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カテ違いならすいません。

私は宗教にすがる人が理解できません。
宗教にすがる人は結局
「神頼み=他力本願」
という構図があります。

自分の力で解決しようとしない、というイメージがあります。
私の認識は間違ってますか?
よろしくお願いします。

A 回答 (16件中1~10件)

低級な宗教はたなぼた的な要素もあるかもしれません。


しかし本当の宗教は人間の力を付けるために信仰します。

スポーツ選手が力を付けるために努力します。
スピードや筋力を付けるために鍛錬します。
またイメージトレーニングもするかもしれません。
このような努力をしていれば宗教は他力本願とは言わないでしょう。

何かください的低級な宗教だけを見てはいけません。
当然科学的に矛盾もあってはいけません。

そんな宗教を見つけてみてください。
ありますよ。
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この回答へのお礼

本当の宗教ですか。
出会ってみたいです。
ありがとうございます。

お礼日時:2009/08/18 23:47

困ったときの○○○


といった言葉から
そうしたイメージをもつ人が
おられるでしょうね。

現実を直視した究極のマイナス思考から、
本物のプラス思考が出てくるのです。  〔 五木寛之 『他力』〕

五木さんの言葉からは
どのような感じをうけるでしょうか。
『他力』の全文を読んでみませんか。
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この回答へのお礼

読んでみたいと思います。
ありがとうございます。

お礼日時:2009/08/18 23:47

人生常に晴れの日ばかりではありません。


困難や苦悩に出会わないとも限りません。不治の病にかからないとも限りません。
また分かれ道に来たときどちらの選択肢がいいのか迷う場合もあるでしょう。
宗教のない人間はそういう困った時や迷った時に占いやここみたいなQ&Aで尋ねるしかないでしょう。
しかし宗教を信じてる人間は迷わないのです。正しい答えが聖書やらコーランやらに記されてるからです。
外人の決断力というか強さにはそういうところがあると思います。
今の日本の迷いというか弱さは無宗教が原因かもしれません。
日本人がみんな迷ってさまよってます。どっちに進めばいいのか国家元首からしてわかっていないのです。
戦前は天皇教がありましたし戦後はアメリカをお手本に高度成長に乗っかればいいだけでしたが
バブル崩壊後は信じるものがなくなってどっちに進めばいいのか道を見失ってしまいました。
正しいお手本があってどっちに進めばいいのかわかりやすい案内図(ゲームでいう攻略本)があれば
人生もう少し楽に生きられるかもしれません。
私は無宗教ですが迷ったときには聖書やら禅やら先人たちの知恵を参考にさせてもらって助かってます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
私にとってはそれは他人の考えに頼ると言うように捕らえてしまって
他力本願に感じるのです。

宗教を信仰している人は自分で考えて自分の思うように決めないのでしょうか?

お礼日時:2009/08/18 23:50

自分の力で、死ぬことを回避できる人間が出現したら、自力本願の勝利を認めたいと思います。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2009/08/18 23:50

宗教に”すがる”と”信仰する”を同一に見るべきではありません。



宗教は人間の形成上必要な部分も否定できません。確かに世に言うお陰信仰は”すがる”の形容詞が当てはまるのかも知れませんし、そこに陥ってる方々はそれが全てのように没頭しがちですし・・・。

ただあなた自身無神論者と仮定しても生きる上で何を糧とし、何を骨子としているのでしょう?それすらある意味あなた固有の宗教と言う枠組みに捕らえる事さえ出来ます。

肝心なのはどんな宗教なのか?では無く、どう生きるか?でしょうね。そこには宗教と言う垣根は無くなり、人としての在り方のみがあるのでしょう。

そしてあなたの認識に間違いと言う事はありません。貴方が正しいと思えば正しいのですし、間違っていたと認識すればあなたが変わって進歩したと言う事です。

宗教にすがる人を理解できないのであれば今はそれで良いのです。
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この回答へのお礼

すがると信仰するのでは違うのですね。
誤解していました。

>生きる上で何を糧とし、何を骨子としているのでしょう?
うーん。難しい質問です。特に意識していないのでなんて答えていいのかわからないです。

お礼日時:2009/08/18 23:52

どこぞの宗教に属しているわけではありませんし、神様の存在も否定はしませんが信じてはいません。



さて
神社に行ったら“今年一年の健康”を祈っている人がいるとしましょう。
では、その人が風邪をひいたら、神様のせいにしますか?
神様が本当に病気を完全シャットアウトできるなんて、信じている人はいますか?

健康も合格も安産も交通安全も商売繁盛も、神に頼りきっている人なんて、そうはいないでしょう。
だから、規則正しい生活や、しっかり勉強したり、胎児にいいような生活をしたり、安全運転に心がけたり、営業をするわけです。

ただ、願うにあたり何もないと、自分の願望をどう表現したらいいかは難しいでしょう。
天なり神社なりは、その標的に最適だということです。

とはいえ、質問者さまの指摘するような人も、いるにはいるでしょうね。
間違いではないとは思いますが、少数だとは思いますよ。

外国になれば無宗教の人がむしろ少ないとは思いますが、他力本願の人ばかりだとは思えませんしね。
外国人でそうなら、日本人だって他力本願ばかりではないでしょう。
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この回答へのお礼

私のように思うのは少数なのでしょうか。
心外でした。
ありがとうございます。

お礼日時:2009/08/18 23:53

あの~、「他力本願」は浄土真宗の根本教義にかかわる言葉ですから、


単純な国語辞典的な発想で言われると、なんだかな~という感じです。

あなたが言いたい意味は理解できますが、<自分の力>というものがそんなに万能でしょうか?

例えば、あなたは今ここで生きていますよね。
心臓は、あなたの力で動いていますか?あなたが動かそうと思って動いているのですか?
心臓が止まるとあなたは生きていけませんよね。

生きるという最低限のことは、あなたなら<自分の力>で解決できるのでしょうね。

もう少し宗教の本を読んだ方が良いと思います。
インチキ宗教や現生御利益を謳う<新興宗教>を持って、宗教一般を批判するのは、あまりに浅墓です。
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この回答へのお礼

確かに自分の力は万能ではありません。
他者によって助けられています。
私は宗教について表面しか見てないようですね。
もっと勉強してみたいと思います。
ありがとうございます。

お礼日時:2009/08/18 23:55

「すがる」にしろ「信仰する」にしろもちろん逆にしろ、さらに他力であろうとなかろうと、解決できれば良いんじゃないでしょうか。

また、「他力」が御利益か協力か親切かその他どんな形のものだとしても、それらが自分に向けられている状況を作り出したプロセスは「自力」と言えるはずです。
自身の問題は解決しようとする意思があって初めて、解決できる可能性が生まれるわけで、結果として解決したのであれば、それは自らが解決しようとしたからではないでしょうか。
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この回答へのお礼

過程はどうであれ結果にたどり着ければ一件落着ですね。
ありがとうございます。

お礼日時:2009/08/18 23:56

神様も人も同じ、っていうと語弊があるかな?。


でも「頼りにする」って、結構難しいもの。
自分の中の「どれくらいか」を、ほかの存在に投げ出しちゃうって事じゃない?。
だから「他力」っていうのは、ある意味「賭け」だし、運命共同体みたいなもの、契りを結ぶってことだよね。

だから「だらけてる」のとは違うし、自分の生き方を考えていない、ってことでもないよ。
むしろ「考えすぎてるくらい」で、難しくしてしまいがちだから頼るんだと思うよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2009/08/18 23:57

聖書やコーランなどの教えの内容すべてを、文字通り信じ込むことが、「宗教を信仰する」なのだとすれば、


「他力本願」と思われそうなことだと思います。

地震が起きないよう、努力で防げるでしょうか。
努力で一流大学に合格したとして、
翌日雷に打たれて死ぬこともあるかもしれません。

宗教とは、雷に打たれないよう祈るのではなく、
そんなことがあったとしても、それはそういうものなのだ、
として受け入れやすいようにする道なのかもしれません。
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この回答へのお礼

祈るだけではだめですね。
ありがとうございます。

お礼日時:2009/08/19 20:50

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