海外旅行から帰ってきたら、まず何を食べる?

ベルツの日記、明治37年11月3日に、「女性の喫煙がはなはだしく減少した」「以前は、ほとんどすべての婦人がきせるを持っていた」とあるのを読みました。具体的な調査数字というのはないでしょうが、実際どんな感じだったのですか。

A 回答 (2件)

シーボルトのお滝さんにしても、江戸時代後期やベルツが日本に来た頃、外国人が簡単に出会える日本人女性はおそらく花柳界の人ぐらいだったと思います。



http://osaka.cool.ne.jp/goinkyo2002/newpage6.htm

また、我家に1863~1873年にFelice Beato撮影の日本の写真集があるのですが、そこに写っている花柳界の人らしき女性たちのところには火鉢や道具と一緒にキセルが写っています。空き巣に入られて、一番持って行かれるものが、ふとんだった時代ですから、道具を持っていることはお金があることと同じ位価値があったことと思います。
庶民らしき女性たちは距離を離して、遠まわしで写しているか、縁側などで道具などなくただ人を写しています。

今でも、花魁道中など見ると、手にキセルを持って練り歩くところなど、おそらく、ファッションだったのではないでしょうか。キセル自体、道具などと写せる位の高価な物だったのかもしれません。

昭和24年、成人喫煙率44-47%(男性50%、女性33%)などと言う記載があります。
http://www.health-net.or.jp/tobacco/history/hist …
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この回答へのお礼

>外国人が簡単に出会える日本人女性はおそらく花柳界の人ぐらいだったと思います。

なるほどおっしゃる通りです。そして彼が付き合いのあった政界連の奥様方もそっち方面の人が多いですよね。どうもありがとうございました。

お礼日時:2009/09/29 21:07

おおかったです。


というか、酒、お茶、以外の嗜好品は、酒の肴、お茶のお菓子類をのぞくと、煙草しかなかったのです(ソーダ、コーヒー、ココア、薬物といった選択肢がない)。淀君はニコチン中毒だったといわれます。また、幕府がたびたび禁止令をだすほど、火事にあっても人々みな吸っていたのです。

煙草も糸切りの物しかなく、葉巻、紙巻きが存在しないので、必然的にキセルが必要になります。

このキセルとキセル入れに昔の人は凝りました。細工物でも銀から漆、布物までさまざまで、いまでいうブランド物を身につけている感覚です。

一服という言葉は本当に一呼吸ちょっとで、吸い尽くしてしまうからです。私が子供のころ、家に出入りしていた職人さんはキセル使いで、糸きりタバコ(今でも小粋というのが残っています)を丸めてキセルに詰め、もう一個丸めて手のひらにおき、詰めたタバコにたき火の薪で火を点けてふた呼吸くらい吸ったあと、手のひらに火のついたタバコの玉をキセルから吹き出します。で、それを転がしながら、あらかじめ作っておいたタバコ玉に火を移し、ヒュッとキセルに吸い込んで、火のついた玉はたき火の中にポイッ。
「まねしちゃいけないよ」

昭和30年代までは女性の喫煙は珍しくなかったです。本当に減ったのはここ15年ほどだと思います。
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この回答へのお礼

現在と違って大きな「楽しみ」の一つだったわけですね。
たしか芥川に高価なキセルを家臣からねだられる話がありませんでしたっけ。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2009/09/29 21:06

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