
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
判断材料として2つを考えます。
(1) 蘇我入鹿は、中臣鎌足(藤原鎌足)と共に、南淵請安に師事した。
(2) 大化の改新(645年)の時、父の蘇我蝦夷が存命であった。
蝦夷から643年に大臣位を譲られた。
**********************************************************
(1)を考察しますと、
南淵請安が大陸から帰国したのは640年。この時期に「学者について学問をする」にふさわしい年齢であったと思われます。すると、15歳から30歳程度でしょう。
逆算しますと、
「入鹿は610年から625年の生まれ?」となります。
**********************************************************
(2)を考察しますと、
当時の平均寿命から言って、父の蝦夷が引退して子の入鹿に大臣位を譲るのは50歳くらいの時期ではないでしょうか。
逆算しますと、蝦夷は590年頃の生まれと思われます。
(蘇我蝦夷の生年を586年とする説があるようですが、出典が分かりません。上記の考察とは矛盾しません)
仮に蝦夷が590年生としますと、643年に53歳で大臣位を「国家の最高権力者にふさわしい年齢となった」入鹿に譲ったということになります。
近世以前の権力者は早婚ですから、仮に蝦夷が18歳の時に嫡男(長男とは限りません)の入鹿が生まれたとしますと、
「大臣の位に就いた入鹿は35歳」
となります。
古代の35歳は「国家の最高権力者を継ぐ年齢」にふさわしいでしょう。
これで逆算しますと、
「入鹿は608年生」
となります。
**********************************************************
(2)の推定の生年が、(1)の推定の範囲を超え、30を超えた入鹿が南淵請安に師事したとなってやや不自然ですので、入鹿はもう5歳年少だったと考えましょうか。
「入鹿が613年生」
としますと、
●南淵請安に師事した640年:27歳
●大臣の位を継いだ643年:30歳
入鹿の生年が613年生としますと、大化の改新(645年)の時は32歳。
入鹿の政敵であり、大化の改新を起こしたとされる
* 中臣鎌足は614年生とされ、31歳。
* 中大兄皇子は626年生、19歳。中大兄皇子の生年は日本書紀に記録されている筈なので間違いないでしょう。
大化の改新の時の入鹿が32歳、614年生と伝わる鎌足とほぼ同年齢と考えると自然なように思えます。
あー、そうでした。
蘇我入鹿は、中臣鎌足と共に、南淵請安に師事していたんでしたね。
確かにそれはひとつの判断材料になります。
蝦夷が引退するのが50歳くらい、というのも妥当な感じがします。
明晰な推理をありがとうございます。
32歳くらいのかっこいい入鹿の姿が頭の中に浮かび上がってきました(笑)!
No.3
- 回答日時:
せめて父親の年齢がはっきりしていれば・・・
僕の非常に主観的な意見ですが
入鹿暗殺の絵(入鹿の首がきれいに飛んでいくものです)を
見る限り30代くらいではないでしょうか。
ってもちろんこんなのは後世になって描かれたもんでしょうが 笑
本当にくだらない回答ですいません。
いやいや、くだらなくないですよ~。
談山神社の縁起絵巻でしたっけ、入鹿の首が皇極天皇の御簾にくらいついている絵・・・
確かに、30代くらいに見えます。
また、皇極天皇の寵愛を受けたってことは
50代の老人というよりはもう少し若い印象がありますね。
ありがとうございました!
No.1
- 回答日時:
あくまで個人的な意見ですが・・・
入鹿の祖父、蘇我馬子は551年生れと言われています。
馬子が丁未の乱で権力を握ったのが587年ですから、当時の推定年齢は36才ということでなんとなく頷けます。
大化の改新が645年ですから丁未の乱から58年後、馬子と入鹿の年齢差が40才とすれば、入鹿の死亡時年齢は54才ということになります。
ただ当時の平均寿命から考えると、もう少し若かったのかなと想像します。
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