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パナウエーブ、何かと話題でよくテレビで見てますけど、
今回とは関係なく一般論として、家族が地球滅亡がどうこうでタマちゃーんとか叫び出したら、病院に連れて行きますよね。

ちょっとうまくいえない質問なんですけど、この境界はどこなんでしょうか。

また、精神病患者と決めるのは医者ですが、本人の意思や家族の了承がないと、入院とかはできないんでしょうか?

A 回答 (5件)

一人の人の頭の中だけで病的に妄想しているのと、一応宗教という形で複数の信者がおり、あることを信じその教えに従って行動し、より信仰心を高めようと宗教活動を行っているということには、かなり違いがあるように思います。



一人で勝手に妄想し、自分は教祖だとか言っても、誰もそれを認めず信じる人がいなかったら、宗教とは言えませんよね。
ちょっと頭のおかしな人としか見られないでしょう。

信じない人にとってはまったく意味のわからない荒唐無稽な教えであっても、その宗教に意義を見出せる何かがあると感じて信じている人がいるというのは、それなりの魅力といったら変ですが、引き付けるものがその宗教にあるのだろうと思います。
あるいはマインド・コントロールによって強制的に引き付けさせられたということもあるかもしれませんが。

私もうまく言えませんが、個人の内的な妄想による言動と、宗教という外的な、というのか、外から働きかけられた教えに従って行動する違いでしょうか。
妄想と妄想ではない信仰心の違いともいえると思います。

入院について。本人が自分が病気であるという認識が持てず、入院を拒むことが多いようです。
本人を入院させることが出来ず家族にとってはこれが大きな悩みになっています。
本人が自傷や他人を傷つける恐れがある場合に限って強制的に入院させる「措置入院」という制度がありますが、医者が来るととたんに大人しくなって入院を免れようとすることもあり、難しいこともあるようです。
措置入院について詳しくは参考URLを。

参考URL:http://member.nifty.ne.jp/windyfield/sochi.html
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 何らかの目的(信者を集めて金銭欲や支配欲を満足させる等)を以っておかしなことを吹聴して回るのは正気の人です。

ほとんどのカルトはこれかと思います。これに影響され、信者として集まる人たちは、前出の目的(主催者と同じ)を持った人と、なぜか本当に信じてしまう人に分かれるようです。これらは一種の狂人あるいは狂信者として精神病患者とは区別する必要があると思います。もし、これらを一括りに”精神病”と定義した場合、カルトによって起こされる凶悪犯罪は免責の対象になってしまう危険があります。

 前述した”狂人もしくは狂信者”についての私なりの定義は、独善的な理由により社会に対する不満や憎悪を宗教という名を借りて短絡的に吐き出している人たちで
す。これは明らかに精神病とは分離して考えなければいけないと思います。
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>普通は病院行きのような言動や行動も、宗教になるとそれが肯定されたり、見てみぬ振りされたりしますよね。



病院行きというのはかなり限られていると思います。まず本人に自覚がない場合第一に他人に危害を及ぼす恐れが認められるか、常軌を逸脱した異常な行動(自称傷・自殺・興奮状態)を周りによって阻止される場合です。薬物中毒における精神錯乱なんかを想像してもらうとわかりやすいかもしれません。
精神疾患による救急については以下をご覧ください。
http://www.miyamoto.gr.jp/~ikesita/qq_man.html
http://bme.ahs.kitasato-u.ac.jp/qrs/psy/psy00173 …

強制的な処置入院においては確か知事許可など所定の手続きが必要ですし、精神疾患であるというはっきりとした診断が必要であるかと思います。人権的な問題があることに注意して下さい。
診断基準に関しては本屋にICD-10(精神疾患における国際疾病分類)がありますので参考にされるとよいかと思います。(ICDは米国精神診断統計マニュアルであるDSMの影響があるのでこれはこれて問題ともされてますが…)
最近はあまりにトホホな事件や残虐的な事件が多いためよく精神鑑定が話題になりますが非常に問題点を多く含みます。

私のまわりでも冗談半分で変質者と変態は違うのか人格障害なのかと色々話しますが日本国憲法は宗教・思想の自由がありますし、他人に危害を与えなければ、誰も迷惑をうけたり不快にならなければ基本的にはなんでもOKなのではないかと思います。
しかし仏教にしてもキリスト教にしても理論整然としてますし、その上でキリスト教は奇跡を認めたりしています。これは神が実在でありその証明であるとされるからです。またキリスト教を信仰していない人からも「奇跡ってあるのかもしれない」と思えるようになっています。一般の人から見て理解できないものは教え=教義ではなく単なるオカルトではないかと思います。
それと日本の場合宗教団体は法人格を所有していたりするのですが中身は何かあってからフタを開けてみないとわからないケースが多いようです。そのため今回の白装束も色々と話題にされているんじゃないでしょうか。

人格障害
http://akatan.cool.ne.jp/jinkaku.htm
http://kamakura.cool.ne.jp/borderline1/amerika.h …
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> 宗教になるとそれが肯定されたり、見てみぬ振りされたりしますよね。



の言葉の通り「信仰心の有無」が境界線では?
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この境界、とは何と何の境界でしょうか。



一方は「地球滅亡がどうこうでタマちゃーんとか叫び出したら」と読み取れるんですが、もう一方が不明です。

この回答への補足

あーすみません。普通は病院行きのような言動や行動も、宗教になるとそれが肯定されたり、見てみぬ振りされたりしますよね。

そこらへんの境は、何処にあるのかということです。

補足日時:2003/05/07 13:43
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