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【A】と【B】が恋人か夫婦であるとして、あなた(回答者さん)と私は【A】と【B】の友人であるとします。

(“夫婦”が契約関係にあたるのかどうかさえ知らないくらいですので、このことに関して突き詰めて考えておりません)




【A】が異性とセックスをしました。

一般的に“浮気”や“不倫”と呼ばれているものです。

【B】はそれに対する否定的な感情を【A】に表し、あなたと私もその場に居合わせました。

【B】はおだやかな性格で、私はとても好意を持っています。

しかし、【A】が異性と関係を持つこと(これを【S】とします) に対する【B】の否定的な感情は、結局のところ過剰な自己愛と自分本位の独占欲からきており、強いて云えば“悪徳”によるものだと私は感じました。

よって私は【B】を支持する理由を何一つ見出せませんでした。




【A】はあなたと私に言いました。


「私は常に【B】の幸せを願っているし、【B】と幸せを共有できれば一番幸せだ。
しかし幸せの共有というのは聞こえは好いが、実際は独占欲と自己愛によって作られた幻想であることが多い。
実際、私と【B】との関係はまさにそうだ。
今回の【S】によって私が【B】を悲しませたことに矛盾を感じるか?
私は矛盾していないと思う。
私は【B】の幸せのためなら自己犠牲もいとわないことを私が一番知っている。
しかしその自己犠牲が【S】をしないことを指すのだとしたら、私と【B】との関係はたんに【B】の私を独占したいという欲求に私が手を貸している状態、ということになる。
私に【B】を独占したいという欲があるか無いかは問題ではないから言わない。
重要なのは、私が【B】の行動を制限したことがないことだ。
【B】の行動を強く制限したがる人間のほうが【B】を幸せにできるならば私は手を引くだろう。
私は【S】を積極的にしたいと思ったことは一度もない。
誘われて、断る理由がなかったに過ぎない。
それに私は、断る理由の無いことを何年も前から知っていた。
私は、【B】が他の異性と【S】をすることを私が制限する権利は無いと思っている。
それを制限しないことが私の幸せにつながり、私が【S】をしないことが【B】の幸せにつながるのであれば【B】のみが【S】をする権利があるということになることは知っている。
しかし、それでは制限を加えていったものが勝ってしまう。
私が【B】に、“私に制限を加えるな”という制限を加えれば【B】はどうなる?
その制限を加えることが私には一番よい。
しかし、加えない。
私の“私に制限を加えるな”という制限の【B】による実現は、いわば世界平和が達成された状態だ。
私の考えに根本的な間違いの可能性があるとすれば、世界平和が永久に達成されないと考えているところ、そして、【B】は世界平和が必要だと考えているけれど私は必要ないと考えているところにあるだろう。
【B】とはよくこの話をするが、【B】は世界平和が達成可能だと考えている。
私は反戦主義者だ。けれどそれが利己主義によるものだと考えている。
世界平和に関しては、自分の考えよりも【B】の考えを尊重している。
自分と違う考えを尊重することが世界平和につながると思ってそうしているわけではない。私は世界平和を望んではいないから。
【B】の考えだから、というわけでもない。
なんとなく、だ。

君の恋人が【S】をすれば君は悲しむのか?
君は、それを悲しまなければならないことには悲しまないのか?
私は【B】の【S】を制限したいかもしれない。
どちらにせよ私は【B】の【S】を制限しなければ、同意に基づくものであればいかなる人の【S】も悪いとだと思わない。
むしろ、好意的な要素以外見出せない。
私は今、とても悲しい」




私は【A】の言い分に矛盾を感じませんでした。

【B】は、【S】を制限することが世界平和に逆行するという点において矛盾します。

世界平和はその一部としてこの二人の平和も意味します。





あなたの感想も聞かせてください。






【A】による【S】が悪とされているのはなぜなのでしょうか。
他に似たような事例はありますか?

なお、質問の仕方(お礼を含む)が悪い場合はご指摘いただけると嬉しいです。

A 回答 (40件中11~20件)

>酔っ払いが嫌いだから、バカみたいだ、といって酒を飲まず酒の味もわからない人間が「酒飲みはどうだ」と口にするのは卑怯でもあります。



いいですね。こういう感性。嬉しくなります。(ここで感性という言葉を使うのは含みがあります)
相手の実状、思い、その他一切を理解どころか思いを巡らす事さえせず、正論を振りかざして正義面するような人が中心となる事もあるので救われる言葉です。もっとも、そのような人は時として哀れむべき心情を抱えている事が多いのですが・・・。

>ずっと貞淑な方が貞操観念を語っても意味がありません。

そのため、この言葉の意味はよく理解できるつもりですし、「美徳とは衣装を変えた悪徳の典型例」と言うのも言い得て妙であると思います。
思うところ、美意識や美徳と言うものは己の価値観を軸とする「指針」でしょう。つまり、根底にあるのは「主観」です。
そこに論理性は(ほとんど)無く、生得的な経験知で占められていると思います。

しかし、それを否定するのは憚れる。

人にとっての悲劇はその経験知、主観、価値観を絶対視する事に始まると思います。私は、私の帰結には「いつも必ず私の指針が突き刺さっている」と感じています。つまり「かくあるべき」という命題がまず先に在り、それに理性的な解釈を加えて正当化する訳です。おそらく、論理性を重んじる人は否定するでしょうが、人の成り立ちから考えればごく自然に「理性は感性(感情)の下僕」という図が浮かびます。人は生物である事を超えていない。

つまり、否定するのが憚れるのは、私自身がそうであるからです。
そして、誰しもよくよく見れば「指針」を抱えて生きている。そこに論理性はなく「培った」という既成事実があるだけです。
しかし、悲しいかな本人がそれを意識している事は皆無です。

デフォルメして端的に言えば・・・。例えば論理性であったり、足掻きであったり、ひがみや逃げであったり、優しさであったり。
そして理性的に生きることや、論理性は、ある意味「分かりやすい指針」(美意識)です。
結局、美意識とは、己自身「かくありたい」という主観的・個人的な命題である訳です。それを否定するのは己自身の経験の否定であり、生易しい事ではありません。

---

つまり「犬と同じになる」というのは、「この言葉を聞いた本人」が生き方としてどう捉えるかによって重くも軽くもなります。
ふと・・・、真の悟りに達すれば、クソにたかるウジ虫のように生きつつ、己を失わない者もあるかも知れませんね。

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>>なぜなら全てにおいて確認しあっているような緩慢な生活態度(人間の独りよがりな論理性による)を自然(当然、論理性よりも実を優先する場合は人も)まで許容しないからです。

これは、最後の「まで許容しないからです。」が間違っていて「が、許容しないからです。」でした。
結局、何が言いたいかと言うと「生きる上でそれほどの余裕はない」と言う事です。まあ、近年はそうでもありませんが、私達に「生きる」上で時間的・精神的余裕が出来たのは、それほど昔ではない。・・・生物的にまだそれを考える土台ができていないと言い換えられるかなぁ。

---

the_hours さんの感性は、私自身似た所があったので、つい饒舌になってしまいました。
長文失礼しました。
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この回答へのお礼

>the_hours さんの感性は、私自身似た所があったので

感性、はどうかわかりませんが、他の方にもお伝えしているように、今回の質問でわかりましたが私はみなさんほど考えておらず、また、ほとんど理解できておりません。
そのため不毛なやり取りになる可能性がとても高いため無視していただいて結構です。
この回答に限らず、理解できない部分は後で改めて読んでみます。


>人にとっての悲劇はその経験知、主観、価値観を絶対視する事に始まると思います。

   ゆえに ↓

>それを否定するのは憚れる(はばかられる。差し障りをおぼえてためらう。気がねする。遠慮する。)


のであれば、その逆も言えます。
自らは、自らの誤り(の可能性)のあることを知っている、だから、他人の誤りの可能性に言及すべきことも知っており、自らの誤りについて言及され改善の可能性を探ることを歓迎す。憚れることは何もない。

美意識なる言葉を使うくらいであれば本人たちはそれを突き詰めなくてはならない。
「自分にとって都合の良い」と同じにしては突き詰めて間が合えている人が困ります。
逆に言えば、突き詰められないのであれば自分にとって都合が良いだけであることを認めなければならない。
突き詰める、という意味を曖昧にしており、すべて私の主観ですが。


>「かくあるべき」という命題がまず先に在り、それに理性的な解釈を加えて正当化する

そういう見方はしたことがありませんでした。
しかし、だからといって「主観」を否定できない理由にはならないように思います。


繰り返しになりますが、前回答は正論でした。

お礼日時:2009/10/02 20:22

もう一度、浮気に焦点を合わせましょう。



>【A】は無秩序で、【A】のような人間ばかりになると社会は崩壊します。

この考えは、現在の日本の文化の価値観に固定化されています。

浮気は悪。なぜそう思わざるを得ないのか。
それは、嫉妬というマイナスの感情を生むからです。悲しいという感情をうむからです。

では、そもそも嫉妬などがなければ悪感情はないのではないでしょうか
少子化対策にもなるかもしれません。(極論だけど)

前戯と後戯のないセックスをしている部族がありました。挨拶の様なものです。誰が誰の子かわからないけど、子供は皆の子供、わきあいあいと平和に暮らしていたとさ。
そこに、ある学者が前戯と後戯を教えたんだと、
挨拶が豊かな官能を感じる文化に変わったのはいいんだけど、
嫉妬というマイナスの感情を知り、平和ではなくなってしまいました。

少し極論だけど、価値観や感情さえも、文化によるものが、案外大きいということではないでしょうか。

やはり、価値観の相違という見解からは私は抜け出そうにありません。

ということで、とても面白い議題でした。

今度は本当に退散です。
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この回答へのお礼

新たな見方を与えていただきありがとうございます。


>嫉妬などがなければ悪感情はないのではないでしょうか

そうであれば別の疑問が生まれてしまいました。


>この考えは、現在の日本の文化の価値観に固定化されています。

浮気に関してはNO28さんのご意見も踏まえて、日本に住むなら日本の価値観を尊重すべし、ということでしょうか。


ありがとうございました。

お礼日時:2009/10/02 12:55

論理的ではない「浮気は悪」という意識の根底には幾つかの意味があると思いますが・・・。



(1) お互いに独占する欲求が成立している場合

これが暗黙の了解として世間に広がっているため。

(2) 人間の美意識において、犬猫と同じようにあっちゃこっちゃで種蒔きはして責任(子供に対する)の所在を不確定にする行為をしないため。副次的にそれに類する行為として、避妊してのセックス。

美意識や価値観により、普遍もしくは大多数の意見とされるため。

私の考えとしては、1から10まで(当然、視野の限界を超える努力をして)全て事前に確認(契約)できない以上、暗黙の了解事項として確認し合わないものの存在は許容されると言う事です。
つまり、決定的に個人の裁量にまかされる訳ですが、社会通念を鑑みて、もし少数意見であるならば、少数の意見である方はあらかじめそれを通達する必要がある訳です。なぜなら全てにおいて確認しあっているような緩慢な生活態度(人間の独りよがりな論理性による)を自然(当然、論理性よりも実を優先する場合は人も)まで許容しないからです。

「悪」というと非常に語感が悪いのですが、社会通念とは異なる認識を実行するならまず、それを相手に伝える事が優先されるべきで、やっちゃった後に「社会通念が間違っている」などと言いだすのは、ダダッ子と同じです。
つまり、先にそういう可能性を示唆しなかった、Aに非があります。

---

>私は、【S】は悪か、と聞きつつ、【S】を悪だとする思考停止の風潮を悪だと思っておりますので、こういった回答をいただくと確信を深めるばかりです。

真に思考停止ではない状態とは「思考停止」として、思考を停止させない事です。
思考停止と言って相手を非難、もしくは断定、評価することこそ思考停止である事も考えても良いかも知れません。
言いたいのは、相手がなぜそうなっている(そういう状態)なのか、思索すると意外な発見もあるかも知れないという事です。

---

ここの趣旨から外れますが・・・。

>>えっと浮気ってのは本気じゃないですよね。
>>マディソン群の橋の上でって映画で、男が妻に「あなた何かあったでしょう」と誘導されて、ついに「実は好きな女性がいる」と言うと、意外と冷静に妻は「ふーん」って言っていた。
>>ところが、「その女性とは寝てはいない」と言った途端、妻の形相はものすごくなり バッシー! と夫を殴った。

>ああ わかるなぁ。。。 と思った。
>浮気は悪ではない、婚外の人を本気で愛していながら、離婚しないのが悪。

私の場合ですと、妻にとって「お互いに愛を失った相手」からの憐みや同情と言った物を感じるとイカるかな。
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この回答へのお礼

以下の部分以外においてはとても的確で、言葉を置き換えてくださったところもわかりやすく、全般的に全くの正論のように思います。


(2)に関してのみは微妙なところです。
美意識は確かに存在しますが、それこそ「美意識」のような言葉を使うことで「美徳とは衣装を変えた悪徳」の典型例になっている可能性が大いにあります。
私の考えでは、ずっと貞淑な方が貞操観念を語っても意味がありません。
犬と同じになるのが嫌という理由は、あまりに取るに足らない。

ちなみに私はお酒を飲みませんが、人格や能力まで変えてしまうお酒が合法であることは実に不思議ですが、悪感情を持ったことはありません。
酔っ払いが嫌いだから、バカみたいだ、といって酒を飲まず酒の味もわからない人間が「酒飲みはどうだ」と口にするのは卑怯でもあります。
基本的欲求である性欲とお酒とを同じにするのは間違っているかもわかりませんが。

浮気や不倫に対してあまりに許容が無いのではと私は感じますが、回答者さんのご意見のほうが正論に思います。
私も自分自身がセックスをしたい欲求があるわけでもありませんのでこれ以上何も言うことはありません。


>なぜなら全てにおいて確認しあっているような緩慢な生活態度(人間の独りよがりな論理性による)を自然(当然、論理性よりも実を優先する場合は人も)まで許容しないからです。

理解力がないため理解できませんでした。。



ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/10/02 03:45

うーん。

やっぱり、くいさがってみます。特に世界平和という観点において。

>私は反戦主義者だ。けれどそれが利己主義によるものだと考えている。
>世界平和に関しては、自分の考えよりも【B】の考えを尊重している。
>自分と違う考えを尊重することが世界平和につながると思ってそうしているわけではない。私は世界平和を望んではいないから。
>【B】の考えだから、というわけでもない。なんとなく、だ。
>世界平和はその一部としてこの二人の平和も意味します。

この部分が気になってしょうがない。
松本人志さんのご意見はごもっともだとも思うのですが、ですが、ですが、

では、なぜ歴史の上で革命が起きるのでしょう。革命は悪だったのでしょうか。

ホリエモンに奥田会長が見方をした心理とは?
古田選手と、なべつねさんの争いに古田選手を応援してしまう心理とは
民主党が自民党に勝ったのはなぜ?
既得権益にあぐらをかいている天下りの人を嫌いな民衆の心理とは?

確かに世界平和を望むのは利己主義かも知れないけど、利己主義と承知の上で、常に新しい価値観を望んでいる様な気がします。

奥田会長は、成功者ながら現状の既得権益にあぐらをかきたくないという、自らを律する全共闘の様な価値観があったのでは、、、。
全共闘が敗れたのは、経済成長が著しくなった為に意味をなさなくなっただけであり、過激派のいきすぎた行動の為だけとは言えません。
しかし、松本人志さんが仰ったことが、既得権益の為の発言だとも思えませんが、なぜなら芸に対して真摯である人が、そんな心持とは思えないので、もっと根本的なことを言いたかった気がします。つまり、妬みによる価値の逆転は人の生きる道ではないと、現実の価値観での努力を惜しむなと。
日本の格差社会なんて、中国の比ではありません。それを、見直すことは、逆に民衆の既得権益の固持によるものであり、もっと淘汰に追い込むことがいいかも知れないという意見もありそうです。ちなみに、わたしは、そんな考えをもっていませんが、、、。

【A】の考えで、
反戦主義者だけれど、それが利己主義によるものだと考えているが為に
世界平和を望んではいない。世界平和に関しては、自分の考えよりも【B】の考えを尊重している、その理由は何となく。

この部分、つまり利己主義になりたくないけど、人々が平和であってほしいと願わずにはいられないという心理

これは人類愛なのではないのでしょうか。

この回答への補足

民主党に関してはわかりません。
ただ自民党が腐敗していたならば、政治家の集まりである政党ですから、育てたのは国民です。

古田さんの例はナベツネさんの発言や思惑が極端であったため参考になりません。
ファンは自己投影して勝手に自己愛を傷つけられたのではないでしょうか。



【A】は口癖のように、「本気か?」と言ってきました。
「青年にとってはあらゆる思想が単に己の行動の口実にすぎぬ」という小林秀雄の言葉も何回聞かされたかわかりません。
「それがリベラルの正体」「保守に依存するリベラル」とも。
【A】は無秩序で、【A】のような人間ばかりになると社会は崩壊します。


謙遜とは、他者に自分をうまく褒めてもらう術
賞賛とは、他者が自分と似ていると正しく認めること
ヒロイズム、悲劇のヒロイン、ナルシズム
拉致被害者は北朝鮮で幸せかもしれない



回答に出たお言葉をお借りしますと、【A】は人類愛ではなく「新しい価値」に重きを置いているから【B】の意見を尊重しているのかもしれません。

弱者を救う心理やその結果は決して褒められたものではない。しかし確かに弱者はいる。救う必要はない。が、それでは結果は見えている。おもしろくない。救いたい人が救うのを止める理由はない。

自殺を止める人の心理はさすがに理解できませんが。
なんと傲慢なのでしょう。



私の返答はとても非建設的であるので退散していただいてもかまいません。
すでに考えるきっかけを頂き嬉しく思います。
ありがとうございました。

補足日時:2009/10/02 03:00
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この回答へのお礼

すみません、私の見識が及ばないと先に申しておきます。


革命について考えたこともありません。
私の知っている範囲では、これも極論(非建設的)なのかもわかりませんが、共産革命は資本主義を牽制する役割として歴史的に非常に大きな価値を持ったらしいですが虐殺に終始しました。
回答者さんの仰る革命とは違うことは理解しています。
この場合の革命はイデオロギーの闘争とやらなのかもわかりません。

しかし全共闘もイデオロギーです。
(揚げ足とりではありません)
全共闘の参加者は自分が何をしているのか知らなかったのが大半だそうです(そこへ目を向けるのはナンセンスなのでやめたいですが避けるわけにはいきませんので一応)。

加藤登紀子さんの主張も矛盾だらけで大いに呆れてしまいました(加藤さんを例に挙げることは今までで一番の極論といえます)。
加藤さんは素敵な宇宙船地球号でピース全開の主題歌を歌っています。

ユーチューブでは、ヘラヘラした東大生(ここへ目を向けることがナンセンスなのは承知です)が三島由紀夫と議論している動画を見たことがありますが、当の三島こそクーデターを起こしました。

私の印象では、全共闘と同じにするのは本気で弱者を救いたい人(どういう人かは知りませんが)に失礼であると思います。


また、官僚は政治家が統制できないのがおかしいのであって、政治家の質は民度に比例しますから、国民が官僚に文句を言うのは方法論として間違っていると個人的に思います。
文句を言いたいのです。

年金記録の問題は官僚の犯罪ですが、個人的には、役所に任せ切っていた人が役所に文句を言う神経が理解できません。そういう空気を作ってきた国民の一人として恥を知るべきです。
ねずみ講の被害者は加害者です。

Aさん「近頃の若者は子どもに躾もできないのか」
近頃の若者Bさん「近頃の若者の親である昔の若者は子どもを躾ることもできない子どもを育てた上にそれを知らん顔するのか」
こういった低レベルなやり取りになります。

お礼日時:2009/10/02 02:46

>弱い者を救うのは自由ですが、何をもって弱い、とするのでしょう。


>戦後、自衛隊は弱者です。
>自衛隊が弱者であるから、一般国民が誘拐されるというあり得ない事>態が起こりました。
>国民は知らん顔で「日本は平和だ」と言っています。
>果たして【B】が本当に弱者であるか、いや、【A】との関係におい>て【B】が弱者であるか、私は非常に疑問です。

本当にそうでした。そうでした。
確かに【A】と【B】の関係においては、関係ないかもしれません。
又、弱者と強者の決め付けは、危険な論理な気がします。

すみません、【A】と【B】の関係においては、何かもう興味がなくなっちゃいました。関係を清算しちゃえば、既に平和実現が可能な気がするからです。

>自分と違う考えを尊重することが世界平和につながると思ってそうし>ているわけではない。私は世界平和を望んではいないから。
>【B】の考えだから、というわけでもない。なんとなく、だ。

>世界平和はその一部としてこの二人の平和も意味します。

どっちかっていうと、このへんの文にひきつけられてしまいました。
私ももう少し考えたいと思います。

ここらあたりで私も退散ですかね。
皆様の意見はもっと拝見したいですけど。
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この回答へのお礼

私もいろいろ考える必要を感じますし、質問内容にも繋がることですのでご回答下さり嬉しく思います。


>何かもう興味が無くなっちゃいました

面白かったですが、実はこれは他の方も同じで私の認識が甘いのが原因で付き合い切れなくなったものと思われます。
せっかく考えて下さったのに申し訳ございません。


>関係を清算すれば平和実現可能

そもそも平和という言葉を曖昧にしたまま使ってしまいました。
とりあえず関係は清算したほうがよさそうです。

お礼日時:2009/10/02 01:40

お返事を拝見しました。



>私個人には関係がない問題

そうでした、御友人の立場で いらっしゃったのに、うっかりしてしまって、失礼しました。
ちょっと これだけ申し上げて、退散いたします(笑)

>「結婚とは残酷だ。一番好きな男の前で一番嫌いな女になることだから」だそうです。

そうですか、江国香織さんが、そんなことを仰いましたか。。。
私の周囲の おっさんの なかには、なんだかんだ言って「やっぱ、うちのオカアチャンが一番 好き!」と恥ずかしげもなく堂々と宣言する人も いますが(笑)

>個人差、とは精神的な邪魔が入るか否かではないでしょうか。
知りませんが、物理的に最も気持ちが良いことは明白であるように思います。

からだのことは特に そうですが、自分以外の誰かに なり代わって体感したり味わったりは できないことですよね。
こういうことは、「精神的な邪魔」は関係ないことも多いようです。特に女性の場合、物理的には、むしろ苦痛をガマンしている人が多いというデータが出ているのを何かで読んだことも ありますが、私なんかでも、よほど好きな男性相手でないと、よくよく好きな男性相手だからこそ、というのが正直なところです。そこを、精神的なもので、「邪魔」どころか、大いに補助しているくらいです。
女性は上半身で、男性は下半身で、云々というコトバも ありましたような。
ただ、同じ女性でも、精神的なこと一切 抜きで、性交そのものを楽しめる人が いるのも、もちろんのことです。
男性にしても、近頃は、極端に淡白な人が増えてきていると聞きます。女性とは また違ったニュアンスで、デリケートな面が ありますしね。

質問者さまが女性で いらっしゃるなら、明白に気持ちの良さ、を体感できることは喜ばしいことですし(かえって困る場合も あるかな?笑)
男性で いらっしゃるなら、女性の場合、特に この方面での個人差が大きいことは、あたまの片隅に置いていただいて損はないと思います。


>仮に私にそのつもりが全くなかったとするならば、私にとってこれほど悲しくなるお言葉はありません。そのつもりがなかったならば、ですが。

もしも悲しくさせてしまったならば、ごめんなさい。
哲学カテゴリーなのですから、いろんな方向性で思索してみたって いいですものね。
人間の根本的で自然な心情を大いに考慮してみるのも、それを いかに突き離すことが可能かを探ってみるのもアリだと思います。

御考察の よりいっそう進展が もたらされる御回答に恵まれますように。
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この回答へのお礼

お礼を書いたつもりだったのですが反映されておりませんでした。。


自身の姿勢に大いに疑問を感じましたので私も考え直すこととします。
ご協力くださりありがとうございました。

お礼日時:2009/10/04 07:35

御返事を拝見しました。


どうも、全体として、仰ることが、私には まだ、よく呑み込めません。部分的にも、腑に落ちない箇所が、そこ ここに ありますが、切りが なくなるので、ともかく

>回答者さんは良識的な方と思われますが、なぜ【A】を男と思われたのでしょうか。

私が良識的か どうかは、まあ、自身以上に、「異議ありー!」と大声で おっしゃりたい人も いそうですけど(爆)
そうですね、些か先入観で判断してしまっていたかも しれません。
それまでの御返事の流れを みていても、無理なく そう感じられましたのと、
あえて理由を言えば、ふつう、浮気をする、それも肉体関係を伴うものは、私の見聞する限り、やはり男性のほうが多少は上まわるように思います。
それを支える原因としては、生理学的に男性性というものが、もともと「バラ撒き」型であるということ、対して女性の側は、性的交渉にしても事後の負担に関しても、圧倒的にリスクが高いですよね。
ただし、こんにちの時代特徴から考えてみますと、一つには、男性の性的不能状態というものが、いろんな影響のもとに、増加してきているらしいということ(私の身近にも、何人か います)
女性の側としては、一つに、経済的な力が ついてきているということで、むかしのような、貞躁観念が即、生活の維持に影響することの心配が薄れてきている面が あろうこと、また、避妊の手段が発達してきていることなどが入れられると思います。
ですが、自身を含め、周囲を みていても、やはり まだまだ変わらないなあと思うのは、女性は、なんだかんだ言っても、肉体よりはメンタル面での価値優先傾向が失われていないこと、そして、その半面で、これは ある作家の表現ですが、処女で居続けることが、なんとはなしに「持ち重り」するものであること。だからこそ、手離したくもなる側面が あるのですね。
「セックスのしたい時にしないとセックスの何たるかもわからない人間になる、と考えています。」と、ちょうど、質問者さまも述べておられますが、セックスの何たるかも わからない、それが どーした、ってなもんですよ(笑)

また、亭主の浮気は しょせん浮気だから許容できる、という一種のリクツは、女性が よく言うことであるように見受けます。
ついでですが、
>セックスに対する~好きではないが、物理的に最も気持ちがよい(←誰でも同じだ)。

そんなことは、ございません!(笑)これこそ、個人差の大きいところです。

そして、浮気くらいで女房への愛情が微塵も変わるわけでない、浮気は しょせん浮気だ、という言い分も、ふつうは男性から よく聞かれることのように思います。要するに、あくまで下半身の問題に過ぎない、のですね(笑)こうした感覚は、これまで、一般に女性には珍しかったのでは ないでしょうか。女性は、肉体関係を持つと、暴力的なものなら ともかく、それがキッカケのようにして、なんとなく情のようなものを持ってしまう傾向が、男性に比べては高いとも聞きます。そういう男女の違いは、性交渉における事後の態度にも多少なり現れているように、個人的にも思います。
ですから、質問者さまが仰る【A】なる人が、実は女性であるならば、私から みても、こんにちの時代特徴を考察に入れたとしても、やはり まだ珍しい考え方、感覚のタイプに入ると思いました。
それと、男性というものは、俗に言う、上半身と下半身が別だから、という言い訳は棚上げして、女性の貞操観念に対しては神経質というか、おそらく征服欲などとの兼ね合いも あるのでしょうか、自分は浮気しまくっておいて、いざ女性側の浮気発覚となるや、女性以上に苦しんだりするというのも、よく聞かれます。
でも、こうしたことも、いまの時代は、かなり変化しつつあるようにも感じられます。
そのうえで申し上げますが、
>【A】は【S】をすることでなにひとつ得がないことを初めから知っていて、あえて【S】をしたかもわかりません。(【A】の【S】の相手が満足したならばその点においてはよいことですが)
あるいは、もっと確信を得ているのであれば、【S】を楽しんだかもわかりません。
世間一般には【A】が【S】を楽しんでいれば非難されるでしょうが、私は逆で、楽しんでいなければ【A】を非難します。

このように仰いますが、私に言わせれば、
不自然!
の一言です。
もっとも、「楽しんで」も いないのに、なんで そこまで?というのは わかりますよ。

ただ、ここは、そりゃあ哲学カテゴリーでは ありますけど、哲学と言えど、いや、哲学なればこそ、人間の根本的で自然な心情を一切 排除して考慮に入れないというのは、大いに間違っているかも しれません。それは、「制度」一般というものが、いかなる要請のもとに起こってきたものであるかということとも通底することではないでしょうか。

>>【B】さん側の受容度如何

というのが、浮気が悪かどうかを考える上でどこまで重要なのかが見当がつきません。

質問者さまは、世間一般の それとは少し違うらしいと思う御自身の性向に合わせんがための、それこそ後付けめいたリクツづけを、アタマでっかちになって しておられるような印象を受けました。

まあ、むかし、イギリスの女性作家で、何とか言いました(ウルフでしたっけ?)いわゆるフリーセックスの先駆け的ライフスタイルを実践していたとか。これは、若きニーチェの思い人であったという女性(名前 失念)にも共通点が あると思います。この女性も、夫への愛情とは別に、性生活を厭って、そのための愛人女性を家に入れることを積極的に認め、自分は2階住まいで、妻妾同居を実行していたとやら。でも、その状態で添い遂げたのだったかな?ダンナさんのほうの本心としては、どんなものだったのだろう、、、と思ったりします。

付け足しみたいになりましたが
「価値観」を尊重する云々というのは、まず、その価値観が、いかなる内容であるかを知らなければ始まらないのではと思います。
これは、「善悪」の内容如何とも密接に関わっていることでは ないだろうかとも思います。

この回答への補足

ちなみに、回答者さんの推理は的を射ており、「なぜ【A】を男と思うのか」と書いた私が阿呆でした。
今回の回答を参考に個人的に結論を得たのは、浮気や不倫というのが女性有利な発想であることです。どちらでも同じと思っておりました。
だとするならば、結婚制度は男性向きです。
恋愛は女性向きということになります。

私個人には関係がない問題ですので、もう浮気や不倫に関して関わるのはこの質問でやめにしようと思います。
価値観を知るということには今まで以上に重きを置こうと思います。
【B】の味方に回るのもありかもわかりません。


>言い訳は棚上げして、女性の貞操観念に対しては神経質

私はこういう男の反応に虫唾が走ります。
ですが仰るように、男女ともに行動や反応は確実に変わってきているかと思われます。


>そんなことは、ございません!(笑)これこそ、個人差の大きいところです。

個人差、とは精神的な邪魔が入るか否かではないでしょうか。
知りませんが、物理的に最も気持ちが良いことは明白であるように思います。

私は人は4つに分かれると考えています。
・解放された者
・解放されていない者
・解放に適していない者
・自ら解放した者

江国香織さん曰く、「結婚とは残酷だ。一番好きな男の前で一番嫌いな女になることだから」だそうです。
この言葉から、解放している女性であることがうかがい知ることができ、解放した女性の苦労がしのばれます。
なぜか知らないですが女性の場合、なんだかんだで真ん中の2つのタイプが好まれるような印象があります。


考えさせられる丁寧なご回答をいただき本当にありがとうございました。
世間知らずゆえ、ちょっとしたことでも参考になりました。

補足日時:2009/10/01 00:26
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この回答へのお礼

>質問者さまは、世間一般の それとは少し違うらしいと思う御自身の性向に合わせんがための、それこそ後付けめいたリクツづけを、アタマでっかちになって しておられるような印象を受けました。

仮に私にそのつもりが全くなかったとするならば、私にとってこれほど悲しくなるお言葉はありません。
そのつもりがなかったならば、ですが。


>人間の根本的で自然な心情を一切 排除して考慮に入れないというのは、大いに間違っているかも しれません。

これに反論できないため、やはり私にはこの問題を問う資格はないものと考えます。
私の認識もとても甘いようですので、考えていたよりも早めに締め切ることにいたいます。
せっかくいろいろな方のご協力を得てきましたので他の方の回答を数件いただいて終了とします。

お礼日時:2009/10/01 00:24

 儀式をすることで、特別性や意味がづけがなされる だから、それが在るのでしょう。

本来、特別性がないから、あえて儀式的行為をするのではないでしょうか。

 本気でなく、あくまで浮気であり、当人同士でなんらかの折り合いがつけられるのであれば、第三者が介入する必要はないでしょう。

 夫婦喧嘩は犬も喰わない というのは、案外真理かもしれません。

 感情的にならずに、客観的に論じて欲しいが故に、あえて第三者の視点で という、設定をしたのだと思って回答をしました。

 結論としては、自分のことでないと解らない。他人のことなら、直接の相談でなければ放っておく。です。
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この回答へのお礼

とても冷静で真を得たご意見ありがとうございました。

お礼日時:2009/10/01 00:32

>【S】が起こるのが不自然とはなぜでしょうか。


しかもその根拠が、儀式をしたから、というのはとても奇妙な感じがします。

◇特別性や、何らかの意味を持たせるために行った儀式をないがしろにするものであると、個人的に感じるからです。これは、主観ですので、「そうでないと思う、感じる。」というなら、なんとも言えません。

>演出もありますが、感情的に論じられているだけ、のレベルでしょうか。

◇そう、感情的に論じられているだけのレベル と思います。感情的に「悪いことだ」「良くないことだ」と論じることも可能です。テレビや、メディアは大げさに言うのが仕事とも言えますので。
 しかし、それが原因で、離婚などの際に不利になることを考えれば、そうでもないとも言えます。解らない と言っておきます。

>回答者さんは一般の方々が【浮気は悪】と考えているとした時に「善悪がどういうものであるかを考えていなければわからないはずだ」と思われるということでしょうか。

 はい、そう思います。善悪の意味を明示していないのであれば、単に感情的に「自分にとって都合が悪い」と言っているだけ と受け取って問題ないと思います。

>【S】に対する理屈抜きの悪感情を考慮するのは賛成ですが、すでに「考慮」のレベルにはなく、(私が一人でそう感じているだけかもわかりませんが)なにか絶対的な力さえ持っているように感じます。
悪感情を持つほうも、何を根拠にしてか「この感情は保護されて当然」という状態に見えます。

実は、冒頭の「よって私は【B】を支持する理由を何一つ見出せませんでした。」までしか、読んでいません。そこまでの内容で、すでに最初に回答したように疑問が起こり、それ以上読み進めようと思わなかったからです。それは、今の段階でも変わりありません。よって、これには答えようがありません。はっきり言って、枝葉末節の問題であると思うからです。これは、もちろん私の考えですが。

 しかし、【B】が、理屈でどうこう言うのであれば、【B】に正当性が在るかどうかは、非常に疑わしいと思います。「自分にとって都合が悪い」と言っている可能性は高いと思います。

 「神との対話」という本を読む事をお奨めします。図書館においてあるはずです。
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この回答へのお礼

>それ以上読み進めようと思わなかった

私の認識の甘さは話にならないでしょうか…
二度も丁寧なご回答をいただきありがとうございました。
「神との対話」は近いうちに読んでみます。


>特別性や、なんらかの・・・・・・・ないがしろにするものである

再度言われてみると、仰る通りに思います。
私が奇妙に感じたのは、儀式なることをすること自体、にあったのでした。
当人同士が儀式をしたのであればないがしろにするのはおかしいです。



見苦しいかと思いますが、現時点での考えでもう少し他の方のご回答を得たいと思っております。
不毛かもわかりませんが、私もお礼を書くにあたって感情的になってしまったほどで、冗談でこの質問をしているわけではありませんのでご理解いただきたいと思います。
また、人格や教養に関するダメ出し等もありがたく頂戴させていただきますので、労力の無駄と思われると思いますがなにか参考になることがございましたら指摘していただけると嬉しいです。

お礼日時:2009/09/30 18:34

>世界平和の達成は全体主義を意味すると言うことを書きたかっただけ>でした。


>【A】もすでにさまざまな価値を尊重しております。
>【B】の、【S】に対する悪感情を汲むことも可能なのです。

世界平和の観点から考えると、
確かに死をも恐れぬ名誉をかけた闘争などを、
世界平和という一つの価値観で抑え込むのは、
エゴイスティックなことかも知れません。
しかし、そんなものに巻き込まれてしまう、
弱い人達の声なき声を救いたいと思うのもエゴイスティックな
ことなのでしょうか。
わたしからすると【B】は正にそんな被害者の様な気がしてしまいます。
【A】がそんな大きな心持の人なら、どうして世界平和を望んでないのか理解できません。

すみません。【A】が世界平和を望んでいない訳を教えてください。
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この回答へのお礼

私のあらゆる認識レベルの低さから、問う資格があるのか自体疑わしいのですが、遠慮なく本題から逸れさせていただきます。


【A】の口からそのような言葉が出るのはあまりに自然であったため、【A】がなぜ世界平和を望んでいないのか私は聞いたことがありません。

弱い人達を救いたい、とのことですが、では弱さをどこまで救うのでしょうか。
ダウンタウンの松本人志さんは、「弱き者を傷つけてはならないという論理を突き詰めれば最弱こそ最強になる。本来の最強には手も出せるが、最弱の最強には誰も何もできなくなる。」と言っていました。
これは極論ですが、無視してはならない見解です。
また、【A】は、中学で私の友人(【A】はかなり目立っており、この友人とはほとんど接点がありませんでした)が軽いいじめに遭っている時に一言でいじめから解放したのですが、その後いじめられていた友人にかけた言葉は「お前にも問題があるから、おれが悪いことしたみたい」だったそうです。
私はそれを当の友人から聞き、【A】と親しくなったのはその後なのですが。

弱い者を救うのは自由ですが、何をもって弱い、とするのでしょう。
戦後、自衛隊は弱者です。
自衛隊が弱者であるから、一般国民が誘拐されるというあり得ない事態が起こりました。
国民は知らん顔で「日本は平和だ」と言っています。


果たして【B】が本当に弱者であるか、いや、【A】との関係において【B】が弱者であるか、私は非常に疑問です。

お礼日時:2009/09/30 23:18

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