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先日、娘の中学校の中間テストで三好達治さんの「土」という詩について出題されました。
この詩は口語自由詩か文語自由詩かというものだったのですが、娘は口語自由詩と回答して不正解となっていました。
私は全然詳しくもなく分からなかったので、なんとも思っていなかったのですが、塾の国語担当の先生が「これは口語自由詩で正解だと思います。」と言われたのでネットで色々調べましたが結局分からず、でもなんとなく口語なのでは…と思い学校の先生に質問してみたのですが、結局不正解だと言われました。
先生がおっしゃるには「ヨットのやうだ」のところに歴史的仮名遣いが使われている時点で文語自由詩ですとの事でした。

塾の先生と学校の先生の間で娘は混乱しています。
どなたか詳しくご存じの方はいらっしゃいませんか?

A 回答 (3件)

結論から申し上げると、口語自由詩です。


理由は、詩を現代仮名づかいになおすと
ありが ちょうのはねをひいていく ああ ヨットのようだ
と 現代語になるからです。


 文語詩かどうかは、仮名づかいではなく、古語(江戸時代以前の言葉づかい)が使われているかどうかで決まります。
もしも、「あり ちょうのはね ひきたり ヨットのごときなり」のように「たり」「なり」という古語の助動詞が用いられていたら文語詩です。

 明治時代の話し言葉は現代語とほぼ同じでした。明治時代に江戸時代の上級武士にインタビューを試みた記録が残っていますが、現代語と変わりません。ですからタイムマシンで明治時代にいっても会話ができます。
 しかし、書き言葉は相変わらず江戸時代のままでした。たとえば、大日本帝国憲法は明治時代に制定されましたが、表記は江戸時代とほぼ同様です。明治以降、話し言葉=書き言葉とするのに先人はとても苦労されたのです。

 戦時中の標語は、言葉づかいは現代語ですが、表記は歴史的仮名づかいでした。(例 米英を僕等も撃てる切手買ひ) 丸谷才一氏のように現代語を用いながらも歴史的仮名づかいで文章を書かれていた方もいらっしゃいます。 「こんにちは」と表記しますが、実はこれも歴史的仮名づかいとは無関係ではありません。


 文語というのは、あくまでも江戸時代以前の言葉づかいであって、仮名づかいとは別のものです。今でも禁止の意味で「○○べからず」と言いますが、これは昔の言葉づかいなので文語です。歴史的かなづかいが用いられているかどうかは関係ありません。


 他の方がおっしゃるように、お子様に、学校の先生が間違っているとお伝えするのは難しいと思います。逃げ道として、
文語自由詩か口語自由詩かは、学者によって学説が分かれている。調べたところ、口語自由詩という説が主流のようだ。しかし文語自由詩という学説が全否定されている訳ではない。
 というように、お話しされてはいかがでしょうか。



 と、偉そうに講釈を述べましたが、はるか昔、同様の誤りをしでかし、大先輩の先生から厳しく叱られたのを思い出しました。
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この回答へのお礼

助かりました

ありがとうございます!
とても詳しく納得のいく説明をして下さり、子供にどう伝えるべきかと悩んでおりましたが、なんとか上手く説明できそうです!

授業の時は口頭でサラッとしか伝えず、黒板に書くこともしていなかった見解の別れる問題を出題されていることもどうかと思っていましたが、さらに新事実が!!
2年前、今、中三の兄の時の中間テストの問題が出てきて確認したところ、同じ問いで その時の先生は『口語自由詩』で正解になっていました(-_-;)

お礼日時:2023/05/31 11:33

学校の先生の意見に賛成です。


歴史的仮名遣いが使われている点で、十分に文語と認定できます。
口語は飽くまで、現代仮名遣いであると考えるのが一般的な考え方ではないでしょうか。

三好達治って、大体文語の人じゃなかったでしょうか。
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この回答へのお礼

つらい・・・

ありがとうございます!

私は全然分からないのですが...

学校の先生と塾の先生の意見が違ってて、ここでも意見が違ってるって...
ますます混乱してしまいました^^;

返信頂きありがとうございました!

お礼日時:2023/05/29 20:23

塾の先生が正しいと思います。

ただ、学校でそのことを指摘することは避けた方がよいと思います。

学校の先生は、おそらく、歴史的仮名遣い=文語体、と勘違いされているのでしょう。文語体とは書き言葉(日常会話で用いない言葉)のことで、どのように表記されるかとは別物です。
「ヨットのやうだ」を読むと「ヨットのようだ」であり、それは日常会話でも用いられる表現ですので、口語体です。これがもし「ヨットのようなり」とでも表記されていれば、歴史的仮名遣いは使われていませんが、文語体となるでしょう。歴史的仮名遣いの産むだけでは、文語体と口語体の区別はつけられません。
また、「賀正」や「謹賀新年」なども日常会話では用いられません。現代でもよく使われる表現で、古語とまでは言い切れませんから、現代語における文語体、ということになるでしょうか。

多くの場合、学校の先生は各教科を教える専門家ですが、各教科そのものの専門家ではありません。一方、科目にもよりますが、塾などでは各教科に関連する学科を卒業した専門的知識を持つ講師も少なくはありません。このあたりが、塾の講師には教員免許がいらない理由でもありますし、学校があるのに塾がなくならない理由の一つでもあります。
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この回答へのお礼

ありがとう

ありがとうございます!

塾の先生にも『塾の先生が...と言うと無条件に反感を持たれる先生がいらっしゃるので言わない方がいいですよ〜』って言われました(苦笑)

いくら調べても先生のおっしゃる歴史的仮名遣い=文語って言うのが出てこないし納得できないので、かなり悩みましたが、とても丁寧に回答して頂いたのでありがたいです!
ただ、娘に説明するのがむずかしいですね...^^;

お礼日時:2023/05/29 13:28

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