プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

スポーツを見た時、映画を見た時など、
人が感動するシーンというのは、世の中に様々あります。
しかし感動するポイントは、個人差によるところが大きく、
ある人が見て感動しても、別の人は全く感動しない、
というようなケースも多いのではないかと思います。
そこで質問をさせて下さい。

●人の感動するポイントは何によって形成される?
例えば、感動的といわれる映画を見て泣く人と
泣かない(特に何も感じない)人とでは、
いったい何が違うのでしょうか?

●人生経験が豊富になると、感動しやすくなる?しにくくなる?
人は未経験・未体験のものに対して、感動しているような気がします。
(映画・小説の、現実には起こりえないようなストーリーや、
初めてなにかが達成できた時、など。)
しかし私の場合は、歳を重ねるにつれ、以前よりも小さなことでも
感動することが多くなりました。
人生経験(年齢)と感動の関係性について教えて下さい。

ご回答よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

この手の事柄は特に正解というものがない様に感じますので、あくまで個人的意見として、以下に述べさせて頂きます。



■人の感動するポイント

(1)受け取りたい、(例えば)映画を観てこういう気持になりたい、音楽を聴いてこういう方向の感情になりたい、と事前に期待している方向性と一致した時、”よかった”と安堵方向に感動した気分になっている人がおられるのをよく見掛けます。(なりたい気持になれた安心による感動)

(2)自分の場合は、接した対象物が全く予想してないタイミングやって来たり、予想外の展開だったりした時に、”すごい!こういうのもあったんだ!”と開放方向に感動気分になります。(新発見による感動)

前提条件として、個々の人の性格気質(安定志向か冒険派か。好奇心旺盛の度合、右脳優先傾向か左脳優先傾向か、など)と、その折々の精神環境がこれを左右しているのではないでしょうか。 

■同じ作品を観ても感動する人も居れば、何ら感じない人も居る

自分の場合は、(音の振動が調和的で、開放感のある)音楽や、(映像創りや台詞の在り方、作品全体として訴えかけている内容において)芸術性や普遍性の高い映画などに接した時は、理屈抜きで五感的に感動していることもよくあります。(直感的に感動する場合)

また、自分の専門分野以外で全く自分が予備知識がない対象に対しても、とても興味があり、気が付くと、何でも探究しようとしています。ある程度の期間、一つの対象を探究し続けると、別の分野とも何らかの共通性があることに気が付き、自分の専門で得た体験を応用できると分かって来ます。その段階以降は、(自分にとって新しいその対象物に対して、)感動するようになって来ます。(対象物の本質を知ることで感動を覚えるようになる場合)

加えて、基本的には完全に自分の心を閉じざるを得ない精神環境に居る時には、”何も感じない”、という人もおられる様です。一方で、心が乾いている時こそ、心の大きな機微を表す文化作品(映画、音楽、美術、文学など)に接して、かえって大きな感動を感じ、それを機に気持も調和方向に戻る、という人もおられます。

■人生経験と感動具合の関連性
加齢と共に誰でも知っている感覚の数は増えて行くために、未経験の物の数は自ずと減って行きます。

しかしながら、精神的経験を本当の意味で重ねて加齢して行っている人であれば、外観だけからでは熟知しているつもりの対象物であっても、(その対象物が本物としての質があるものであれば、)実は見方を変えれば自分にとって未経験の魅力がまだまだ発見できる、という事を肌で知っており、きっと多方向から物事を観察し、感じ取ろうとするので、ちょこっと外観をなぞっただけの段階で終わりにせず、時間を掛けて向き合い続けるでしょうから、しばらくの時を経た後には何らかの感動を覚えるに至っているのではないでしょうか。

より深い部分まで掘り下げて解釈できる審美眼が育っていれば、何歳になっても感動は尽きない。何か特別な事に対してだけでなく、日常生活の中での出来事に対してすら、寧ろ、感動できる場面がどんどん増えて行くでしょうし、感動の深さも大きくなって行くと思います。

何かしら、「心のタガ」のようなものが存在しているように感じます。とても忙しい生き方をするようになってしまっていて、つい肩に力が入っていると、この「タガ」が外れ難いのではないでしょうか。 心が自由であると、自分の感覚に素直になっているので、色々な事に感動し易くなるようにも思います。

現代は驚くほどに情報が簡単に手に入りますので、その段階だけで知ったつもりになってしまっているケースは誰にとっても多いのではないでしょうか。知った気分になってしまっていると、それ以上、掘り下げようとしなくなる為に、本当の意味での感動体験までなかなか至り難いのが今の時代の残念な点であると感じています。イベントなど目に見えて派手で、特別な事がなければ感動を得られない、ということはないと思うのです。 

日常の中で「感動体験」をどれだけ出来るかどうかは、自分で自分の心を自由であるようにしているかどうか次第だと感じるのです。

手間もエネルギーも時間も掛かり、すぐに知ることが出来ないもどかしさがありますが、一つでの多くの「真の心の感動」に至れ、死の瞬間が訪れるまで精神的成長をし続けて行けるように、これからも好奇心旺盛に、丁寧に生きて行きたい、と思っています。

自分なりの見解を認めました。何らかご参考になる点があったとしたら、幸いです。

世の中が、「感動の心」で溢れ、幸せな笑顔の人々で一杯になる日が、近い将来に来ることを心から願っています。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなってしまいましてすみません。

> ■人の感動するポイント
>(なりたい気持になれた安心による感動)
>(新発見による感動)
私もそのように思います。
しかし「予想通り」となった場合でも、
「予想外」となった場合でも感動するとなると、
一体人は何をきっかけに感動しているのか、、、ますます気になります。

>現代は驚くほどに情報が簡単に手に入りますので、その段階だけで知ったつもりになってしまっているケースは誰にとっても多いのではないでしょうか。
>知った気分になってしまっていると、それ以上、掘り下げようとしなくなる為に、本当の意味での感動体験までなかなか至り難いのが今の時代の残念な点であると感じています。
上を読んで、確かにそうだと感じました。
自分にも思い当たる節があります。
テレビ、PCなどのメディアが普及したことによる
弊害とも言えるかもしれませんが、
「物事を掘り下げて考えるかどうか」は自分の意識によるものなので、
私も日頃好奇心をもって生きていけるようにしたいと思います。

お礼日時:2009/06/14 05:00

こんばんは。



>●人の感動するポイントは何によって形成される?
物事を理屈ではなく、感覚で捉えているか だと思います。

>●人生経験が豊富になると、感動しやすくなる?しにくくなる?
感動は、知識や理屈でなく、心に入っていくものだから、人生経験の数には関係無いと思います。
常識や既成概念にとらわれず、物事の本質を直感的に見抜ける力が備わっているかどうか だと思います。

人生経験がいくら豊富でも、経験的、観念的、端的でしか捉えることが出来ないのならば、感動力は弱い はずだと思います。

>しかし私の場合は、歳を重ねるにつれ、以前よりも小さなことでも 感動することが多くなりました。

本物に触れることと、新たな価値を創造する力 を育てていくことが出来れば、この力を磨くことが可能だと思います。

この回答への補足

ご回答下さった皆様へ

質問者です。
補足欄から失礼します。

後から読み返してみると、
少々質問が曖昧なものになってしまっておりました。
大変失礼致しました。

皆様のご回答、大変参考になりました。
ありがとうございました。

補足日時:2009/06/14 08:09
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この回答へのお礼

お礼が遅くなってしまいましてすみません。

>物事を理屈ではなく、感覚で捉えているか 
>常識や既成概念にとらわれず、物事の本質を直感的に見抜ける力が備わっているかどうか
>経験的、観念的、端的でしか捉えることが出来ないのならば、感動力は弱い
>本物に触れることと、新たな価値を創造する力

私には少し理解が難しいですね・・・^^;
(当方の回答の読み違いでしたらすみません)

私としましては、
感覚的なものが、物事の本質を見抜くきっかけにはなる"かも"しれませんが、
本質を見抜くこととは、理屈・経験の上に成り立つものかと思っています。
もっと言えば、本質を見抜こうとすること自体も、理屈・経験からくるのではないかと考えています。

>新たな価値を創造する力
重要ですね。日々意識して精進していきたいと思ってます。

お礼日時:2009/06/14 08:05

テーマが大きくて、私こそが教えを請う立場だと思いましたが、参加させていただきました。


長文ですが、どうぞよろしく最後までお付き合い下さい。m(_ _)m


●人の感動するポイントは何によって形成される?

>例えば、感動的といわれる映画を見て泣く人と
泣かない(特に何も感じない)人とでは、
いったい何が違うのでしょうか?

そのシーンが、作り物ではなくて、現実に目の前で起こっているかのように感じられると、自然に涙が出るのだと思います。
現実感のない、絵空事のように感じられると、悲しいという感情は起きにくいと思います。

私個人の感想ですが、素直で率直な人の方が泣きやすいのではないかと思います。
「よし、ここで盛り上げて泣かそうとしているな」と演出を感じてしまうと、しらけてしまい、泣けなくなると思います。
先が読めてしまうような、分析させる余地(計算)があると泣けなくなってしまうのです。

自分の日常とは ほど遠かったり、構成があまく、リアルさが無いと感情移入しにくいものではないかと思います。
結局、どれだけ感情移入出来る要素が盛り込まれているかということではないでしょうか。



●人生経験が豊富になると、感動しやすくなる?しにくくなる?

>人は未経験・未体験のものに対して、感動しているような気がします。
(映画・小説の、現実には起こりえないようなストーリーや、
初めてなにかが達成できた時、など。)

これは、私の場合ですが、若い頃がそんな感じです。
特に、現実には起こりえないようなストーリーというのがそうです。
昔はSFの小説を読んだり映画を見るのが好きでした。
でも、今は昔ほどではありません。

今は寧ろありえない設定よりも、現実にありそうなことを少しずつあつめて、パズルのように組み合わせると、想像だに出来なかったスケールの大きな話、(奥深い話)になっていくという話の方が感動します。
現実感もあり、先が読めず、しかし見終わったあと余韻が残る。
――そんな物語に感動します。
人間の心の表裏が鋭く描かれているものを面白いと感じます。
しかし、どう考えても、そんなに重なり合う偶然ってあるかな?と思ってしまうと駄目ですね。納得させるような設定と流れを崩して欲しくないです。

最近は、なかなか初めて達成できたことがありません。
心にエネルギーが足りていないから、何か新しいことをしようと思えない自分が嫌ですね。
こういった面では、感動をする場面が減りました。
若い頃よりも、チャレンジしようという気持ちが無くなっているので、自分から感動を遠ざけていると言えます。
すっかり受け手側に廻ってしまっています。
そう言う新鮮な充実感は、意識しないと作りにくくなったと思います。
回答を書いていて気が付いたのですが、「若い頃」という言葉を多用してしまうのも、自分で年齢、「限界」を感じ易くなってしまっているからですね…。


>私の場合は、歳を重ねるにつれ、以前よりも小さなことでも
感動することが多くなりました。

これはすごく共感します。
私は、小さな子供や動物ものを見るときが特にそうです。
生命そのものに感動しているような感じです。
一所懸命生きている姿が、いじらしく思えてしまいます。
これは、自分が親になったからだと思います。
生命を生み育てることの大切さ、大変さ、今自分がここにいること、命の繋がりを子供のころよりも深く考える機会が出来たからじゃないかと思います。

そして、経験から引き出しが多くなったからだと思います。
小さな事も自分と重ね合わせてみることが、自然と多くなったのでしょう。


>人生経験(年齢)と感動の関係性について教えて下さい。

話がそれてしまいますが、子供の頃見てすごく感動したのに、成人してから見て、あれ?と思った映画があります。
感受性がさび付いてしまったのかと寂しくも感じましたが、昔見た映画も故人も、意図したわけではないのに、何故か過ぎ去ったことは記憶の中では美化されています。

SF映画の如何にもセットの張りぼても、私の記憶の中ではリアルな宇宙ステーションになっていたり、おもちゃみたいなロボットも最新鋭の精密ロボットになっています。子供の頃見たアニメのヒーローはダサい服を着ているし、髪は長すぎて有り得ない髪型です。そして動きはカクカクしています。
おそるべし、セルフイメージ!!オリジナルをはるかに越えてかっこよくアレンジされています。

昔が良いとよく人が言うけれど、それは記憶の中で昔をアレンジして、格好良く作り替えている面もあるのかもしれません。
それは昔お気に入りだった服を今見ると、良くこんなの着てたな?と首をかしげたくなるのと同じ事かもしれません。

若い頃に経験したことは、感受性が鋭かった分、自分にとって良かったことは最高値まで引き上げられて、良い思い出として残るものなのかもしれませんね。


また、何度読み返しても面白い本や漫画、そして映画があります。
動きがカクカクしていてもです。
これは、人生経験とは関係ないですよね。普遍的なテーマだと本当にそうです。
私の場合、手塚治虫さんの作品が正にそうです。
(他には白戸三平さんや大河ドラマがそうです。)
手塚さんは、いつも根底にあるテーマが命で、その時代時代に翻弄される人達が流れに逆らおう、流されまいと精一杯生きる姿を描いています。――結局、私の場合、感動のポイントとはそこにあるのだと思います。

読み返すとその時々に、年齢が進むにつれてまた違った発見があります。だから、感動は薄れず新しいままです。

年齢を重ねると、目新しいことよりも、生きること、生き様そのものに関心が行くように変わっていったと私は思います。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなってしまいましてすみません。

>私は、小さな子供や動物ものを見るときが特にそうです。
>生命そのものに感動しているような感じです。
私もそのあたりに弱いですね。
最近ですと、実家で飼っている猫が花をくわえて歩いてきて、
私の前に置いた時に、なぜかものすごくうれしく感じました。
昔だったら特になんとも思わなかったであろう事なので、
自分でびっくりしてしまいました。

>経験から引き出しが多くなったからだと思います。
>小さな事も自分と重ね合わせてみることが、自然と多くなったのでしょう。
結局のところ、そういう事なのでしょうか。
無意識(?)に自分の今までの経験が、
日常で起こる小さな事を、"感動"にしているのでしょうか。

>年齢を重ねると、目新しいことよりも、生きること、生き様そのものに関心が行くように変わっていったと私は思います。
なるほど、そうかもしれません。
参考になりますm。

お礼日時:2009/06/14 07:12

一般に感動は群集心理に影響されます(伝染する)が、このことについては常識として問題にはされないのですね。


お笑いを観てよく笑うひとは感動しやすいということでしょうか、そうでもないと思います。感受性の強い人はいわゆるお笑い番組では笑わないひとの部類に入ると思います。ま、これは私の独断ですが。
他人の言動にすぐ乗せられるひと、その場の雰囲気にすぐなじめるひとも感動しやすい人間だと言えるでしょうね。これも感受性とは無関係かもです。
催眠術にかかりやすい人、そうでない人の差も感動しやすさに関連があるだろうと思われます。すぐ感情的になりやすいひとがそうであるということはいえるかもしれませんが、逆に理知的なひとがかかりにくいかというとそうでもないばあいもあり、知性と感受性とは無関係なのかもしれません。
一般的なことを書きましたが、いったい質問者様の感動とはどいう心の動きを言っておられるのでしょうか。涙を流すかどうかということでしょうか。うっとりとわれを忘れる瞬間があったかどうかということでしょうか?
一応大雑把にご質問に答えておきます。
>●人の感動するポイントは何によって形成される?
登場人物(の立場、心、感情)に同化する(できる)かどうかということが大きいのではないでしょうか。その上でその人物が驚くべき行動をした時などに高揚感が自分に生じて感動するのでしょう。また、よく似た状況にあった記憶のあるひとはすぐその場面に入っていけ(まったく自分になってしまっ)て、感動してしまうのでしょう。

>●人生経験が豊富になると、感動しやすくなる?しにくくなる?
そういう意味でやはり人生経験がより豊富なひとほど感動できる割合が多いだろうと思えます。

ご参考まで。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなってしまいましてすみません。

>いったい質問者様の感動とはどいう心の動きを言っておられるのでしょうか。
質問に明記しておりませんでした。すみません。
質問は、映画・小説などを見た時の、涙を流すような感動のことをさしておりますが、
自分としましては、どちらのケースで回答いただいても参考になります。
(今更遅いですが^^;)

>一般に感動は群集心理に影響されます
そうですね。周りの雰囲気が大きく影響している場合があることはわかります。
群集心理に影響された感動というのは、感動と言えるのか、
感動とは異なるものなのか、、、、、どうなんでしょう。

>登場人物(の立場、心、感情)に同化する(できる)かどうかということが大きい
>そういう意味でやはり人生経験がより豊富なひとほど感動できる割合が多いだろうと思えます。
他の回答者様の回答にもあったのですが、
「登場人物に同化できるかどうかが感動する上で大きい」というのが些か疑問です。
登場人物と自分の立場・環境がかけ離れていたり、
全く経験のないことであっても、感動することはある気がします。
寧ろそういったケースの方が多いと思っています。

自分(もしくはパートナー)が危機的状況な話や、
到底成しえないような事を成功した話など、
普通の人には経験しにくい事象で感動できるのは、一体なぜなのでしょうか。。。

お礼日時:2009/06/14 06:28

感動的な小説や映画が好きなので個人的な意見を。



経験豊富になると、感動しやすくなると思います。
恋愛、結婚、出産、育児、身近な人の不幸、自分の苦境、成功体験、
人の話を聞いたときに自分のことと重ね合わせられる接点が多くなります。

先日、近所の子供(5歳ぐらい)にせがまれて「百万回生きた猫」の絵本を読んであげましたが、全く感動してくれませんでした。
なぜ猫が生き返らなかったのか、説明しても無駄でした。
私は説明しながらまた涙が出そうになりました。
(もし読んだことがなければぜひ読んで下さい。必ず図書館にもあります)

子供には、結婚や、自分だけの人生、人を愛すること、自分の子供が出来ること、そういう経験がないので理解できないのです。心に届かないのです。

例えばこの絵本を読んで感動しない大人がいたら、かなりのひきこもりか、どこか精神を病んでいると思います。


似たような話に、「恋空」という携帯小説が書籍化し、中学生に好評を博したことがありました。
しかし大人が読むと、妊娠堕胎、しかしまた簡単に男とくっつく、なんていう衝撃的だけど内容のない話の連続でした。
(amazonの書評を見て下さい)

しかし中学生が本気で感動したなどと言うのは、体験がないからです。
ただ衝撃的で表面的な記号に驚いているだけ。
実体験があれば、そこにリアリティがない、深みがないことに気付くはずです。

色んな経験を重ねてきた大人は単なる事件ではなく、その中に潜んでいる人間の感情や割り切れない新庄を描いた映画や小説を愛するのだと思います。

最初の質問に戻りますが、
映画や小説、特に感動ものを見慣れている人ほど、感動して涙することもあると思います。
感動したくてそれを観ているから、敏感なんです。
作者が泣かせようとしていることを察知すると、どんどんその話や登場人物の心境に自分から入っていき想像して泣いてしまう。
それもあると思います。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなってしまいましてすみません。

>しかし中学生が本気で感動したなどと言うのは、体験がないからです。
>ただ衝撃的で表面的な記号に驚いているだけ。
>実体験があれば、そこにリアリティがない、深みがないことに気付くはずです。
経験が浅い故の感動というのは、わかる気がします。
私は格闘技観戦が好きで、試合中の選手の姿によく感動しているのですが、
格闘技経験のある人に聞くと、
大抵「格闘技を見ても感動はしない」と言っています。
素人から見たら「いい試合」に見えても、経験者から見たら普通なのかもしれません。

>「百万回生きた猫」の絵本
今度読んでみます。

お礼日時:2009/06/14 05:25

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