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No.3ベストアンサー
- 回答日時:
人生常に晴れの日ばかりではありません。
困難や苦悩に出会わないとも限りません。不治の病にかからないとも限りません。
また分かれ道に来たときどちらの選択肢がいいのか迷う場合もあるでしょう。
宗教のない人間はそういう困った時や迷った時に占いやここみたいなQ&Aで尋ねるしかないでしょう。
しかし宗教を信じてる人間は迷わないのです。正しい答えが聖書やらコーランやらに記されてるからです。
外人の決断力というか強さにはそういうところがあると思います。
今の日本の迷いというか弱さは無宗教が原因かもしれません。
日本人がみんな迷ってさまよってます。どっちに進めばいいのか国家元首からしてわかっていないのです。
戦前は天皇教がありましたし戦後はアメリカをお手本に高度成長に乗っかればいいだけでしたが
バブル崩壊後は信じるものがなくなってどっちに進めばいいのか道を見失ってしまいました。
正しいお手本があってどっちに進めばいいのかわかりやすい案内図(ゲームでいう攻略本)があれば
人生もう少し楽に生きられるかもしれません。
私は無宗教ですが迷ったときには聖書やら禅やら先人たちの知恵を参考にさせてもらって助かってます。
この回答へのお礼
お礼日時:2009/08/18 23:50
ありがとうございます。
私にとってはそれは他人の考えに頼ると言うように捕らえてしまって
他力本願に感じるのです。
宗教を信仰している人は自分で考えて自分の思うように決めないのでしょうか?
No.16
- 回答日時:
一般的には「神頼み=他力本願」との図式が成り立ちますね。
自分ではどうにもできない(と思い込んでいる)事を何とかしたい、どうにか願いを叶えて貰いたい、と神にすがるのが現代に限らず、風潮としてありますね。
『人事を尽くして天命を待つ』
この諺をご存知だと思います。
正しい『神頼み』はこの事なんです。自分の出来うる限りの努力をおこなってもなお、どうにもならない部分と言うものがあります。
精一杯の事を行って、そこから先の成否は神仏にお任せをする。
「他力本願」の正しい解釈も、この事を指しているはずです。
と言う意味では、「神頼み=他力本願」は正しい捉え方になりますが、飽くまで「自分は何もしなくていい」ものではありません。
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No.15
- 回答日時:
参考までに。
ある偉い方が「宗教には“弱虫”をつくるものと“強虫”をつくるもののどっちかに分類される」と言いました。
人を虫にたとえるのは失礼かもしれませんが(笑)
宗教は、信仰をやって「心を弱くする」ものと、「心が強くする」ものの二つに分かれると言うのです。これは、創価学会の池田名誉会長との対談のさいに、ある人が言ったことです。
では、弱虫をつくる宗教とはなにか?
それは、あなたのおっしゃるとおり、他力本願の神頼み的な祈りを行う信仰です。「自分で乗り越えよう」「自分で解決しよう」という勇気を教えない。人間の尊さを教えない。神とか仏とか、そういう絶対的な存在より“劣った存在”として人間を位置づけ、人間の偉大さを教えないのです。
人間がもともと弱い存在だからこそ神に頼め、という発想です。
これら弱虫をつくる宗教は、現実逃避をさせます。現実とは別にある“聖なる世界”“極楽な世の中”などというイメージを埋め込ませ、その空想に引き込もうとするのです。
それに対して、強虫をつくる宗教とは、人々に「どんな困難も乗り越える力が自分の中にあるのだ」とよびかけるのです。勇気を教え、自信を与え、希望をおくる宗教です。他でもない、自分自身が偉大である、あなた自身が尊いのだ、と忍耐づよく教える宗教です。その根拠を説き、その実践法を説き、信仰という「心の訓練」で得た自分の姿を、自分の目で確かめることを教える宗教です。また、その姿を通して、人々を救っていけ、励ましていけ、と教えるのです。
強虫をつくる宗教は、イメージ論を嫌います。つねに現実に目を向かせ、現実変革を教えます。
これらの前提に立てば、平和を目指すべき宗教が積極的に社会に目を向けず、貢献しないとすれば、宗教の名に値しません。
おなじ「祈り」でも、心を弱くする「祈り」は、自分とはかけ離れた果てしない雲の上の神様への祈りです。おすがりです。心を強くする「祈り」は、絶対的なものに対するものであるのと同時に、自分自身の中にも向けられる。だから、ほんらい、「祈りによって、人間は強くなる」のです。自分自身の力を自覚させ、力を出させるのが祈りなのです。
おなじ「祈り」という行為にも、心を衰弱させるもの、心をたくましくしていくものがあるのです。
私の師匠である池田名誉会長は、
「信仰とは、目標という山をつくり、山を乗り越え、乗り越えるたびに、より強い自分へと“人間革命”していく。“夢への挑戦”が信仰なのです」とおっしゃっています。
また、「人生における苦難(病気や人間関係)を乗り越えていける力を出すための信仰である」と。
最終的に、苦しみも悠々と楽しく乗り越えられる“たくましい人間”になっていける。生きてるかぎり、悩みはなくならないが、悩みすら楽しくなるという、究極の精神力を自分でつかむことを教えるのです。
信仰してる人は自分の力で解決しようとしないという認識。
ほとんどの宗教をみれば当てはまるかもしれませんが、そうでない例外な宗教(強虫をつくる信仰)があることも知ってほしいと思います。
No.14
- 回答日時:
神頼みは他力本願だと思いますが、それと宗教を信仰することはイコールじゃないと思います。
っというか、いくら神様にお願いしても、事態というものは自力で解決する他は、運で開けるのを待つしかないのですから、神頼みでは事態は何も変わりません。宗教を信仰するというのは、利己主義的な目的ですることではないと思います。ええと、要するにですが、宗教をどのように信仰するかというのが問題であって、宗教を信仰するから~だという話は成り立たないと思います。宗教とはそもそも、人が人の幸せの為に作ったものですから、未知なる力に頼ろうと思う考え自体が何か間違っていると私は思いますよ。
ただ、ものすごく簡単な例に話を落とすならば、天気が良くなることを願って太陽にお祈りすることは他力本願の情けない行動でしょうか?他力本願でなく、努力でなんとかできる範囲を超えていますし、個人の希望としてお祈りするくらいは些細な願望として許されてよいのではないでしょうか?
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No.13
- 回答日時:
創価学会の者です。
神や御教祖様におすがりして多額の金をお布施すれば救われる、と説く宗教なら、確かに「神頼み=他力本願」で、自分の力で解決しようとしない、というイメージがあるでしょう。しかし、宗教には正しい宗教と間違った宗教、すなわち正邪があるのです。
正しい宗教とは、決して「神や仏にすがり、自分の力で解決しない」ものではなく、「自分自身に内在する無限の可能性を引き出す」ものなのです。また、教祖とか絶対者といった「外部のもの」に頼るのではなく、だれの内面にも秘められている、限りない知恵と生命力を開発していくものです。よってそこには「神や仏に何とかしてもらおう」などといった他力本願の態度などはなく、「自分自身で自分の行動を決定付ける」という自律性があります。また、他の者に盲従して、自分を見失うことなど決してないのです。そしてその引き出した「知恵や生命力」があれば、目前の課題や困難があっても、それらに立ち向かい、乗り越えていくことができるのです。あたかも山登りで、体力、脚力が弱ければ、登ること自体大変で、辛く感じられますが、体力も脚力も強ければ、周りの景色を悠々と楽しみながら登っていくことができるようなものです。
しかし、そのためには「生命と宇宙とを貫く根本法則」に則る必要があります。それを仏法では「妙法」といいます。「妙法」とは「南無妙法蓮華経」のことです。正しい本尊に向かい、「南無妙法蓮華経」と唱えることが、その「知恵や生命力」を引き出す具体的な実践です。これによって、生活上の行き詰まりが打開され、不可能だったことが可能となり、自在の境涯になれるのです。これを「宿命転換」とも「人間革命」とも言います。生活上の課題や困難を乗り越えるには、まず自助努力が前提です。そのうえで「南無妙法蓮華経」と唱えるなどの信心を実践すれば、その努力は最大限に実り成就していくのです。これが真の宗教のあり方です。
ところで、真の力ある宗教には「文証」「理証」「現証」の三証がなくてはなりません。文証とは、ある教義・主張が経文等の文献上で裏付けられているか否かという基準。理証とは、その教義が道理に適い、また理性のうえから普遍妥当性があるか否かという基準。また現証とは、教えを実践した場合、現実のうえでその通りの結果(功徳)が現れるか否かという基準のことです。三証の中でも「現証」こそが重要です。この三つが創価学会における信心の実践の中にすべて具わっているから、学会の信心(日蓮仏法)を実践すれば、人は幸福になることができるのです。
このように、宗教には正邪があります。すべての宗教が「おすがり信仰」であると決め付けることなく、どの宗教なら、真に人間を高める宗教なのかを、思索していただきたく思います。
No.12
- 回答日時:
>宗教を信仰する人は他力本願?
全然違います。例えば小乗仏教は自力本意です。
>「神頼み=他力本願」
全く違います。他力本願と言うのは自力の心をひるがえす事であって
神頼みすることではありません。宗教を信仰するというのは
すがる事ではなく自己と対話する事です。すがるのは単に神に請求書
を突きつけてるだけであって信仰ではないです。
>自分の力で解決しようとしない、というイメージがあります。私の認識は間違ってますか?
全て間違ってます。むしろ全く正反対に認識してますね。
現に全く信仰心のないあなたがこうして自分の力で解決できずに
他人に聞いてるではないですか。
逆に『宗教を信仰する人は他力本願?』などと神にすがって答えを
もらおうとする馬鹿はいないですよ。
No.11
- 回答日時:
おいらパイロットなんか信用しないから 乗らないし
めったに人を信用しないほうだわ だから 宗教というのは ないわな
安物のツポを高価で買うことはなく ねずみ講も 臭いでわかる
警察官も坊主も人の子だから 時に 痴漢もする
溺れる者はわらをもすがる だけど 予期せぬ人生の濁流に もし流されたとしたら 例えば 子供が医者も投げた不治の病であって その母親は ワラにすがろうとするのを ガンバレとしかいいようがない
神頼みなんだけど これは言葉の上の他力ではないわな
浄土における 他力は 阿弥陀だから 純度100%の身も心も投げ出しだもの
農業やれば 天気に祈り 雨と晴れをどうぞ あんばいよくと し 海の家は 毎日好天を望むもの
自分の力で解決しようとしない、というイメージがあります。
私の認識は間違ってますか?
そのとおりだとおもうよ やるべきことがあったはず やらなきゃならないときに何もせず というのは確かにある 安易にというやつだね
宗教上の他力とは 君の書いたとおり 自分の力で突破することだから
その努力をしてはじめて その先に 見えるものらしいから
おいらは 見たことないけどね
No.8
- 回答日時:
「すがる」にしろ「信仰する」にしろもちろん逆にしろ、さらに他力であろうとなかろうと、解決できれば良いんじゃないでしょうか。
また、「他力」が御利益か協力か親切かその他どんな形のものだとしても、それらが自分に向けられている状況を作り出したプロセスは「自力」と言えるはずです。自身の問題は解決しようとする意思があって初めて、解決できる可能性が生まれるわけで、結果として解決したのであれば、それは自らが解決しようとしたからではないでしょうか。
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