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繊維を紡いで糸を作る、これを考案したのは誰でしょうか?何方か歴史に詳しい方、教えて下さい!!

A 回答 (3件)

縄文人は、文字通り、すでに縄を編んでいます。


誰なのか、名前があったのかすらわかりません。
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興味のある質問ですが、文字も神話も無い時間の彼方に消えてもう誰かは


判らないと言うのが答えではないでしょうか。

考古学的な出土品としては日本では9000年前、中国の絹織物で6000年前、
世界的には1万数千年前まで遡るのではないでしょうか。
縄文土器に縄目の模様が残されているというのは、かなり古い記録と
言えます。しかし、誰が?と言う質問にはこれらの考古学的な出土品は
答えてくれません。

織物は藁の様な植物繊維を束ね結ぶ事から発展したと考えられています。
どの民族種族を問わず織物の技術は有り生活の中で誰でもが必要とし
工夫できた物と言えるかも知れません。
裸族は服(糸)を必要としませんが、縄や編み篭の様な物は有るようです。

文献学的には、キリスト教の聖書ではアダムとイブは最初裸で織物とは
関係ない事になっています。ただ次の人はもう服を着ています。
残念ながら誰が服(糸)を作ったかは書いてありません。
日本神話では天照大神の機織りをする神殿に須佐之男命が裸馬を投げ込んだ
と書いてあります。神世の時代にはもう織物が有ったわけです。
ただし、織物の神様というのは居なかった様に思います。
どこの民話にも織り姫が居ることから、織物(糸)を作る技は高い技術と
見られていたようです。

この回答への補足

早速のご指導有難うございます。言われてみれば、頭脳の発達した人類には、初めは繊維質な植物をそのまま綯うことに気付き、縄を作り出したのでしょうね!!すみませんが、糸を紡ぐと言いますが、例えば、繭などの繊維の細切れは、如何して糸とするのでしょうか?この部分だけでもご指導頂ければ、有り難いと思います!!

補足日時:2010/02/19 18:15
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近郊にはまだ養蚕農家と製糸工場が有った頃に習い見学した話しです。



繭を作る時期になると、蚕は藁で編んだカプセルホテルの骨組みの様な
枠に入り、糸を出し始めます。始めは綿飴の外側の様に不揃いで毛羽
立ったものの内側に蚕は頭を振りながら糸を8の字形に少しずつ
ずらして重ねていきます。糸の層が厚くなると蚕は段々見えなくなり
繭が完成します。

この繭を藁枠から外し、熱湯で煮て蛹を殺します。外側の毛羽を取除く
様に引くと最後に1本細い糸が残ります。この糸は確か三角形断面の
繊維が2本合わさったものと記憶しています。
洗面器程度の温浴に繭を数個入れ、糸を束ねガイドを通して巻上げます。
繭は温浴の中で踊るように動きながら解かれてゆき、最後に茹でられ
褐色になった蛹が顔を出します。
蛹はとても良い香りがし、食べることができ栄養満点との話しでしたが
気味悪くて口にしたことは有りません。今ではトライしておけば
良かったと後悔しています。

こうしてできた糸を複数本合わせて撚を掛けることも有ります。

絹糸が独特の光沢と手触りを持つのは繊維が三角形の断面を持つから
です。近年はシルクタッチとして異形断面の合成繊維が有ります。
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