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ピークハンター、いわゆる「登ればOK次の山」な人々、
特に百名山ハンターって、大学の登山部出身の方々から
おもいっきり馬鹿にされてるように感じるのですが・・・
対語としてアルピニズムって言葉もよく聞きます。
どちらが上と言うものでもないように思うのですが、
登山家は、なぜピークハンターを蔑むのでしょうか?

A 回答 (5件)

 登山歴30年で、大学山岳部出身です。


 "アルピニズム"って今はもう死語でしょ?私の現役時代が山岳部員や雑誌の誌面にその言葉が出てきた最後の時代だと思うのですが。
 現役時代はその言葉は嫌いでしたが、いくらなんでも百名山ハンターと比肩される言葉というところまで落とされるとちょっと心外です。

 このところの登山ブームを百名山ハンターが牽引していたのは紛れもない事実でしょうし、そのおかげでウエアや道具の改善が進み、しかもうんと安くなったのは喜ばしいことだと喜んでいます。

 でも、まあ・・・正直に言うと相当"バカにして"いるかな?

 理由のひとつめは、深田久弥の「日本百名山」は純然たる"文学作品"なんですよ。私もおおげさや比喩ではなく、本当に"擦り切れるまで"読みましたから。擦り切れたので結局3冊買いました。
 その文学作品を単なる「カタログ」にしてしまったのは彼ら百名山ハンターでしょうね。

 もうひとつは、彼らが"自分が登る山を自分で決めることができない"からです。カタログ見ないと自分が登りたい山すら決まらないわけでしょ。

 さらにもうひとつは、そもそも「数を誇る」こと自体が浅ましく感じます。「百名山を完登した」と自慢している人と、「百人斬りした」と自慢している人は、本質的に同じでしょう。しかもその"百人"を自分でナンパしたのならまだしも、全員カタログに載っているわけですから。
 つまり百名山完登は「風俗雑誌に乗っている娘に全て入った」と自慢しているのと変わりません。金とヒマさえあれば誰にでも達成可能なところも同じですし。

 ま、登山という世界に百名山から入るのは判りやすい入り口ではあるのですが、そこから"自分の登山"を模索してくれれば良いのですけどね。

 静かで良い山で好きだったのに百名山ブームのおかげで無惨な姿になってしまった山もたくさんありますが、百名山の隣にありながら百名山から外れたおかげで今でも昔の静けさを保ってくれている"好きな山"もたくさんあります。むしろ「百名山の近くにありながら百名山から外れた山」は、昔より静かになっている気がします。
 まあ、その点は感謝してますけどね。隣の山にひしめき合っているくせにこちらには誰も来ないのはバカな連中だとは思いますが、その人達のおかげで"一部の犠牲"で済んでいるわけですから。

 という感情を"バカにしている"と言えば言えるかもしれません。
 でも、正直なところ、同じ土俵に上がってきていない人達に対して"バカにする"という気持ちもあまり持ってないのですけどね。あまり意識してない、ということです。
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この回答へのお礼

分りやすい例を挙げていただきましてありがとうございます。

土俵が違うのですね。よくわかりました。

お礼日時:2009/11/03 07:05

山登りしている人は、山が好きで登っています。



対して、ピークハンターは、山が好きと言うか、
何山登ったかと言う、数のみが目的です。

おのずと、価値観の相違が生じます。

百名山は、他人が決めた物。
それの、実践は、短絡的な気がして、浅はかな気がするのでは。

平ケ岳のように、ズルして楽なコースでも、登ったことになるし。

私も、昔はピークハンターもどきでした。
最近は、山を楽しむようになりました。

山菜取り、岩魚釣り、植物ウォッチング、写真撮影等、
ピークハントでなくても、充分楽しいです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。でも世の中の大半の人は
客観的な目標を決め、それを達成していくことに
喜びを見出すのですから、おっしゃるような山を
楽しむと言うことはできないと思います。

お礼日時:2009/11/07 07:34

「百名山ハンター」って「ピークハンター」とはまた別種だと思います。


知り合いにも、夏道のない山のピークばかりを目指すひとがいますし、「北海道の1000m峰(夏道のない山も含む)完全制覇」なんてのも価値があることだと思います。

蔑みの対象となる人は、とにかく山頂に立つことのみを目的として、その過程やその他がどうであろうと意に介さないとか、そういった感じの山登りをしているからではないでしょうか。
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この回答へのお礼

そうした山頂に立つことのみを目的とした登山も
登山のひとつではないかと思いますが、山を荒らす
のであれば問題ですね。

昔、競技スキーヤーが基礎スキーヤーを馬鹿にして、
基礎スキーヤーはスノーボーダーを馬鹿にしていた
時代がありましたが、そんなもんかもしれませんね。

お礼日時:2009/11/03 07:11

百名山ハンターについては、明白なエピゴーネン(意味はご自分で調べてください)だからでしょう。



結局はエピゴーネンに対する軽蔑なんだと思います。百名山すべて登ったとしても、それは深田久弥のマネでしか無く、山に登ることを文学に昇華した深田久弥の域にはほど遠いものです。
山が好きなら、登りまくって自分の百名山を選び、深田久弥にいちゃもんを付けるくらいになれば、誰も軽蔑しません。

趣味の世界では、エピゴーネンはどこに行っても嫌われ者です。それは、価値観が成熟していない精神的な未熟者だからです。

もう一つ、某山小屋で荒天時に同宿になった方ですが、登頂だけに盲目になっていて、同宿者からの天候などのアドバイスを全く受け付けない方がおられました。こういうのも、なんだかなー
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この回答へのお礼

オリジナリティは大事ですね、ありがとうございました。

お礼日時:2009/11/03 07:06

>登山家は、なぜピークハンターを蔑むのでしょうか?



ピークを目的に登る登山者は多いので、
登山家=ピークハンターを蔑むというわけでは
ないと思うのですが、

『こよなく山の自然を愛した深田久弥は『日本百名山』でも、
本書のなかでも「山に対する敬愛の心」が随所ににじみでています。
「山のような人間にならなければならない」とは深田久弥が好んで使った
言葉です。独得の自然観、山の俗化を心から憂え、開発を極度に嫌った深田久弥。
しかし、日本百名山の人気の高揚はまことに喜ばしいことですが、
その反面、深田久弥の本源の精神に対しては、二律背反の矛盾をはらんでいます。

 ともすれば山の頂のみを追うあまり、数の亡者になり果てた浮薄なる
登山者の輩出、他の山々を省りみない貧困なる精神の持主、また登山者
が特定の山に集中することによる自然破壊につながり兼ねないという
批判も起っています。』
http://www13.plala.or.jp/fktcb/fkenshusi.htm

だいたいこんなところなのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。百名山には問題も多いのですね。

お礼日時:2009/11/03 07:03

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