自分のセンスや笑いの好みに影響を受けた作品を教えて

「墓や先祖を大事にすることは、世界的に見ても、文化、宗教を問わず、共通することである」
という意見がありました。
これは本当でしょうか。
つまり言い換えると、「墓や先祖を大事にすること」をしない文化や宗教は存在するでしょうか。

よろしくお願いいたします。

A 回答 (34件中31~34件)

20億人以上が信仰しているキリスト教では、祖先を大事にしてはいけないという法律があります。



日本にキリスト教が来た時、祖先供養も意味する神社仏閣は破壊されました。
日本人が祖先供養をすることを否定し、自分達の神のみ崇拝しろ と強要しました。
その強要のために、神社・仏閣を破壊し、日本の魂を破壊しつくとうとしたわけです。


キリスト教は最終審判を信じています。
神様がやってきて、死んだ人も生き返らせ、最後の審判をして、気に入った人は天国に、気に入らない祖先を大事にする奴は地獄に永遠に落として苛めて楽しむ ということを、全くもって信じているそうなんです。


ですので、キリスト教の多くは土葬をします。
火葬してしまうと、最後の審判の時が来たときに復活できなくなると信じているから。


で、最後の審判の元ネタは今から5千年以上前に既にあった神話が元ネタです。
自らをも創造した初源の永遠の処女のティアマートと、その最高地位ほしさにクーデターを起こした軍とに神々が分かれて、大戦争を繰り広げたという神話がある。


最終的に反乱軍がティアマートを倒した。
全てを司っていたティアマートを倒したことで、世の中の運行を反乱軍がしなければならなくなり、忙しくなり、身の回りの世話をする下僕が欲しいとなり、ティアマートが選んで石版を渡したキングーを殺して、ティアマートの肉体とキングーの血を混ぜて作ったのが人間。
アダマ(血の土) つまりアダム。


というわけで、5千年以上も前に神話で、過去に起ったとされた、ティアマート軍と反乱軍の大戦争を、過去ではなく未来に起ると、反乱軍によって自分達は創造されたと信じる信者たちは信じているわけです。


過去の人間が作り出した神話を、過去じゃなくて未来に実際に起ると信じている人が20億人もいて、最後の審判の時に天国にいけるように、祖先を大事になんてするもんか って人たちが20億にもいるわけです。

どうしてかというと、自分達は神様によって作られたと信じており、祖先は関係ないと信じているから。

突如神様が大人の男と女を作り出したと信じているから。
最高地位が欲しいと、初源の神殺しをした神によって人間は作られたということ神話を知らない人たちは、都合にいい部分だけを信じて、祖先を敬うなんてことはしません。

従って日本のキリスト教信者は正月を祝いません。
祖先供養をする神社や仏閣には足を向けません。
宗教上 神のみ大事にして家族は粗末に扱ってもいいってなっているから。

イエスは母親に「おいおい テメーと俺と何の関係があるんってんだよ」と言ったとあります。

一部神話は知っているようで、神話上では、人間はティアマートによって作られたのではなく、ティアマート殺しをした極悪なマルヅゥックによって下僕とて遣えるように作られたと、ちょっとはその内容を知っている作者がそうイエスに言わせる物語を書いたのかも。


というわけで、墓や祖先を大事にしないことを旨とする宗教は存在し、祖先や墓を粗末にする人は少なくとも20億人は地球上にいるってことです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
キリスト教はいろいろな教えや伝承があるのだなあと感じていました。
このお話を伺って、またそういったこともあるのかと驚きました。
伝承される中で元の教えの根幹すら変わってしまうということもあるでしょうから、一様に同じと言えるか、20億人全員がそうだといえるのか、という疑問はあります。しかし大変興味深いお話を伺いました。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2009/11/28 22:28

こんにちは。



墓や先祖を大切にしたくなる心理はなぜ起こるか? から始めていいですか?
それは、「時間」にたいする依存心があるからです。依存というと失礼ですが、「悠久の時の流れを本質と感じる」そういう人間の性格、タイプがあります。
始まることも終わることもない無限と感じさせる時間は、この宇宙の基本的な要素の一つでもあります。そういう普遍性のあるものは、人間のよりどころになります。



そのタイプにとっては、時の流れ、それが具体的に身近な人に置き換えられたときの、先祖祖先、子孫、という概念は、自分のよりどころになります。
子々孫々や、千代に八千代に、という言葉も、時間の永遠性をよりどころにした言葉です。
神様系の宗教は、時の流れを重要視し、例外なく墓や先祖を大事にします。
でも、仏教や、老荘思想では、基本的には、考えの根幹としては、墓や先祖を大事にはしません。軽く扱うわけではありません。
ただ、過去や未来より大事なものがあるだろう?という主張です。



これはあくまで一番基礎になる考えは?ということです。
仏教でも何でも先祖供養もしますし、その意味では、大事にしない文化や宗教はないと思います。



でももっともその根幹に於いて、理論上墓や先祖を重要視しない文化や宗教はあり得ると思います。
そういう文化や宗教では、墓や先祖は、2番目あるいは3番目に大事にしているのでは、と想像します。
優先順位です。


人間社会はいろんなタイプが混じって生活してるので、実生活上、先祖を大切にすることを、否定するようなものは狭い範囲でしか成り立たないと思います。小さいコミュニティーとか。
世界宗教レベルの汎用性のあるものであれば、文化も同じですが、
そう言うところでは、大事にしない文化宗教はないと思います。

でも理論的根源に於いて、それを最重要だと見なさない文化や宗教は現実にあります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
先祖供養が人の心のよりどころとなるというのはなんとなく誰もが感じますが、時間のとらえ方についてそのような背景があるというのはなるほど、と思いました。
墓や先祖への考え方は、意識されることはなくとも、その人の時間観と密接な関係にあることを感じました。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2009/11/28 22:11

墓を大切にするといった概念の対極として(誤って)捉えられがちな概念に


「千の風になって」
があります。

巷では「お墓にいないのなら、墓参りは必要ない」とか、いったレベルの反応をする人がいるようです。

この歌詞の成立に関しては諸説あるようですが、メアリー・フライの作というのが有力なようです。
>>> http://ja.wikipedia.org/wiki/Do_not_stand_at_my_ …

1932年、メアリー・フライ(Mary Elizabeth Frye 1905 - 2004年、アメリカ合衆国 メリーランド州 ボルティモアの主婦)が書いた最初の詩とする説が有力。同居していた友人であるマーガレット・シュワルツコップ(Margaret Schwarzkopf、ドイツ系ユダヤ人少女)の母(ドイツ在住)が亡くなり、しかし当時のドイツの反ユダヤ主義の風潮の為に帰国出来なかったことが原因で落ち込んだ彼女のために茶色の紙袋にこの作品を書いた。
<<<

すなわち、詩が作られる過程で、戦争によって分断された肉親の墓前に行くことができないという事実を把握すべきでしょう。
すなわち、「そこ(墓)にはいない」という言葉になっているだけであり、「風にも雪にも鳥にも」という言葉の中には「墓にも」という言葉が、暗黙裡に入っていることを、深く観ずるべきでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
「千の風になって」は確かにそんな風に解釈されてしまいそうに思えます。
ご説明頂いて、「墓を大事にする」ことを否定する歌ではない、というのがはっきりわかりました。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2009/11/28 18:38

この質問て、何か「自分を育ててくれた親を大事にすることは、世界的に見ても、文化、宗教を問わず、共通することである」という意見がありました。


これは本当でしょうか。
つまり言い換えると、「自分を育ててくれた親を大事にすること」をしない文化や宗教は存在するでしょうか。

と聞かれているみたいで、はあ~~?って言う反応をしてしまいました。この質問に対して、質問者さんはどうお考えですか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
確かに、そうとも読めないことはない文章ではありますが、「親を大事にする」べきかどうかなど、自明であります。
回答者様は、「墓や先祖を大事にする」ことが「親を大事にする」ことと切り離せない関係にある、という認識にあられたので、そうお疑いになったのではないかと愚考します。それは当然の感覚だと思います。

私は、文化や宗教によっては「墓や先祖を大事にする」習慣がなかったりということが、けっこうあり得ることだと思っていました。
当然、そういう文化や宗教に置いては、「親を大事にする」ことは別の世界観、習慣によって充足されているはずです。

ですから、「墓や先祖を大事にする」ことの絶対性の検討は、私にとって、「親を大事にする」ことの絶対性の検討には当たらない、というわけなんです。そんなわけで、「親を大事にする」べきかどうかを議論しようとしているわけでは当然ありません。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2009/11/28 18:29
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