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吉行エイスケが経営していた東中野の「あざみ」という飲み屋のあった場所を探しています。

詩人 尾形亀之助の伝記に、吉行あぐりに横恋慕した話が出てきますが、あぐりに会うために「あざみ」に通い詰めたと言う下りがありました。昭和初期にエイスケが経営していた「あざみ」が、東中野のどの辺りにあったのかご存知の方、教えて下さい。

A 回答 (2件)

東中野ではなく上落合のようです。


下記に状況が載っています。一読なされば如何でしょうか?

http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2008-06-11

なを文中、「あざみ」に関する記述があると書かれている尾形亀之助全集は、古本でも値が張りますので、お読みになればとは申せません。悪しからず。
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この回答へのお礼

貴重なブログをご紹介して頂き有難うございました。山崎方代が尾形亀之助の詩集に傾倒していた事を知って、二冊ほど評伝を読みました。方代の抜けた諦念に比べ、亀之助の諧謔に満ちたシニシズムは深く重いものがあります。実家が東中野にあるので、今度、ご紹介頂いたブログをもとに歩いてみます。

お礼日時:2010/09/24 08:16

http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2008-06-12
これでよろしいですか?
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この回答へのお礼

素晴らしいブログをご紹介頂き有難うございました。しかも、「想定場所」の記載された地図まであって、感動しました。下落合から中井にかけては昭和初期から、多くの作家や芸術家が集まり、一種のコロニーを形成していたようですね。時代は下って椎名誠の「哀愁の街に霧は降るのだ」の最後に東中野の陸橋の欄干を渡る話が出てきますが、尽きせぬ文学の舞台のような気がします。

お礼日時:2010/09/24 08:03

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