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【A】と【B】が恋人か夫婦であるとして、あなた(回答者さん)と私は【A】と【B】の友人であるとします。

(“夫婦”が契約関係にあたるのかどうかさえ知らないくらいですので、このことに関して突き詰めて考えておりません)




【A】が異性とセックスをしました。

一般的に“浮気”や“不倫”と呼ばれているものです。

【B】はそれに対する否定的な感情を【A】に表し、あなたと私もその場に居合わせました。

【B】はおだやかな性格で、私はとても好意を持っています。

しかし、【A】が異性と関係を持つこと(これを【S】とします) に対する【B】の否定的な感情は、結局のところ過剰な自己愛と自分本位の独占欲からきており、強いて云えば“悪徳”によるものだと私は感じました。

よって私は【B】を支持する理由を何一つ見出せませんでした。




【A】はあなたと私に言いました。


「私は常に【B】の幸せを願っているし、【B】と幸せを共有できれば一番幸せだ。
しかし幸せの共有というのは聞こえは好いが、実際は独占欲と自己愛によって作られた幻想であることが多い。
実際、私と【B】との関係はまさにそうだ。
今回の【S】によって私が【B】を悲しませたことに矛盾を感じるか?
私は矛盾していないと思う。
私は【B】の幸せのためなら自己犠牲もいとわないことを私が一番知っている。
しかしその自己犠牲が【S】をしないことを指すのだとしたら、私と【B】との関係はたんに【B】の私を独占したいという欲求に私が手を貸している状態、ということになる。
私に【B】を独占したいという欲があるか無いかは問題ではないから言わない。
重要なのは、私が【B】の行動を制限したことがないことだ。
【B】の行動を強く制限したがる人間のほうが【B】を幸せにできるならば私は手を引くだろう。
私は【S】を積極的にしたいと思ったことは一度もない。
誘われて、断る理由がなかったに過ぎない。
それに私は、断る理由の無いことを何年も前から知っていた。
私は、【B】が他の異性と【S】をすることを私が制限する権利は無いと思っている。
それを制限しないことが私の幸せにつながり、私が【S】をしないことが【B】の幸せにつながるのであれば【B】のみが【S】をする権利があるということになることは知っている。
しかし、それでは制限を加えていったものが勝ってしまう。
私が【B】に、“私に制限を加えるな”という制限を加えれば【B】はどうなる?
その制限を加えることが私には一番よい。
しかし、加えない。
私の“私に制限を加えるな”という制限の【B】による実現は、いわば世界平和が達成された状態だ。
私の考えに根本的な間違いの可能性があるとすれば、世界平和が永久に達成されないと考えているところ、そして、【B】は世界平和が必要だと考えているけれど私は必要ないと考えているところにあるだろう。
【B】とはよくこの話をするが、【B】は世界平和が達成可能だと考えている。
私は反戦主義者だ。けれどそれが利己主義によるものだと考えている。
世界平和に関しては、自分の考えよりも【B】の考えを尊重している。
自分と違う考えを尊重することが世界平和につながると思ってそうしているわけではない。私は世界平和を望んではいないから。
【B】の考えだから、というわけでもない。
なんとなく、だ。

君の恋人が【S】をすれば君は悲しむのか?
君は、それを悲しまなければならないことには悲しまないのか?
私は【B】の【S】を制限したいかもしれない。
どちらにせよ私は【B】の【S】を制限しなければ、同意に基づくものであればいかなる人の【S】も悪いとだと思わない。
むしろ、好意的な要素以外見出せない。
私は今、とても悲しい」




私は【A】の言い分に矛盾を感じませんでした。

【B】は、【S】を制限することが世界平和に逆行するという点において矛盾します。

世界平和はその一部としてこの二人の平和も意味します。





あなたの感想も聞かせてください。






【A】による【S】が悪とされているのはなぜなのでしょうか。
他に似たような事例はありますか?

なお、質問の仕方(お礼を含む)が悪い場合はご指摘いただけると嬉しいです。

A 回答 (40件中31~40件)

No.2です。


ノルウェーの森って昔読んだのですが、今他の人の書いたあらすじを読むと、ちょっと違う。

多分 <存在の耐えられない軽さ>の話と混同して記憶してしまったのかも、・・すいません・・・。



いろいろ考えたけど、 キーワードは責任 かな と思いました。


<シーラという子供>というノンフィクション小説で、シーラは教師のトリィが転勤することを知ってこんな風なことを言う。

「トリィ(先生)はわたしにシェキニンがあるんだよ」って。(5歳だったかな?)

シーラは、3歳の子供を木にくくりつけ火をつけ、精神病院のベッドの空ができるまでの間ということで、トリィの受け持つ特別学級にやってきた。

異臭のする凶暴な子供。
体罰を受けても絶対に泣かない。
泣くと負けたことになるから、絶対に泣かない。
叔父はシーラをレイプしようとして、入らなかったのでナイフを子宮に刺した。
その時もシーラは、普通に通学してきた。 
そのような気丈なシーラを泣かせたのが担任の教師のトリィ。


シーラの言い分は、トリィに読んでもらった星の王子様のキツネの言葉からきている。

<面倒をみた相手にはいつまでも 責 任 がある>



大人と子供の違いはなんでしょう。
責任を取る義務があるか無いかです。

大人は自分の行動の責任を取る義務があるが、子供には無い。
養育している大人が子供のやった行為に対して、責任を課せられる。


大人が「幸せとは所有欲のこと、自己愛だ」と言い訳すれば、自分のとった身勝手な行動の責任を免れるか。
免れられません。

幸せとは所有欲ではないし、自己愛でもない。

相手がいて作った幸せは、片方だけが築いているのではない。
相互で築いたもの。

二人で築いたものを片方が破壊するのなら、破壊した側は責任を取らなければならない。

責任を取ろうとせず、屁理屈こね、いさぎよさが無いので、こじれるわけです。


人間は万能ではないので、やむおえず あるいは過失で幸せを破壊してしまうこともあるでしょう。
過ぎたことは仕方ない。
問題は破壊してしまったものをどうするか です。
あけっぱなしの蓋なら、ちゃんと締めればそれでいい。

責任をちゃんと取るというのが大人としての義務。



殺人・暴力・浮気 誰がみても悪いことですよね。
3つに共通すること。 
<信頼の裏切り>


殺人・暴力・浮気は集団の信頼関係を破壊する行為です。


で、マディソン群の橋の上では、母親は夫からの信頼・子供達からの信頼を裏切ることはしていません。
生きている間は。
ゆえに子供達は、母親の死後、愛した男と一緒に墓に入る自由を尊重したわけです。

妻の義務・母親の義務を最後まで貫き、信頼される集団を破壊をしなかった。
子供達は平凡な田舎町で平凡な人生を送って死んだ女だと思っていたが、後で母親は平凡とは逆で、高貴な女性だったと知ったわけです。


彼女は夫や子供の犠牲となり、自分のやりたかったことを我慢し、一度きりの人生を台無しにしたか。
いいえ。
彼女の人生は誰の犠牲にもなっていません。
だから 子供は真実を知った後、母親に負い目を感じることはなかった。

婚外の人に惹かれた自分を受け止め、ちゃんとその気持ちの責任を取って、死ぬまで秘密を貫いた。


で、私たちは平凡なので、そんな理想的なこと生き方はあこがれるができないし、したいかというと、よくわからない ですよね。

できることはある。
やったことに対して責任を取ること。
そりゃ やらない方がいいですけど、やってしまったとしても、取り返しはつく。
責任をとることで。


あれこれ屁理屈並べて責任逃れをするのではなく、やらないならやらない、やったら責任を取る。
これでいいんじゃないか と。


制限は悪いことではない。
制限をつけないと、どれだけでも食べたら腹痛起こすでしょ?
親しき仲にも礼儀ありで、どんなに親しくても、ある程度の限界以上になあなあになると、信頼関係の破壊になるでしょ?

健全な信頼関係を保つためには、制限の設置が必要なんです。
浮気癖が耐えない人は、ちょっとここで自分を律することで、悪に走らなくなる。
ガミガミ言う人は、ここで自制を使うことで、相手に怒鳴りつけず、関係の悪化を起こさずにすむことがある。

やりたい放題は自由ではない。
権利と自由をはきちがえるととんでもないことになる。

この回答への補足

>大人は自分の行動の責任を取る義務がある

私は全く同感です。
しかしこの言葉はあまりに曖昧です。
私は、安倍晋三首相が官僚改革に手をつけて官僚の自爆テロに遭い、それよって支持率が低下した時には国民と報道機関の無責任に驚きました。
なおかつ誰も責任を取らないのです。

子どもに関してもそうです。
ろくでなしの人間が育てば、それは社会の責任となり、親の責任にはなりません。
では子どもを社会が育てればよいのかといえば、そうはなりません。
責任とは、都合のよいときにしか使われないものです。
本当に【責任】が必要であれば、子による親殺しを合法化しても問題はないはずです。
しかし子も子なりに殺すに値するかテストしなければなりません。


【A】の感じているのもそういったところだろうと思います。
【S】の際はコンドームをつけるとか、脱いだ靴を揃えるとか。

親しき仲にも礼儀あり、に関しては、私にかまわず男でいろ、おれにかまわず女でいろ、という解釈もできます。




私は回答者さんの言っていることを理解したいと思っておりますが、しかし理解できておりません。
これは私の経験、読解力、理解力の不足に由来するものである可能性があります。
今は携帯電話ですので挙げていただいたお話に関しても後で確認させていただきます。
私には無い視点で丁寧な回答をいただき嬉しく思います。



>殺人・暴力・浮気 誰がみても悪いことですよね。

これは滅茶苦茶です。
私は浮気に関しては悪い要素が全く見当たりませんが暴力に関しては並以上に軽蔑しております。
殺人に関しては思考停止にならないという点で並以下ですが。
殺人や暴力でなく他の例えであれば理解できたかもわかりません。

補足日時:2009/09/28 22:05
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この回答へのお礼

シェキニン、信頼、ですか…
(鬱になりそうなので、シェキニンで通させていただきます)



【S】で信頼が壊れるほど【S】が力を持つということは、【A】と【B】の関係を作っていた要素は【A】と【B】による【S】の“後付け”ということを表しており、“信頼”などと云ってもこの場合の本質は“愛着”です。
何らかの行為で愛着を持ち、愛着をもった理由と同じことをされてダダをこねるとはまるで子どもの発想です。
また、【S】で愛着が生まれるならばそれこそ“浮気性”の論理ではないでしょうか。
そのことでシェキニンが生じるならば、浮気性でない人間はとんだ迷惑を被ります。

このような関係で、なおかつ【S】でシェキニンが生じるならば、【A】にはどれだけ生きづらいでしょう。
【A】は日々、
「【S】で責任が生じるなら、私のしているこの行為でも責任が生じているのだろうか」
「なぜこれには責任が生じないのか」
と考えることになります。

【A】が心の狭い人間ならば、【B】のあらゆる行為に対して、
「私の【S】を問題にしておいて、【B】はなぜあんなことを平気でできるのか」
と思うことにもなるでしょう。

【B】が【A】の【S】に対して抱いた感情に近いものを、【A】は日々感じていたかもわかりません。
【A】にとっての“信頼関係”は、そのような諸行為の影響の及ばないところにあったのだろうと思われます。
だから【A】は【B】の諸行為を何一つ制限しませんでした。
【A】にとっての信頼関係は、【B】に愛人が何人いても【B】が誰と【S】の関係になろうがどうでもよいものでした。
しかし、【S】くらいのことで【B】にこのような反応をされ絶望しています。

【A】の【B】との信頼関係の感じ方は【A】の身勝手なものです。
しかし、この回答では【B】の【A】に対する信頼もかなり身勝手なものです。

【A】が【B】に何を言われても別れることは確実でしょう。
【A】も勝手なものです。笑
【A】には、おそらく【A】自身に見る目がなかったのだと、経験を積めと言ってやるしかないです。



私の個人的な意見では、【S】で壊れる関係を“信頼関係”などと云っていることに驚きますが、他の回答を合わせると「受け手の心証による」「何によって信頼崩壊かは人それぞれ」ということでしょうか。


(つづく)

お礼日時:2009/09/28 22:04

数学の定理の証明を読んでいるような錯覚をおぼえました。


ちょっと昔の時代なら、外界と交流の無い、地域共同体のなかで、婚姻や性交の掟があったようです。その掟を破れば、その共同体から出て行くしか解決はなかったようです。「善魂宿」坂東真砂子著。
時代小説にでてくる、芸人たちの共同体の性風俗が、なんでもありの世界ですね。
女性の地位が高く、尊敬されている社会では、女性が掟をつくっていくようです。女系制社会ですね。父親がだれか、わかっても、わからなくても、成り立つ社会です。
離婚が、自由にできる社会、女性が仕事をもって、結婚も出産も育児も仕事と両立できる社会、そうなると、男は、そのときだけ必要な、かけがえのあるものになります。そういう時代が近づいているのでしょうね。
動物の世界は、人間にいろんなことを教えてくれます。世界平和とか、つがいのありかたとか。人間は、間違いを犯すものです。醜い。醜い世の中だから、純愛の花が、きわだつのです。
契約社会のアメリカには、婚前契約書があるようです。もちろん財産目当ての結婚詐欺に対する対策としてですが。結婚詐欺の弁護士と、結婚詐欺の美女の本気の恋愛をテレビの洋画で見ました。
AとBが、話し合ってください。二人の間に、第三者がはいると、面倒になります。
この問題を「定理」として、正しいか、正しくないかを証明しようとしても、あまり意味がないような気がします。
いろんな経験をつんでください。なにかが見えてきます。

この回答への補足

ちなみに、
男性がかけがえのあるものになり、女性の立場がどうなろうと(他の回答やこの回答にも出てきたような極めて特殊な特権的な場合は別ですが)、浮気や不倫が悪か否か、という問題が消えるわけではありません。



質問には関係ないですが自然の世界は回答者さんのように後付けをしません。
人間をなぜ醜いと仰るのかも理解できません。
勝手な幻想を重ねて、へんな期待をし過ぎなのではないでしょうか。

補足日時:2009/09/29 16:26
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この回答へのお礼

見識あるご回答ありがとうございます。
とても正論に思います。

ご回答を参考に考えてみるに、 つがいのありかた  の問題であると思います。
いや、つがいのあり方への異常な執着 であるともいえます。
動物はすぐに相手を変えますが、人間も動物だからそうすればよいかというとそうではなく人間性とやらを求める。
しかし、


人間と動物との違いはどちらが先かという順番への異常なまでの執着であり、それにこだわり続けることが果たして人間的かどうかここのところ私は非常に疑問に感じ始めた、と日本の女性の誰かが言っていました。


>定理として正しいか正しくないかを証明しようとしてもあまり意味がない

これも一見正論に思えますすが、あまり意味が無いのであれば【無罪】にすべきです。
意味があると考えているからこそ波風が立つのではないでしょうか。

お礼日時:2009/09/29 00:16

 No.3&5&6です。


 けっこう長引きましたね。
 これで共通の理解にたどりつけるか それは分かりませんが おぎなうべきをおぎないます。

 ○ こころ変わり
 ☆ という言葉を安易に使ってしまったようです。こういう意味です。つまり 【B】に対するこころを切るということです。切って 【C】に対するこころを新たにつくることになります。人格が別のものになるというくらいですから 単なる《こころ変わり》とはたしかに違うでしょうね。

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  >たぶんこの意志行為は ふつうに常識として 悪とよぶ

 【A】は自身が100%で自殺すると言っています。
 その理由がわかる気がします。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ ここが分からなかったのですが どういうことでしょう? 
 ○ 常識によって悪呼ばわりされるのを苦にして 自殺するという意味でしょうか? 
 ☆ でも
 ★ その理由がわかる気がします。
 ☆ とおっしゃるようには わたしには分からないので 違うかも知れませんね。


 ★ 私は、【S】は悪か、と聞きつつ、【S】を悪だとする思考停止の風潮を悪だと思っておりますので・・・
 ☆ だからわたしは《悪》という言葉を出すときには 注意しつつおまけ程度のかたちで出したつもりでしたが 通じなかったようです。
 ★ 【S】を悪だとする
 ☆ のではなく 同じようなことですが 裏切り行為が悪だと言っています。すでに【B】に対して持つこころを切って【C】に対して新たなこころをつくろうとする【A】の行為は 自分だけにではなく以前からの相手である【B】にもこころを切らせる結果となるので 妥当な行為ではない。これが この場合の悪の意味です。

 前回は はじめに事情をおもんぱかって まえがきをつけたのがよくなかったですね。ただし 今でもふつうは そのような緩和装置を言ってみるものだとは思っています。
 お応えによって こちらも応答してまいります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。


まず、なぜ【B】へのこころを切っていることになっているのかがわかりません。
仮に【B】へのこころを切っているとして、さらにはそれが悪であったり問題であるとして、こころを切ることになる事例は【S】だけなのでしょうか?
それとも他にいくつかあるのでしょうか?
前のお礼にも書きましたが、それを言ってしまうと、こころを切ることにはならない事例を探すことも難しい作業です。
(詳細は前のお礼で書いております)


また、自殺の理由として単一のものが大きなウェイトを占める自殺(推測に過ぎませんが、一般的な自殺はほとんどこれじゃないでしょうか)を【A】は軽蔑しており、自殺の理由を書けと言われても【A】は(まだ)書けないでしょうし、書けるようになるまでは精神に異常をきたしても生き続ける(という意思を持っている)と思いますし、書けるようになればあっさりと死ぬと思います。
「彼らと同じになりたくないプライドからどれだけの生きる活力を得ているかを考えると墓参りに行ってもよいとさえ思うが、彼らのおかげで生かされていると思うとお供え物のお菓子くらいはその場で拝借してこようと思う。死人に口無し。自尊心が死ねば事実上私は死ぬ。」というようなことを言っていました。

お礼日時:2009/09/29 01:36

NO.1です。


残念ながら質問者さんの私に対する推測は全て間違っています。
この事から、質問者さんの文章読解力、意識レベルがどのくらいのものかわかってしまいますね。

そして真に頭のいい人というのは、一般人にもわかりやすい言葉で己の考えを伝えようとするものです。
また、相手の興味を引く文章を書く努力もするのですよ。

質問者さんは、お好みの専門書だけでなくもっと幅広い読書をし、広範囲の知識を身につけた方がよろしいでしょうね。

>私は【S】を積極的にしたいと思ったことは一度もない。
誘われて、断る理由がなかったに過ぎない。
それに私は、断る理由の無いことを何年も前から知っていた。

「だからやるのか?頭悪過ぎ。」となります。
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この回答へのお礼

回答してばかりいず、本を読みましょう。

お礼日時:2009/09/27 22:13

 the_hours さん あらためまして こんにちは。


 No.3&5で ブラジュロンヌと申します。

 the_hours さんも ねばりますね。だって たぶんもうお分かりのところを 哲学ゆえにでしょうか あらゆる可能性を網羅しようとしておられる。

 そうですね。恋愛関係において・あるいは結婚に到るまでの愛情関係においてならなおさら けっきょくわたしたちは 勘づくものです。
 若いときには一・二度だまされる経験を味わうことはありますが そのとき《欺かれるなら われあり》と言ってのように そのあと新しい愛の始まったとき ふたりがむすばれるというところ(つまり【S】)まで到れば そこでふたたび・みたび《欺き》に遭えば それは勘で分かるものです。そうぢゃないでしょうか?

 受け取る側の心証によって・またそれのみによってでも 《裏切り行為》であることが成立すると言いましたが もっと単純です。
 考えてもみてください。
 こうやって アウトかセーフかと哲学的に議論することじたい 不利なほう・つまりアウトであることを うすうすにでも 知っているのです。すなわち 受け手の問題よりもむしろ前に 仮称《うらぎり》をおこなった者が 百も承知のことなのです。
 【A】は 【B】が勘づくまえに おのれの黒であることを心得ています。
 あるいはぎゃくに 時として【C】との関係が どういう情況かさだかではありませんが仮りに黒であると認めるまでには到らないで済んだとしたなら そういうふうに自信を持ってわきまえているということではないでしょうか。【B】がしっとするのを おもしろがってのらりくらりと受け答えするかも知れません。

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 受け手の心証による、という点は理解できます。
 それを理解しているからこそ【A】は世界平和を望んでいないのだと思います。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 《世界平和》は ここでは どうでもよいのです。あるいは言うとすれば 【A】がみづからの人格(もしくは《〈わたし〉なる世界》)をどう平和に保つかの問題です。婚姻関係にあるのなら そのとき【B】も 甘い言い方をすれば 連帯責任を負います。いっしょに平和を保とうとつとめます。

 まとめますと。
 1. 【A】は 【B】とのあいだに持つ《A-B》関係としてのおのれの人格を 【C】との《A-C》関係をあらたにつくろうとしたときには 切ることになる。そうしてあらたに 別の人格を持つことになる。
 2. 裏切りの《うら》とは 《こころ》のことです。《こころ変わり》ということが 裏切りであり 人格の豹変のことです。
 3. たぶんこの意志行為は ふつうに常識として 悪とよぶと思いますよ。
 4. だれにわるいって言って 基本はつねにおのれに対してでしょうね。人格を変える事情や理由が 妥当なものであるかどうかに応じてでしょうね。
 5. 自分のこころに問うて 妥当な理由がありほかにえらぶべき道はなかったという場合 こんどは 連れ合いの【B】の言い分が問題になります。――初めから問題になっているのですが ひとは 自分がいちばんかわいいですから こういう順序で話を捉えようとしています。
 6. 【B】の言い分は 初めっから 考慮に入れなければならないものであることは決まっていました。それゆえにも 《自分がかわいい》という考えに沿って (1)からは推論してきました。
 7. 【B】の言い分をはねのけることが出来る場合というのは 【A】が そのこころにおいて【B】の存在をころした場合か それともおのれの二重人格を甘んじて受け容れる場合かになるでしょう。ほかにありません。
 8. それゆえ たぶんひとは 浮気を悪だとよぶのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ブラジュロンヌさん
丁寧な回答をいただきありがたく思います。


しかし、私に対する推察はおめでたいものです。
その推察に沿った回答には正直、意味がありません。



【B】の言い分はいつ聞いてもかまいません。
それが《自分がかわいい》を最も表したものだからです。


また、今回の【S】により【A】に《こころ変わり》は微塵もありません。
しかし《こころ変わり》など、生まれてから死ぬまで誰でも常に可能性としてあります。
仮に《こころ変わり》をした場合は応援してあげればよいことで、それを「裏切り」とする神経はどう考えても悪です。



>たぶんこの意志行為は ふつうに常識として 悪とよぶ

【A】は自身が100%で自殺すると言っています。
その理由がわかる気がします。




私は、【S】は悪か、と聞きつつ、【S】を悪だとする思考停止の風潮を悪だと思っておりますので、こういった回答をいただくと確信を深めるばかりです。

お礼日時:2009/09/27 20:59

 No.3です。



 話を長引かせるつもりはないのですが ひととおりお応えします。
 
 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 【A】は【B】を裏切ったのでしょうか?【A】は

  >それに私は、断る理由の無いことを何年も前から知っていた。

 と言っています。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 《裏切り行為》というのは 一般にやはり そして第一次的には 受け身の側の者が受け取る心証になります。そのつてでも
 ★ 【A】は、(意志の力で)【A】としてあり続けるために【S】を選んだのだと思います。
 ☆ というように【A】には【A】の言い分があるのも ふつうのことではないでしょうか。
 ぎゃくに言えば 【B】なりあるいは――あたかも半分程度において受け身の側であるところの――【A】の【S】行為の相手となった仮りに【C】なりが 裏切りであると 一方的にです 一方的に 受け止めれば まづは 成り立つという考え方です。その心証を【A】は おそらく自分の責任において受け止めねばならないという考え方になります。


 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
   >したがって 死別していないのであれば 複数のひととの【S】行為は いわゆる二重人格をつくります。

 全く理解できませんでした。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ そもそも【S】行為の相手に向き合う人間は つまりここでは【A】ですがその【A】は そこで ひとつの人格を構成すると見る考え方です。したがって【A】は いわば《A‐C》関係としての一つの人格を形成したことになるのですが その前にすでに【B】とも 《A-B》関係としての人格を成り立たせているという意味です。

 【S】行為に到ると なぜ人格がひとつ成り立ち 相手をたがえると また別の人格をつくるまでになるか。
 じつは これについては まったく理論立ててもいませんし 触れようともしていません。いわば受け身の側のいだく心証 つまり裏切られですね これにのみ基づいて言っています。
 ま 【A】は 【B】に向き合うときと 【C】にあい対するときとでは 非科学的に述べればこころの持ち方が違うということではないでしょうか。
 その同じ根拠の話として こういうふうにも言えるのではないでしょうか。つまり【A】は 【C】と【S】行為を持とうとするのであれば 【B】と離縁したあとで そうすればよい。これです。(法律の問題ではほとんどないのですよ。離縁について【B】の同意を得るという意味です)。

 こういったところでしょうか。いかがでしょう?
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この回答へのお礼

受け手の心証による、という点は理解できます。
それを理解しているからこそ【A】は世界平和を望んでいないのだと思います。



>同意を得る

もっともですが、これが屁理屈でないならば婚前契約について回答者さんも私と同じ疑問を持っているはずです。
【S】に関して同意を得ていないゆえに悪なのであれば、詳細な婚前契約をしないことは悪です。
契約内容には【S】に関する項目も入るでしょう。
しかし、結婚ではない場合は婚前契約で明記する全ての部分においてその都度同意を得るのでしょうか。



別の人格の形成、心のもちよう、
とのことですが、【S】(ここではセックス)に限定されていますが、【S】以外の行為で、【A】の別の人格の形成に当たらない行為には何があるのでしょうか。
図書館で異なるジャンルの二冊の本を検索した場合、それぞれ別の人格でしょうか。
この理論では、【A】がノーマルな【S】をすることよりも、アブノーマルなアダルトビデオを見ることや過激な政治思想に触れることや普段お酒を飲まないのにお酒を飲むことのほうがA-Bから遠いはずです。
当然、それらをするのに同意をとる必要があります。



また、この回答では、【S】が発覚しなければ悪は存在しないことになります。
受け手の心証による、ので当然ではあります。

子どもがアインシュタインに「誰もいないところで果物が落ちたら音はするの?」と聞いた時、アインシュタインは答えられなかったそうです。

発覚しなければ悪ではないものは悪でしょうか。
発覚することにより悪になるならば、それ自体ではなくそれに作用するものが悪なのではないでしょうか。
また、悪でないものが発覚することにより悪になるのなら、わざわざ発覚させる(同意をとる)ことは悪ではないでしょうか。
そうであれば同意をとる根拠が無くなりました。




また、この回答では、“疑惑”だけで悪が成立します。
【A】は本当は【S】などしておらず、はったりだったかもわかりません。




浮気や不倫が悪である理由は何一つ得られておりません。
自己の悪を肯定してくれるという理由でそれらをなんとなく悪にするような事なかれの態度は賛成できません。
また、これ以上の甘えの構造を知りません。

お礼日時:2009/09/27 18:15

結婚関係あるいは夫婦関係というのは契約行為なんですね。

契約行為によって夫婦関係を築き、家庭を築き、その家庭が元で村や町、都市、国家が形成されているわけです。
人間と動物を分けているものがこの契約行為なんですね。
夫婦関係は契約行為であるという点で契約違反は悪ですね。
そういう意識がなく犬や猫のように考えるのであれば人間の契約行為の範疇にははいりませんからいかようにも考えられますね。
犬や猫は戦争などしないですから究極の世界平和でしょうね。
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この回答へのお礼

私は世間知らずですが、そのような詳細な契約書のない契約が他に存在するのでしょうか。
婚前契約書を作成しない契約が契約行為として認められるその理由こそが、浮気を悪にする理由と同じに思えて仕方ありません。


>結婚関係あるいは夫婦関係というのは契約行為なんですね。

この言い分こそが

>似たような事例

のひとつでしょうか。


結婚関係が契約恋であることは認めますが、あなたの言い分は浮気やその他もろもろについてろくな思索もない人間による、根拠のない社会制度を盾とした自己正当化です。
私はその卑劣な行為を【道徳的アリバイ工作】と呼んでいます。

お礼日時:2009/09/27 11:42

 こんにちは。



 問題は 単純で ひとえに裏切り行為にあります。

 生きるとは 自己表現なる行為です。
 どうも【S】にまで到る行為は おのれが表現する自己そのものを端的に表わすもののようです。したがって 死別していないのであれば 複数のひととの【S】行為は いわゆる二重人格をつくります。
 相手のいづれから見ても それは 裏切り行為になります。

 そういう問題です。一般的な言い方をすれば 悪です。
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この回答へのお礼

(はなから受け入れる気がないのではありません)


>裏切り行為

【A】は【B】を裏切ったのでしょうか?【A】は

>それに私は、断る理由の無いことを何年も前から知っていた。

と言っています。
【A】は、(意志の力で)【A】としてあり続けるために【S】を選んだのだと思います。



>したがって 死別していないのであれば 複数のひととの【S】行為は いわゆる二重人格をつくります。

全く理解できませんでした。




ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/09/27 11:33

なんかふと前読んだ<ノルウェーの森>を思い出しました。






えっと浮気ってのは本気じゃないですよね。
マディソン群の橋の上でって映画で、男が妻に「あなた何かあったでしょう」と誘導されて、ついに「実は好きな女性がいる」と言うと、意外と冷静に妻は「ふーん」って言っていた。
ところが、「その女性とは寝てはいない」と言った途端、妻の形相はものすごくなり バッシー! と夫を殴った。


ああ わかるなぁ。。。 と思った。

浮気は悪ではない、婚外の人を本気で愛していながら、離婚しないのが悪。


ノルウェーの森では自由奔放な恋愛をする男を愛した女性が登場する。
結局 自殺するわけですが。
自由が殺した と思いました。
自由自体は悪ではない。
なんでもかんでも自由と、自由の使い方を無制限にやると、自由によって殺される。

彼女は自由に彼を泳がせておいて、時々 糸をひっぱればよかったと思う。
そうなると賢い女物語になり、美しく悲しい文学作品になりませんが。

この回答への補足

これに反論できません。


と書きましたが、No4さんとNo16さんの回答を参考にすると、契約に含まれていれば悪、のようです。
契約であるので契約を破ったという点で当然そうなります。

補足日時:2009/09/30 00:31
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この回答へのお礼

>本気じゃない

(本気になる可能性も加味していますが、)そうです。
その女性が殴った理由も理解できます。



>浮気は悪ではない、婚外の人を本気で愛していながら、離婚しないのが悪。

これに反論できません。



>結局 自殺するわけですが。

とてもわかる気がします。
【A】も「私は今、とても悲しい」と言っています。



>彼女は自由に彼を泳がせておいて、時々 糸をひっぱればよかったと思う。

その女性がなぜ自殺したのかは知りませんが、その自由奔放な男と自殺とは無関係(少なくとも、芥川龍之介の云うところの「自殺への道程に過ぎない」)であると思われます。
糸をひっぱればそのこと自体が自殺を後押しする大きな要素になることを知っていたかもわかりません。




機会があれば読んでみます。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/09/27 11:17

ただひと言「屁理屈こねるな!」ですね。



何が世界平和ですか。Aとやらが世界に影響をもたらすような英雄か天才でもあるのですか。
結局たまにはつまみ食いをしてみたいという、下半身の下世話な欲求ではないですか。
己を律する理性を持って人間というのです。それが出来ないのなら、人がましい事は言って欲しくないですね。
ばらまき本能を押さえられないのなら、一人の女性に絞らず万人に平等に接してはいかがでしょうか。

本当に哲学をする人というのは、何でもかんでもSEXに結びつけたり、小難しい理屈を連ねて自己正当化したり、ろくでもないですね。

この回答への補足

【A】はセックスなど興味がなく【S】をしようがしまいがどちらでもよいと言っており、


というのは、


私は【S】を積極的にしたいと思ったことは一度もない。
誘われて、断る理由がなかったに過ぎない。
それに私は、断る理由の無いことを何年も前から知っていた。


の部分です。

補足日時:2009/09/27 03:51
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この回答へのお礼

>何が世界平和ですか。

表現力のない者による“表現”でしかなく、世界平和という言葉になんの意味もありません。


>結局たまにはつまみ食いをしてみたいという、下半身の下世話な欲求ではないですか。
>ばらまき本能

あなたはよほどセックスがしたいのですね。
性欲が旺盛な方の発想です。
私には想像もつきません。


>己を律する理性を持って人間というのです。
>本当に哲学をする人

【A】、【B】、【私】、誰のどこに対してのお言葉でしょうか…?



屁理屈なのであればどこがどう屁理屈なのか言っていただければ納得しますが、こんな回答であれば恋愛相談のカテゴリで質問したほうが有益な回答が得られました。



>自己正当化

あなたと【A】と、どちらが自己正当化しているかは明らかです。
【A】はセックスなど興味がなく【S】をしようがしまいがどちらでもよいと言っており、あなたは自己愛が傷つくのを恐れているだけです。

どちらが犯罪的行為か真剣に問うべきです。

お礼日時:2009/09/27 03:49
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