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自分は幼いころから家で、"どうしてお前はそんな考え方なんだ?だからダメなんだ!!だから頭が悪いんだ!!"と、成績の話から、買い物でたった一つの買い間違えをしただけで、いちいち自分の考え方を全否定されながら育ってきました。
まぁ、その甲斐があってか外、というか社会的には認められようと神経磨り潰しながら結構必死に生きてきました。
必死というのは、今私は大学生なんですが、デールカーネギーやその類書を読んで良い人間関係を勉強したり、人一倍気が利くよう努力したり、些細な相手の変化に気付いたり、都内の治安の悪いパチンコ屋で、客に殴られながら接客したりと、自慢にもならないけど一応"誰に対しても通じる"ものを目指してがんばってきました。過去形ですけど、いまだに上は目指してます。

ただ二十歳を目前にして、どうしても自分には愛情が欠如していると感じるようになりました。
どんなに外ではうまくできても、自分という人間があまりにも欠けている感じがするんです。
正直、大学の沸点の低いお子様みたいなやつらが、普通に家族とは円満にやっていってるみたいな話を聞いてると、とてもつらくなります。私なんて、家族となんか外も歩きたくないです。

しかも、ある程度心理学をかじった方なら分かると思いますが、一概には言い切れませんが、重度の愛情欠落人間はそれだけで、ストーカーになる要素を抱えてしまっています。自分は小学生のころにはそういった気が出てしまっていました。でも、そんな風に人を嫌がらせるのは、相手にも辛いですし、何よりもそんなふうに相手を傷つけてしまう自分が嫌なので、いまだに恋愛もできません。

愛情が欠落しているからといって、別に甘やかされたいわけじゃありません。世の中はそんなものじゃないってことぐらい分かってます。でも、幼いころされなかった、無条件に認められるということを今になって望んでいる自分がいます。
社会的には、認められるようになってきました。でも、この欠如感がたまらなく辛いです。

高校の時には本当に壊れかけて、友達に本当に怖い思いをさせてしまったこともありました。その時は、性質の悪い冗談でギリギリ流されましたが、正直その友達には謝っても謝りきれない思いでいっぱいです。

"世の中にはには自分より辛い思いをしている人がたくさんいるよ。"そんなことは知ってます。多分、同年代で比べると、たくさんの人と話す機会があったので、そんな安い言葉を使うのは自分の中で禁止しています。

自分は、将来、自分が否定されて育ったということもあり、人をできるだけ肯定しながら生きていこうと思っています。人の役にたっていきたいと本気で思っています。でも、この欠如はあまりにも重いです。
女性と少し深く話せるようになるたびに、いわゆる"がっつく"ような感じになっていますし、日常会話の中、ふとした弾みで感情が溢れそうになったりと、非常に不安定です。

この欠如はどうすれば補えるでしょうか?正直に言って、邪魔でしょうがないです。できるなら、過去にこうやって補ったなどの意見が聞きたいです。

うちの母親は、高校生時代に親(私にとっての祖母)と衝突して、当時の部活を嫌々やめた思い出を引きずっているような、本当に幼い母親です。自分が高校時代辛い思いをしたから、自由に生きてほしいと言いながらも、結局必要以上に束縛し、自分という意識が芽生えた頃から、片っ端から私のあらゆる考え方を否定してきました。

"幼い頃のコミュニケーションは繰り返す"、"30過ぎるとたまったストレスが出る"という話を聞いたことがあります。正直言って自分の未来が非常に不安です。一方的に誰かを否定するんなて情けないマネ、絶対にしたくありません!
でも、将来的にそうなる可能性は絶対にあります。
完全に補うことは無理と分かっています。でも、なにかしらはあるんじゃないかと必死に模索しています。
なにか、意見を聞かせていただけるとありがたいですm(_ _)m

長文失礼しましたm(_ _)m

A 回答 (7件)

こんにちは。



あなたが頭が悪いはずはありません。

あなたの文章を読むと言葉の使いまわしや文章、
誤字脱字の少なさ、色々と深く考えている水準以上の
高い知性が伺えます。

精神的な虐待を受け続けて、エネルギーの大部分は
心の自衛に使われてしまったでしょう。

ささいな失敗も恐れる脆い精神構造で、社会生活上では
後ろ向きでオドオドした性格になったり、仮面を被って
人と距離を置いたり、或いはピエロになって演技したり。
人間付き合いに疲弊することが多かったと思います。

それらの接し方はどれも上手く行かなかったでしょう。
現実のコミュニケーションから会得した知識や経験則では
なくて、ご自分で考えすぎて意識過剰になり、言動が周囲と
噛み合わなくなる。
これでは本来の頭の良さは封印されてしまいます。

又、青年期は高過ぎる自尊心と社会的地位の低さの
ギャップに悩みます。
正論が全く通じない滅茶苦茶な世の中(少なくとも
そう見える)に対しても、とても渡っていく自信がない、と
暗澹たる不安を抱えて拒絶反応を起こしたり。
これまた苦労の連続です。

それでもあなたの分析は自分に対しても他人に対しても
(更に言えば、中々冷静にみるのが難しいお母さんに
ついても)比較的、気負いや偏りの少ない安定した見方を
されているようにも思います。

ただ、頭が良ければ慢性的な屈辱感を消化できるかと
言えば、寧ろ心が複雑に出来ている分、ストレスを
蓄積してしまうでしょう。 思考回路が複雑な迷路状に
なってしまっているから。

周囲は、恐らくあなたが自分で思うほど否定的には
見ていないはずですが、(大して関心がないから)
多少の軽蔑を持って見るため、損な役廻りも多く
なるでしょう。

あちこちガタが来ているあなたの精神構造は、
材料自体は良いものなのに現場監督が手抜きを
しまくったために、強度的に脆弱になっているのでは
ないでしょうか。

現場監督(親御さん)も工事管理の知識もろくに持って
いなかったのでしょう。

個人的な見解ですけれど、本来のあなたはどちらかと言うと
我の強い性格で、前向き、或いは攻撃的な姿勢を持つ
アクティブなタイプに思えます。

お母さんも、子供のあなたを生意気、とか小賢しいとか
「馬鹿にされた」と思ったために、あなたのアラや失敗を
ここぞと叱って押さえ込もうとしたのではないでしょうか。

「頭が良いと自負している嫌な子の鼻っ柱を折る」ために
「お前は頭が悪い、馬鹿だ」と罵ったりしたのだと思えます。
つまり、お母さんはあなたが子供の頃既に、あなたに
馬鹿にされたと感じるほど未熟な方だったということかも
知れません。 母親として自分の未熟さで我が子に辛く
当たれば、当然罪悪感もあったはずですが、独りなら
反省してもあなたの顔を見れば罪悪感で苛まれるのは
あなたが悪いせいだ、と問題のすり替えをしているうちに
それが習い性になってしまったのかもしれません。

(勝手な解釈だと思ってお赦しを。 全て単なる推測です)

反面、母親から十分に愛情を受けられなかったが故に
ご自身で言われているように「愛情が欠如」していることが
様々な機能不全の原因になっていることも確かでしょう。

人間も動物も幼い頃に「愛情」という栄養素をたっぷり
与えてもらえない場合、これに代替できるものを必死で
探すようになるようです。

親のネグレクトの場合なら自分が愛される妄想癖を
持ったりしますが、子を人格否定しながら育てた場合は、
「人格否定」という攻撃感情を愛情がはまる部分に
組み込んでしまうのです。 何と言うか、人と深く関わると
いうことは、その人の悪や欠点を暴き、是正してやること
だ、というような攻撃的な関わり方を、です。

他者を否定することが愛情の代わりに機能する錯そうした
心の回路が出来てしまっている、とは考えられませんか?
無論、自分で制御できない深い心の核の部分に、です。

人間が、他者との関係性として幼少期に与えられた
感情でしか他人と関われなくなるなら、そのトラウマは
思考や現在の行動様式の延長線上には解決する解が
ないことになります。

だが、現実の世界には凄いトラウマを背負いながら
苦労を重ねて愛し愛される人生を手に入れた人も沢山
います。

私は、それについて一つの仮説を持っています。

トラウマで他人との関係が上手く行かないキズだらけの
時期に、あるプロセスを経ると自分を大切に出来るように
心が変化する。 そして、その反動からか普通より遥かに
急激に他人を大切に出来る熱エネルギーのようなものが
心に宿る。

そのプロセスとは、「闘う」というキーワードで表される
一連の武闘・格闘による他者との関わり方です。

普通の人間社会では、暴力的に自分の優位を証明しようと
する行いは悪として排除されます。 
相手の話を否定し自分の考えを押し付けようとすること、
自分が相手より優れた人間だと理解させようとすること、
それらは闘う競技の中に限っては、当然の原理とされます。

肉体を凶器にすることで「言語による論理思考」に
依存しなくなって行きます。
その代わりに、一瞬の閃きや、感情、自制、戦略、
反射神経など言葉によらない高速思考の連続になります。

当然最初は試合なんて出来ません。
でも、例えばボクシングの基礎練習だけでも肉体は
別人のように鍛えられていきます。 勿論、練習は辛くて
厳しいものですが、あなたの深い悩みを改造しようとすれば
そのくらいのリストラクチャリングが必要になりそうです。

やがてスパーリングや実際の試合まで(勿論、アマチュアで)
辿り着けば、勝てるにせよ負けるにせよ自分について
他人について、今とは全く異なる視点や力量が付くだろうと
思うのです。

何度も殴り合いをするうちに、客観的に自分がナンボのもんか
よく理解できるようになるからです。

そして、思考の試行錯誤をせず、ただひたすら一心不乱に
修練を積むことで自分が別人になっていくことを実感する
からです。 人は自分が強くなる手応えには抗えません。

子供の頃いじめられっこだった人が大人になって格闘技の
選手になっていたり喧嘩が強くなっていたりするのは、
決してたまたま、ではありません。

ただ、もう一つ付け加えるならば、長い時間、ほんの数十年
経過すれば人間の精神は自然に変化していく、ということです。
今のまま苦労していったとしても、弱くとも誠実であろうと
し続ければ、40,50と歳を重ねるにつれて悩み苦しんだ人間
独特の熟成や年輪が備わってくるものです。

急激に自分を変えようとするのも、変えられまいとして辛い現実に
向き合い続けて歳を取るのも、おのれの意思、です。
仕方がないから、どうしようもないから、と流されて生きるのと
歯を食いしばって自分の足でとぼとぼ生きるのとでは、
歳を取ってからの顔つきがまるで変わってしまうんですよ。

自分を見失わずに生きる、というのはそういうことかも
知れません。

それと、最後に恋愛や結婚ですが・・・

これはもう経験に尽きます。

ただ、仰るように女と見ればがっついてしまうでしょう。
場数を踏むのは大変な労力・・・・
すげなくつれなく無視されて見下げられることもあれば
自分の美学に反する行為をしなければならずげんなり
することもあるでしょう。 要は、かっこつけている限り
経験値は上がらない、ということを肝に銘じることです。

バイト代を貯めて風俗に通ったり、怪しげな出会い系で
危ない経験を重ねる人は少なくありませんが、経験、と
いう点で言えば彼らには中々敵いません。

もし今、親御さんと同居なさっておられるなら、独り暮らしを
することをお勧めします。

てろてろ長文、お許し下さい。
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「人格を作るのは幼少のころの育ち方による」というのは定説で、


それには親の影響がほとんどだとは思います。
しかし、もう過ぎたこと。
私は「これから自分がどうすればいいか」を考えるようにしています。
それに親を恨んでもそれこそ何の得にもならないし。

質問者さまは下記のようにかなり冷静に自分を見られています。

>自分は、将来、自分が否定されて育ったということもあり、人をできるだけ肯定しながら生きていこうと思っています。人の役にたっていきたいと本気で思っています。でも、この欠如はあまりにも重いです。
女性と少し深く話せるようになるたびに、いわゆる"がっつく"ような感じになっていますし、日常会話の中、ふとした弾みで感情が溢れそうになったりと、非常に不安定です。


以上のように、これが分かっていればあとは続けて実行するだけだと思います。
不安定ながら、しかし継続して上のことをやっていけば、愛情が生まれる。
とそう信じてやるしかない。
「愛情」という能力があなたの欠けている部分にパッと補われる、
そういうことは無いと思ったほうがいいです。

これは、これからあなたが育てていくんです。

辛いときもあると思います。
相手を、そして自分を傷つけるときもあると思います。
人間は慣れる(=忘れる)生き物です。
試行錯誤しながら続けていればだんだん慣れていくと思いますよ。
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過去は変えられない。


終わったことです。
過去の経験は、貴方の人間形成に必要だったかもしれませんが、これからは、あなた自身が、貴方の人生を作る番です。
これからは、貴方の考え方やこれからの環境で貴方の人生が作られます。
過去の経験は、これからの人生のバネの役目と思ってください。
辛い過去なら、大きくジャンプする可能性のあるバネになります。
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あなたと同じような経験があり、同じような悩みを抱いたことがあります。



どうすれば楽になれるか?
どうすれば自分を変える事ができるか?

悩みました。でも結局、痛ましい思い出を消せないのと同じで、その悩みと上手く共有して生きるしかないのです。

私が導き出した結論は
『妄想や過去の思い出に縛られることはない。とりあえず今を楽しもう。まだ起きてもいない、変なことを考えたってしゃーない。自分の中の良くない妄想が起こることは所詮、万が一程度だ』
です。

この考え方ができるようになってかなり楽になりました。

あなた様も自分を臆することなく生きて見てはどうでしょう。
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どうも、おつかれさまです。



>なにか、意見を聞かせて・・・

とのことなので、あまり回答にはなっていませんが少し。。
質問拝見しまして、「私の知合いの子供さんか?」と思ってしまいました。
その子供さんも、そういう家庭で育てられて、一度高校生時代に家出されたことがあるらしいです。
それも、やはり母親に問題アリで・・・
私に対しても、最終的には出ましたね「人格否定」が。。
ホント、「なんでそんなこと言われなくちゃならないの?」と思いました。
悲しいですよね、否定しなければ自分を維持できない人間って。。
(否定されたことで、私も少しその辺り勉強しました)

>正直言って自分の未来が非常に不安です。一方的に誰かを否定するんなて情けないマネ、絶対にしたくありません!
>でも、将来的にそうなる可能性は絶対にあります。

そうかもしれません、知らず知らずそうなる可能性はあると思います。
でも、あなたはもう大学生時分でそれを意識してらっしゃいます。
なのでそうはならないと思いますよ。
要は、「意識している/していない」の差だけだと思うのです。
確かに失敗もありますし、そういったご家庭で育てられたので、どうにもならない感情はうまれてくると思います。
でも、それを意識していれば制御できると思います。

>この欠如感がたまらなく辛いです。この欠如はどうすれば補えるでしょうか?

うーん、かっこつけたような言葉になってしまいますが・・・
・まずはあなたが人を愛して、(肯定し)受け入れること。
ではないでしょうかね。
人の関係って、鏡ですから。。
一方的に「欠如を埋めて」と要求しても、絶対に無理な話です。
あなたが相手を受け入れれば、相手もあなたを受け入れてくれる可能性があります。
(絶対にとは、人間関係ですからいえません。あなたが受け入れても、相手は拒否するかもです)
でも、はなから可能性が無いよりはマシです。。というか、人間関係ってそんなもんだと思います。

また、受け入れよう受け入れようと力むのも、相手からすると何だか不自然に重たく感じられます。
あまり「なにかしらはあるんじゃないかと必死に模索しています。」は、されない方がよいと思いますよ。
「溺れる者は藁をも掴む」。。藁もろとも水没です。
小さなきっかけ(藁)に必死にしがみついてると、周りに藁はなくなります。
自然体で行くしかないですよね。
既に、意識はされているので十分。きっと受け入れてくれる人は現われると思いますよ。
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ご自分の中の悪い面にスポットを当てて、自分を追い詰めているような気がします。


人間には感情がある分、意地を張ったりして気まずくなることもあります。理屈どおりにはなかなかいかないものです。
私には質問者さんが限界近くまで引っ張ったゴムのような気がしてなりません。必要以上に考えすぎないことです。
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>なにか、意見を聞かせていただけるとありがたいです


何かでよければ、
質問文は自分はもう結構色んなこと知っているからね、と言う感じをうけました。
じゃどうしろとろと言うのもあまり出てきません。
なんで回答者がそんなしらけた気分になるでしょう。
質問者さんは周囲をしらけさせる事はありませんか。
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