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吉井さんの「夏はきぬ相模の海の南風にわが瞳燃ゆわがこころ燃ゆ」の短歌の解説か訳を教えてほしいです。また、サイトのURLでも結構です。

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A 回答 (1件)

明治43年、鎌倉、藤沢と移り住んだ吉井勇が処女歌集『酒ほがひ』を発表しました。


その中の一首ですね。
夏はきぬ 相模の海の南風に
       わが瞳燃ゆ わがこころ燃ゆ

吉井勇が酒と女性と愛して放浪をしている時の歌ですね。

相模の海に、夏がやってきます。
南の海の風に、私の瞳や心は恋の期待も脹らんで
急に浮き浮きしだします。

こういう解釈でいかがでしょうか。

参考URL:http://www.shonan134.com/chiteki/bungaku.html
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この回答へのお礼

どうも、ありがとうございました!!
夏はきぬ…の解釈、とても役に立ちました!!!!

お礼日時:2003/07/03 14:09

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Qテスト直前なのに、短歌の区切れがわかりません………。

短歌の句切れ、どのように見分けたらよいのかがわかりません。
感動の助詞(けりなど)がなかったら『句切れなし』なのでしょうか?

以下の句の句切れ、自分で考えても理解できず、家族や友人に聞いてもわからないと言う返事しか返ってこなく、
ネットで調べてもよくわからないので困っています。
どうぞよろしくお願いします。

・防人に 行くはたが背と 問ふ人を 見るがともしさ 物思もせず(防人歌)
・多摩川に さらす手作り さらさらに なにそこの児の ここだかなしき(東歌)
・君待つと 吾が恋ひをれば 我がやどの すだれ動かし 秋の風吹く(額田王)
・近江の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに 古思ほゆ(柿本人麻呂)
・うらうらに 照れる春日に ひばり上がり 心悲しも ひとりし思えば(大伴家持)

すべて万葉集で、とても一般的な句なのだそうですが、よくわかりません。どうかよろしくお願いします。

Aベストアンサー

「句切れ」とは、和歌や俳句において、意味の上でいったん切れるところです。
以下のような場合があります。

1、切れ字のあるところ。
「切れ字」は、「や」「かな」「けり」など。俳句の項目で調べると分かります。でも、松尾芭蕉は「全て切れ字」とも言っていて、本質的には奥の深いもので、一概に「これが切れ字」とは言えません
↑「けり」は「詠嘆の助動詞」です(「助詞」ではない)。

2、係り結びの結んであるところ。
係助詞「ぞ」「なむ」「や」「か」は連体形で結び、「こそ」は已然形で結ぶ。

3、終止形や命令形で言い切っているところ。

4、体言止めで言い切っているところ。
ただし、体言で句が終わっていても、そこへ「を」「に」などの助詞を補ってあとの句へ意味がつながるような場合は、ここを句切れとは考えません。

5、倒置法のあるところ。

6、呼び掛け法のあるところ。

韻文の場合、芸術的に感心できませんが、一応、「解釈(分かりやすい現代語に訳す)」をしてみると、句切れも分かるかと思います。

*防人に・・・
あの九州の警備兵として徴兵されていくのは誰の旦那さんかしらね、と訊く人を、見ることのうらやましさと言ったらないよ。なんの悩み事もなくて(あの防人は私の夫なのだよ、私には危険な国境に夫を送り出すという悩みがあるのだ)。
→「ともしさ」が体言止めで、意味的に倒置法なので四句切れです。

*多摩川に・・・
多摩川に晒して作る布を見ていた。その「さらす」という音でふと思い出したが、さらにさらにどうしてあの子がこんなに恋しいのだろうか。
→「多摩川にさらす手作り」までは、「さらさらに」を導くための「序詞(じょことば)」で、和歌の解釈としては内容的な意味はなく、「手作り」は体言止めで、二句切れです。

*君待つと・・・
恋人のあなたの訪れを待って私があなたを恋い慕っていると、私の家の簾を動かして、あなたの代わりに秋の風が訪れ、あなたはまだ来ないのだった。
→順当な流れのうちに結句まで言い切っている歌で、句切れなし。ちなみに、古今集以降だと、「秋風」を「飽き」との掛詞(かけことば)と考えて、恋人の訪れがないのを、恋人とが自分に「飽き」たからだ、と、別れや失恋を暗示するのですが、万葉集だとそこまで読むのは深読みと考えられるでしょう。単に季節がほんとに秋だっただけ。女心の寂しさは詠み込まれているけど。

*近江の海・・・
琵琶湖に夕方立つさざ波に群れ遊んでいる千鳥たちよ、お前が鳴くと、私はひどくしみじみと悲しくなって、昔のことが偲ばれてならないよ。
→「夕波千鳥」を呼び掛け法と考えても、単なる体言止めと考えても、いずれにせよ二句切れ。

*うらうらに・・・
うららかに照っている春の陽射しに雲雀が空高く舞い上がり、私の心はいっそう悲しいなあ。一人ぼっちで物思いに耽っているので。
→「心悲しも」の「も」は、上代特有の助詞で、詠嘆を表すので、ここで切れて四句切れ。春の憂愁(メランコリー)を詠い、万葉集としてはかなり進んだ、中古的美意識をもって詠んだ歌。雲雀の楽しそうなさえずりと、自分の憂鬱な物思いとの対比。

万葉集の和歌には、二句や四句の偶数で句切れのある歌が多いのです。
五七/五七/七
と「五七」のリズムが強調されるので、「五七調」と呼ばれます。
(古今集以降の和歌は、初句や三句の奇数句で句切れのある歌が多く、五/七五/七七と「七五」のリズムが強調されて、「七五調」と呼ばれます)
五七調の和歌は、五音という軽い上半身を、七音という重い下半身でしっかりと支えるので、歌体が安定し、堂々とした力強い響きをもたらします。
七五調の和歌は、反対に、七音という重い上半身が、五音という軽い下半身の上に乗っかる格好になるので、歌体はふらつき、なよなよとした流麗な流れの良い歌になります。

「句切れ」とは、和歌や俳句において、意味の上でいったん切れるところです。
以下のような場合があります。

1、切れ字のあるところ。
「切れ字」は、「や」「かな」「けり」など。俳句の項目で調べると分かります。でも、松尾芭蕉は「全て切れ字」とも言っていて、本質的には奥の深いもので、一概に「これが切れ字」とは言えません
↑「けり」は「詠嘆の助動詞」です(「助詞」ではない)。

2、係り結びの結んであるところ。
係助詞「ぞ」「なむ」「や」「か」は連体形で結び、「こそ」は已然形で結ぶ...続きを読む

Q「酒ほがひ」とは

吉井勇の処女歌集「酒ほがひ」という題名について質問させていただきます。
この言葉の意味は、「酒を飲んで喜ぶ」という意味なのだそうですが、「ほがふ」という動詞があるのでしょうか。「祝(ほ)ぐ」「ことほぐ」という日本語がありますが、関係あるでしょうか。

Aベストアンサー

「ほがふ」という動詞はありますよ。お察しの通り、「ほく(祝)」という動詞の未然形「ほか」に反復継続の助動詞「ふ」がついてできたものです。後世には
濁って「ほがふ」の形になりました。

「ほがひ」はその「ほがふ」の連用形の名詞化です。
祈る、または祝福するといった意味で、「言(こと)祝(ほ)ぐ」というのも
ここから来ています。つまり「言葉で祝福する」ということですね。

しかしそうすると「酒ほがひ」というのは「酒で祝福する」という意味に
なるのでしょうか…? 「酒を飲んで喜ぶ」というのは微妙にずれている気も
しますが。酒を予祝するといった意味合いとも取れますかね?

Q歌人・与謝野晶子の作品に【まんじゅしゃげ ひとむらもえて あきひつよし

歌人・与謝野晶子の作品に【まんじゅしゃげ ひとむらもえて あきひつよし はつなつのくも】
これは私のうろ覚えなので、実際はちょっと違っていると思いますが、もしもこの歌の、正確な文と、正確な漢字と読み方をご存じの方がいらっしゃいましたら、教えて下さい。
まんじゅしゃげが彼岸花のことであることは存じております。秋の咲くころに、引用したい事情ができましたものですから。どうぞよろしくお願いします。

Aベストアンサー

よかった^^

きのした りげん
本名は としはる と読ませるようです。

Q落窪物語の現代語訳を教えて下さい

落窪物語の現代語訳が知りたいです。

範囲は

『ひき入りて寄するを』~『泣きみ笑ひみしたまふ。』

までです。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

  http://www.komazawa-u.ac.jp/~hagi/txt_ochikubomonogatari.txt

引き入れて寄するを、からうじてこのをのこ一人出で来て、「あらず。御達の参りたまふぞ」と言ひて、ただ寄せに寄す。御達のとまりたりけるも、皆下におりて、人もなきほどなり。あこき「早うおりたまへ」と言へば、少将おり走りたまふ。部屋には鎖しさしたり。これにぞ籠りけると見るに、胸つぶれて、いみじ。はひ寄りて、鎖ひねり見たまふに、さらに動かねば、帯刀を呼び入れたまひて、うちたてを二人してうち放ちて、遣戸の戸を引き放ちつれば、帯刀は出でぬ。いともらうたげににて居るを、あはれにて、かき抱きて、車に乗りたまひぬ。「あこきも乗れ」と宣ふに、かの典薬が近々しくやありけむと、北の方思ひたまはむ、ねたういみじうて、かのおこせたりし文、ニたびながら、おし巻きて、ふと見つくべく置きて、御櫛の箱ひきさげて乗りぬれば、をかしげにて、飛ぶやうにして出でたまひぬ。誰も誰も、いとうれし。門だに引き出でてければ、をのこども多くて、二条殿におはしぬ。
 人もなければ、いと心安しとて、おろしたてまつりたまひて、臥したまひぬ。日ごろのことども、かたみに聞えたまひて、泣きみ笑ひみしたまふ

  http://attic.neophilia.co.jp/aozora/htmlban/OTIKUBO1.html

車を引き入れて寄せるとやっと男が一人出てきて、「なんの車ですか、皆出て行ったところへ」と、とがめるので、
「何でもありません。女房が参るのです」といって、そのまま寄せる。女房たちの残っている者も、みな自分の部屋に下がって誰もいないときである。阿漕《あこぎ》が、「早くお降りください」というと、少将《しょうしょう》は降りてお走りになる。部屋には鍵がかけられている。ここに閉じこめられていると思うと、胸がつぶれるほど悲しい。走り寄って鍵をひねって見るがまったく動かないので、帯刀《たちはき》を呼び入れて、うちたて【諸説あり不明】を二人でうち壊して遣戸《やりど》を引き開けると帯刀《たちはき》は出て行った。姫君がたいそうかわいらしいようすで座っているのを、愛《いと》しく思って抱き上げて車にお乗りになった。
「阿漕《あこぎ》も乗れ」とおっしゃるので、典薬助《てんやくのすけ》が近づいたと北の方がお思いになることを、たいそうくやしく思ってあのよこした手紙二枚を巻いて、簡単に見つけられるところに置き櫛の箱をもって乗ると車は愉快そうに飛ぶように速く出て行く。みな嬉しい。門さえ出てしまったので護衛の男たちがたいそう多くしたがって、二条の邸《やかた》においでになった。だれもいないのでたいそう気楽だと思って、姫君をお下ろしになって横におなりになった。日ごろのことを語り合って泣いたり笑ったりなさる。

 《注意点》
 質問者が『ひき入りて寄するを』~『泣きみ笑ひみしたまふ。』とおっしゃっても、私たちはそれを見ることはできません。「落窪物語」が二、三ページ程度のものなら、簡単に見つかるでしょう。この場合は結構長いので困ります。わたしはテキストファイルの検索機能を使って探すことはできました。
 もう一つの問題は、質問者のお持ちのテキスト、原文を掲載したサイトの用いているテキスト、現代語訳を載せたサイトのテキスト、この三つに違いがあることがあります。現実に「原文」と「現代語訳」とを比べると<「なんの車ですか、皆出て行ったところへ」と、とがめるので、>と現代語訳にある部分が原文では抜けた形になっています。これはテキストに違いがあるのだろうと思います。(古文の場合こういうことが時々起きます→底本の差)質問者はお持ちのテキストと比較して、処置しください。現代語訳は適切と判断しました。

  http://www.komazawa-u.ac.jp/~hagi/txt_ochikubomonogatari.txt

引き入れて寄するを、からうじてこのをのこ一人出で来て、「あらず。御達の参りたまふぞ」と言ひて、ただ寄せに寄す。御達のとまりたりけるも、皆下におりて、人もなきほどなり。あこき「早うおりたまへ」と言へば、少将おり走りたまふ。部屋には鎖しさしたり。これにぞ籠りけると見るに、胸つぶれて、いみじ。はひ寄りて、鎖ひねり見たまふに、さらに動かねば、帯刀を呼び入れたまひて、うちたてを二人してうち放ちて、遣戸の戸を引き放ちつ...続きを読む

Q現代文B 短歌と俳句

現代文B 短歌と俳句 【花びらをひろげ疲れしおとろへに牡丹重たく夢をはなるる】について

①「花びら」の質感を的確に表現している一語を歌中から抜き出してください

②この歌の上の句と下の句との関係を
示したものとして最も適当なものを
次の中から選んでください。

ア 原因と理由
イ 原因と結果
ウ 結果と説明
エ 経過と結論

【マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや】

①「祖国」の現状を暗示している語句を
歌中から四字で抜き出してください。

②「身捨つるほどの祖国はありや」について、「や」は反語の係助詞であるが、反語表現であることがよくわかるようにこの部分を口語訳してください。

Aベストアンサー

【花びらをひろげ疲れしおとろへに牡丹重たく夢をはなるる】
①⇒「重たく」でしょうね。椿の花は、落ちるときに「ぼとっ」と音がするほど重いものだそうです。
②⇒咲き頃を過ぎた椿の花が衰えたのが原因で、花が重たそうに枝を離れた(散った)。
枝について咲いているときは椿は夢見ている状態だったわけですが、その夢を離れた。
「おとろへに」の「に」は、大辞泉の【7 動作・作用の原因・理由・きっかけとなるものを示す。】という用法になります。
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/166083/meaning/m1u/%E3%81%AB/
ということで、
イ 原因と結果 
が正解。

【マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや】
①⇒霧ふかし。
②「身捨つるほどの祖国はありや」
・直訳⇒この身を捨てるほどの祖国はあるだろうか、いや無いだろう。
・意訳⇒(私たちの祖国は)この身を捨てるほど価値のある祖国だろうか、いやそうではないだろう。


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