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 犯人の行為は 人間の意志によって為されたものでありながら その意志は人間の意志ではなかった。――こう判断する人間の意志行為は 哲学のものではないのか?

  ▲ (ヰキぺ:ザビーヌ・ダルデンヌ) ~~~~~~~~~~~
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%93% …
  ザビーヌは1996年5月28日、12歳のときに通学中に誘拐され、犯人の家の特製地下室(幅99cm・奥行き2m34cm)に80日間閉じ込められる。その間、小児性愛者である犯人から性的虐待を受け続けた。
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 * 参照→【Q:ザビーヌ事件について】
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5548780.html

A 回答 (21件中21~21件)

こんにちは。



危ない思想性に導くからです。

日本の現代の児童ポルノの問題を考えてみてください。

虐待、DV、セクシャルハラスメントこういう言葉は日本での歴史は、比較的新しいのです。存在してても、言うのはタブーでした。

お相撲さんの虐待死は、今まで隠されていた歴史的事実です。
ジェンダーは、武士論では公然と肯定されています。

社会が成熟すると、明らかになってくることもあるのです。
モラルが重要視されてくるという必然の潮流です。

個人的人生論とは相反します。難しい問題ですね。
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

 ★ 危ない思想性に導くからです。
 ☆ ふうむ。そうですね。たとえば 拉致事件について考えてみてください。
 ほとんど抵抗力の及ばない力によって身体を拘束され 連れ去られる。この行為は むろん犯罪であり それは人間の意志行為としておこなわれたにもかかわらず 人間の意志だとは認められない。すなわち 無効である。――と判断すると 《危ない思想性に導》かれるのですか?
 どういう《危ない思想性》ですか?
 《タブー》と見なされている事柄については 判断を明らかにしないというご見解でしょうか? 表現の自由をご存じないのですか?
 ★ モラルが重要視されてくるという必然の潮流です。
 ☆ そういった社会の思潮の移り変わりには関係ないはずですよ。表現行為の自由という人間の自由はです。
 ★ 個人的人生論とは相反します。難しい問題ですね。
 ☆ よく分かりません。人生論に反するというのは 誰の人生論ですか? 反しようが合っていようが やはり表現の自由です。何ら《難しい問題》ではありません。どうでしょう?

 * むろん表現の自由には 何も表現しないという自由もあります。ただしだからと言って 表現する自由を制約する社会的な動きや力の側に何故まわらなければならないのでしょう?

お礼日時:2010/03/05 22:35

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