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ストレスに絶えられず、統合失調症になる人が結構いる。
妄想にとらわれ、無気力で、本人に病気の自覚がないのが、うつ病との大きな違いである。うつ病は「寂しさ」が原因であるが、やっかいなのは「統合失調症」である。保険にも入れないし、一生「薬」を使わないといけない。
特に「妄想」がひどい患者もおり、家族は苦労が絶えない。
なぜ、そこまでストレスがかかるのか?原因はひとつではないだろうが、競争原理が過剰なストレスを生んでいると私は考えますが皆さんはどう思いますか?

A 回答 (40件中1~10件)

何においても、弱者は弱者の論理、強者は強者の論理をするものです。


きっと大切なのは、全体においての合理性を考えて、折り合うことなのかもしれませんね。

なまけ病、戦争という状況ならそんなものは皆無だ、だから、もっとおさえつければいいのだ。そういう論理で本当に日本の経済が良くなるのかどうか。

日本がどういう方向を選択していくのか、もうすこし、見守りたいですね。

この回答への補足

社会全体の利益が「自他共に共通する」という意識が低くなっており、お金という道具で他律的に社会行動をとらせる道が3千年続いていますから、本来の「助け合い」感覚は、なかなか戻らないでしょう。いっそ革命を起こす方が早いかもしれません。(「助け合い」感覚が乏しい現代では無理ですが、不可能を可能にする方法を模索中です)

補足日時:2010/02/28 04:52
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>あなたの身体の細胞群も「社会」を形成しています。



 うん?細胞は元は少数もしくはひとつだったものが「増えた」

 のではないかな? その細胞が、助け合うのが目的で増殖し、人体を形成した?それが目的ではないよね。

 社会も、一億何千万人の日本人がどこかから集まったのではなく、増えた。

 もっとも小さな「社会」である家族はどうだろう。

 最初の二人は集まったが、二人で助け合うだけが目的だったら、子供は要らないわけだ。むしろ邪魔となる。
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再度おじゃまします。


現代の病といわれていますが、本当は昔からあるんですね、ただ増えてきているというだけで。
「血の道」とか「産後のひだち」とかいろいろな言い方があったみたいです。湯治治療とか、鍼灸とか、西洋医学にたよらなかっただけで。
余談ですが、私の祖母はとても働き者の農家でしたが、こういう患いをたびたびしていたようです。そのたびに湯治治療とか、鍼灸でなんとかしのいでいたんですね。外から見られる性格は明るくて、おしゃべりもたのしい人でした。ですが、病で一人子供を無くしたり、若いうちに後家になったりと、苦労も多かったと思います。お嫁さんともあまりうまくいかなかったみたいです。でも、自分が老いてからも、お姑さんを一人で介護してみとったりと本当に尊敬できる人でした。

そういう人が今でいう「現代の病」と闘いながら生きてきたことを考えると、もう少し広い考え方が必要なのかなと思うのですが。
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精神科の医者が何か治せるのか?


その医者は信用できるのか?
そいつに洗脳されるとは思ったことないのか?
なぜ治らないんだと思う?

治らないのでも
治せないのでもないのではないか?

治ろうとしないのではないのか?
そしてその医者の背景がもしかしたらろくでもない宗教系だったらどうしよう
って思ったことないんかいな。

人は最終的に親に回帰する。
親に
会社に
国家に
自然に
自らを内包するより大きな枠組みに帰属する。
自らが生まれ出たところのものに回帰し
全幅の信頼性の中
そこに全身全霊を委ねてみよ。
子を思わない親がどこにあろうか。
そして
自らが産まれ出たところであるなら
たとえそこで命尽きるとも何の悔いが残ろうか。
自らが産まれ出たところではないか。

そして

さっさと帰ってこんかい
ぼけ

とホントは願っている。
誰が。。。

親が
子を思う親が
帰っておいで。。。

甘やかすのはホントの優しさじゃない
険しきものは母の道

そびえたち険しさゆえに
立ち竦む

しかし
それは君が学びとるべき親がかつて登った道
君が共に歩み学ぶべき道

自らがそれを超える時
その意味をさとる
新しき道は古き道の中にあり
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>本来助け合うために集まった社会において



 このような前提で考え・振舞うことがさらに個々を弱くし、人が増えていく原因となるのだと思う.そしてそれがあらゆるモノに依存してしまう結果となる.

 良い悪いは別として.

>社会生命としては「働く=助け合う」ことが生きること、です。

 社会生命よりもっと根源は世界生命とか宇宙生命とか言えるだろうか

 とにかく、それが目的ではない.土台としては存在・意識は必要だけど.

この回答への補足

あなたの身体の細胞群も「社会」を形成しています。
社会=助け合うために集まったもの。個体の階層は様々に設定可能。よって「人間=固体」とした場合、自給自足ができない場所では「社会生命」と言うのがふさわしい。

補足日時:2010/02/23 03:24
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 助け合うために集まった社会...



 助け合うのが生きるモチベーション...

 違う。

 一生「薬」を使わないといけない ということはない。

この回答への補足

社会生命としては「働く=助け合う」ことが生きること、です。

補足日時:2010/02/22 04:49
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昔の文書や文芸書や、親の話を聞くと明らかに統合失調症など、精神疾患の方々は今と変わらない人数ではないか?と思います。



今みたいに研究や、情報も豊富でない社会なので、ただの「き○がい」として扱われていたようです。

ただ今と昔では確かに、うつ病などにはなりやすい社会だと思います。
少しは増えているでしょうね。

●バブル崩壊
●格差社会
●成果主義の結末
●他人にたいして冷たい人間関係
●ゆったりした暮らしができない、スピード社会
●漫画、ゲーム、映画など文芸ものが残酷なものが増えた
●テレビのくだらなさ
●大人のだらしなさ
●礼節が減ったせいで争いが耐えない


など。

昭和初期の日本はすばらしいものだったらしいです。
すべては戦争で破壊されました。
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この回答へのお礼

回答ありがたく。

言うなかれ君よ別れを世の常を また生き死にを 海原の遥けき果てに 今やはた何よか言わん
熱き血を捧ぐる者の 大いなる胸を叩けよ 満月を盃に砕きて しばしただ酔いて清えよ
我が行くはバタビアの街 君はよくバンドンをつけ この夕べあいさかる友 輝かし南十字をいつの世かまた共に見ん
言うなかれ君よ別れを 見よ空と水打つところ 黙々と雲は行き雲は行けるを

お礼日時:2010/02/22 04:47

核として存在する我 で、OKということで。

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この回答へのお礼

この場をお借りして皆様に深く御礼いたします。

私が思うに、本来助け合うために集まった社会において、その社会性を貨幣という矯正具で、馬車馬の前に吊るされたニンジン(お金)よろしく、社会人として生きる目的が「助け合い」ではなく「お金のため」になった、というか小泉政権時代に鮮明になった、という理由から、生きるモチベーションである「助け合い」の意識が保てず崩壊し、精神疾患になる人が増えているのではないか?と思いますが、皆様はどう感じますでしょうか?

お礼日時:2010/02/20 12:42

私は私のことをします。


ですから、
あなたはあなたのことをして下さい。
私は、あなたの期待に添うために
生きているのではありません。
そして、あなたもまた、
私の期待に添うために生きているのではありません。
あなたはあなた、私は私です。
でも、私たちの心が、
たまたま触れ合うことがあったのなら、
どんなに素敵なことでしょう。
でも、もしも心が通わなかったとしても、
それはそれで仕方のないことではないですか。
(何故なら、私とあなたは、独立した別の存在なのですから)
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 光子か... イメージしづらい...



 核として存在する我 で、どぢゃ?
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