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免罪符(贖宥状)と聞くと、反射的にカトリックの腐敗というイメージを連想してしまいがちですが、当時としては、手間と時間を簡略して多忙な故に救われがたい人々の罪を軽減するという建前があったと聞きます。

上記では、教会の経済的理由が本音で建前は罪の軽減ということで説明されていますが、他の説明としは考えられないでしょうか?
例えば
・最初は宗教的使命としてものだったが途中で悪用された。
・免罪符(贖宥状)を購入することのできない者の「救いは貧者のみにあるべきだ」という不満を背景にした教会攻撃。
・本来「救い」など必要としないはずの権力者側の精神の庶民化に教会が対応したもの。

うーん・・単純に腐敗では片付けれないように思えます。

A 回答 (2件)

レオ10世は、メディティ家の人で、派手好きでイヴェント好きな教皇だった。



wikiによると『教皇庁には未曾有の財政破綻が起こり、「レオ10世は三代の教皇の収入を一人で食いつぶした。先代ユリウス2世の蓄えた財産と、レオ10世自身の収入と、次の教皇の分の三人分を」とも言われた。』

というくらい一代で散財しまくった教皇。
彼の存在があったからこそルネッサンスという芸術が花開く時代があったわけですが、、、、

で、散財しちゃったのですが、その入れ智恵があって、サンピエトロ寺院を建築するための資金集めとして、免罪符を売ればいいと言われて、「おお そういう名目なら、神のためってことで、誰も非難しないし、信者も喜ぶ。じゃ そゆことで」ってなったわけです。


20世紀でも同様のことが起こりましたよ。

http://ch07081.kitaguni.tv/e369348.html

というわけで、何故か無税でありながら、神は常に金にだけは不自由していて、信者に金集めをさせているという。
この神ってお金が栄養なんでしょうか。


カトリック信者は、全員罪を浄化できる能力を有しているそうなんです。
自己中で殺した人であってもそお人から一切の罪を消せる。
この魔力は、カトリック信者になった瞬間から使えるのだそうです。

三歳のカトリック信者が「あなたのちゅみはちえまちた」と儀式通りにやれば、どんな人だろうと一切の罪は消える。

ですが、マフィアは3歳の子より、バチカンのお偉いさんにやってもらった方が安心できるってことで、マフィアのボスが死にかけると、バチカンのお偉いさんがすっとんで行くってわけなんです。
マフィアはバチカンにとって大事な資金源ですから。


そういう権限を信者一人一人に与える前は、教皇が最高地位なわけで、それは神と等しいと考えられ、教皇の言うことは神の言うことだったわけです。

従って教皇が「これ買うともれなく全ての罪が消えます」と言うことは、神が言ったことであり、従ってそれが変える貴族は、どんどん庶民を虐待してむさぼって財を築いていったわけです。

何故免罪符が買えるとなると、途端に皆悪の限りを尽くすのになったのか?
人間がそういう性質を持っているから。

プラトンだったかで、ギュゲスの指輪って物語があるんですね。
右にまわすと姿が消える指輪。
「この姿が消える魔法の指輪を手に入れた者が、それを使わずいられるわけがない。それを使って日ごろできない悪さをしないわけがない」。
こうプラトンは考えた。
要するにロード・オブ・ザ・リング=指輪物語の元ネタがギュゲスの指輪。

でプラトンの魔法の指輪は存在しませんが、それと同じような効果 つまり 消せるという効果があるとされる免罪符を手に入れることができる金持ちは、悪行をしないわけが無かった。

だからルネッサンスの時代は、庶民にとっては暗黒の時代でもあったわけです。

貴族は農奴をいためつけ、むしりとり、そのむしりとったもので財をなして、芸術家を支援したので、芸術が花開いたという側面もある。


レオ10世は、シビアに人間の本質を見抜いており、そんな人間の本質をうまく利用して、趣味を大いに楽しんだ人だと思います。


腐敗とかというより、光と闇の時代で、、、、プラトンの仮説を実際実験でやって検証したレオ10世の功績はすごいと思いますよ。
彼はプラトンの仮説を実験しようと思ったわけではないでしょうけど。

男を買うための金が欲しかっただけだとガクンってきますけどね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

いろいろ考えさせられますね・・・
最初は「条件付きでやれば、みんな満足だからOK」というノリだったのが、いつのまにか条件が無くなり、抜け道があるから苛めてもいいみたいな感じになってますね。

そこから法則を抽出すると・・・
人間は妄想で非論理的に都合の良い方向で考えていく。
少し考えればわかるのに権威に判断を丸投げする。

でも、人間はましな方向に少しづつ進んでいるとは思います。

お礼日時:2009/08/14 17:19

>>うーん・・単純に腐敗では片付けれないように思えます。



宗教(派)の信者獲得にともなう必然といえるものですね。どのような宗教であっても、元が如何に崇高であれ、大衆への浸透・拡大に際しての安易な方便が形式化するものですね。
カソリックの免罪符、これを批判したルターのプロテスタントでさえ、「プロテスタントに入信して信じれば救われる。」系ですから五十歩百歩なんですよね。ラテン語の聖書は読めないけどドイツ語の聖書なら読める。だから聖書を買いなさいということでしょうから免罪符購入が聖書購入になっただけですね。
イスラム教はイスラム教に改宗すれば救われる、そのために無税という飴を用意したのですね。無税が免罪符と同じ役目ですね。
仏教系も同じですね。難しい勉強、修行などいらぬ。「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」、「南無大師遍照金剛」を唱えれば救われるといって広めたわけですね。お題目ですね。これも免罪符と役目は同じですね。
みな同じやり方ですね。水は高きから低きに流れ落ち大河となるのとおりですね。大河になって世界宗教になったわけは免罪符という方便の役割ということでしょう。つまりどの宗教も広がりの中に必然的堕落が存在するともいえるのですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

念仏に対して手厳しいですね。
わたしも念仏を否定するつもりはないのですが、「人事を尽くして念仏に頼る」と「念仏さえすれば後はいい」はやはり違うと思います。

お礼日時:2009/08/16 06:36

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