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大人になっても自分がかわいそう(自己憐憫)で泣くのは
おかしいですか?
精神的に未熟ですか?
もしそうならば、どうすればそうならずにすむのでしょうか。

自己憐憫の感情を持たずに生きているひとは、自分に起こった不幸や災難をどのようにとらえているのでしょうか。

A 回答 (4件)

こんばんは。

お気持ちよく分かります。自己憐憫は日本人だけでなく世界の多くの人が持っている部分で、自己憐憫によって人々は繋がる傾向があると言っても過言ではないように私は感じています。なので、程度の差はあるにせよ、自己憐憫を抱えているのはおかしなことではありません。

自己憐憫は感情ではありません。幼少期から培った自分を守るための戦略と言えます。自己憐憫のメリットは親から愛されたり、親の注目を浴びるため、もっと言えば親から承認されること等があります。また、多くの人が自己憐憫で繋がっているので、人々との繋がりのためにも意味を成します。一人だけ楽しんでいてはいけないんじゃないか、という想いからも自己憐憫を培ってしまうこともあります。

自己憐憫を完全にリリースすれば傷つくことはなくなります。そのためには、世界を個人的に受け取らない必要性があります。それはたとえ自分に何か起こっても不幸とか災難だと捉えることが無い状態です。つまりは、出来事を「よい」とか「悪い」とか裁かずに、ありのままに、ただ「起こった出来事」として認識し観察します。もちろん、他者に起こった事も同じように。そうなると、どんな事が起ころうとも不幸や災難だと判断することは無くなります。

悲しみという感情も喜びという感情も実は同じ感情です。その感情にストーリーが付いてしまうと、「自分はダメだ」と落ち込んでしまう。なので、もし泣くのであれば「私は○○だから泣くんだ」と理由を付けずにただ泣いてください。しばらくしたら、その泣くことを笑いに変えてみてください。ただ、理由を付けずに感情に浸ることで、その裏にある葛藤を消すことができるでしょう。長年のパターンを捨てることには勇気が要るでしょう。でも、まずは「もう私には自己憐憫は必要ない」と宣言することができれば、あなたは変わることができます。焦ることも無いです。リラックスして。そして、余裕があれば、体を動かしてください。ストレッチやヨガなどの呼吸を意識的にするエクササイズが有効です。あなたの本質の部分は何の問題はありません。あなたの体が不安に思っているように私は感じます。運動するとその部分を癒すことができます。

以上ですが、私の体験からアドバイスさせていただきました。参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございました。

非常に参考になりました。
一時期、傷のなめ合いのような関係をもとめていたことがあり、それが自己憐憫によってつながるということだと思いました。

確かに自己憐憫によって自分を守ってきましたが、大人になりそれでは前に進めないということに気がつき、自己憐憫をやめたいと感じてました。

現在ジムで体を鍛えておりそれが精神面でも変化が現れており、
ストレスに強くなってきていると思ってます。

非常によいアドバイスになりました。
とても感謝しています。

お礼日時:2009/07/03 11:37

 おかしくは・・ないよ。

周囲にも居るよ。

自分が可哀想、って思えるのは、自分の事を、別の自分が、キチンと見ているからでしょ。客観的になっている、自己監査部分があるから・・なのでは?そして、その自己の振り返り(監査)はある程度の年齢になれば、誰でも自然と身に付けているものです。だからこそ、ダイエットしようと思ったり、新たな資格を身に付けようとしたり、それぞれが向上心を持って『もがく』のでしょ。

自分って可哀想・・そう思うのは、私的な意見ですが、自分で心の傷を癒している・・その一環だと思います。例えば、小さな子だったなら、傷ついたなら、親やジジババなどの胸に飛び込んで、その心を受け止めてもらったり、癒してもらったりしますよね・・。それが出来なかった場合、傷を負った心はそのまま癒されることなく、いつか『大人になった自分自身』が当時の傷心の自分を、抱きしめているのです・・。

大人になるにはね、誰もが絶対に通らねばならない過程があります。

その大切な一つに、『寄り添い』と『受け止め』があります。
えーん、痛かったよー。と言えば、あらあら、痛かったのね・・。さ、もう大丈夫よ。お薬を塗りましょうね・・。とこんな感じのやり取りです。

本当に苦しい時、本当に求めていた時に、これがなかった場合、人間は子どもに限らず、苦しい思いを残します。癒されなかった心は、新たな傷となり、いつか自分自身が『自分って可哀想』と、癒そうとするのです・・。ですから、決して悪いことではないのでは・・。いうならば、自己防衛・・自己免疫・・。

自分は不幸だった。

これを受け止め、辛かった気持ちに寄り添い・抱き寄せているのが、自分自身だってことです。当然ですが、もう1人の自分は、誰よりも、良き理解者です・・。

色んな人の実話や話を聞くとね、何となくですが、思うことがあります。
それは人の人生にはプラスとマイナス、幸と不幸がね、バランスよく、ちりばめられているな、ということ。片側ばかりの人って案外いない・・。

だから、自分に不幸が起こっても、それは何かに仕向けられたのかもしれない。見えない力(神?仏?)が働いて・・。キリスト教では苦労を背負うことを、十字架を背負うといいますよね。仏教でも、不幸が起これば、ご先祖さまに教えられているのかもしれない・・と言う人がありますよね。

自身に起こった不幸や災難、幸せさえ、私は見えない力による、必然なものだったのかも。と思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
返信が遅くなりすみません。

自己憐憫をせずに前向きに人生を生きたいと思い、質問させてもらいました。

自己憐憫は
幼少のときからの自分の癖だったので、その構造がわかりよかったです。

これからより精神的に向上をめざしてがんばっていきたいです。

お礼日時:2009/07/03 11:40

皆、多かれ少なかれあると思うよ。



全ての分野で人より勝る人なんて、存在しない。

自己憐憫を、どうかバネにして、自分の弱さを克服する努力をしてみてください。

いい意味に捉えれば、負けず嫌いと同義語かも。

自分の不甲斐なさ、情けなさに悲しんだ後、自分をどうするかは自分次第。

どうか、自分に負け続けないよう、お祈りいたします。

誰しもが、一度は通る壁なのです。騙されたと思って、一回超えてみたいと思いませんか?。

この世の中、やる気次第で、何とかなる部分は、結構多いのです。

チャレンジするのか、逃げるのかは、自分次第です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

これからは自分の不幸をいちいち不幸だと重く受け止めず、ニュートラルに
ただ自分におこったこととして受け止めて、精神面での落ち着きをもっていき、
いろんなことにチャレンジしてきます。

お礼日時:2009/07/03 11:42

自己憐憫といいましてもその深くは悔しいっていう気持ちだと思います


かわいそうな状況に置かれたのが悔しい
それが圧倒的にかわいそうという感情の元に表れるのではないかと思います
いたって普通だと思いますよ

自己憐憫が少ない人は、悔しいという気持ちよりも
前向きに捉えて生きてる人たちでしょう
苦難があるほど、自分は成長できる
これをいい経験にしようというプラス思考かもしれないですね
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

これからは
自分の不幸を不幸だと重く受け止めず、前向きな考えを持って、
生きて行きたいと思います。

お礼日時:2009/07/03 11:43

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