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詩に詳しい人に質問です。
私は本格的に詩を読むようになってまだ数ヶ月ですが、ボードレールの作品にとても感銘を受けました。
気になったのですが、日本人で彼の影響を強く受けている、もしくは作風が似ている詩人を教えていただけませんか?

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A 回答 (4件)

大手拓次という詩人がまさにそうです。


彼はボードレールをこよなく愛し、ボードレールの詩を一部翻訳したり、
ボードレールに寄せた詩を書いたりしています。
http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/3113310/top.html
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「詩に詳しい」わけではないですが、ボードレールは私が敬愛せずにはいられない詩人の一人です。


ヴェルレーヌ、ランボー、マラルメ、ヴァレリーといった後世の大詩人たちは、いずれもボードレールの母胎から生まれたと言っても過言ではないでしょうね。

ボードレールのどこが偉いと言って、彼が詩史上、詩と詩でないものとを明瞭に意識した最初の詩人であり、まだ詩とは何らかの観念なり、心情なりを表現したものだとのほほんと信じ込んでいたロマン派の中にあって、ひとり「詩とは何か?」と愚直なまでに問い続けずにはいられなかった詩人だったという点だと思いますよ。

たとえば、『悪の華』の巻頭詩、「読者に」(Au Lecteur)には、彼の執拗な思惟の果てに逢着したのが虚無でしかないことや、そうと知った者だけが陥る「倦怠」(l'Ennui)について、見事なまでに陰鬱に描き出されていますからね。

>気になったのですが、日本人で彼の影響を強く受けている、もしくは作風が似ている詩人を教えていただけませんか?

「日本人で彼の影響を強く受けている」詩人は一人としていないと思います。
日本では彼のスキャンダラスな実生活や『悪の華』の題材等にもっぱら興味・関心を注ぎ、本気で彼のことを《悪魔主義者》と呼んでいたくらいですから。
「作風が似ている詩人」もいませんが、わずかに明治期の象徴詩人蒲原有明、大正・昭和初期の詩人萩原朔太郎に類想的な一面を見出すことができるかもしれません。

日本でボードレールの影響を最も強く受けたと言うか、ボードレールの正体をはじめて正確に見抜いた文学者となると、批評家の小林秀雄でして、学生時代の彼は『悪の華』を「自意識の化学」と評しております。

なお、批評家の吉田健一(麻生元首相の伯父さん)は、『ヨオロッパの世紀末』中だったかと思いますが、周囲の誰もが狂気に酔っているとき、ひとりボードレールだけが覚醒していた、といった趣旨のことを書いていました。
19世紀後半、良識あるパリ市民たちがボードレールを気狂い扱いしたゆえんです。
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詳しいわけではありません。

ご参考程度に。

ボードレールのどのあたりに、ということで回答も微妙に異なってくると思います。
ボードレールはフランス近代の詩人たち、なかんずくヴェルレーヌ、ランボー、マラルメ、ヴァレリーに決定的影響を与えたばかりでなく、日本の近代の詩人、作家の多くにも有形無形の影響を及ぼしました。痕跡はいたるところに見つかると思います。

日本のボードレールとも言うべきはまずは萩原朔太郎で、この近代日本における最大級の詩人を逸するわけにいきません。殊に『月に吠える』『青猫』はボードレールなど西欧近代文芸の影響のもと、独自のイメージと日本語の特性を生かした画期的な詩集と言われています。このほか、散文詩・アフォリズムなども多く、この点でも『悪の華』『パリの憂鬱』『火箭』などに対応します。幻想的な短篇小説『猫町』などもつけ加えておきましょう。

時代を少しさかのぼって、蒲原有明の文語定型詩は直接には、詩人でありラファエル前派の中心的画家でもあったガブリエル・ロセッティの影響のほうが強いようですが、ボードレールが始めたサンボリズム(象徴詩)という点から、また日本における最もすぐれたサンボリストとして、この詩人も忘れてはならないと思います。

もう一人、梶井基次郎の「桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる」という戦慄的イメージは、ボードレールの影響抜きには語れないものです。(伊藤整の自伝的小説『若い詩人の肖像』の終りのほうをご覧ください。梶井たちのグループとの交友が語られ、梶井のイメージの創出方法は大いに参考になるものです)
この『桜の樹の下には』のほかにも『檸檬』『Kの昇天』『蒼穹』『泥濘』『闇の絵巻』『筧の話』なども皆そうではないかと思います。これらは短篇小説というよりは散文詩ではないでしょうか。そんなふうに読んだ経験があります。

大雑把に見て、大正、明治、昭和戦前期という並びになりました。この三詩人がまず思い浮かびました。
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上田敏や三好達治でしょう。

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Q論理学と数学の関係を教えてください。

よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

広義の論理学では、数学はその一部になるはずだったのが、ゲーデルによって覆されてしまったため、部分的に重なり合っているといった状態でしょうか?

論理学(wikipedia)
>>> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%96%E7%90%86%E5%AD%A6
論理を研究する論理学は、昔は哲学の一分野であった。現在では数学的性格がより強い論理学(記号論理学、または数理論理学)と、記号論理学でない論理学とに分化している、と言える。

記号論理学に属する論理として例えば命題論理、述語論理、様相論理、直観主義論理、量子論理がある。 記号論理学は論理を単なる記号操作として扱う事に特徴があり、記号操作で表せないものは記号論理学では決して扱うことができない。 たとえば、帰納法を記号論理学は定式化できない。
(中略)
不完全性定理 [編集]
アリストテレスの論理学以来はじめて、論理学の世界に革命を起こしたのは20世紀初頭のバートランド・ラッセルである。彼は数学は論理学の一分科に過ぎないとする論理主義を提唱し、その著書『数学原理』 (Principia Mathematica)(アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドと共著)において、述語論理の基礎法則を用いて、無から数学の全体系を再構築しようと試みた。
(中略)
ヒルベルトは完全性と無矛盾性を併せもつような数学全体を導くためには、適切な公理系を見出すことが重要であることを明らかにし、それを見出そうと試みたが(ヒルベルト・プログラム)、実現することはできなかった。
1930年、クルト・ゲーデルによって不完全性定理が発見された。 これは「自然数論を含みかつ無矛盾である計算可能な公理系には、内容的には真であるが、証明できない命題が存在する」というものである(ゲーデル自身は弱い形で示したが一般化された)。 すなわち、二階述語論理より強い表現力をもつ公理系(これには算術体系が含まれる)においては、立証も反証もできない灰色の領域が必ず存在することが示されたのである。これによって、論理によって万物を解き明かそうという、ラッセルやヒルベルトの野望は完全に潰えた。
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広義の論理学では、数学はその一部になるはずだったのが、ゲーデルによって覆されてしまったため、部分的に重なり合っているといった状態でしょうか?

論理学(wikipedia)
>>> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%96%E7%90%86%E5%AD%A6
論理を研究する論理学は、昔は哲学の一分野であった。現在では数学的性格がより強い論理学(記号論理学、または数理論理学)と、記号論理学でない論理学とに分化している、と言える。

記号論理学に属する論理として例えば命題論理、述語論理、様相論理、直観主義論理...続きを読む


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