奈良の西ノ京にある薬師寺。法相宗の総本山ですが、なぜ薬師如来の名前が寺の名称になっているのでしょうか。唯識といえば弥勒菩薩だと思うのですが…。どなたか教えて下さい。

A 回答 (2件)

もともと、天武天皇が皇后である持統天皇の病気平癒を願って建立されたのが薬師寺です。


“病気平癒”の仏さまといえば「薬師如来」なので、ご本尊を薬師如来にしたのでしょう。そこで「薬師如来」のお寺ということで「薬師寺」になったのだと思います。

とはいえ、薬師寺の公式サイトを見ても、最初から薬師如来が本尊として祀られていたわけではないようで、このあたりのことは公式サイトやWikipediaを見てもよく分かりませんでした(斜め読みしただけなので、きちんと読めば解決するのかもしれません)。

また、確かに薬師寺は現在は法相宗のお寺ですが、建立された時代、南都仏教のお寺の多くは今のようにきちんとした宗派として分かれていたわけではなく、どのお寺でもメインの教義以外の教義(南都六宗)も兼ねて学んでいたと、仏教史の時間に習った記憶があります(遠い昔なので自信はないですが)。

法隆寺(現在は聖徳宗、少し前までは法相宗)も本尊は釈迦如来だったと思いますし、建立の由来によって本尊が決まり(あるいは本尊が先にあってお寺が建立された場合もあり)、宗派の教義とは別のレベルでお寺が誕生し、宗派は後からついてきた(後から○○宗の高僧をお寺に住まわせた)ということなのではないかと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

宗派があとからついてきたというのは、なるほどとそうかぁ~と思いました。もう少し調べてみたいと思います。

先日、薬師寺の花会式を見にいった際、たまたま近くにいたお坊さんに尋ねたところ、「たしか弥勒菩薩さまが薬師如来さまをおよびになられたと聞いていますが、確かな事は私にはわかりません」と答えられました。結局、確かな事はわかなかったのですが、僕の中では弥勒菩薩と薬師如来とのつながりを示しているのかもしれないと大変興味をもったので質問させてもらいました。

どうなんでしょうかね。関係ないかもしれないし、もう少し調べてみます。どうもありがとうございました。

お礼日時:2010/04/17 22:19

お礼、ありがとうございます。



「弥勒菩薩が薬師如来をお呼びになった」というのは、いかにもお坊さんらしい回答ですね。
これまでも、そうやっていろんな“伝説”が作り上げられてきたのでしょう。
詳しいことが分からないから、あるいは分かっていても“素人”に説明するのは難しいから、“物語”を作って分かりやすくという手法だと思います。
あるいは、そういった霊験あらたかな“伝説”で衆生を引き込む……。
実際、お寺の縁起にはそうあるのかもしれませんね。

そのお坊さんは薬師寺のお坊さんだったのでしょうか。
薬師寺のお坊さんだったら、薬師寺の歴史については一通り知っていらっしゃるので、「確かなことは分からない」とは言わないような気がするのですが……。

私の大学の先輩に薬師寺のお坊さんがいるのですが、その人を初め、とにかく薬師寺のお坊さんは、みな説法上手です。あることないこと、面白おかしく説いて、衆生を仏法に導く名手ばかりです(もちろん褒め言葉です)。
もし今度薬師寺に行かれたら、薬師寺のお坊さんにお聞きになられたら答えてくださると思います。
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Q『薬師寺僧形八幡神像』について

薬師寺僧形八幡神像についてですが、受験参考書には平安時代の本知垂迹説の例として記載されています。
しかし、本知垂迹説は [仏=本体 / 神=仏の仮の姿]と習いました。薬師寺僧形八幡神像は、僧侶(仏)の形をした神像ということですが、これでは理屈があわないように思います。だって、薬師寺僧形八幡神像の外観は仏で、中身は神像ってことですよね。本地垂迹説は、仏像は神の形をしているってことだから。。。。紛らわしいです。

それとも、薬師寺僧形八幡神像はただの神仏習合なんでしょうか。

Aベストアンサー

 こんばんは。

 いま手元の成書(『仏像図典』佐和隆研編 吉川弘文館)を見ました。「本地垂迹説」に基づく作例で、、八幡神の本地とされているのは、「岩清水八幡曼荼羅」の中に示されている「阿弥陀如来」だけでした。
 また、本地垂迹の作例は、絵図が多く、神-仏の対象が、はっきり描いてあるものか、神形の作例がほとんどです。

 薬師寺像は、どうみても阿弥陀様じゃない。

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 よって、薬師寺像は、本地垂迹説に基づいた作例とはいいがたいでしょう。ご説の通り、広く「神仏習合」の作例と考えた方がいいかと思われます。

 ご参考になれば。

Q弥勒菩薩が下生するという信仰

弥勒菩薩が下生するという信仰は現代にも息づいているのでしょうか?

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こんばんは

あるようです
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東京別院に聞いてみますか?
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Q弥勒菩薩って誰が考えたんですか?

疑問におもったのですが弥勒菩薩って誰が考えたんですか?
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先の回答にもありますが、それまでのインドにあった宗教(ヒンズー教など)の神々を仏教に取り入れる例は多く見られます。

詳しくは忘れてしまいましたが、「ミトラ神」とか「ミスラ神」とかいう神様が元になっているようです。
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「誰が考えたか」については、釈尊入滅後の仏教徒たちということになるでしょうね。

先の回答にもありますが、それまでのインドにあった宗教(ヒンズー教など)の神々を仏教に取り入れる例は多く見られます。

詳しくは忘れてしまいましたが、「ミトラ神」とか「ミスラ神」とかいう神様が元になっているようです。
「弥勒」はサンスクリットで「マイトレーヤ」と言いますが「ミスラ」「ミトラ」と発音が似ていますよね。

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Q奈良の薬師寺について。

 薬師寺に大津皇子が祀られていると聞いたのですが、薬師寺の公式ホームページを見てもよくわかりません。

 ご存知の方、情報をお待ちしております。

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歴史上の釈尊が悟られた「法(ほう<ダルマ>)」そのものを尊格化した仏が大日如来です。このように法そのもの尊格化した仏を「法身仏(ほっしんぶつ)」といいます。
教科書的に言うと仏教を開かれたのは釈尊ですが、たとえ釈尊が存在していなくとも、法そのものは始まりも無ければ終わりも無く永遠に連綿と存在しています。そしてその法(=大日如来)は、この宇宙を構成するすべてに包括されていて、一切のものは大日如来の顕現であります。それを図式化、視覚化したものが曼荼羅です。そしてその法はすべての衆生が悟ることが可能であると密教は説きます。こう考えるとこの法を悟られ、そして説かれた釈尊の偉大さがよりいっそう際立つと思いませんか。

Q本薬師寺、平城薬師寺は全く別のものですか。

本薬師寺、平城薬師寺は全く別のものですか。

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天武天皇が鵜野讃良(うののさらら/後の持統天皇)皇后の病気平癒を祈願して薬師寺を創建されました。
698年ごろにはほぼ完成したと考えられています。

これが現在の藤原京跡にある本薬師寺です。

710年の平城京遷都にともなって、薬師寺は飛鳥から西ノ京に移転しました。

これが現在の薬師寺です。
730年には東塔が完成したようです。

平城京への移転したのちも、藤原宮の薬師寺(本薬師寺)はしばらく存続していたようです。

本薬師寺跡には金堂・東塔の礎石、西塔の心礎が残っています。

詳しくは下記を参照ください。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%AC%E5%B8%AB%E5%AF%BA

Qズバリ、唯識の欠点とは何か? 現代哲学はどう唯識を本質的に批判できるの

ズバリ、唯識の欠点とは何か? 現代哲学はどう唯識を本質的に批判できるのか? 答えられる方があればお願いします。ちなみに、百歩譲って、下のwikipediaの記述における間違いでも結構です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98
唯識とは、個人、個人にとってのあらゆる諸存在が、唯(ただ)、八種類の識によって成り立っているという大乗仏教の 見解の一つである。ここで、八種類の識とは、五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)、意識、2層の無意識を指す。よって、これら八種の識は総体として、ある個人の広範な、表象、認識、思考の諸行為を内含し、それらと相互に影響を与えあうその個人の無意識の領域をも内含する。
あらゆる諸存在が個人的に構想された識でしかないのならば、それら諸存在は主観的な虚構であり客観的存在ではない。それら諸存在は無常であり、生滅 を繰り返して最終的に過去に消えてしまうであろう。即ち、それら諸存在は「空」であり、実体のないものである(色即是空)。このように、唯識は大乗仏教の空 (仏教)の思想を基礎に置いている。また、唯識と西洋哲学でいう唯心論とは、基本的にも、最終的にも区別されるべきである、、、

ズバリ、唯識の欠点とは何か? 現代哲学はどう唯識を本質的に批判できるのか? 答えられる方があればお願いします。ちなみに、百歩譲って、下のwikipediaの記述における間違いでも結構です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98
唯識とは、個人、個人にとってのあらゆる諸存在が、唯(ただ)、八種類の識によって成り立っているという大乗仏教の 見解の一つである。ここで、八種類の識とは、五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)、意識、2層の無意識を指す。よって、これら八種の識は総体として...続きを読む

Aベストアンサー

 アニメを基にして思想哲学出来る人がいて、その人は何でも解っているそうです。

 私以上の回答をしてくれるだろうから、その人が投稿してくれるまで待ちましょう。

 きっと良い回答をしてくれると想います。

Q10月23日の奈良国立博物館、法隆寺、薬師寺、東大寺の回り方

10月23日の奈良国立博物館、法隆寺、薬師寺、東大寺の回り方
正倉院展が始まる奈良国立博物館と法隆寺とその夢殿、薬師寺東塔と東大寺(できれば春日大社と興福寺)の、回り方を教えて下さい。当日は京都駅から出発し、電車を使って朝から1日中観光する予定です。
時間があれば春日大社と興福寺も行きたいのですが、、、。
必ず行きたいものは博物館、法隆寺、薬師寺、東大寺で、その後に≧春日大社>興福寺、です。メインは博物館です。昼食でこの途中で寄れるおすすめの場所がありましたら是非教えてください。
行きたいところが多すぎて無駄のない回り方が分からなくなってしまいました。御回答のほど、どうぞよろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

奈良県民です。

まず正倉院展は時間がたてばたつほど混みますから
朝イチから行きましょう。

興福寺は五重塔初層の特別拝観があるのですが、
順番低いですか?高ければこちらも混むので、真っ先に行くべきなんですが。
なければ、帰りにちょっと寄る程度でいいでしょう。
http://www.kohfukuji.com/event/detail.cgi?event_seq=00000010

院展から東大寺はすぐですから、東大寺へ。
帰りに興福寺から猿沢池経由で帰りましょう。

興福寺はパスして春日大社へまわり、
近鉄奈良までバスで帰ってもいいです。

ここらのあいだでだいたいお昼です。

近鉄奈良から西大寺で乗り換えて近鉄橿原線で西の京下車。
薬師寺が目の前です。

法隆寺に行くとかなり効率が悪いのでお勧めしませんが、
(あきらめたら他にもいけるし、もう少しゆっくりもできます)

近鉄橿原線で筒井へ。バスで乗り換えて法隆寺前へ
筒井でさえ1時間に2本しかないのです。
http://jikoku.narakotsu.co.jp/Jikoku_pdf/gene2/pdf/00786_00786_00001.ps.pdf
もしくは薬師寺からダイレクトでパスと言う手もあります。
こちらは1時間に1本。おまけにいつも混雑する道路を走るので時間がかかります。
http://jikoku.narakotsu.co.jp/Jikoku_pdf/gene2/pdf/00340_00340_00000.ps.pdf

お昼は東大寺前に夢しるべ風しるべという施設があり
さまざまなお店が並んでいます。
http://www.yume-kaze.com/

春日からバスなら夢しるべ・・・は使いにくいので、
奈良駅周辺で適当に。。

奈良県民です。

まず正倉院展は時間がたてばたつほど混みますから
朝イチから行きましょう。

興福寺は五重塔初層の特別拝観があるのですが、
順番低いですか?高ければこちらも混むので、真っ先に行くべきなんですが。
なければ、帰りにちょっと寄る程度でいいでしょう。
http://www.kohfukuji.com/event/detail.cgi?event_seq=00000010

院展から東大寺はすぐですから、東大寺へ。
帰りに興福寺から猿沢池経由で帰りましょう。

興福寺はパスして春日大社へまわり、
近鉄奈良までバスで帰ってもいいです。

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Q阿弥陀如来と大日如来

釈迦如来は俗に言うお釈迦様なので理解できるのですが、なぜにその上に阿弥陀とか大日を作ったのでしょうか。キリスト様の上にゼウスを作るのと同じと思うのですが、それゆえに観念的で理解しずらいのです。
個人的にはお釈迦様の教えやキリスト様の教えで良いと思うのです。権威を高める効果よりも権威をおとしめる効果の方が強いと私は思うのです。また孔子様の上には居ないと思います。なぜなのでしょうか。

Aベストアンサー

お礼、ありがとうございます。

☆結局のところ、大日如来を作る思想は釈尊は大勢の内の一人に過ぎないとの論理でなのですね。
◇一人というよりは、大乗仏教ですね。
大乗仏教において、仏陀の拡大が行われた、と考えるべきなのでしょう。
そして、応身、報身、法身という仏身の考え方は、大乗仏教特有なものです。
いわゆる小乗仏教では、こうした仏身の考え方をしません。
小乗でかつて最も有力な学派であった説一切有部は、思弁的な存在としての法身の存在は認めていましたがね。
といいますか、
法身というものを考えついたのは、説一切有部らしい。



☆東南アジアの仏教では釈尊が崇拝されています。
◇東南アジアの仏教は、テーラヴァーダと呼ばれる、小乗仏教の一派です。
ですから、阿弥陀仏や大日如来を仏陀としては認めていません。
ただし、
彼らの経典に登場する、釈迦以前にいたとされる六仏の存在は認めています。



☆阿弥陀如来も薬師如来もクリクリ頭ですが、大日如来は帽子をかぶって頭を隠しているのです。
◇大日如来のあの姿は、インドで生まれた密教の経典に書かれており、それを図像として表現したものです。
頭に冠かぶり、光り物を付けている姿は、実は、菩薩の姿なんですよ。
パンチ頭姿でネックレスなどの光り物を付けない姿が、仏さまの姿。
じゃぁ、何で、大日如来は菩薩の姿で書かれているの?
これは、分かりません(ポリポリ)。
「他の仏(釈迦や阿弥陀仏)などと区別、差別化をするためで、
仏の中の王者であることを表わすために、冠や光り物を身につけているのだ」
という説なんかは存在しますが。
ちなみに、奈良の大仏も大日如来です。

で、何で、菩薩は冠やネックレスなどの光り物をつけているかですが、
菩薩の姿は、出家前の釈迦の姿なんですよ。
お釈迦様は、出家前、王子だったから、冠や光り物を付けていた。
だから、菩薩は冠やネックレスなどの光り物を身につけている。

チベットには、日本に入ってこなかった、インド最末期の仏教(密教)が入っているので、チベットで描かれる大日如来の姿は、また、日本のそれとは異なっています。
チベットの大日如来には、お妃がいますしね~♪
そして、お妃とエッチなことをしている姿で描かれていたりします。
───これはこれで、深い意味が込められています───

仏さまにも、時代によって流行り廃りがあるようで・・・、
これ以上書くと混乱させるだけなので、止めておきます。


☆インド人ではないと言っているかのごとくです。大日如来は中国人が作ったものなのでしょうか。
◇ですから、大日如来は、インド人が作ったものです。
ただ、それを絵や仏像として表現する時には、
中国ならば中国人的な顔に、
日本ならば日本人的な顔になりますけれど。
ですが、
その姿は経典などに書かれています。

お礼、ありがとうございます。

☆結局のところ、大日如来を作る思想は釈尊は大勢の内の一人に過ぎないとの論理でなのですね。
◇一人というよりは、大乗仏教ですね。
大乗仏教において、仏陀の拡大が行われた、と考えるべきなのでしょう。
そして、応身、報身、法身という仏身の考え方は、大乗仏教特有なものです。
いわゆる小乗仏教では、こうした仏身の考え方をしません。
小乗でかつて最も有力な学派であった説一切有部は、思弁的な存在としての法身の存在は認めていましたがね。
といいますか、
法身というもの...続きを読む


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