No.1
- 回答日時:
植民地化を免れた
これにはキリスト教の非合法化が大きく貢献していると思います
外国の優れた文明から遠ざけられたことはデメリットだと考える人がいますが
日本が鎖国をしていた期間に西洋に対して開いていた国が文化的に進歩していなかったことを考えると鎖国政策のデメリットはなかったと思います
西洋に門戸を開いていた国は疲弊したが鎖国をしていた日本は繁栄したことからも分かると思います
>植民地化を免れた これにはキリスト教の非合法化が大きく貢献していると思います
キリスト教で人心を掌握し次に軍隊がやってくるという作戦ですね。ご回答ありがとうございました。
No.2
- 回答日時:
鎖国をする事により、日本民族としての民族形成がすすみ、日本全体からの判断ができるようになりました。
そのため、部族社会や地域分散社会にくらべ、日本民族としての行動が行われるようになり、明治期における発展の原動力となっています。
デメリットとしては、国際情勢にうとくなり、幕末期に日本滅亡の危機におちいることです。
日本が植民地化を免れたのは、単にヨーロッパから遠く離れた地域であり、文化程度かぜ高く、植民地化しにくかったからで、キリスト教の禁教は、全く関係ありません。
キリスト教の布教と植民地化に関しては、なんの根拠もありません。
スペインなどがキリスト教を布教して植民地化したといったデタラメな理論を信じている人がいますが、そのような例は、世界中どこにもありません。
全ての地域が、植民地化した後キリスト教の布教を行っています。
>鎖国をする事により、日本民族としての民族形成がすすみ、日本全体からの判断ができるようになりました。
それは大きかったと思います。戦国時代などはそれぞれが戦っていたため日本民族の連帯感は薄かったと思います。徳川が国内を統一し、更に鎖国をしたため連帯感が強くなったと思います。
>キリスト教の布教と植民地化に関しては、なんの根拠もありません。
いえいえ、その点は賛同できません。キリスト教が広まり西洋文化が浸透し西洋人との交流がすすむと文化の高いほうが低いほうを吸収合併するのは自然です。ご回答ありがとうございました。
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。
これまでの考え方:(通説)
(1)「神の下では、万民が平等」という教えが、徳川幕府を頂点とした「封建社会の秩序」を乱しかねない。などの理由が挙げられていますが、戦国時代あたりから日本に「布教活動」を活発に行い始めたのは、主に、イギリスやポルトガル、スペインを中心としたキリスト教の中でも、カトリック系の宣教師たちであった。
(2)そして、確かに、私たちは、学校教育などの現場で「キリスト教徒」の進出に恐れて、日本が植民地化されるのではないか、と言う「懸念」から「鎖国」をした・・・と、習ってきましたね。
(3)しかし、長崎の出島においてはオランダとの交易は「許可」をした。
これには、オランダも植民地化を推進する国ではありましたが、一言で言うと、日本から「輸入」する「産物」が乏しかった。つまり、東インド会社などのように、当時、ヨーロッパが欲しがるような「香辛料」などは、日本の風土の中では、全くなかった。
さらに、金銀などにしても、当時は「銀」が主な流通貨幣でしたが、メキシコにおいて銀山の開発が本格化して、大量に輸出されたため、「黄金の国ジパング」とは言われても、その産出量は比較にならないほど少なかったためにスペインはいち早くメキシコとの交易に転じた。
そして、オランダはキリスト教の中でもプロテスタント系が多く、東インド会社を巡っては、オランダはイギリスに勝利をしイギリスは排除され、日本からも撤退せざるを得なかった。しかし、すでに、日本が戦国時代頃から布教がされていたカトリック系をプロテスタント系に改宗せよ、と言っても、すでに根付いてしまったものを覆すことは、非常に困難であり、無理だと考え、布教活動に対する「魅力」は何もなかった。
(4)そこで、布教活動をするよりも、交易による利権に目を向けた。
もう一つの考え方:(日本側)
(1)どのような国の支配者たちも、自らの権力の「維持」「強化」を目指すものであり、海外との交渉で諸問題が発生するよりも、「閉ざされた社会」の方が「管理」をしやすい。
(2)当時の諸外国と言えども、中国や朝鮮でも同様に「閉ざされた社会」であり、例えば、明にしても、朝貢以外を排除し、中国人の海外渡航を禁止している。
(3)幕府としては、「開国」することにより、日本の諸藩が貿易による「財力」や「兵力」の拡大を強く恐れた。
(4)ただし、こうなると、諸外国の「情勢」が何も見えなくなって、いわゆる、「独裁国家」になるため、幕府権力だけでは日本を「独裁的」に統治する力は、まだ「完全」とは言えず、とは言っても、幕府権力という独裁的立場を確立するために、「布教活動をしない」という約束のもとで、長崎の出島のみでのオランダとの交易を許可した。
そこには、日本の諸藩を介入させず、幕府だけが「富」と「情報」を独占するためであった。
しかし、幕府の力が、まだまだ弱いことを印象付けたのは、寛永14年(1637)10月25日より発生した「島原の乱」では、幕府軍は苦戦をし、オランダに依頼をして、海上から原城への砲撃をさせています。
(5)「鎖国」をする・・・と、言うことは、とりもなおさず、国家の中だけで「自給自足」をすることになるわけですが、秀吉の頃からは、日本国内でも「灌漑」「治水」事業が発達して「新田開発」なども盛んになった、また、「農業技術」や「農機具の発明」などで徳川幕府としては、「国内生産」「国内消費」だけでも統治できる・・・と、考え「鎖国」に踏み切った。
(6)やがて、幕府権力も充実してくると、海外との戦いでも、必ずしも「最新の兵器」だけで勝てるわけもなく、「兵力数」や「食料の補給路」で、さらには、戦国時代としう戦いにおいての「戦略」や「戦闘技術」では、幕府は諸外国に対抗できる・・・と、考えた。
これには、秀吉が朝鮮出兵で「補給路」を絶たれて敗北した経験が、そうした考えとなった。
従って、徳川幕府としては、「鎖国」をすると同時に「海外進出」には一切目を向けていない。
寛永12年(1672)6月25日、幕府評定所の話し合いで酒井忠勝は、
「我々は、他の人の奉仕を受けることができるかぎり、日本の船を国外に渡航させる必要はない」
との諮問を出している。
(7)幕府は、一気に「鎖国」をしたわけではなく、徐々に発令していった。
*慶長17年(1612)、キリスト教禁止令を出す。
*寛永10年(1633)、奉書船(渡航が許可された船)以外の海外渡航を禁止。
*寛永12年(1635)、日本人の海外渡航と帰国を禁止。
*寛永14年(1637)、島原の乱。
*寛永16年(1639)、ポルトガル船の来航を禁止。
*寛永18年(1641)、オランダ商館を平戸から長崎の出島へ移転。
(8)また、「鎖国」とは言っても、「四口(よつのくち」と呼ばれて、
*中国から琉球へ、そして、薩摩藩を通じて幕府への路。
*中国から朝鮮へ、そして、対馬を通じて幕府への路。
*中国やオランダから長崎へ、そして、幕府への路。
*蝦夷地(アイヌ)から松前藩を通じて幕府への路。
(ただし、松前藩には40%位の課税をしたとか)
が、開かれていました。
「鎖国」という言葉について:
(1)ドイツ人のエンゲルベルト・ケンペルが江戸旅行をして、帰国後に書いた「日本史」(1712刊)の中にある、
「日本国において自国人の出国、外国人の入国を禁じ、また、此国の世界諸国との交通を禁止するにきわめて当然なる理」
と、いう一文を、蘭学者である志筑忠雄(しづきただお)が享和元年(1801)「鎖国論」において初めて使用した「造語」である。
(2)しかし、嘉永2年(1849)に成立した「徳川実記」では、寛永12年(1635)の措置を「海禁」と書かれている。
(3)近年、「鎖国」という言葉は、研究者の間でも使われなくなってきており、学校の教科書などでも、山川出版「新日本史」では、本文中には一切「鎖国」という文字は出てきていない。
(4)著者の東大教授藤田覚氏によると、
「幕府は、最初から鎖国を意図したわけではない。その状態が、たまたま200年ほど続いたから『なんとなく鎖国』だった」
と、考えた方が自然ではないか・・・とコメントしている。
結論:
>>これによって日本はどのようなメリットとデメリットがあったのでしょうか?
メリット:
(1)植民地化されずにすんだ。
(2)諸国の大名が幕府よりも経済的優位にはならなかった。
(3)幕府の「独裁体制」が一層強固なものとなった。
デメリット:
(1)諸外国の政情が幕府の独占で、諸国の大名たちには、海外情勢が理解できなかった。
(2)物産が国内の取引だけであったので、一部の「発明」や「工夫」などはあったが、画期的な進歩がなくなってしまった。
(3)農業依存度が続いた。
このようなところでしょうか。
少しでも、あなたのお役に立てば・・・。
メリット:
(3)幕府の「独裁体制」が一層強固なものとなった。
そうですね。徳川が270年間平和を守ったのは功績と言えますね。
デメリット:。
(2)物産が国内の取引だけであったので、一部の「発明」や「工夫」などはあったが、画期的な進歩がなくなってしまった。
確かに工業などの発達は遅れました。明治の元勲たちは偉かったですね。徳川の鎖国があったからこそ明治の元勲が頑張って遅れを一気に取り戻したのでしょう。ご回答ありがとうございました。
No.4
- 回答日時:
詳細は、皆さんが回答してるので、簡単に。
鎖国(正確には日本人の海外渡航の禁止と入国禁止ですが)によるメリットはまったくありません。デメリットだけです。
当時、鉄砲はアジア諸国に伝来しましたが、自国で生産し本家を質でも量でも凌駕したのは日本だけです。この事実に対して宣教師たちが率直に驚いています。
明治以降を見れば分かりますが。300年後に100年遅れて近代国家としてスタートした日本は40年でヨーロッパに追いつきました。
また、キリスト教は日本には根付きません。明治以降、戦後をみても全然信者が爆発的には増えていません。韓国ではキリスト教徒が3割を超えています。
よって、鎖国をしなくとも、日本が植民地になることはなく。単に、近代化のスタートが遅れただけということになります。
日本独自の江戸文化などというのは、南蛮文化と融合してできるであろう文化を想像すれば、どう贔屓目にみても低俗です。
>また、キリスト教は日本には根付きません。明治以降、戦後をみても全然信者が爆発的には増えていません。韓国ではキリスト教徒が3割を超えています。
面白いですね。わたしはその理由を次のように考えております。
1.日本人はそもそも信仰心に欠ける民族である。キリスト教にかぎらず他の宗教も信仰せず、世界でもっとも信仰心のない民族だ。ただし、倫理観は世界一強く、犯罪も少なく、誠実で働き者。宗教の重要な使命である倫理観をもたせることを宗教に頼ることなく身に着けている凄い民族だ。アラブ人などあれだけ熱心にアッラーを叫んでいるのに盗みをする。もしイスラム教がなければカオスになってしまう。そのような民族には宗教は不可欠でしょう。
2.日本人は冷静だ。他の民族のように喜怒哀楽が激しくない。情緒の部分が発達はしていないことはないが、激しくない。つまり宗教のように不確かで不合理なものを真正面から信じることは少ない。
ご回答ありがとうございました。
No.5
- 回答日時:
当時の社会情勢を考える必要があります。
海洋貿易はオランダがトップで、英国は東アジア貿易から撤退しています。スペインは英国に敗北した結果、海洋貿易が衰退し、ポルトガルも同様です。つまり、当時のヨーロッパで日本と貿易可能な国はオランダしかありません。
一方、アジアは柵封体制が基本であり、ムガール(但し貿易は英国の東インド会社が牛耳った)と日本だけが別枠でした。
17世紀のアジアにおける貿易システムは、オランダ東インド会社、英国東インド会社、中国柵封体制、日本の4つしかないのです。英国は撤退しましたのでオランダ・中国・日本による貿易しか残っていません。これが崩れるのが18世紀末のオランダ東インド会社の破綻とオランダの衰退です。これによりヨーロッパの貿易がオランダ独占から英仏を中心とした貿易体制に移行します。続いて中国柵封体制がアヘン戦争が原因で崩壊します。更に新興国家・アメリカの登場と東方に進出したロシアの登場です。これにより19世紀中ごろに英仏米露が日本に通商を求めるのです。
鎖国とは自然の成り行きで生まれたシステムであり、鎖国の終焉も時代の流れに乗って消えたシステムです。メリットやデメリットで語れるものではありません。
No.6
- 回答日時:
社会情勢以外には疫病の拡散防止。
医療どころかオカルトで治療する時代にパンデミックは政権にとって致命傷です。
船の衛生面の悪さは折り紙つきですからね。
大航海時代に船の衛生面の怖いお話はよく聞くと思いますよ。
100年経ってない蟹工船でも船の衛生面の悪さは伝わるくらいです。
当時の船の衛生面の悪さはお分かりかと。
それは大きな問題です。黒死病など当時のヨーロッパの人口が三分の一になったそうですからそれが日本に入ってきたら戦国時代の死者の数など比べ物になりません。大きなメリットだと思います。ご回答ありがとうございました。
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