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先日友人に相談されたのですが、何もアドバイスできず困っています。
どなたか知恵をお貸し下さい。

営業職の友人は、お客さんから怒鳴られたり罵倒されることが多く、
電話を途中で切られたり、目の前で資料をゴミ箱に捨てられたり。。。
精神的に辛い日々が続いていたそうです。
その友人は5年営業を続けるうちに、感情を殺す方法が身につき、
お客さんからキツイ言葉をかけられても、全く落ち込まなくなったそうです。
本人は仕事が順調に行くようになったことで悩みも減り、
自分の心の変化に気付かなかったそうですが、最近になり、
他人と深い心のつながりを持てなくなったことに気が付いたそうです。

無難な人間関係は上手に作れるのですが、深い友情、愛情が持てないと言っています。
深刻なのは家族のことは頭で大切に思っているのに、
心で愛情は感じないと言っていることです。
感情の殺し方、逃がし方を身につけた代わりに、元に戻せなくなったと相談されました。
親友と呼べる友人もいないし、心では誰ともつながっていないと。。。

私のことは信用して話してくれたようですが、やはり以前周りの友人に対して感じていたような
友情、親しみは正直感じないと打ち明けてくれました。

友人は感情の逃がし方は持っていないと営業が勤まらないけれど、
仕事のオフの時は普通に自分の感情を持っていたいと悩んでいます。

あまりにも重いテーマで、「ゆっくり一緒に考えて行こう」
とだけ話し、明確なアドバイスはせずにいます。

何か良いアイディアがあれば、教えて下さい。よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

私自身、ご友人と同じような状況にあると感じており、


他人事とは思えず、投稿させていただきました。

まずは自戒の意味をこめて、厳しい方向からお話ししますと、
私が自分自身の「感情の持てなさ」を省みるとき、いつも思い出すのは、
茨木のり子氏の「自分の感受性くらい」という詩です。

ぱさぱさに乾いてゆく心を/ひとのせいにはするな/みずから水やりを怠っておいて
(中略)
駄目なことの一切を/時代のせいにはするな/わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性ぐらい/自分で守れ/ばかものよ

つきつめていえば、感受性が鈍る責任は自分にあると思うのです。
ご友人と同じように、辛いことへの感受性を殺すことで、
プラスの感情も持てなくなってみて、改めてそう思います。

友人の立場からは相手に言える/言うべきことではないかもしれませんが、
ご友人のタイプによってはこんな風に言ってみるのも効くかも?などと思います。

一方で、自分がもう少し「助けられた」気がしたのは、ある方のおっしゃった、
「真っ当な感性を持つためには、喜怒哀楽をはっかり持つこと」という言葉でした。

喜怒哀楽を押し殺すから、笑っていいときに笑えない。
逆に笑うべきでないときに不謹慎に笑ってしまったりする。
それを正すには、腹が立てば怒り、楽しいときには喜ぶことだよね、と。

今の状況に陥ってしまったご友人が、
いきなり「周囲の人間に愛情や親しみを感じよう」とするから難しいのだ、と、
自分の経験上思います。
でも、些細な喜怒哀楽をはっきり持つことくらいならできるかも。

お笑い番組を見て思いっきり笑うとか、凶悪犯罪に怒るとか、
そういう、身近すぎないところから意識して喜怒哀楽を持つようにすることから
勧めてみられてはいかがでしょうか。
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この回答へのお礼

茨木のり子さんの詩、私も頭を殴られたような衝撃でした。
きっと悩みを抱えている人以外の心にも直球で届くのではないかと思います。
今日、詩集を買って友人にプレゼントしました。
感じるものがあったようで、喜んでくれています。
本当に素晴らしいアドバイスをありがとうございました。

お礼日時:2010/02/04 18:08

ご友人の様な経験を私もしたことがあります。


正確には、今も続いているのかもしれません。

学生の頃、2年間のいじめ・無視に合い、感情を殺すことを覚えました。
全ての怒りや悲しみを感じないよう訓練し、成功しましたが、
代わりに喜びも感じなくなりました。たぶん無気力・無感動状態だったのだと思います。

その頃の影響なのかはわかりませんが、今も本当に心を打ち明けられる友人はいません。
でも、それなりに楽しいことはあります。
普段は当たり障りのないことしか話せない相手でも、ときどき心に触れるような親しみを感じることもあります。

そういうチャンスを、少しでも増やすために、
たくさん話を聞いたり、一緒に時間を過ごしてあげることが
いまご友人のためにできることなのではないでしょうか?

自分の意思で感情を殺すことができるのであれば、
その逆、感情を戻すこともできるのではないでしょうか。
時間はかかると思いますが。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
そうですね。
友人と過ごす時間を取り、楽しいことを一緒にして行きたいと思います。
ご自身の辛い経験を友人のために書いて下さったことに感謝します。
ゆっくりと一緒に解決して行きたいと思います。

お礼日時:2010/02/04 18:05

相談している人に対し


「親友と呼べる友人もいない」
といえるところから
その人は十分救われていると思います(^_^;)
聞いてもらっといて、そこに配慮がいかないくらい
素の自分が出せているのですから。
「ゆっくり一緒に考えていこう」で十分です。
明確なアドバイス、必要ないと思います。
時々会って話をただ聞くだけでよいです。
何かしらの答えは
自分が発した言葉の中にご友人自身が見つけるしかありません。

心が繋がっている実感、
実際は殆どの人が「満足」って思う程度には
持っていないんじゃないでしょうか。
確証のないものだし
目に見えるものでもないし。
以前そのお友達が他人に対して感じていた友情、親しみは
視点が変わることで変容しただけだと思いますので
時がたてばまた形を変えるでしょう。
それが消えることもあるだろうし、
憎しみに変わることもあるかもしれません。
というくらい人の気持ちなんてどうとでも変わるものです。

だから
現時点のご友人は、その仕事、その家庭、その友人関係のなかで
今までと違う自分に気付いたのだと思いますが
2年後5年後またそれは変わっていくだろうし
仕事も続いているかもしれないし辞めているかもしれないし
家庭も変わっていくだろうし
そのなかで本人が探っていくことです。
近しい友人としては
それを見守り、ありのままを受け入れるしかありません。

最初に述べたとおり、
質問者様はしっかりとその友人に対して助けになってると思います。
聞いてもらっている友人に「親友と呼べる友人はいない」
といえるんですから。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。
書いていただいたこと全てにうなずける、本当に納得できる回答でした。
ただ、やはり近くにいる友人としては、あまり表情もなく語る友人を見て
心配で仕方がない、というのが正直なところです。
このまま時々話を聞いて、一緒に悩んでいるだけで良いのかと心苦しいです。
何か方法がないかと考えてしまいます。。。

お礼日時:2010/02/02 12:57

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