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自己が改善すれば宇宙も改善されるのか?
これは「自己の補完として宇宙が存在する」という認識が正しい場合、自己変革が社会変革になることを意味している。さて、そこに問題もある。環境があまりにひどい場合、それに順応していては自己変革など不可能になってしまう。かといって反発すれば悪くすればホームレスだ。このジレンマを解決する方法はないものか?

A 回答 (5件)

こんばんは。



>このジレンマを解決する方法はないものか?

愚鈍なましゅまろには”宇宙のファンタジー”なんて、難しいことは全然わかりませんけれども、
OtamaFJ様は、「貯金がない~」「時間がない~」「ブータンに行けない~」と、ご自身で「ないないづくしの呪縛」に囚われてしまっているように映るのです。

「ないこと」「できないこと」ばかりを考えていけば、先行きも当然不安が増しましょう。
世のなかには、自分にないことだらけですものね。

だから、そうではなくて。
「これはあるな」「あれならできる」「これもできるよね」と、
ご自身にとって「あること/できること」を一つずつ丁寧に数え上げていく、そんな数え方をなさってみてもよろしいのでは?

ここで言う「ある」とは、「所有する」という物質的な意味合いではありません。
ご自身の内に備わっているであろう資質や特技だと思って下さって結構です。

そして何よりも肝心なことは、日常のご自身で「そんなのできて(あって)あたりまえ」と考えられることを、堂々と数に含めることです。
どうぞ、誇りに思って下さい。

宇宙や相応の思想に思いをめぐらすというのは、賢いOtamaFJ様の知性にとって、神秘的かつ刺激的な営みであると拝察致します。
けれでも、それだけではなくて、
いえ、それ以上に。

日々の日常の一つ一つを丁寧に過ごす/こなすという、ごく「あたりまえ」の所作の積み重ねの方が、もっと大切ではないでしょうか。
この「あたりまえの営み」を通じて自身を見つめ直すという行為は、一番簡単そうに思えて、大層難しいものなのですから。

それに、宇宙や他の思想に思索にふけることは、OtamaFJ様以外の事象が考えの「主」になるということではないでしょうか。
それだと、肝心のご自身が「従」となり下がってしまうことになり、気付かぬうちに、結局は周りに振り回されてしまっているだけかもしれませんよね。
それは、お嫌でしょう?

それに、自己変革ならずして、社会変革などちょっとあり得ないでしょう。
自分が変われずにして、どうして他人や社会が変わりましょうか。
「環境があまりにひどい」としても、容易には変わり得ないものと御心得頂き、「ひどいながらも良いところ」を見い出していったほうがよろしいと思います。

…とまあ、最近「説教臭いな~、焼きが回ってきたな~」と自らババァ臭さを認識しておりまして…
この点は私自身が誰よりも「自己変革」の必要性があるのかもしれません。
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この回答へのお礼

温かいお言葉ありがとうございます。感謝です。

お礼日時:2010/02/20 04:25

わるくするのではない。


よくするのです。

ぼけなす。
けりとばす。は「No go!」です。

ホームレスは善(全)です。

という理論を改善理論といいます。

PS

ぼけなすって
おいしいの?
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おまえの脳髄が改善されても宇宙は改善されないだろう

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梵我一如ってのは自分=宇宙というものではなく、自分は宇宙を構成している一部なんだという考えだったと思う。


宇宙とはなんら関係がないのではなく、関係があるというか宇宙であるが、宇宙そのものを表せているわけではなく、宇宙の一部を構成しているパーツの一つ。


自分がまず変わると、周りも変わるか?
影響を受けるってことはありえる。それによって今までとは周りが違ってくるってこともありえる。
だけど、全部を自分の思い通りに変えるってことはできない。
核爆弾なみのすごいエネルギーじゃないと、遠くまでその波紋は広がらないから。

自分じゃなく自分が理想とするものを演じていけば、いつかその理想通りの人格に変貌するかというと、人間にはホメオスタシスというものがあり、やがて元の状態に戻る。
別の人格を演じていても、結局は無理しているので、やがて無理がたたる。
無理ができなくなって、気を張らなくていい元の自分に戻る。 ネーチャーに戻る。


で、、、ずっと 将来の生活のことを考え怯えていますよね。
でも、いつまでもまだこない将来を怯えて何も行動を起こさないわけにはいかないじゃないですか。
誰しもまだ来ない未来に対しては大なり小なり不安を抱えているもんです。
将来が不安だからといって、いつまでも、怯えてばかりいたら、日常生活ができないじゃないですか。

備えはある程度しておいて、それでも対処できないほどの衝撃波だったら、そんときは笑えばいいんですよ。
「降参だぁぁ」って。

で、あなたは自分に対してすごい不信感を持っていて、他人に過大な期待をしていますよね。
他人に養って欲しいという願望がものすごい 強い。他人に対してものすごい依存心が強い。
そして、他人が自分を養ってくれそうもないことにイラだつ。
だって あなた自立できているわけでしょ?
自立できない人は、日本国民全体で背負いますが、自立できている人まで背負わないです。
だって、自分で歩ける能力があるのに、背負ってしまうと、その人の筋肉は衰えてしまい、本当に歩けなくなってしまうから。

そうなったら、他人に対して「あれもやってよ これもやってよ 俺は歩けないんだから、歩ける奴が俺を背負えよ。お前はいいな 行きたいところに自由にいけるから。お前は幸福だ 俺は不幸だ、お前は強者だ 俺は弱者だ、強者は弱者を背負って歩くべきなんだ 早くしろ 背負えよ ボケカス!」ってなっちゃうじゃないですか。

人に助けてもらった人が、自分を支えた人に感謝せず、自分の奴隷だとしか思えなくなる。
新聞の社説にあったんですが、こういう自称弱者が増え、それを許してしまう社会は、いずれ自爆する運命にある って。

その人の能力を見極め、能力がありながら楽したいと甘えてやれない不利をしてサボっているとわかったら、ケツ蹴り飛ばせばいいんですよ。
そうすればその人は痛くてもう蹴り飛ばされたくないので、自分の立っている床を自分で担ぐようになる。
(ってイエス作家も たまにはいいこというなぁ・・・)


それが本当の親切ってもんでしょ?
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生命とは不完全で、他者のかかわりによって完全になるものです。


自己変革とは環境に左右されない自己を作るところからではないでしょうか。
 具体的には心の思いから変わり、行動が変わる。結局外は関係なく内面から変わるしかないでしょうね。
 人間革命という本がありますが、その中に自己改善と宇宙のことはすでに昭和の時代に明快に書かれてありますよ。
 しっかり読めば答えがいっぱい書いてありますよ。
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