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ウィキペディアでは、宥和政策の意義について次のような見解を載せています。

 ミュンヘン会談以前の英国について、「ナチスがソ連を倒してくれれば、ナチスの側もただでは済まないだろうからそれに越したことはないとする期待もあった」

これは、ネヴィル・チェンバレンの見解でしょうか。あるいは、彼を含むイギリスの支配層の見解でしょうか。
 続けて、次のようにも書いています。

「そうした反共主義者や、会談後変節した彼らが、すべての責任を恣意的にチェンバレン個人と宥和政策・平和主義に転嫁して保身を図った要素も無視できない。」

これは、チェンバレンではないという意味になりますが、チェンバレン自身の「宥和政策」についての思いはどうだったのでしょうか。

A 回答 (1件)

ハッキリと言えばチェンバレン自身が本音でどう考えていたかは「分からない」としか答えようが無いです。


なぜならチェンバレンは1940年11月に死去しており、その年の9月までは閣僚を務めており、その後はガンの闘病生活で「宥和政策」についての本音を語る機会が無かったからです。
その為に「死人に口なし」とばかりに、宥和政策についての悪評を全部チェンバレンになすりつけた面があります。

この回答への補足

Yelmさん
早速のご回答ありがとうございます。
重ねてお尋ねしたいのですが、チェンバレン一人ではなく、政策決定に関わる立場の辺りではどのように『宥和政策』に向かっていったのか、その過程で「ナチスがソ連を倒してくれれば」という感覚がどの程度存在しえたのか、というあたりが知りたいのですが、いかがでしょうか。

補足日時:2009/12/06 13:16
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