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テクニシャンの方のおかげで研究が上手くいっているのに、うちの教授たちは、「彼らは、ただの手足だ」と平気で言う人で、連名にも謝辞にも一言も書きません。
尊敬の気持ちを持たない人に憤りを感じております。
私は日々感謝の気持ちでいっぱいですが、テクニシャンはなんで低くみられるのでしょうか?

A 回答 (4件)

学術論文の謝辞には載せないかも知れませんが、学位論文(D論だと微妙ですが、修論、卒論では)には載せるのが普通では?



そもそも謝辞というのは他研究室、他社について書くのが普通なので自分の研究室にいるテクニシャンの方の名を載せることはありません

また、著者名についてですが 著者として名前が載るということは業績であると同時に、その論文に対して責任を負うということです。つまり、テクニシャンの方は業績にはならないが責任を負う必要もない立場の人たちです


…と建前を言っておいて
教授や研究リーダーにとってテクニシャンの方は所詮ただのソルジャーでしょう、それは学生や他研究員などでも同じですが、学生などの場合では教育上、あるいは立場上名前を載せる必要があります。テクニシャンの方は名前を載せる必要がありません、だから載せないだけだと思います その代わり報酬を払いますが


#3さんも仰っていますが、連名や謝辞に載せることと感謝することというのは=ではないのでご注意を
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
参考になりました。

お礼日時:2009/05/11 21:16

分野にもよるでしょうが、研究で重要なのは「発想」です。

それを実証するために手足を動かす人も必要ですが、多くの場合(極めて特殊な技能を必要とする場合)を除き、重要度はそれよりも劣ります。つまり、だれでも代替可能だからです。
テクニシャンというのをどういう意味で使っておられるのかわかりませんが、ルーチンワークとして分析をしたり、機器の操作をする人のことであれば、それは手足を動かした人のもう一つしたのランクです。つまり、失礼ながら、彼らは時として機械の一部のようなもので、装置を動かすためにいるだけの人で、研究内容にかかわってくるものではないからです。さきほど、手足になる人が代替可能であると述べましたが、機器の操作をする人は、機器が進歩して自動化したりすれば不要になりかねない人たちです。

いささか、差別的な書き方になったかもしれませんが、あなたの見ている『教授』からはそのように見えているかも知れません。
そういうわけで、大学教授が論文を書く場合に、学生の名前は入れるのが普通でしょうが、テクニシャンの名前は入れ無いのが普通です。彼らはそれ、すなわち研究ではないことを仕事とし、給料をもらっているからです。ただし、テクニシャンが『余人をもって替え難い』働きをした場合は別でしょうし、謝辞に書き添えるということもあるでしょう。

ただし、謝辞を書くことと、感謝の気持ちをもつのは別問題です。前者に関しては習慣とか、慣例といったこともかかわってきます。後者に関しては、人間性とかその人の性格もかかわってきます。『「彼らは、ただの手足だ」と平気で言う人』はそういう人間性の人と言うことでしょう。
ところで、あなたは建物の掃除をしている人に感謝の気持ちを日々感じていますか。あるいは事務関係の業務をしている人に感謝していますか。そういう人がいなければ大学は成り立ちません。テクニシャンがいなくても、仕事を外注することは出来ますが、事務が無ければ物品の発注も出来ません。ということは事務の方が重要ということになりますよね。だとすれば事務の人への謝辞を書くべきであると思いますか。
学生の立場からの見方と教授の立場からの見方に差があるのは当然です。学生から見ればテクニシャンは優れた技能を持った人に見えるかも知れませんが、教授からはそうは見えていないでしょうね。
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その理由を考えることにはあまり意味がないと思います。

それより貴方がなぜ感謝の気持ちでいっぱいなのか考えてみたらどうでしょうか。
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>テクニシャンはなんで低くみられるのでしょうか


自らの意思で研究に寄与していないからです。
もちろんテクニシャンが居なければ研究は成り立ちませんが、技術料を払えば何処にでも頼める仕事はその金額が報酬の全てです。
一方、その方達にしかできない仕事についてはちゃんと「××については○○氏の寄与を受けた」と謝辞に書かれるべきものです。
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