だから・・・という仮説で話をしたいわけですね。それならそうと最初から言えばいい。
ただ、大衆人気がないからテレビのゴールデンでやらないだけで、1誌に減ったといえども専門の週刊誌が出てて、CSなどでのPPVでもそれなりの売り上げがあって、会場もそれなりのゲート収入がある現実からすれば、固定層が存在する、手堅いジャンルだとしかいえないでしょう。もっとマイナーな格闘技なんていくらもありますよ。K-1は人気でも、他のキックや、ムエタイ、空手トーナメントの放送ってありますかね。真剣なら上なら、何でフェンシングって、銀メダル取るまで誰も口にしなかったのか。

まあ、私も、好きで擁護してるだけなんだけどね。
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