プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

思わぬ結果をもたらした映画を教えてください。

古い映画でも、新しい映画でもかまわないのですが、
制作側や配給会社が意図していなかった結果が生じた日本映画をご存知でしたら、
ぜひ教えてください。

例えば、
想定していた年齢層ではない世代が客層になった。
反響が大きすぎて、上映を中止せざる終えなかった。
興行を期待していなかった映画が思わぬ大ヒットに繋がった。等等。

私は現在、大学生なのですが、予想だにしなかった影響について興味があります。
海外に目を向ければ色々とあるのですが、私の知識では『愛のコリーダ』『薔薇の葬列』
ぐらいしか、日本映画は思い当たらなくて・・・

皆さんの経験と知識を聞かせていただければ幸いです。

A 回答 (14件中1~10件)

ディカプリオのシャッターアイランドが面白いです。


最後の方で感が鋭い人なら結末が分かりますがそれでも面白いです。
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アニメですが、「宇宙戦艦ヤマト」



70年代当時はまだ、アニメを「映画」として、1本独立上映するという考えが、映画会社にはありませんでした。「東映まんが祭り」「東宝チャンピョン祭り」といった、夏休みお子さま向け番組の中で、いくつかの映画といっしょに上映するものでした。

ヤマトはアニメで初めて「組織対組織」を描写した作品でもありました。アウトというサブカル雑誌が出版史上初のアニメ特集としてヤマト特集をし、アニメージュが創刊、ヤマト特集を組み、とあおられた結果、これが大ヒットしたのです。私はお子さまでしたが、とんでもない行列ができていたとテレビ・新聞で報じられるほどの出来事でした。たかがマンガ映画が、アニメ映画として、子供より上のティーン・エイジが熱狂することがわかった瞬間です。

そのころ、「ヤマトをぶっつぶせ」と、名古屋テレビをキー局にした「機動戦士ガンダム」が放送されました。が、本放送の視聴率が振るわなかったので、途中で打ち切りになってしまいます(あと13話あるほずだった)。ところが、終盤にアニメ雑誌の目に触れ、いままでとちがうアニメ、という情報が流れ始めたタイミングでおわってしまったので、テレビ局に再放送希望の声が殺到しました。結果異例の速さで再放送され、平日17時30分枠だったのですが、29パーセントの視聴率をとるほどの結果をだしました。

ガンダムのスタッフは映画を企画します。松竹がうけますが、当時はまだアニメが「稼げる」という発想が映画会社にはなく、「ヤマトくらいは動員してくれ」といわれたそうです。

ガンダムはテレビを再編成した形で、3部作の映画になりました。大ヒットし、以後、松竹はサンライズ映画を一手配給することになります。また、ガンダムは「アニメがプラモ、マンガ、本、ビデオなど、いろいろな儲け方、メディアミックスができる」ことも証明しました。その後、日本のアニメはヒットをつぎつぎ出して発展し、世界征服へとつきすすんだのです。
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洋画もアリなら…。



「エグゼクティブデシジョン」よくあるアメリカ全開のアクション&サスペンス。
ピンチからの脱却、米軍頑張る、最後まではらはらの展開。

しかしその後?

「民間の旅客機をハイジャックして市街地へ突っ込む」という911が…。
911にヒントを与えたのではないかなど、いろいろ論議されました。

・ダンスウィズウルブズ
それまでのインディアン物(白人正義、インディアンは野蛮な敵)ではなく
侵略者としての白人を批判的に描いた原作は、多くの出版社から発売拒否されていたり
巨額の制作費や俳優ケビンコスナー監督についてへの揶揄など前評判は悪かった物の
公開されるや、高評価。特に多くの映画に関する賞を受賞することとなった。

ただ、この映画のポイントとなる、インディアンがカタコトの英語ではなく
きちんと、自分たちの部族の言語をつかって、作中で話す、という点について
女性言葉での言語指導を受けてしまったので皆女言葉で話してしまうという失敗も。

邦画で。アニメですが…。

・王立宇宙軍~オネアミスの翼
数千万の予算で、若手のスタッフ達が集まりこの映画を作ることに。
しかし、こだわりまくったために、当時の制作費としては異常な
総額8億にもなる総制作費がかかってしまった。
アニメ史に残る映画ではあるが、マニアックで興業的には借金を残すことになる。
そのためこの作品は単発の企画で解散するはずだった制作会社は
借金を返すために存続することになる。

この会社が後に「エヴァンゲリオン」などを大ヒットさせたガイナックスである。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E7%AB%8B% …
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微妙にずれるかもしれませんが、昭和17年、戦争中に造られた「ハワイ・マレー沖海戦」もおもしろいことが起きた映画です。


ストーリーは、若いパイロットが猛訓練して、真珠湾攻撃を成功させる、という国策映画でした。ただ、海軍がスポンサーについたので、真珠湾と軍艦、飛行場の特撮のセットを大がかりに造ることができました。その出来ばえは、陸軍の士官学校から見学させてほしいと言われるほどのものでした。

ですが、主役である日本の飛行機のデータは、軍事機密なので資料がもらえません。特撮をやる円谷英二たちは、新聞などの写真から、飛行機の模型を造って撮影をしました。

完成したら、当時は検閲がはいるのですが、海軍が「飛行機の資料は渡していないはずだ!」と怒ったそうです。カンチガイでおわったのですが、それほどよくできた特撮で、映画も大ヒットしました。

戦争がおわって、日本はアメリカの占領下におかれます。GHQは戦争協力者として円谷英二を公職追放にしました。そして、「ハワイ・マレー沖海戦」のフィルムについて、日本側が当惑するほどの調査を始めました。アメリカ人は、この映画の特撮部分を実写だと思い込み、日本側が撮影した真珠湾奇襲の映像を、資料として押収しようとしていたのです。

公職追放になってしまった円谷英二は、東宝で表立った活動ができなくなりましたが、映画の予告編にでてくる「近日公開!」「大スペクタクル!」といったフォントの合成をやったりしていました。そんな日々に造ったのが、東宝のロゴを中心にしキラキラと光が回るタイトル・マークです。これは放射状に切り込みをいれたガラスを2枚用意して、下から光りをあてて回して造りました。いまでも、カラーになりましたが、東宝のロゴがキラキラなのは、円谷英二が白黒で造ったのが始まりだったのです。
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ガメラの回答がありますが、昭和40年(1965)の第一作、大怪獣ガメラは、かなり誕生背景がすごいです。



大映は日本初のカラーSF映画「宇宙人東京に現る」を作ったりして、さあ、ウチも怪獣映画作ろう、と「大群獣ネズラ」という映画を企画しました。
ストーリーは、島にある実験施設で開発されたハイ・カロリーの宇宙食を食べたラットが巨大化し、増え、東京に上陸し大惨事になる、というものです。
この映画は実際に撮影も始まり、合成宣伝スチール写真も作られました。本物のネズミがセットの町並みを食い荒らす、人も食べるというはずだったのですが、タクサン集めたネズミから害虫が大発生し、保健所の指導、組合の反対で、撮影は中止になりました。

この事をくやんでいた、派手なことダイスキ当時の大映の独裁者永田雅一が、

「亀の怪獣がでる映画つくろう。おれ、飛行機からカメみたいな雲をみて、いいと思った」

永田は独裁者なので、逆らったらクビが飛びます。しかし、やれ、と言われた現場は、若い湯浅監督の元、ネズラを企画した築地米三郎が特撮をやることになり、名誉挽回と張り切って取り組みました。ゴジラと差別化するために、空をとぶ、子供が好き、というキャラクターとなりました。

が、大映の重役たちが心配になりだします。特撮映画はともかく、怪獣映画ははじめてだからです。東宝の円谷英二に手伝ってもらおうとか、いいだして現場のジャマをします。ゴジラがいるのに、無謀だという部署もあったそうです。
一方現場は、ガメラのぬいぐるみを、裏ルートでゴジラのぬいぐるみ造った東宝の人にたのむとか、四苦八苦していました(当時はスタッフ・俳優を各会社が互いに引き抜かない「五社協定」というのがあったからです)。
また、大映は独自の現像部署がなかったので、湯浅監督は現像所にかよって、合成の勉強をしたそうです。ゴジラとちがって、本物の炎を吐くことに決めたのも、湯浅監督でしたが、危ないので炎のシーンはぬいぐるみに人は入りませんでした。

とにかく重役たちは完成したとき、永田にナイショで試写をやりました。しかし、誰もいいのか悪いのか判断できない。ワンマン社長永田の会社です。責任は取りたくありません。

が、公式の永田社長も見る試写会の日がきてしまいました。ストレスで休んでしまった重役や、土下座覚悟で土下座してもいい安いスーツで来た人もいたそうです。

ですが、永田社長は

「おもしろいじゃないか!」

かくして無事、「大怪獣ガメラ」は配給、封切りされ、大ヒット! 大映はガメラ・シリーズという稼ぎ頭をゲットしました。また、ガメラの技術を生かした大魔神シリーズを世に送りだし、これも大ヒット作となります。

めでたしめでたし。

参考URL:http://miwako-f.hp.infoseek.co.jp/daiei/nezura.jpgが、
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
御礼が遅くなってしまい、大変申し訳ございません。

前の回答者の方が『ガメラ』のお話をしてくださいましたが、そんな背景があったのですね!
「大群獣ネズラ」というのもすごいですね。参考URLを拝見しましたが・・・とてもリアルです(笑
日本映画史などを読んでいると永田雅一氏のワンマンぶりを垣間見ることが出来ますが、k16399638さんの記述の仕方の方がわかりやすく、当時の雰囲気を十分感じることができました。映画について考えるとき、時代背景や製作側についても調べるようにしていきます。丁寧な回答ありがとうございます。

お礼日時:2010/05/25 04:25

#2です。


洋画では無く、あくまで日本映画でと言うご質問で回答してよいのですよね。

>想定していた年齢層でない世代が客層になった。
平成ガメラシリーズ3部作は、親子共々巻き込んだ希代の日本特撮映画の名作だと思います。
1作目の「ガメラ大空中決戦」は、親子連れが多かったと思います。
でも子供向けと思われていたのに、反応したのは当時の大人たちでした。

次のガメラ2(レギオン)、ガメラ3(イリス)を劇場で観たのですが、子供連れの親子の姿は少なく、殆んど成人した人たちばかり(自分も含め)でした。
これはある意味製作側が「狙った」とも取れますが、(昭和ガメラやゴジラをリアルタイムで観て来た人間として)でも本当に面白い特撮映画を造りたかったのだろうと感じ取れました。
もう一度スタッフが終結して、是非とも続編を望んでいる所です。
http://www.allcinema.net/prog/show_dvd.php?num_s …

近年の「小さき勇者たち~ガメラ」は、別スタッフの駄作ですので、無視して下さい。
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この回答へのお礼

ftogsr1974様、2度目の回答ありがとうございます。
御礼が遅くなってしまい、申し訳ございません。

『ガメラ』シリーズ、某動画サイトで予告編など見てみました。
日本の特撮に大人たちが熱狂する何かを言語化してみたいです。
日本の特撮は根強い人気があるようなので、探ってみたいと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/25 04:08

「ゴジラ」はもともと「第五福竜丸事件」がきっかけで作られた映画で、


ゴジラは「核の落とし子」「人間が生み出した恐怖の対象」として描かれていたそうですが、
映画の大ヒットから次々続編が作られて、
ゴジラは子供のヒーローになっていった・・らしい。
最初のゴジラを製作した時はその後の成功を予測できなかったんじゃないかと
思います・・がどうなんでしょう?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
御礼が遅くなってしまい、申し訳ございません。

『ゴジラ』の第五福竜丸のエピソードは聞いたことがありましたが、恥ずかしながらきちんと見たことがないので、見てみます。
少し調べましたら、『ゴジラ』は1954年から28作もあるんですね!驚きました。社会問題として考えてみるのも面白いと思いました。ありがとうございます。

お礼日時:2010/05/25 03:38

君よ憤怒の河を渉れ(1976)



高倉健さん主演の、刑事サスペンス映画です。

この映画は、文化大革命が終わって、最初に中国で上映された西側映画だったそうですが、文革で外国の文物に接することを禁止されていた中国の人が、

・おもしろいストーリーがある(お説教・政治映画ではない)
・日本という進んだ国の風物を見ることができる
・中野良子キレイ!

といった理由がかさなって、熱烈大歓迎。ヒットなんてものじゃない、とにかく誰もが外国映画に飢えていたタイミングも重なって、中国人民の8割は見たといわれています。
映画館に人がはいりきらない、など珍しくなく、野外上映(白い布をはって、夜上映する)では、画面の裏がわにまで人がビッシリで、左右逆でも見る! という事態に。

おそらく、地球上でいちばん多くの人かみた映画の1本でしょう。ある世代の中国の人にとって、高倉健さんは極めて強い思い入れのある俳優となっています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

恥ずかしながら、『君よ憤怒の河を渉れ』は知りませんでした。
>中国人民の8割は見たといわれています。
というのは、大きな現象ですね!文化大革命の文化や思想などの規制から
解放された後の人々の異国文化の流入の影響力は計り知れないものが
あるのですね。
当時の時代背景を勉強しつつ、『君よ憤怒の河を渉れ』を見てみます。

ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/19 03:45

「稲村ジェーン」という映画がありました。


 監督がサザンの桑田佳佑さんということ
で、公開前からいろんな意味で話題となって
いました。

 公開前、批評家からの評価は散々で、あの
小森のおばちゃまでさえ「残念な出来」と
言っていたのに、ふたを開けてみたら大ヒット!
歴代の興行成績の中でも上位につけています。

 ただし、出来のほうは確かにアレな感じで、
評価は賛否両論に大きく分かれています。
 予想外の好成績はTBSのバックアップと、
桑田さん個人の人気に支えられていたといって
間違いないでしょう。

 監督個人の人気で映画が大ヒットした稀有な
例だと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

恥ずかしながら『稲村ジェーン』はずっとサザンの曲だと思っていました(笑

内容の出来不出来問わず、監督とスポンサーの力でヒットというのは
とても興味深い現象ですね。当時の宣伝方法や観客層を調べれば、
色々と論証できそうです。

私は通っていた高校が湘南にあって、夏は稲村ヶ崎で鎌倉の花火大会を見ていたので、
今から、見るのが楽しみです♪

ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/19 03:38

日本映画、ですよね。

『リング』がそうだと思います。海外における日本ホラー映画ブームの火付け役となりました。それまで日本映画といえば、クロサワ、オズ、キタノしかあり得ないと思われていました。

あ、しかし、そういう意味では北野武の『HANA-BI』、黒澤明の『羅生門』や『七人の侍』、米オスカーにアニメ部門を作ったと言っても過言ではない『千と千尋の神隠し』もそうですね。でも、『HANA-BI』以降をリアルタイムで観てきた者の個人的な感想としては、こうした芸術作品よりも『リング』の反響のほうが“意外”ではありました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

日本ホラーですか!日本独特の恐怖感は海外でかなり人気がありますものね。
『リング』が火付け役だったのですね。知りませんでした。

黒沢清監督も海外では根強い人気があると、フランス人の友人が
言っていたことを思い出しました。

新たな視点をありがとうございました。
海外のサイトからも検索してみようと思います。

お礼日時:2010/05/19 03:31

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