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人間って難しいです・・・

と最近思います。
人のためというのは偽善なんですか?負ける人のおかげで勝てたり、自分以外の人のおかげで自分は今まで生きてこれたし、今の生活が送れてます。人の役に立って、うれしく思うのは自己満足なんですか?
他人やすべてのものを知らないうちに傷つけたりするのは、存在自体が罪深く、何かを殺さなくては生きていけない生き物の性なんですか?と色々考えても答えのでないことを考えてます。
言葉を使って意味づけして、色々考えるのは頭の中の神経伝達物質が電気のように働いているだけなんですか?ああでもないこうでもないと考えても分からないことだらけです。
色々なことを許す、受け入れるのは難しいですね。こんなことを考えられるのは、余裕があるからなんですかね。仕事があり、衣食住に困らないし、戦争も起きてない。今日、今この瞬間を一生懸命生きてないからなのかなと思います。
すべて小さな頭の中で起こっていることで、難しくごちゃごちゃと考えすぎてるのかなと思いますが、皆さんはどう思いますか?

A 回答 (13件中1~10件)

「人のためというのは偽善なんですか」


善ですよ。それが嘘の場合偽善といいます。

「人の役に立って、うれしく思うのは自己満足なんですか」
人の役にたつのだから自己満足ではありません。

「すべてのものを知らないうちに傷つけたりするのは」
すべてのものを傷つけるのはやろうとしてもできませんよ。

「存在自体が罪深く」
それはおかしい。具体性なしだからすべての存在が罪深いというなら
傷つけるのではなく正当な罰となってしまいます。

「何かを殺さなくては生きていけない生き物の性」
食物連鎖と人間社会としての行動とまぜこぜになってますね。
それはあなたが何も考えてない証拠です。

ようするに、
あなたは悩んでるふりを楽しむプレイをしているだけですよ。
真剣に考えたらそんな文面にはなりません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。参考にされてもらいます。

お礼日時:2010/07/01 21:21

正しいとは何か、間違っているとは何か、


善とは何か、悪とは何か、
生とは何か、死とは何か、
幸せとは何か、不幸とは何か、
考えてみてください。

自分の外からくる答えは全てヒントです。
外に答えを求めてもそこには何もありません。
答えは全て自分の内にあります。

そして、自分の内から発せられるメッセージに耳を傾けてください
もし、あなたが愛するもの・欲するもの・執着するものがあるのなら、
それは何なのか考えてみてください。

それが答えを教えてくれると思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2010/07/01 21:22

人徳とはなにか考えたほうがいいでしょう


考えれば考えるほど悩みます
人徳ある人はそんなこと考えもしないで、お金もなくても人徳があります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2010/07/01 21:22

人間が難しいのは関係無いです。



大事なのはあなたが何をしたいのか、そのために何をすればいいのかです。

行動すれば人が良いことも悪いことも起こるでしょう。
しかし、それを自分の価値観で選択して行くのが人生でしょう。

偽善だろうと罪だろうと、間違いだろうと無意味だろうと、
自分がすべきだと思うことをやればいいと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2010/07/01 21:29

わかりますよ。


でも、難しくないのも人間です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2010/07/01 21:30

罰を受けるべき人間が


罰を受けていないというのが、そもそもの原因です。

能力も知識もない批評家には
罰を与えていくべきです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2010/07/01 21:28

そうですね。


考えすぎです。
 以前「馬鹿の壁」という養老たけしの本を思い出しました。
 最初に出てくる題名が、話してわかるなんて、大嘘」とか書いてあったと思います。

何があったのかわかりませんが、
人のためというのは、おもいやりです
人の役に立って、うれしく思うのは、人間らしさです。

>>言葉を使って意味づけして、色々考えるのは頭の中の神経伝達物質が電気のように働いているだけなんですか
 伝達物質の電気などという人に、脳科学の知識はありません。
 いじわるな、感情のない物質としかわからないというのは、偏った見方で、口では何とでも言える、というくだらない、相手にする必要のない意見だと思います。程度が低いと思います。

>>自分以外の人のおかげで自分は今まで生きてこれたし
 正しい宗教感や哲学、正しい精神性がなくなりつつありますが、人のおかげという気持ちは、すばらしい思いです。
 そういう人の心がわからない人が出てきてますが、聞かないこと。
 人の心がわからない人のいうことを、真に受けて、ノイローゼではないでしょうか。

 結局、いい心を持つために、人は考えたり哲学しますが、
 結局、いい心を持つための途中のものです。

 ですから、あなたのような、いい心根を持つ人は、考える必要はないと思います。その段階の低い意識からは、大きく成長している方だと思いますから。

 >>すべて小さな頭の中で起こっていることで
 そんなことは、考えないで、自分で決めてしまえばいいと思います。
 かわいそうですが、殺して食べてますが、、、だから、昔は手を合わせて「いただきます」とやったものですよ。
 命の糧になるのですから、感謝すればいいと割り切るしかないでしょうね。
 そうやって自分なりに納得して考えないことです。
 そんなことよりも、人のためにという気持ちのほうが、大事だと思いますから。
 考えないほうがいいでしょう。結局わからないんですから。


人間って難しいです。とも人間は単純だとも、両方いえます。
 最近は口先で心がない人が、意地悪なことを平気で言うということが増えてきましたが、そういう人たちからいい心根の人は離れたほうがいいでしょう。

 そういう人にあって、あなたが考えすぎてるのかと推測します。
 そういうわけのわからないことは、無視すべきです。
 たとえ、わからなくても、「馬鹿の壁」では、頭がいい、悪いというのは判断できないとも書いてありました。そのとおりだと思います。
 一般的には、社会適応力がある、なしを頭がいい、悪いなどといってるんだろうとも書いてありました。
 ですから、わからなくても、社会適応力があり、生活できていれば、それで OKということだと思います。
 考えて答えなんてでません。結局、考えて、自分で決断する「こうする」と決めるだけの話です。
 その最後の決断力がない人は、ごちゃごちゃ考えるという迷走、迷って答えが出ないところで、口先だけ鍛えてます。
 そういう人がいますが、相手にしないと私は決めてます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2010/07/01 21:27

貴方が優しい人間であるということが一番大切なことだと思います。



人間が難しいというよりも、人は一つまたひとつ波を乗り越えながら、
成長していく生き物です。大航海の様なものです。穏やかな日もあれば、
嵐の日もあると思います。でも、確実に昨日より今日へ、今日より明日へと
前進しています。何もないのが人生ではなくて、人それぞれ色々な事を経験し
人にも尽くせる人間になるのではないでしょうか。

小さな事で悩んでしまう気持ちも分からないわけではないですが、貴方の笑顔に
救われた人たちもいらっしゃると思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2010/07/01 21:25

僕は人間の前に、まず生物であるという前提が正しいと思います。

人間も生きるのが目的であり、社会生活は二次的・副次的に過ぎないはずです。生物として社会に住むこと…それが生活に有益であるために社会の共同体に所属するということです。その所属にあたり、義務が生じるが見返りに制約された権利が与えられる(これが人間の社会での自由)。さらに警察や検察や軍隊の強大な暴力性による最低限の安全さが社会を成り立たせています。

しかし現在では権利を受けるのも命懸けになってきています。生活以上に義務を重視され、その困難な義務に堪えきれず軽犯罪を生み出し…その軽犯罪と比較すると有益な重犯罪へ…と、いとも簡単に秩序は損なわれています。

これは人の中にある本能と理性のパーセンテージが、都合により変容してしまうからだと思います。

現在の社会の原理は食物連鎖以外のなにものでもないと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2010/07/01 21:25

今や個人の生存は、衣食住どれも世界中の人々の営為によっており、


本当の意味での、「世界のため」と「自分のため」は、同じことです
(唯一の「繁栄」は、社会全体の順調な営為のみ)。「他」と競う事は、
真の自分自身の生(=社会生命性)の自殺行為に他なりません。
そこに求められるのは、他我(=自己の延長として他を認識する=愛)です。

宇宙(認識)とは、無の潜在としての認識可能性の“断面”の移動
=自我仮説に対する、相補的な時空仮説として生じています(つまり
「物理」とは、あなたが存在するための、無にまで遡った補完)。
世界の本質は、自我成立のための補完であり、あなた自身の裏返しなのです。
すなわち、世界の有するあらゆる欠点は、あなた自身にも反映しています。

愛とは、現象的なものではなく、この宇宙の起源=存在の本質に
関わるものです‥‥自我仮説に対する相補的な時空仮説における、
他我性(無の無限の闇に対する自我の射影)=愛こそが宇宙。
その愛を見失って憎みあう事もできるが、その「思いやり」を失う事は、
自己チュー化=意識の希薄化=宇宙の存在性の消滅を意味する。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2010/07/01 21:24

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