【お題】王手、そして

簡単な質問ですが、ゼノンのパラドックスは本当にまだ誰も解けていないのでしょうか?

A 回答 (7件)

私が納得できる回答には未だに出会っておりません。

この問題で理解できないのは、アキレスはどうやって亀に追いつき追い越したのか、という点です。亀がいた地点までアキレスが移動すれば、亀は必ずのそ先に移動しています。次にアキレスが亀のいた地点まで移動すれば、亀は更にその先に移動しています。このようにしていくと、アキレスが移動した距離はある値に収束していくのは容易に分かります。しかし問題は、アキレスが亀に追いつく前のことではありません。アキレスは亀に追いつき追い越しているのです。では、それはどうやって? その答えはいまだにお目にかかっておりません。
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可能無限と実無限という概念の差があります。


詳しくは
http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/504641 …
http://www6.plala.or.jp/swansong/002400kanntorun …
http://www.ice.nuie.nagoya-u.ac.jp/~h003149b/que …
などを参照願います。

要するに、数学の分野では(というよりも、半ば哲学的な領域で)、「本質的に解けた」ということにはなってはいないというのが正しいようです。
※「実無限の概念にてパラドックスを回避した」というのが正確な表現のようです。
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ワイエルシュトラスは、詩を解さない者は本当の数学者ではないと言います。


そういう意味では此処と他処を存在論的な問題とする、ボヌフォワの「L'Arriere-pays」(後背地)などは真に数学の仕事にふさわしい詩的著書であると思われます。
観測問題、有界、位相空間が、アキレスと亀の「運動」ないし「点の集列」を「解く」というとき、そもそも、

量ではなく質の問題であるギリシアのアトミズムについて、
背理法として狂った前提を指さしているところのものを、「量的な別モデルによって翻訳する」にすぎないのだから、
思想として死体にするだけであろうという気持ちになります。

線を無限に微分化することができるという話は、それを逆にすり替えて点を無限に積分化すると何かになるとは「言えない」という話であり、
やはりそれは今日でも、存在は全一なのか要素なのかわからず、
量としてまた空間として把握することにおいてしか、有限と無限の峻別はできず、
さほど抜本的には哲学が進化を遂げた分野の話とは思えないのです。
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#1 は余りにも素っ気なかったので、蛇足を少々。



日常言語的にみると、
 (1) 論点の引き伸ばし
 (2) 論点のすり替え
がポイントみたいです。

「アキレスとカメ」の例でいうと
 (1)「アキレスに追いつけない」という言明には有効期限がある。
  それは、アキレスに追いつくまで。
  ゼノンのハナシは、そこまでのハナシを無限に継続させるよう、うまくできている。
 (2)「アキレスに追いつけない」が、いつの間にやら「いつまでたってもアキレスに追いつけない」ですり替えられている。
  これで、有効期限まで無限に後退したように錯覚させられてしまう。

この手のハナシ、よくありますので…応用問題を。
 某政党のボスいわく「何も悪いことしてない!」
 この言明の有効期限はいつになるのでしょうか?
 
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所謂ゼノンのパラドックスはとっくに解かれていますよ。

パラドクシカルに見えてしまうのは,無限足し合わせれば当然無限大になるという、間違った思い込みをしてしまうのが原因です。

高校程度の数学で、無限級数の和を教わったでしょう。そこでは、無限に足し挙げた物が有限になっている例を、これでもかこれでもかと教わりましたね。ゼノンの例以外でも、コップの水を半分だけ他のコップに移し、その残りの水をまた半分だけもう一度移しと繰り返すと、コップの水を空にするのに無限回の操作が必要ですね。しかしだからと言って、水の量が無限に増える訳ではなく、全部を足し上げるともとのコップの中の水の量ですね。これを数学で表すと、

1/2 + (1/2)^2 + (1/2)^3 + (1/2)^4 + ・・・ = 1

と言う無限級数の和になります。

アキレスとカメの例でも,測定する時間間隔を次々に無限回足してご覧なさい。その級数は有限な値に収斂して、正確に追いつく時間が計算できます。もちろんその後はアキレスがカメの前に出ています。ゼノンの時代では、無限級数の和を扱う数学がまだ未完成だったので、一見矛盾に見えてしまったのです。

ところで、1978年に B. ミズラとE. スーダーシャンという二人の著名な物理学者が、量子ゼノン・パラドックスという現象を理論的に提案しました。それは、
「もし、量子力学の基本的原理であるシュレーディンガー方程式が正しく、それと同時に、それとは完全に原理の異なるフォン・ノイマンの観測の理論が主張するように、観測によって波動関数が収縮すると言う仮説が正しいとするならば、本来励起状態に在る原子は放っておくと光を出して原子の基底状態に必ず遷移するはずなのに、もし、その原子を見続けていると励起状態から基底状態へ遷移することが出来なくなってしまう」
という主張です。
この現象も、ゼノンのパラドックスの、アキレスとカメや、矢の運動のように観測し続けると、それが原因で違った運動が起こってしまうと言うので、彼等はこれを「量子ゼノン・パラドックス」と名付けました。

現在ではその現象も矛盾無く説明されております。量子力学では「眺める」とは「観測する」ことですが、それにはこちらから、光などを送ってその反射光を観測することなので、何もしないでただ眺めている訳では在りません。そして、こちらから光を照射して原子を刺激すると、当然原子は光が照射されていない場合の運動とは違った運動をします。その照射と言う行為を忘れて論じると、一見矛盾に見えると言う訳です。事実、その照射まで考慮に入れて、シュレーディンガー方程式を解いて見ると、確かに基底状態への遷移を妨げることができることが現在では判っており、更に、実際の実験でもその現象が観測されています。そこで現在ではこの現象を、パラドックスとは言わずに、「量子ゼノン効果」と言っております。

余談になりますが、もし本当に、この現象がシュレーディンガー方程式だけでは理解できない現象で、「観測の理論」を使わないと説明できない現象だったとしたら、 B. ミズラとE. スーダーシャンは、「観測の理論」の実験的検証の方法を最初に提案した人として、それを実験で確認した人と一緒に確実にノーベル賞を貰えたはずです。しかし、現在ではその現象が「観測の理論」なしで、シュレーディンガー方程式だけ理解できることが確認されてしまったので、重要な仕事では在りましたが、ノーベル賞は無理だと思われます。
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(随分以前に当サイトで回答した内容ですが)



アキレスと亀の問題については、こう考えれば単純に理解できると思います。

アキレスと亀との間が、たとえば50メートル開いているとして、アキレスは移動のための制限時間が1秒であれば、その間に亀に絶対に追いつくことはできない。(自明)
すなわち、どんなに速度が早い者であっても、時間制限をされると、たとえどんなに速度の遅い者に対してもそれに追いつくことは不可能です。

アキレスは、移動距離を細切れにされているように見えますが、そう考えるよりも、その細切れによって移動時間を制限されたと考える方が分かりやすいでしょう。
─── すなわち、移動時間を制限されたアキレスは、亀に追いつけないということです。
もちろん、移動時間に制限がなければ、アキレスは簡単に亀に追いつけ、追い越せます。

教訓として、運動を考える場合は、空間距離だけでなく時間という要素を持ち込まなければ正常な認識は出来ない、ということでしょうか。、
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「パラドックス」とは何か?



これこそ謎ですが、「言語系から排除できない真偽不明な命題」だとすると、言語系内では解決できないことになります。
しかし、そんな割り切り方が許されるのか否か、これまた謎ですね。
 
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