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私はミッション系の中高に通っていたのですが、宗教の先生が新興宗教の問題点についての授業で救世軍に言及し「慈善活動は評価できるが、そもそも軍隊を真似ていることがおかしい」と非難していました。
救世軍はキリスト教の一宗派と扱われることが多いようですし、、統一教会、エホバの証人、モルモン教のように批判されることも殆ど無いようです。
救世軍はキリスト教なのでしょうか、それともキリスト教もどきに過ぎないのでしょうか?

A 回答 (4件)

歴史的背景があっての組織です。

活動するにはやはり必要ですよ
それが救世軍のポリーシーというのかな?

しかし配置転換が非常に多すぎる。信者や家族を考えていないような気がする。また日本においては形のみになってきて海外の救世軍から見れば活動がないという人もいる。つまり普通の教会と同じように活動する事が少なくなっているという人もいますね。
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サルベーション・アーミを日本語にすると救世軍になりますね。



海外で発足したこれのいきさつは、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%91%E4%B8%96% …

「戦う」。
活動をする より 戦うの方が士気が上がりませんか?


「貧困をこの世から無くすために活動をする」より、「貧困をこの世から撲滅するために、我々は貧困という悪と戦う」の方が集団の心を動かしませんか?



日本では山室軍平が最初。
彼はキリスト教の精神に乗っ取り、救世軍を立ち上げたとなっていますが、、、確か私の認識ではキリスト教は女性を悪魔だと認定していたと思うんですね。
そのキリスト教が悪魔とする公娼を軍平が救うことは、キリスト教の精神とは相反する行為。
しかし、貧困ゆえに体を売らざるをえない状況だったのなら、貧困が悪であって、公娼が悪ではない 貧困という悪に囚われた女性達を解放してあげようという考えだったのかも。



サルベーション・アーミーのアーミーは確かに軍隊と訳されることがほとんどですが、群れとも訳せます。


キリスト教でこういう歌詞ありますよね。
「聖なる 聖なる万軍の主よ」

この文句は聖書からとられています。
それにケルビムという智天使は、体を炎の剣 または 蛇にして、「聖なる 聖なる 万軍の主よ」と神様を褒めちぎった。
体を神への愛で熱くしているわけです、ケルビムさんは。



イスラエル民族は少数民族で、何度も絶滅に危機にあっています。
絶対的に数の上で勝利することは無理な戦いでも勝利して、絶滅を免れています。
これは、我々万軍の主である神のお力があったからこそ という考え。


神の力で奇跡が起こったとされますが、現実は智恵で不利な戦いに勝利してきたのだと思います。


コンスタンティヌス1世も智恵を使い、多神教のシンボルの十字を軍旗につけて、兵士の士気を高めて、数の上で絶対に不利な戦いで勝利しています。(ミルウィウス橋の戦い)
人々の信仰心を利用して集団の士気を高めて通常以上の力を発揮させ、戦いに勝利した政治家。知恵者なわけです。



山室軍平は公娼制度を廃止する活動をしたことで有名ですが、一人で活動するよりも、救世軍と救世の言葉を使った方が、より他の人の賛同を得られ士気が高まると考えたのではないかと。

でも軍ってあまりいいイメージではない?
日本は軍の暴走から大戦になったので、軍に対して悪いイメージがありますが、アメリカなどは軍隊は悪を退治し母国を守る善い集団という考えのようです。


軍ですから、階級社会です。
どうして肩書きがあった方がいいのか。

プロテスタントには一部を除いて階級がありませんが、カトリックはありますよね。
軍隊はこのカトリックの階級制度を真似て、軍隊に階級社会を設けたとされます。
万人祭祀をモットーとする誰もが平等な地位だとするプロテスタントですが、結局階級社会を作らないと、集団はうまく機能しないと考えたのではないかと。



この階級制度の利点。
上の人の意志が、下の人にまで伝わる。
命令系統が整備されているので、集団をまとめやすいという利点がある。

まとまった集団は、目標を定めて一気にそこにエネルギーを注ぎ、目標を達成しやすいですよね。

会社でもそうですよね。
部長会議で社長の意志を聞い部長は、社長の目標達成にために自分の部はどう動けばいいか考え、自分がまとめる課にどういう指令を出せばいいか決定し、課長はその指令を聞き、それを達成するためには、課がどう動くか決定をして部下に指示を出す。

社員が全員社長と問答をする必要はなく、動けますでしょ?
わからなくなったら、社長に聞くんじゃなくて、自分の上司に聞けばいい。


カトリックもそうです。
教皇が信者1人1人に説教しなくても、その下の人が教皇の意向を聞き、下に伝え、下の人は自分より下の地位の人に伝え、、、末端信者にまで速やかにカトリックの方向性が伝わる。

もともと、キリスト教は5大教区があり、それぞれに地位の差は無かったんです。
ところが皇帝のお膝元であるローマ、、、大教区だっけ? このリーダーだとすぐに会合できるので、そのリーダーとだけ肯定は話をするようになったんですね。
そして二人で決めたことが、ローマ大教区から発令されて、他の4大教区に伝わって、4大教区はその下の教会に伝え、教会は信者に伝えるという方式になった。
で、結局 5大教区はランクに差が無かったのに、結局差ができるようになり、ローマ大教区が他の4教区より上ってなることに、意義をとなえて離脱したのが、今のギリシャ正教だけだった。

自然に都合上ランクをしたほうが、トップの思い通りに市民も動かせるってことで、このシステムが採用されたというか発明されたというか。


このカトリックが発明した階級社会を真似たのが軍隊であり企業。


確かに命令系統が速やかに伝わり、集団をまとめやすいという利点がある。


>そもそも軍隊を真似ていることがおかしい

カトリックのやり方を軍隊が真似ているのであって、逆じゃない。
armyは基本的に守る集団、悪と戦う集団と捉えればいいんじゃないかと。
人が敵じゃなく、貧困などを敵ととらえ、それと戦いこの世から撲滅しようとする集団 みたいな?


>救世軍はキリスト教なのでしょうか、それともキリスト教もどきに過ぎないのでしょうか?

キリスト教の救済精神にのっとって活動していますし、恐らく全員がキリスト教だと思います。
キリスト教徒ではない人も活動に加わっていると思いますが、戦友という扱いじゃないかと。
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救世軍は、メソジストからの分派です。


その意味で、ホーリネスやペンテコステ系の教会と同じ立場にあります。
メソジストからの分派ですから、当然キリスト教徒である定義、ニケーア信条(または信徒信条)を唱えた立派なキリスト教徒です。
キリスト教会では、キリスト教であるかないかの判断は、ニケーア信条(信徒信条)を唱えたかどうかで判断します。
統一教会、エホバの証人、モルモン教、クリスチャンサイエンスなどは、それを否定するため、キリスト教とは認めないのです。
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救世軍の実態はわかりませんが、軍隊を真似ている理由について推測はできます。


本質的には、既存のモデル(ここでは軍事)を応用することなしの新しいモデルを理解することは難しいということでしょう。
つまり、馴染みのある軍隊モデルを活用することにより組織の人員が組織を直感的に理解しやすくなるため内部統制のコストを減らせる。
目的達成のための方法論を軍隊のノウハウの蓄積から応用できる。

おおまかな印象としては、宗教機能のうちの慈善という点で特化した組織なのかと思います。
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