日本の純文学(近代小説)に挑戦してみたいのですが、
読むことが出来ません。

と言いますのも、字面を追うことは出来ますが、
意味が全く理解出来ません。

その小説の含む、深い意味が理解出来ない・・といった次元ではなく、
まず、状況すら理解出来ません。

例えば、川端康成の「有難う」は、3千字程度で、難解な語句もなく
近代文学に触れてみるには比較的易しいような印象のものでしたが、
上記のように状況が理解できないままに終わりました。

以前、泉鏡花の「外科室」を読んだ後も、同じようなことに陥り、
4回程読み直して、やっと、話の筋がわかりました。

しかし、(今、思いつくかぎりの例ですが、)
夏目漱石の「こころ」、三島由紀夫の「金閣寺」、
太宰治の「人間失格」、武者小路実篤の「友情」などは、
そのようなことはなく、(内容を掘り下げられているかは別にして)
すんなり読むことが出来ました。

ちなみに、私は、今、大学生ですが、
読書量が極端に少ないわけではなく、
小中学生の頃も本は好きでしたし、
高校生から今に至るまでも1か月に1冊は読書します。
(現代小説ですが・・。)

ひとつひとつの語句の意味がわからないわけではなく
(わからない場合は注釈や、辞書でしっかり調べるようにしています。)
文脈の意味をとることができない場合は、
どのようにすればいいのでしょうか。

また、川端康成の「有難う」は、
結局どういったあらすじだったのかということも
読んだことがある方がいらっしゃれば、教えて頂きたいです。

よろしくお願いします。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (2件)

http://plaza.rakuten.co.jp/mauzaich/diary/200603 …

上のサイトに一部が書かれていますが、優しい内容です。
「有りがたうさん」のタイトルで映画化されています。
あくまで想像ですが、質問者さんは時代背景が馴染みがなく、理解できないため、文章がストレートに入っていかないのではないでしょうか。
例えば1930年代の映画を見るなどされてはいかがでしょうか。

http://okapi.at.webry.info/200907/article_3.html
    • good
    • 0

 別にノーベル賞をとって人の小説だからといって、すべてが名作ではありません。

家具調度品や服装、髪型、風景、町並み、すべて映画のように頭にイメージできる小説ばかりではありません。「その時ポケベルが鳴った。玲子は公衆電話に走った」で、今の中学生が分かるでしょうか。昭和30年ごろまでは料理は座ってしてましたし、お膳は各自別々です。

 『こころ』が今でも読まれ、名作と評価されるのは、そういうディテール(家具調度品、家の間取り、髪型)を抜きにしても、「わかる」からです。お嬢さん(後の奥さん=静さん)が、まげを結って和服を着ていないイメージを頭に描いても、十分通用します。習い事から帰ってきたお嬢さんと「私」がばったり出会う場面を、お嬢さん(推定年齢17歳)の髪型はおそらく「桃割れ」、服は矢絣、風呂敷包みを抱えていなくても、ショートヘアでキャミソールでミュール履きで年齢21歳でも小説は成立します。

 こういうのを「普遍性がある」といいます。

 もっとも、これにもわなが二つありまして、ひとつは作者の主観。「伊豆の踊子」が海外の読者にも普遍性を持つと思われた事に反発を覚えた松本清張は「天城越え」を書きました。「伊豆」の学生の金遣いの荒いこと荒いこと。しょせんぼっちゃん。

 もうひとつのわなは、言葉の意味の変遷。大正時代の久米正雄の「学生時代」では、主人公の不安をあらわすのに「わくわくした」と書かれています。

 「当時のディテールが分からなくてもよい」=「普遍性を持った小説」を読まれるのがよろしいでしょう。江戸川乱歩がお勧めです。
    • good
    • 0

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q解説してくれませんか?

川端康成の『バッタと鈴虫』という小説を読んだのですが、うまく解釈することが出来ませんでした。なので、解説していただきたいのですが…

Aベストアンサー

まず、ストーリーを見てみましょう。
『掌の小説』の一編だけあって、あっという間ですね。

語り手は二十人ばかりの子供が手作りの提灯を下げて虫取りをしている場面に行きあわせる。男の子が「バッタ欲しい者いないか」と言い、「頂戴な」と言った女の子にやる。ところがそれは鈴虫だった。男の子は驚いている女の子の横顔を眺める。女の子の胸には提灯に記された男の子の名前が浮かび上がり、男の子の腰のあたりには女の子の名前が浮かび上がっている。

これが表面にあらわれた出来事です。
これだけを読んでいたら、ナンノコッチャ、となるのは当然です。
川端は、表面に書かないことの名手です。行間を読んで行かなくてはなりません。
行間とは何か?
行間とは、登場人物の「気持ち」です。
もう少し高級に言うなら「心理」です。
こういうことは、すべて書いてありません。
登場人物の気持ちを類推し、解釈によって埋めながら読んでいく。
その作業が必要です。

まず、この作品にはいくつか、対立するものが描かれています。
・バッタと鈴虫
・男の子と女の子
・語り手である(=見ている)大人の男性と、行為する男の子
・闇と提灯の明かり
……いくらでも見つけることができるんですが、このくらいにしておきましょう。

タイトルにもなっている「バッタと鈴虫」、このふたつはどういう関係にあるかわかりますね?

バッタ……ただの「獲物」
鈴虫……すばらしい「獲物」

ここでポイントは、表面で贈与される鈴虫そのものには実はあまり意味がないということです。ヴァレンタインデーのチョコレートと一緒。

ですから、なんでバッタなんだろう、とか、なんで鈴虫なんだろう、ということにとらわれていてはダメです。ここで押さえておくのはバッタと鈴虫の関係
バッタ<鈴虫、という、この不等号記号だけです。

男の子は「バッタ欲しい者いないか」と何度も繰り返す。つまり、ここでは目指すべき女の子がおり、その子が来るのを待っていることが暗に描かれています。

そうして、やっときた女の子に「バッタだよ」と言って、鈴虫を渡す。
なんでそんなことをしたのか。

「女の子は褐色の小さい虫を見て眼を輝かせた」

この表情が見たかったんですね。
贈り物をするとき、わたしたちはどこかで相手に喜んでもらいたい、それも、ちょっとびっくりしながら喜んでもらいたい、と思いますね。
だから、男の子の目的は果たせたわけです。

では、つぎの対立を見てみましょう。
男の子と女の子です。これも、見るのは「関係」です。

男の子と女の子、どういう関係にあるでしょう?

男の子は女の子に鈴虫を贈る。
女の子はそれを受け取って、うれしそうな顔をする。

わたしたちが贈り物をすることの「原型」がここにあります。
こういう行為を「贈与」と言います。大昔から人間が繰りかえしおこなってきたことです。

ものをあげたい。
あげることで、相手に喜んでもらいたい。
どうしたら一番喜んでもらえるだろう。
びっくりさせることです。

この「びっくり」というのは、「贈与」のなかの重要なファクターなんですが、これを話しはじめるとそうでなくても長いこの回答が終わらなくなっちゃうんで、やりません。
ただ、わたしたちは誕生日プレゼントを渡すときでも、秘密にしておきますよね。クリスマスプレゼントも、サンタクロースが持ってきてくれるものだ。「ティファニーのオープンハート、つぎのお誕生日に買ってぇ」というのは「おねだり」であって、「贈与」とは何の関係もありません(というわけでもないのですが、これも省略)。

男の子は、この「贈与」のプロセスに「びっくり」を盛り込んだ。それが「バッタだよ」という念押しです。

「鈴虫、あげる」→(うれしい)が
「バッタ、あげる」→「あら、バッタじゃなくてよ」(びっくり)→(すごくうれしい)になった。
そうして、男の子はこの「贈与」がうまくいく、つまり、相手に「負い目」を負わせ、つぎの行為へと相手を駆り立てる、という意味で、友愛の絆を生むことに成功したわけです。

さて、つぎに語り手と男の子の関係を見ていきましょう。

男の子は、当然、自分の行為の意味を知りません。それがどう意味づけられるかを知っているのは、大人である語り手です。
つまり、この語り手は、出来事を単にわたしたちに教えてくれるだけの存在ではありません。
出来事を物語にし、そうして、「贈与」という意味づけを行い、わたしたちに、人間の行為として見せてくれる存在です。
語り手自身が、このようなことを繰り返してきたこと、繰りかえしながら大人になってきたことを明かすのは、そのためです。

つまりこの物語は「大人が子供の行為のなかに男女の基本的な関係(=贈与)のありようを見いだす物語」であるとも言えるのです。

双方の体に浮かび上がる「名前」のシルエット、ここらへんはうまいですね。さりげなく、実にエロティックです。さすが、川端。川端を読むときは、絶対に「エロス」を忘れてはいけません。気がつかない人がいっぱいいるから教科書に載ってるのかもしれませんが。相手の体のどこにお互いの名前が写っているか、これもちゃんと見ておいてくださいね。

この回答を読んで、もしかしたら、いっそうわかんなくなっちゃったかもしれません。
そういうときは、補足してみてください。
時間がないからちょっと遅くなるかもしれませんが、何とか答えようと思います。

まず、ストーリーを見てみましょう。
『掌の小説』の一編だけあって、あっという間ですね。

語り手は二十人ばかりの子供が手作りの提灯を下げて虫取りをしている場面に行きあわせる。男の子が「バッタ欲しい者いないか」と言い、「頂戴な」と言った女の子にやる。ところがそれは鈴虫だった。男の子は驚いている女の子の横顔を眺める。女の子の胸には提灯に記された男の子の名前が浮かび上がり、男の子の腰のあたりには女の子の名前が浮かび上がっている。

これが表面にあらわれた出来事です。
これだけを...続きを読む


人気Q&Aランキング

おすすめ情報