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森鴎外の魅力についてご意見をお聞かせ下さい。

森鴎外の『ヰタ・セクスアリス』を青空文庫で読みました。
「あらゆる芸術はLiebeswerbungである。口説くのである。」が印象に残りました。
この場合のLiebeswerbungは「求愛」でしょうか。
「性欲を公衆に向かって発揮するのである。」とも記してあり、
なるほど…と思ってしまいました。

当時の鴎外が「西洋の芸術や美」に触れ「旧来の日本のそれ」を顧みた際に、
いったいどのように各々を捉えていたのだろうとも考えます。

森鴎外について興味を抱きました。
彼の作品の魅力につき、ご意見をお聞かせ願いますでしょうか。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

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A 回答 (4件)

「舞姫」と「高瀬舟」と「山椒大夫」しか読んでいない私がお邪魔するのは躊躇われるのですが。

。。
鴎外さんは「舞姫」で完全にノックアウトされて、他の作品に手が出ない状態が長く続いておりました。
その点、春樹さんの「ノルウェイの森」にやられて他の物が読めません、と言うのと同じなのですが、遂に最近「高瀬舟」近辺の短編集に手を出しました。

舞姫を読んだ時の衝撃は今でも生々しく持ち続けています。
正しくは、一度目の読破感想と二度目の読破感想が、天と地とも言える程違った、と言う、その点に文字通り驚天動地!だったのですが。

文学史は見事に受験対策にしか頭に入れなかった私でして、作家の背景とも背骨ともなり得る時代風景がおぼろでじれったいですが、
明治期の西洋偏重の時代に、その流れの先端に乗ったかに見えながら、
その恩恵を一身に受けているかに見えながら、
実は己の「日本と言う風土に生まれた者」と言う意識と、
それと相容れない「西洋化」と言う波の乖離の著しさを一身に浴びて苦悩した人間とも感じております。

舞姫は、異国情緒溢れる作品であり、西洋偏重、西洋盲従の作品と見えて、実は凄まじい程「日本人らしい」或は「日本らしさを際立たせる」作品と私は感じます。
勿論、鴎外さん自身の生い立ち(強権的?な母の存在)から、何らかの「権力への盲従」を好むと言うか、生き方として選択しがちな方だったのだなあ、とは感じます。

その「権力への盲従」と言う生き方の脱却を果たしたのが、舞姫の時期ではなかろうか?
勿論、群雄割拠の時代において、あらゆる権力に頼らずに生きる事など不可能ですし、
権力盲従から脱却した所で、それは単に、また別の権力機構への依存に過ぎないのですが、
それすらも理解した上で、「己は己の生き方を選べるのだ」と言う、確かさ?を得たのが舞姫の終盤の葛藤では無かったでしょうか。

まあ、、、帰国後の彼の行動をざっとしか知りませんが、あまり自律した生き方、留学で得た確信を生かした生き方とは言えぬようにも思います。
それでも、ひとつの「実感」として、強く身の内に「選択する」と言う選択肢を得たのはドイツ留学時と勝手に思います。

舞姫。。。。
はっきりしない、頼りない、なよなよしたお坊ちゃんが、我が子を宿しさえした恋人すら結局護り切れずに切り捨てて、自ら下らないと認める権力依存の元さやに収まる、、、
何とも何ともやり切れない、、、と初読時の感想です。当時中学生。

二度目は、きっと時代背景を織り込んで読めたのでしょう。
また、「情けない葛藤」をこう迄衆目に折り目正しく(?苦笑)説明出来るその頭脳。
「葛藤」を説明するって、、、至難の業です。

それと
群雄割拠状態の世界を生き抜くには、何よりも「自ら選んだ権力機構で能力を発揮する事が必須」なのだなあ、と。
彼の選択の正しさと、其処に至る為に被った泥と、その後も被り続けたであろう泥を思って、切なくなったのです。

「己」と言う意識を得てしまった人間にとって、「世界の片隅でひっそりと」と言う意識はもはや持ち得ません。
「己の能力」と言う気付きを得てしまった人間にとっては、「何もなし得ずに生きる」と言う生き方は不可能です。
色恋じゃ、ダメなのです、きっと。

元々恋愛と言う物に懐疑的だった私の、恋愛最軽視主義?を決定づけたのが「舞姫」でした。
「命を懸けて護るもの、為し遂げるもの」は恋愛ぢゃダメなんだ、と頭に叩き込んだ高校時代でした。

勝手気侭な、独断まみれの投稿をお許し下さい。
文学史は忘れましたし、作家批判の評論はあまり読まない人間故、甚だしい思い違いなど有りましたら、笑い飛ばして下さいますよう。。。

この回答への補足

魅力満載のご回答をどうもありがとうございます。
素直なご感想に触れることができてとても嬉しいです。
お礼につき、もう少々お待ち下さいね。手際が悪くてごめんなさい。

補足日時:2010/06/07 01:43
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この回答へのお礼

yukkinn66様、ご回答をどうもありがとうございます。

『舞姫』のご教示をありがとうございます。 
私も再読したかったもののまとまった時間が取れず、頂戴したご回答に沿ってお礼を申し上げますね。

>「舞姫」で完全にノックアウトされて
>元々恋愛と言う物に懐疑的だった私の、恋愛最軽視主義?を決定づけたのが「舞姫」でした。
>「命を懸けて護るもの、為し遂げるもの」は恋愛ぢゃダメなんだ

「元々恋愛と言う物に懐疑的だった」ご自身の理由とは、一体何だったのでしょうね。
そしてその主義を助長させてしまったのが『舞姫』だったのですか。
なるほど、かなりの影響力を及ぼした作品だったのですね。 

男性って、往々にして、過去に愛した女性を思い出のフォルダに保管しておくらしいですよ。
その点、女性が跡形もなく消去の末に上書きを繰り返すのとはちょっと異なるみたいです。
これについてもどうでしょうか。

「たかが恋愛/セックスなんて、いつかは終わる/媚薬にすぎない」というくだりはご記憶かと存じますが(笑)、では実際に恋に命を賭すほどの純粋さや情熱って、どうでしょう、誰にでも持ち合せているわけでもなく、私には今更眩しく思えたりもするのです。

>舞姫は、異国情緒溢れる作品であり、西洋偏重、西洋盲従の作品と見えて、実は凄まじい程「日本人らしい」或は「日本らしさを際立たせる」作品
>鴎外さん自身の生い立ち(強権的?な母の存在)から、何らかの「権力への盲従」を好むと言うか、生き方として選択しがちな方

そうですね、今の便利な世の中での「期限付き」海外赴任は、気負いないものとなりました。
ご指摘の通りあの当時は、あらかじめ課されている人生のレールと任務に疑いなど持ち得たのかどうか。でも、鴎外自らが一丸発起し西洋文明のデコーダーとしての使命と責務を彼なりに全うしたことには違いありませんよね。

>あまり自律した生き方、留学で得た確信を生かした生き方とは言えぬようにも思います。
>それでも、ひとつの「実感」として、強く身の内に「選択する」と言う選択肢を得たのはドイツ留学時と勝手に思います。

なるほど、そうともとれますね。
私は、ちょっと違った見方をしておりまして、本職の傍ら「美術論争」をはじめ大いに吠えた辺りが気概があって、漱石よりも断然興味を抱くのです(何故か作品的にも)。

「日本画」「西洋画」の概念形成や主題の様々なジャンルやヒエラルキーの確立など、鴎外がドイツ流の論理的整合性をもって日本美術界において果たした役割は多大なものですし、また、鴎外の業績を辿ることで、当時かかわりのあった多くの偉人にもあらためて気付かされる次第です。

>何とも何ともやり切れない、、、と初読時の感想です。当時中学生。
>二度目は、きっと時代背景を織り込んで読めたのでしょう。
>また、「情けない葛藤」をこう迄衆目に折り目正しく(?苦笑)説明出来るその頭脳。

あら、二度目は結構物分かりがよろしいのですね。
また再読したら何か新たな発見がありそう。

>彼の選択の正しさと、其処に至る為に被った泥と、その後も被り続けたであろう泥を思って、切なくなったのです。

ここは何の泥なのでしょう。
私はそれを「物書き」としていくらかでも「公衆に向かって発揮し吐き出していた」と思うのですが。

>「己」と言う意識を得てしまった人間にとって、「世界の片隅でひっそりと」と言う意識はもはや持ち得ません。
>「己の能力」と言う気付きを得てしまった人間にとっては、「何もなし得ずに生きる」と言う生き方は不可能です。
>色恋じゃ、ダメなのです、きっと。

そうですね、そう思いますか。なるほど。
鴎外にとってかの地の恋って、一種の清涼剤というか、美しい象嵌細工が施された宝箱ではないかと。

当時中江兆民をはじめ西洋文明を貪欲に学び持ち帰った日本人等と共に、列強に伍するべく国の行く末を決めるスリリングな時代だったことでしょう。

>「葛藤」を説明するって、、、至難の業です。

はい、本当にそうですよね。
でも私には仰ることがストレートに伝わってきて、それがとても心地良く感じられるのです。
はは~ん、こうやって素直に学生の頃書けば良かったのかも。←手遅れ

>春樹さんの「ノルウェイの森」にやられて他の物が読めません、と言うのと同じなのですが

う~ん。
「恋愛ぢゃダメなんだ」主義と同様にもう一つ私と決定的に相容れないのはこの一文かもしれませんね。
私は偏屈で変わり者だから「ノルウェイの森はニガテなんだ」なの。生理的に何かダメ、許して(笑)

不思議なのですが、恋愛ぢゃダメ主義な割には、モンゴメリやらファンタジー系が結構お好きなように察せられるのですが、小説なら恋愛やファンタジーはOKっていうことなのですか?

お礼日時:2010/06/07 18:33

#3です。


書きたいように書いてしまい、ご質問の趣旨を大きく外れて仕舞っている事に赤面中です。。。。

>「西洋の芸術や美」
>「旧来の日本のそれ」
>いったいどのように各々を捉えていたのだろうとも考えます。

これがご趣旨ですね。。。
申し訳ございません。
そうは言っても、美術知識が質問者様に届く筈も無く。。。

やはり舞姫になってしまうのですが、、、「お日さまのひかり」
私は国を違える時に(と言っても未だ文学中でしか違えた経験はありませんが)、これが無意識にも意識的にも強く意識しているように自覚しています。

舞姫、、、出会いの時が雨中でしたし、暗かったのは仕方有りませんが、
ドイツは日本の日光と比べて「影が多い」ように感じられてなりません。
或は、日差しの強い時と弱い時の差が大きいのかしら、と。

夏目さんがロンドンで鬱病になった時、ひたすらにあの霧にぼやけて顔を出さないお日さまが恨めしい?等と言っておられました。

当時の日本は、未だ農耕風景の割合が高かったのでは。
転じて、舞姫の中で描写の多い(ような?)石畳とそびえる石の摩天楼。
木造建築の多い日本と比べて、石の日光反射は強いと思われます。
きっと、「何処からも見られている」と言う気持ちになったに違いない、と思ってしまいます。
それは勿論、異国人故の自意識過剰もあったとは思いますが。

建築ではなく、装飾や人体像等を思うと、
日本ではなんとなーーく(汗)、模式的、非写実的な気が致しますが、
ドイツ辺りで思い浮かぶ美術品、、、写実にこだわって描き作られている気が致します。

日本では古来から芸術方面も大らかな造形が多いように思われますが、どうなのでしょうか。
水墨画、仁王像、観音像、寝殿造、、、、
周囲の景色との調和が最重要であり、其処を外しては芸術は芸術足りえない、と言う感じがあります。

西洋芸術は、知識乏しい私には「一点もの」が多いように感じられます。
個人主義を培った風土そのままに、「己ひとりで立つ」と言うような。。。
周囲の風景を圧倒して、一点で風景すら変えてしまう、、、それが望まれているように思えます。

どちらが好ましいのだろう。
世界の在り方としてどちらが好ましいのだろう。
友との在り方として、どちらが好ましいだろう。
己の生き方として、どちらか相応しいだろう。
国の在り方として、どちらがより強く在れるのだろう。。。

雨のブランデンブルク門の暗がりで、それこそ「羅生門」の盗人のように、彼は思ったのかも知れません。
晴れ上がった乱反射に晒されながら、選び切れない己の優柔不断さを周囲に暴露されていると感じたかも知れません。

あーーーーもう、、、なんか、どーーーしょーーもない感じがして来ました。汗
逃げます。。。。すたこらさっさ。。。

お邪魔致しました。

この回答への補足

ご回答No.3に対するお礼の中に誤字を発見致しましたので、こちらの補足欄にて訂正をさせて頂きます。
×一丸発起
○一念発起 大変失礼致しました。

補足日時:2010/06/08 08:55
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この回答へのお礼

重ねてご回答をどうもありがとうございます。とても嬉しいです。

>書きたいように書いてしまい

いえ、文学音痴なのは当然私の方で、ですからこのようにご教示頂いているのです。
異論につき訝しく思われる箇所につきましては、どうかいつものごとくご笑覧下さいね。

>「お日さまのひかり」
>私は国を違える時にこれが無意識にも意識的にも強く意識しているように自覚しています。
>舞姫、、、出会いの時が雨中でしたし、暗かったのは仕方有りませんが、
>ドイツは日本の日光と比べて「影が多い」ように感じられてなりません。

なるほど、「光と影」ですか。とても面白い着眼点ですね。とても参考になります。
「影」と言えば、私はSchwarzwaldを想起します。人工的に植林されたものなのですが。
旧東ドイツなど、気温の寒暖も激しく陰鬱なイメージがありますよね。
日本の場合ですと、さやけき「明澄」と閑寂な「陰翳」という感じでしょうか?

>夏目さんがロンドンで鬱病になった時、ひたすらにあの霧にぼやけて顔を出さないお日さまが恨めしい?等と言っておられました。

そうですか…やはり、でしょうね、私もどちらかというと、あまり…(笑)
ロンドンは緑豊かな公園が多く、天気が良いと大変快適なのですよ。
インドや中東料理が秀逸で、回転寿司屋も散見されますし、テイクアウトの寿司詰めも手軽で良く見かけます。
漱石が現代に蘇ったら驚くかもしれませんね?  
それに、漱石が英語を志すのではなくてイタリアにでも行っていたら、彼的にはどうだったのでしょう、なんて。

漱石の魅力とは一体?

>舞姫の中で描写の多い(ような?)石畳とそびえる石の摩天楼。
>木造建築の多い日本と比べて、石の日光反射は強いと思われます。
>「何処からも見られている」と言う気持ちになったに違いない

ここも大変興味深く感じました。
アスファルト舗装に慣れた今でも、私にはヨーロッパの石畳は独特の歩きにくさが感じられます。
ご指摘の描写から鴎外が「石の文化」に強い関心を抱いた様子がうかがえますね。
たしかに今とは比較にならぬほど彼が「異邦人」であることを痛感させられたに違いありません。
だから帰国後も多方面に渡り「噛みついた」のかも?!

>日本では古来から芸術方面も大らかな造形が多いように思われますが、どうなのでしょうか。
>水墨画、仁王像、観音像、寝殿造、、、、
>周囲の景色との調和が最重要であり、其処を外しては芸術は芸術足りえない、と言う感じがあります。

はい、そうですね。
何かお互いに、「堂々めぐり」のような質疑を繰り返しているとは思われませんか^^(「間」?)

今でこそ私たちは鴎外たちの時代を歴史上の一通過点として傍観し得ますが、当時の西洋列強諸国の存在は日本の命運を脅かしかねず、その影響力も多大であったはず。
そのような時勢の中で、旧来の自国の文化を捉えなおす試みは、さぞかし困難がつきまとったことでしょうね。

「漢」との対比で捉えられていた「和」が、「日本」と「西洋」という新たな世界観として再構築されさらに敗戦後に皇国史観を排し民主主義的な読みで新たに捉えることになります。
でもどうなのでしょう、鴎外が携わった美術史的にも、そして国内の美術全般の閉塞感からも、何らかの「再考察」の必要性があるように思われるのですよね。

そして何と言っても、yukkinn66様が「日本の美」について最も熟知し美意識が冴えるのは、
やはり『古今集』ではないでしょうか?^^

>どちらが好ましいのだろう。
>世界の在り方としてどちらが好ましいのだろう。
>友との在り方として、どちらが好ましいだろう。
>己の生き方として、どちらか相応しいだろう。
>国の在り方として、どちらがより強く在れるのだろう。。。

はい、むずかしいところではありますよね。
少なくとも明治の頃よりかは、私たちには「どちらが相応しいか」と取捨選択する自由があるように感じられるのですけれども、どうでしょうか。

歳と共に、祖国を想い慕う気持ちが増していくのでしょうか。
『高瀬舟』『山椒大夫』についてはいかがでしたか。
次回にまた是非ご感想をお聞かせ下さいね。よろしくお願い申し上げます。

>雨のブランデンブルク門の暗がりで、それこそ「羅生門」の盗人のように、彼は思ったのかも知れません。
>晴れ上がった乱反射に晒されながら、選び切れない己の優柔不断さを周囲に暴露されていると感じたかも知れません。

どうしたらこのような文章が書けるようになるのか、これについても次回にこっそりご教示願いますでしょうか?^^

『舞姫』を通じて鴎外の魅力がとても良く伝わってきました。
今から再読するのがとても楽しみです。
本当にどうもありがとうございました!^^

お礼日時:2010/06/07 21:00

明治時代の文学においては、田山花袋などの自然主義が主流でした。

自然主義は作家としての自分を意識し、自分の生活をありのままに綴って、小説を書くという作法でした。

それと、一線を画したのが、漱石と鴎外でした。彼らの頭の中には、明治国家と、その中で、日本人がどのように生きてゆくかというテーマがありました。

鴎外の好きな点は、自分の考えを抑制しながら、小説を書いた点です。それは、彼は日常生活では、医者として政府に仕えたという点に大きく関係していたと思います。普通の生活者である以上、自分生活をありのままに明らかにするなど、出来ないことです。そこが、彼の文章に抑制と深みを、与えています。

「かのように」という小品があります。「かのように」、英語でas if、ドイツ語でals ob、日本人は結局、「そうであるかのように」という手本を真似ながら、生きてゆくのかという問いかけが綴られています。例えば、西欧を手本とし、彼らの嗜好を考慮に入れて、生きてゆく、現在の日本人にも通じる生き方を批判しています。
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この回答へのお礼

Spancilhills様、ご回答をどうもありがとうございます。
また、お礼が遅くなり、申し訳ありませんでした。

>漱石と鴎外でした。
>彼らの頭の中には、明治国家と、その中で、日本人がどのように生きてゆくか

はい、仰る通りだと思います。
歳を経るごとに、彼等の業績とそれによる恩恵をいま享受していることに益々有難味を感じるのです。

>鴎外の好きな点は、自分の考えを抑制しながら、小説を書いた点です。

なるほど、そうですね。
医者が患者に必要以上の感情移入をしないかのように、
鴎外自身も帰国したのち、西洋文明の積極的な紹介の傍らで、
偏ったナショナリズムに陥らないよう自制していたようにも映ります。
たしかにこれは、なかなか万人には為し得ない鴎外ならではの魅力なのでしょう。
晩年はどうだったのでしょうか、これから存分に読み耽りたいと思います。

>「かのように」という小品
>西欧を手本とし、彼らの嗜好を考慮に入れて、生きてゆく、現在の日本人にも通じる生き方を批判しています。

作品のご教示を真にありがとうございます。 
早速読んでみて、仰ることがとても良く理解できました。
古くは大陸文化、そして欧州列強諸国、そして敗戦後はアメリカに。
日本人は常に他国を意識し、異文化の模倣を経て、独特の伝統/混成文化を築き上げてきました。
そして「経済大国」と化した今、何処に手本を求めようというのでしょう。
ちょっと、鴎外に尋ねてみたい、そんな気も致します。

旧き中にも新しい着眼点を授けて下さったことに、あらためて感謝申し上げます。

お礼日時:2010/06/07 01:32

鴎外は教育ママのいう通り猛勉強をして出世をするたことを生涯諦められなかった人だったと思います。

こういう人は世間からの評価を気にすると同時に世間を馬鹿にしてかかるのではないでしょうか。また権威に弱く西洋のモノなら何でも最高という意外に単純なところも多いのではないでしょうか。子供の名前はドイツ人の名前をつけたり、脚気の原因を細菌と言ったり完全に西洋盲従です。
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この回答へのお礼

kaitara1様、ご回答をどうもありがとうございます。

>完全に西洋盲従です。

なるほど、そういう面はうかがえそうですね。
それに、何か時代の古めかしさを感じなくもありません。
今の教科書に載っているのかどうか、さあどうでしょう。

西洋盲従を経て、だからこそ対峙するものが見えていたのではないかなあと。
エリート軍医なのに、なぜ芸術方面での啓蒙活動やら翻訳に精を出し、
歴史小説も手掛けていったのかなあって。

『舞姫』などを読んでも、当時の滞欧というものが、
今では想像もつかないほどのものであったろうと思うと、ちょっと考えてしまいます。

どうでしょうね、作品の世界のみを堪能しようと思っても、興味を抱くと
作家自身の経歴やら背負っている部分らしきものに触れた気になり、
新たに見い出すものがあったりして。

忌憚のないご意見に、感謝申し上げます。
参考にさせていただきますね。

お礼日時:2010/06/05 15:26

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