No.25
- 回答日時:
たとえ生死の分水嶺を歩むとも
虚無とは違う
しばらく自然の中で暮らしてみるんだな
自然を育み
自然と格闘して
自然に育まれる
あんにゃさま~~
たのんまっせ
´
No.24
- 回答日時:
>老いて死んでいく人間に宿命と学び があるように
>「地球さん」が 滅んで死んでいくなら それも それも宿命
>自分が老いて死んでいくのを認めているのに
>地球が 滅んでいくのを認めないって 一体...
>「将来」とか「国家」とか「地球」とか は個人が考えることではない
君んとこの神棚には
虚無の神様
滅びの神が祀ってあるのか?
> 先祖や親の墓を継がなくてよいから 自分が最初となる 自分を初めとする世界の 始原の 創造者
欲張って 我先にと 生まれてきたものは 後塵を拝することとなる か...
後のものは先となる 先のものは後となる
なにわけの分かんないこと言ってんの
粗い上に
壊れたのか?
No.23
- 回答日時:
先祖や親の墓を継がなくてよいから 自分が最初となる 自分を初めとする世界の 始原の 創造者
欲張って 我先にと 生まれてきたものは 後塵を拝することとなる か...
後のものは先となる 先のものは後となる
No.21
- 回答日時:
[うらなり] 顔色が悪く、元気がなくて弱々しい感じがする人のことである。
[もしかあんにゃ]. 次男坊のこと。
ということのようですが...
しかし 先祖が 「墓の中」で泣いてる って どういう発想なんだか
そんな風に考えていると自らの意思で土中にもぐって 泣くようになる ような気が...
恥も知らずに noname さんは なぜこうやって つきまとって来るんだろうか
たいしたことない 存在なのに。。。
No.20
- 回答日時:
#1です。
>「墓や先祖を大事にする」ことの絶対性の検討は、私にとって、「親を大事にする」ことの絶対性の検討には当たらない
なるほど、興味ある仮説を立てられたのですね。私がその仮説を立証したいなら、いきなり
>「墓や先祖を大事にすること」をしない文化や宗教は存在するでしょうか
と聞き出す前に、
墓や祖先と言う概念を、家族の所有とせず、他人に任せることが当たり前な文化や宗教は存在するでしょうか
と問い掛けますね。私は調べたわけでは在りませんが、先ず、定義として祖先は、それに血のつながった者や養子縁組で親子であることを宣言した者に対してのみに意味の在る概念ですし、それに関わった墓も、特殊な例外的事情がない限り、そのような者が管理する物と考えます。ですから、家族を祖先や墓と切り離すのは、余程の論理的な混乱状態だと思います。
回答者様の中に、墓の存在しない文化としてブータンを紹介された方がいますが、そのことは私には大変に参考になりました。しかし、彼らにも祖先という概念は存在すると思います。その場合には、言葉の定義からして祖先を家族と切り離す論理は有り得ないと考えます。
度重なるご回答ありがとうございます。
すみません、ご指摘をいただきましたが、「墓や祖先と言う概念を、家族の所有とせず、他人に任せること」という意味がよくわかりませんでした。
親も祖先の一部であるということはもちろん理屈として理解できます。ただ、自分が知っている人としての親や親族と、知らないけれどいたであろう祖先をどうリンクするかは、もしかすると文化的違いがあるのかな、と思いました。もちろん、そう疑問に思っただけです。
墓については、ブータンのお話から、墓のない文化があるのだとわかりました。祖先についても、ブータンの場合輪廻を当然として考えるため、「私もかつて祖先だった」わけですから、祖先に対して特別な感情をもつということがなりたたないというのがなんとなくわかる気がするんです。今生きているみんなと一緒に太古から生きてきたよね、という感じだと思います。ですから、「知っている家族」「知らない祖先」が分離することはありえるのではないか、と思えました。
どうもありがとうございました。
No.19
- 回答日時:
親兄弟せいぜい親戚なら生前の記憶もあるし、
後にも先にも自分の人生に関わっている故人なので敬い想う気持ちは当然なのだが、
今年の夏も俺は墓参りに行ったけれど、
無縁仏として捨てられた荒れ放題の墓の多いこと多いこと。
ましてや見たことも会ったこともない「先祖」というくくりになると、
氏族社会が表面上消滅した近代以後のわが国ではどうなんだろうかね。
いまある自分は先祖からの脈々と続く時間軸の末端に在ると理屈では分かっていても、
なかなか実感として湧かない時代に生きているのかもね。
先祖をないがしろにするということは結局、
自分をないがしろにすることと同じだと思うのだけどね。
自分の首を自分で絞める文化や宗教がはたして生き残っていくだろうかしら。
うろ覚えで、かといって今から史料を引っ張って来るのもおっくうなのだ。
京都は宇治に藤原氏一族の埋葬地がある。
藤原氏といえば「世界はすべて俺のものガハハ」と詠んだ道長を輩出した一族ですが、
ところが彼の埋葬場所がどうしても見つからない。
道長の死後数年経って道長の息子が埋葬場所を探したけど、
どこに埋めたかどうしても分からなかった。
手前の親父をどこに埋めたか分からないとは傍若無人もそこまで極まれりかと思いきや、
平安貴族の遺体埋葬は基本投棄。
そう、#8のブータンと同じ風葬や鳥葬などの死者に優しいエコ方式。
古代社会では多くの場合むしろ墓を建てる文化のほうが珍しかったのではないだろうか?
もちろん平安時代にも火葬が行われた記録はあるし、
貴族といっても皇族なんかは事情が違ったかもしれないけど、
葬送的なことをこなせばあとは山にポイ。
平安貴族のドンの最後がカラスや野良犬の餌とは、なんか人生考えちゃうよね。あは。
おっと、だからといって誤解しないでほしいのです。
んじゃ、やっぱ平安貴族は墓も建てず先祖もないがしろにするのか。
ところがどっこい道長の墓はちゃんと建てられたらしいんですわ。
埋葬地とは別の通いやすい場所に法事用に寺を建立し位牌を納めた。
いわゆる「見せ墓」というやつです。(このあたり記憶が薄く、まったく自信なし)
ぬかりはないわけですね。
仏教が大陸から日本に伝来したのが、ええと奈良時代?
帰化人とかそれ系の蘇我氏の権勢をバックに浸透していった。
京都には寺とか仏像とかお墓がバンバン造られたことだろう。
その辺、神仏習合とは言わないけれど、
うまく日本人の宗教の扱い方はお見事ですね。
(関係ないけど、今年は空前の仏教ブームでしたね。
いやあ行きましたよ。並びましたよ「国宝阿修羅展」。
もうね、なんかほんと自分ってちっちぇーなあって思い知らされましたよ。
あかんですよ女の子のお尻ばっかり追っかけてちゃ)
閑話休題。
多くの場合、風葬や鳥葬は死者の魂を自然や天に帰すという思想に基づくのに対し、
古代日本のそれは本当の意味での投棄に近いのかもしれない。
少なくとも「こっち」ではない「あっち」の世界に葬り去るもの。
(そういえばやはり京都に「あだし野」という埋葬場があった)
紀記からも分かるように日本古来の宗教観には、
死や死者は穢いもの、触れてはいけないものという観念があって、
ひいては穢い死者はこの世に災厄をもたらすと考えられてきた。
だからこそ死者の霊は畏怖されかしこみ奉られるのでしょう。
「近寄り難い」は恐怖でも畏怖でもあるわけですねえ。
ご回答ありがとうございました。
具体的でわかりやすいお話でした。
風葬鳥葬でも墓は作る、というスタイルもあるんですね。
日本でかつて、死体は山に捨てていた、というお話は興味深いです。
死体は穢れである、そういう話(世界観)は田舎のばあちゃんなどから聞いたことがあります。死体は触れてはならぬと。(腐敗して菌がわいているのを触って病気になる事例から、霊の仕業と考えたのが起こり、とかでしょうか?)
輪廻するという発想より、残酷にも「どっかいけ」だったし、先祖の供養は感謝というより、「おねがいだからなにもしないでね」だったわけですね。
たしかに、死者のたたりをおそれる、という発想は日本的であるけれど、欧米にはなさそうです。他の国はどうか、気になります。
どうもありがとうございました。
No.18
- 回答日時:
誤:偉大な両親でしたからね
正:偉大な両親ですからね(現在形)
>墓や先祖って世界共通のもの?
うーん どうだろう
もし 生きている人間も創造者であるとすれば
大勢の先祖を意識していることで 結果として 多様性のある世界と 実際的な人口の増加にも つながっているのかも...
そう考えると、洗練された 世界がもし他にあるなら 墓は無いか あるいは あっても 神棚 程度のものか
私も、原始時代から変化するそのずっと先にある「洗練された世界」はどんなだろうと思います。
文化は人間の精神的構造にあわせてつくられたというより、文化がその人たちの精神的構造をつくったというような部分もあります。ある文化に生きていると別の文化は受け入れにくいけれど、もし別の文化の下に生まれていれば、ふつうに受け入れているわけです。どの文化になるかは、大昔の人たちの選択(選択理由)と、選択結果の淘汰であろうとおもいます。
原始時代、家族が死んだ、となると、死体をなんとかしようと思うと思います。
で、埋めるか、動物に食わせるか、川に流すか、など(試行錯誤を含めて)をすることになるでしょう。
この、埋める、ということを選択した文化から現在のお墓の習慣が生まれたのかな、という気がしました。
逆に、動物に食わせる、川に流す、つまり死体を残さない墓を持たないというあり方の先に、何か可能性が隠されている気もしました。(先に紹介されました「チベット仏教」の世界観は、この習慣を正当化するのに不可欠であるともいえますから、習慣から世界観が生まれたような気もします。現代もまた、習慣が世界観を作る、何かが起きる気もします)
現在の火葬は、ほぼ死体を残さないので、「海や野に灰をまく」みたいなことが簡単にできますが、その意味で死体を残さない文化は今後なんらかの地位を築くのかな、とも思いました。
キリスト教の土葬という習慣をする人は、急速に減少していっているという解説を先ほど読みました。人が死んだときにどのような方法をとるか。現代もまた変化の途上なのだと思いました。
家系という概念への価値付けは、自然に生まれたものですが、それが近代的な家庭のスタイルが広まるにつれて、変化するでしょうか。それはその人たちが「親を大事にする」気持ちの変化に原因があるというより、都市化に伴うコミュニティスタイルの変化によって、自然と起きる事だと思います。誰でもそういう時代そういう場所にすめばそう感じるのが自然、ということだろうと思います。
私は田舎暮らしですし、別に不自由さを感じていないのですが、今後自然に変化していくであろう「洗練された世界」への仮想は興味深いと思いました。
ご回答から勝手にふと思ったことをつらつらと書いてみました。すみません。
どうもありがとうございました。
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