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有名な植草一秀氏ですが、彼の主張には同感して来ました。つまり、日本の傀儡政権であった自民党、その自民党と癒着していた大企業、官僚の独裁、日本植民地化政策を取る米国、それの広報機関化した日本のマスコミなど、私も昔から業を煮やしていましたから彼の主張にはほぼ同感し応援しているのですが、しかし「普天間移設問題」に関しては「?」となっています。
民主党が5月まで延期を決定するまでは「時間が限られているから」とか「外交政策の継続性というものがあるから」とか言って辺野子案がベターだと言ってました。5月まで延期を決定して多少の時間の余裕が出来たのに主張は変わらず、今は「陸上案」をベターだと言ってます。あれほど、米国隷属を嫌っている人がなぜ?という思いです。米国隷属を嫌う独立心のある人なら、絶対に陸上案も飲めないハズです。私が考え付く理由は、彼は、日本の金を巻き上げたりしようとする米保険業界とかの勢力とはつながっていないが、彼も経済学者として米経済界の良識派とは親交があるのではないか? そういう米国人たちの反感を買いたくないのではないか?日米同盟にも波風を立てたくないようですから。

もう1つ考えるのは、彼は民主党を応援しています。民主党を監視して主権者国民の意図する方向に動かして行かなければならないとは言ってますが、どうも、民主党を守ろうとする気持ちが強過ぎて、民主党がこの問題で苦労しているので少々の隷属は飲んでもいいという考えになっているのではないか?
素人の浅知恵で色々考えるのですが、「米国隷属からの脱却」を主張する彼が何故、隷属の象徴のような県内移設、陸上案を主張するのでしょうか?諸兄の考えをどうかお聞かせ下さい。

A 回答 (5件)

彼はどっち付かずだったのですが、今は、自民党が嫌いな評論家です。


なぜなら、品川駅のエスカレーターで女子高生のスカートの中を手鏡で覗こうとしたとして東京都迷惑防止条例違反容疑で逮捕され、その後の裁判で有罪判決になり、この援護救済をしてもらえなかったのが大きいですね。

したがって、民主党の提灯を持つようになったのですが、本体がふらついているので本人もふらつき出し、嫌いな自民党案=辺野古移転を飲まざるを得なくなってきたのでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
彼には哲学がないのでしょうかね?

お礼日時:2010/02/27 18:13

天皇制に対しては好き嫌いの気持ちではなく実用性を考えています。


歴史上において天皇が最高権力の実力を備えていた時代が在るとしても
極短期間だと思います。それでも天皇制が続いてきたのです。

日本においては天皇制に実用性が在ったという事を意味します。
天皇を邪魔に感じる実力者の争いを適度に抑える実用性です。
ヒステリー性格からはたして切腹が導き出せるのでしょうか?

性格分析から行動を理解して説明が可能であるとするなら他国にも
切腹という行動が無ければ理論が一般性を持つとは居得ないのです
強いものになびくのは性格によらず世界共通でしょうね

日本にも下克上や農民一揆は沢山在ったのですからねえ~
日本の歴史上での特徴は自己主張を抑えても食べられた自然の
豊かさにより作られて来たのだと想うのです

この回答への補足

<<天皇を邪魔に感じる実力者の争いを適度に抑える実用性です>>---とのことですが、敵対する勢力のそれぞれが天皇を担ぎ出して争ったのが南北朝時代ですし、敵対する勢力が敵対をやめ、1つになって天皇の下に結集して、明治以来の戦争ばかりやって一体いくらの命が犠牲になったのか、天皇制には実用性があり過ぎてマズイんじゃありませんか?
<<天皇を邪魔に感じる実力者の争いを適度に抑える実用性>>が貴方の仰るようにたとえあったとしても(私は日本の歴史に詳しくないから、そういう歴史があるというなら示して頂きたいのですが)、明治以来の天皇を利用した国策によって、日本人が数百万人犠牲になったという歴史が起こった以上、天皇制というものにもうちょっと懐疑の目を向けてもいいのではないでしょうか?天皇制があったことによって、数百万、数千万の人間が死なずに済んだというなら、私も天皇制存続万歳になりますが、今回ばかりは、事実は逆でしょ?兵隊は「天皇陛下万歳!」と叫んで突撃して死んで行ったんでしょ?

全てのヒステリー性格者が同じ行動を取るわけではありません。ヒステリーというのは後天的性格で、先天的な性格があってそれが、分裂気質、躁鬱気質、癲癇気質であるというのは高校くらいの心理学の授業で出て来ませんでしたか?
熱帯圏の人間はヒステリー性格で、しかもその程度は日本人よりは遙かに強いですが「切腹」という習慣はありません。人間の行動には先天的性格、自然環境、社会制度、家族制度の違いが影響を与えるので、ヒステリーだからといって全世界の人間が同じにはならないのです。
ただ言えることは、ヒステリー性格は「変わり易さ」が特徴で、強いものになびくという特徴も世界中どこの人間にも通用する特徴です。
これと対照的にパラノイアは不変が特徴で、頑固な性格、たとえ死ぬような目にあっても主張を曲げないという行動になって現れます。
しかし、一人の人間がヒステリー、パラノイアと分かれるのではなく、どちらの要素をより多くもっているかということなのでお間違いのない様お願いします。日本人はヒステリーに傾いているというのが正確な表現です。明治の日本人は「頑固」であると言われていますが、同じヒステリーでも多分にパラノイアの要素があったということです。
<<強いものになびくのは性格によらず世界共通でしょうね>>---パラノイアが基本になっている欧米人とその歴史をよく調べてみて下さい。
日本に特徴的な、市民革命がなかったこと、戦時中の知識人たちの総転向、革命時、イギリスでもフランスでもロシアでも王様を殺しているが、日本人は天皇を殺せなかったこと、色々違いがあります。
<<日本にも下克上や農民一揆は沢山在ったのですからねえ~>>---貴方たちはどうも単純に考え過ぎますね。明治時代や戦中と江戸時代は別に考えるのが当然です。社会制度が皆目違うのだから。ご存知のように百姓は支配者に取り入って支配者の提灯持ちをするという行動を取れなかったでしょ?戦時中の転向した知識人たちのような蝙蝠(こうもり)行動は取れなかったでしょ?あの厳しい身分制度の下では耐えるしか生きる道はなかった。水戸黄門に出て来るように、一部の商人にはそれが出来たのでしょう。しかし、東北地方を繰り返し襲う飢饉で死んだ農民を弔う塚がいっぱい残っていることが証明するように、耐えるか死ぬかしかなかった。耐えることも死ぬことも嫌なら一揆を起すしかない。それが「窮鼠猫を噛む」ということです。
日本人が100人が100人ともヒステリー性格者というのではありません。先にも書いた通り、一人の人間でも両方の要素(ヒステリアとパラノイア)を持っているのがフツーであり、日本人の中でのパラノイア要素は昔の方が強かったと思います。戦後はヒステリー度がかなり上がって来ています。今でも共産党は一応(?)頑固ですし、パラノイアの要素は日本人に僅かですが存在します。しかし、90何パーセントはヒステリーに傾いていますから、共産党的思考は日本人には受け入れられないのです。
貴殿は会社で働いた経験はないのですか?下の者の上司や会社に対する従順性、諂い根性の強さなどは観察したことはないのですか?私は外国に長らく住んだせいもあって精神構造が違ってしまいましたので、とても平均的日本人がやるようなことは出来ませんね。

補足日時:2010/03/10 18:10
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国内意見の分裂により政府が弱体化する事で国力が衰え軍事防衛力


が急速に減少して領土防衛戦争さえ不可能に成ります。侵略を意図
する国に対して戦わずに領土と国民を差し出す事になります

歴史上の例としてバルト3国の近代史が在ります。
アメリカ軍基地は優先課題では在りません。
アメリカとの軍事条約が優先するべき政治課題です。

日本人は変わり易いとの意見ですが千数百年に渡って天皇制を維持してきた
のが日本人です。変節しないで筋を通すと言う諸外国に千年を超える政体が
在るのでしょうか?千年以上の王国はとても数が少ないと思うのですが。

千年以上の持続を可能として来たのは日本人の性格と特性によると想います。
日本における千年以上の普遍性を理解しないと世界の普遍性は語れない・・・

◎日本が国際的独自路線を取れる前提条件は核武装か同等以上の軍事力です。
これ無くして隷属の打破は在り得ない。アメリカ軍基地など隷属とは無関係。

植草一秀氏は隷属打破が不可能な条件下においては陸上案を取る、という事
だと思います。

この回答への補足

回答ありがとうございます。バルト3国について知りたかったのですが、自分で調べてみることにします。
kawasemi60さんは天皇制が好きらしいですが、私が歴史のカテゴリーで質問したのですが(http://gtubo.gpoint.co.jp/qa5692242.html)回答者の皆さんが異口同音に仰っている通り、天皇家に対する尊崇の念は高々京大坂くらいで、万世一系のアイデアが入ったのは江戸末期に頼山陽が日本外史を著してからだと。本多勝一はこの点に関しては明治以来の洗脳教育の結果だと書いています。私は大阪生まれの大阪育ちですが、実証主義の大阪人には天皇や天皇家に関しては私を含めて反感を持っている人が結構多いですよ。従って貴方が仰るように「日本人は千数百年に渡って天皇制を維持してきた」というのはどうも事実に合わない感じがします。
貴方は、日本人は千数百年に渡って天皇制を「変わらず」維持してきたと言われますが、ヒステリー性格というのは「強い者」に変わらず従う(なびく)のです。強い者になびくというのは、これは「不変」なんです。天皇が支配の頂点にいると認識している限り、日本人は天皇を敬い続けると思います。しかし敗戦直後もし、GHQが天皇制をなくしたとしたら日本国民はGHQに反乱を起したでしょうか?マッカーサーはそれを恐れたと言われていますが、性格学の常識から考えるとそれはあり得ないのです。圧倒的な力でねじ伏せられ敗戦した日本人は米国を天皇より強い、上位の支配者と認識していましたから、支配者の意向に逆らって反抗することはヒステリー者の行動ではないのです。日本人の支配者が天皇からアメリカに替わりましたから、その時々の支配者に従うという行動が不変であるワケです。
私は理科系の人間でいつも物事を客観的に見ようとします。心理学は全世界で通用する客観的なモノサシで人間社会を判断します。kawasemi60さんは天皇制が好きなようですが、いつから自分はそうなったのか、その理由は何故なのか、自分の心を客観的に掘り下げてみられることをお奨めします。自分の性格や経験やコンプレックスが背景になっていることが判れば貴方の持論も変化する可能性大です。

補足日時:2010/03/05 02:08
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建設コストが陸上案のほうが安いから。

海上あるいは埋め立ては
コスト高であるし自然破壊が大きい。住民数減少の地域なら陸上案
が環境とコスト面で有利。経済通なら当然の意見でしょうね。

アメリカ軍基地をなくしただけでは隷属の解消とは成らない。
バルト諸国の歴史を日本がなぞる事になっては取り返しが付かない。

この回答への補足

回答ありがとうございます。
<<バルト諸国の歴史を日本がなぞる事になっては取り返しが付かない>>---バルト諸国の歴史って、ロシアの基地を無くして貧乏にでもなったと言うことですか?

補足日時:2010/02/28 18:22
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この回答へのお礼

陸上案よりも、基地自体がない方が経済効果が大きいようですよ。植草氏が経済通ならば基地はない方がいいと言うべきだと思うのですが。
以下は週刊朝日に乗っていた大田元沖縄県知事のインタビュー記事です。
大田:
基地がなくなったら、沖縄経済をどうするのかという声があるのは承知しています。
でも、実際は基地がないほうが経済は潤うんです。
返還された基地跡地を民間が再利用している現場を調べてみましたら、雇用も所得も目を見張るほど増えていました。
たとえば北谷町のハンビー飛行場跡地にハンビータウンと言うのができましたが、基地時代は約100人だった雇用が今は1万人近い。
町が得る固定資産税の税収効果も357万円から約2億8千万円に増えました。

復帰前は県民所得の過半数を基地からの収入が占めた時代もありましたが、今は6%足らずです。
現在の沖縄経済は基地ではなく、観光産業に支えられているのです。
そして沖縄にやってくる若者が好むエコツーリズムのメッカこそ、辺野古の大浦湾一帯です。

基地を作ったら、経済的面からの損失は非常に大きい辺野古に移設する場合のコストについても考慮すべきでしょう。
日本政府は辺野古移設費用は5千億円くらいに収まるとしていますが、米会計検査院によれば1兆円以上です。
しかも、辺野古基地の年間維持費は200億円近い。
その費用もアメリカは日本に負担させる腹づもりなんですよ。

お礼日時:2010/02/28 19:27

幾つかに要点を分けてお答えします。



まず第一点目。
人は、その人の思想や主張や主義が変化するのは恥でもなんでもない。
彼の思想の変化により普天間問題の主張がなされているとは到底思えないのですが、もし仮に彼の思想的変化によってその主張がなされているとしても、一体何が悪いのですか?

過去からずっと同じ思想・主義を頑固に持ち続け、時代や環境の変化に応じようともせず、人の都合も考慮せずに自説を押し通し続けるのを、バカ、、、と言います。
もしその思想・主義が公正性や客観性の観点から見て誤り若しくは不都合であったとしたら、その思想・主義を変節してもらわねば公正・客観の見地から邪魔になります。
そういう邪魔な人間が大きな影響力を持って誤った価値観を社会に押し付け続けるのであれば、社会からの排除、若しくは存在の否定をしなければ社会の公正を保てません。

なので、時代・環境の変化によって自説・自分の主張や思想を変化させていくのは、良い事です。


次に第二点目。
対米従属からの脱却と言いますが、普天間の県内移設・陸上案が何故に対米追従の続行になるのですか?
対米追従の打破とは、沖縄米軍基地の国外への移設に限られるのですか?

私は自称極右ですが(ま、ただ自称しているだけですが)、「対米追従の打破」だけして自国日本の為を考えないのは、我々極右の思想にはありません。
自国の国益が優先されるため、その為に対米追従からの脱却が必要なのであり、対米追従さえ打破してしまえば国益なんぞどうでも良い…という訳にはなりません。
対米追従の脱却だけして国益を蔑ろにする…というのであれば、それはよくある日本左翼… もっと言えば売国左翼・妄想左翼並みの主張じゃないですか。
彼はそのような左翼なのですか? 私にはそのようには見えていません。


更に第三点目。
私は自称極右ですが(ま、ただ自称しているだけですが)、その極右の私から見て最も良い解決策は、沖縄米軍は少しの即応部隊を沖縄に残して、殆ど全て、その主力部隊をグアムに移設するのが日本と米国の利益に合致すると考えています。
問題は、普天間に海兵隊即応部隊を残しておけば、事故の確立のかなり高い危険な基地ですから、その点が困る。
なので少人数の海兵隊即応部隊の移動先が必要。この移動先は嘉手納空軍基地にごく近い場所であることが、戦略上必須です。(日本と米国の国益上の問題)
どう考えても普天間の移設先(海兵隊の少数即応部隊の移設先)は辺野子にしかありませんが。


と。
誰が見てもこのような常識的な案が、10年も前に自民党と米国の間で合意し、民主党がデタラメやっても行き着く先はそこにしかない。
ちなみに間違ってもらっては困るのは、普天間の海兵隊主力はグアムに移動するのであって、辺野子に移動するのは小数の即応部隊。
だから、それを嘉手納基地に入れてしまえ、という合併案も出てくるわけです。

さて・・・彼は自称極右である私とほぼ合致する案をベターだとしているそうですが、彼は私のような極右なんでしょかね。
いや。自民党も私と同じ考えであり、なので自民党も極右。
その上、民主党も私と同じような案らしいので、民主党も極右。
しかも、米国も私と同じ案なので、米国も極右。
皆か皆、極右で・・・ww

ところで質問者さんは極右?じゃないわね。左翼か極左か、極右ではないただの普通の右翼? www

この回答への補足

う~ん、どうも私の知りたいことには答えて頂いてないんですが、しかし、第一点目に関しては完全にwwbcさんが間違っていると思うので反駁しておきます。私は個人的に「性格学」を勉強して来て、欧米人がほぼ「パラノイア気質」であるのに対し、日本人が「ヒステリア気質」であることが分かりました。二つの特徴の大きな違いはパラノイアが「不変、頑固」であるのに対し、ヒステリアは「変わり易い」ことです。心理学や性格学をかじったことのない方には「?」でしょうが、これは仮説ではなく、ほぼ確定した説だろうと思います。そうです、ヒステリー性格者は時流や環境の変化に合わせて、言うことが変わって行くのです。この性格が戦時中、日本人文化人や言論人たちの総「転向」を生みました。日本人に特異な現象です。戦前は「平和」を唱えていたのに、戦中は黙ってしまうか、あるいは積極的に戦意高揚の詩を発表したり、軍国政府の理論的支柱を与えたり、そして戦後になるとまた「平和と民主主義」に戻りました。日本の戦争報道がどのように変化して行ったのか、以前はネットで全部読めたのですが、今は下記の本に納められたようです。
『メディアコントロール―日本の戦争報道』
旬報社、全301頁、2005年11月25日刊行、定価2,415円
国際関係学部 教授 前坂俊之

しかも、どのように変化するのかと言うと、「力に屈する。権力になびく。時流に乗る」という方向に変化するのです。決して反対の方向には変化しません。このようなことを許してはなりません。清水幾太郎などは自分の変節を「思想的発展」と言ったと記憶していますが、お前の「思想的発展」のせいで一体何万人の日本人が死んだと思ってるんだ!と怒鳴りつけたい衝動に駆られます。
少なくとも文化人、学者、言論人たるもの、自説を公にする段階で十分過ぎるほど自説の客観性を吟味すべきです。一旦公に発表すれば、その説に関しては一生涯、責任を持つのが筋です。新聞人や作詞家や詩人は、戦時中に自分が作ったものに関しては言い訳が出来ないでしょう?だから、新聞人や高村光太郎などは自分の行いを恥じて「懺悔」をしています。しかし、屁理屈をこね回すことに慣れている学者というのはタチが悪い。懺悔するどころか「思想的発展」とか言って居直る。wwbcさん、貴方の言ってる理屈は「屁理屈」ですよ。
なぜ権力になびくのか?なぜ時流に乗るのか?全て保身のためです。弾圧や拷問で死にたくはないのです。それとは逆に時代の寵児であり続けたいのです。

補足日時:2010/02/27 17:55
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この回答へのお礼

変化するなら、国民のため、国のため、自己犠牲する方向に変化してくれればいいのですが、日本人の変化というのは正反対の方向に変化するから害が大きいのです。創価学会は戦中21人の幹部の中、19人が転向した歴史を持っております。あれほど平和々々と言ってた創価学会・公明党がイラク戦争では平和を捨てました。同時期に年頭の学生部幹部会での提言で池田氏は「武力行使は必ずしも排除されない」とそれまでの「如何なる理由があろうとも戦争は許されない。生命の尊厳を掲げる大聖人の仏法からして当然のことだ」と言ってことから変化しました。私は「おっ、地金が出て来たな」と思いました。権力になびき、時流に乗った結果でした。
<<時代や環境の変化に応じようともせず>>---wwbcさん、技術の革新とか企業の戦略とかと混同されてませんか?技術の革新などは確かに時代のニーズを敏感に嗅ぎ取って時代に即応して行かないといけませんが、人間の考えというのは、そうコロコロ変わってもらったら困ります。考えが、元々時代や環境を越えるものに立脚していないから、時代が変わると考えも変えないといけなくなるのです。
要するに、その人に「普遍の哲学」というものがないからそうなるわけです。考えが浅過ぎるということですね。そんな浅い考えを軽々しく公に発表してもらいたくありませんね。

お礼日時:2010/02/27 18:05

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