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スサノオは新羅の神?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%9D%82% …
上記によりますと
(八坂神社の)社伝によれば、656年、高句麗より来日した調進副使・伊利之使主(いりしおみ)が、新羅の牛頭山に祀られる素戔嗚尊を山城国愛宕郡八坂郷に祀り、「八坂造」の姓を賜ったのに始まるという。

とあります。

また新羅神社の御祭神もスサノオとなっています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85% …

日本書紀の一書には
スサノオは子のイソタケルと新羅に降り曾尸茂梨に居た。
スサノオ言うにはこの地に私は居たくない。埴土で船を作りこれに乗って東に渡り出雲国の簸川上にある鳥上之峯に至った。
とあるそうです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%87%E5%BF%97% …

うむむ、ということはスサノオは新羅の神様なんでしょうか?

天照大神は日女命(ひめのみこと)で卑弥呼、
卑弥呼には男弟があると書いてあるので、スサノオとは卑弥呼の弟のことだと思っていたのですが
この卑弥呼の弟が新羅の神であるスサノオと習合されたんでしょうか

また渡来人の秦氏は新羅からやってきた、という説がありますから
秦氏と関係あるんでしょうか。(だけど八坂神社って八坂氏が創祀した神社なのでおかしいか。)

アメノヒボコという新羅の神もいますがスサノオと関係あるでしょうか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1% …

推論でも結構ですので
ぜひお考えをお聞かせください!

A 回答 (19件中11~19件)

 



 ★★ (No.7お礼欄) ~~~~~~~~~~
   >アマテラスの出身についても同時に問い求めないと 中途半端になる

 スサノオについて問うこと=アマテラスについて問うことであると考えます。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ もともと このご趣旨で質疑応答をすすめて行かれるとよいのだがなぁという横やりでした。

 ★★ (同上) ここでもスサノオとアマテラスは同体であるという説が出ています。
 ☆ その説についても
 ★★ (No.8お礼欄) 歴史という学問をする態度
 ☆ において 問い求めていかれることを希望します。 
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この回答へのお礼

☆ もともと このご趣旨で質疑応答をすすめて行かれるとよいのだがなぁという横やりでした。

(1)上記の質問で伝わっていると思っているのは私だけですか。
スサノオのこととアマテラスのことを切り離して考える人はいないと思うんですが。

 ★★ (同上) ここでもスサノオとアマテラスは同体であるという説が出ています。
(2)この文章は(1)の証明として書かせていただきました。

 ☆ その説についても
 ★★ (No.8お礼欄) 歴史という学問をする態度
 ☆ において 問い求めていかれることを希望します
(3)その回答者さんは

>ただその本を書いた人自身が怪しげな人なので、これを学会で主張したら笑われちゃうと思う・・・。
>まあ 民間人がUFOだぁって騒ぐレベルと同じスタンスでなら、面白いって目くじら立てられなくて済む。

と但し書きをつけておられるじゃないですか。
それを希望されるならご自身でご質問をおたてになれば、ご自身にとって納得のいく回答が得られると思います。

私自身は説の理由さえわかればそれでいいと思います。
あなたの説には理由がないので、そのようにお答えしたまでです。

他の回答者さんにプレッシャーをかけるような言動はおやめください。

お礼日時:2010/07/16 14:43

 No.6&7&8です。



 ★ 宗教に関する質問なので哲学カテゴリーに質問したのが間違いだったのかもしれません。
 ☆ 《宗教に関する質問なので》という理由説明と あとで述べられた
 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~
  >スサノヲが新羅人であろうと日本人であろうと どうでもよいという考えです

 というような考え方は歴史という学問をする態度ではありえません。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ というふうに《学問としての歴史》をわたしの文章への批判の理由にすることとは あい容れないと思いますが 
 ★ 哲学カテゴリーに質問したのが間違いだったのかもしれません。
 ☆ という見方について 読者としてながら その見方を共有します。
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この回答へのお礼

>哲学カテゴリーに質問したのが間違いだったのかもしれません。
 ☆ という見方について 読者としてながら その見方を共有します。

カテゴリーを間違えて申しわけありません。
運営に連絡すると変更してもらえるかもしれません。


>というふうに《学問としての歴史》をわたしの文章への批判の理由にすることとは あい容れないと思いますが 

質問文についてはじめに
批判をしてこられたのはあなた様ではありませんか

私は素人ですし、文章力もありませんのでいたらないところはあると思います。
でもここは誰でも参加できるQandAサイトなので
大目に見ていただきたいと存じます。

お気に召さないならお読みにならない、という選択肢もあるかと思います。
(私はたいていそうしますが。)

あなたはアマテラスと新羅の関係をまず問え、とおっしゃいました。

しかしながら私は
(1)記紀は史実を反映させたものではないという考え方もある。
(2)記紀は持統天皇代の歴史を反映させたものだという考え方もある。

のでもっと広く意見をお伺いしたいと思っていました。

アマテラスと新羅の関係を問うのは、(1)(2)の考え方を排除するということです。

ご理解いただけましたか。

ですのでご自身が
アマテラスと新羅の関係が重要だと思われるなら
ご自身でご質問をたててください、と申し上げたのです。

それではこのあたりで終わりにさせていただきます。

お礼日時:2010/07/16 10:47

 No.6&7です。



 騎馬民族征服説をポンと出してしまったのがよくなかったと思いました。

 スサノヲが新羅系だとすると その姉だとされるアマテラスもそうなる。そのことについて問題が起きないですか?
 つまり われわれ一般の日本人は 征服された者であるのか? という問いが起こるのではないでしょうか?
 ですから その点は スサノヲの出自を問い求めることと同時一体だと思いますが どうなのでしょう? という補足要求でした。

 持統天皇が その子をではなく(死んだので) 孫を天皇にするというとき その行動形式を神代の物語に自分をアマテラスに比して組み入れているという説をおっしゃいました。
 そういった方面にわたしも関心があるのですが いまのご質問は そうである・なしにかかわらず そのアマテラスが スサノヲと同じく 新羅系なのか? という問いがついてまわると思うのです。そのあたりを どう処理されるのか。
 ★ 私のように邪馬台国と結びつける見方もあります。
 ☆ (1) 邪馬台国は 日本の史書や文献ではないですよね。
 (2) それは いいとしても(何らかの資料にはなるはず) それは何処に比定するにしろ 新羅ではないのでしょう?
 (3) 卑弥呼の弟は 卑弥呼と一緒にいるわけでしょ? スサノヲは 子どものときから泣いてばかりいたのでしょう? なんだか無理がありませんか?
 ☆ いえ やはり アマテラスが新羅系であるかどうかが ここでは問題だと思います。そうであるとすれば 裏付けが必要ですし そうでないとすれば スサノヲとの姉弟の関係は どう解釈するのか? このあたりが まづ先決なのではないでしょうか?



 * 質問への参加というかたちは 無理だと思います。そのわけとしましては:
 邪馬台国が九州にあろうとヤマトにあろうと わたしはどうでもよいと考えています。いづれは ヤマトに指導的な勢力が起こるということだけでです。
 それと同じように スサノヲが新羅人であろうと日本人であろうと どうでもよいという考えです。いづれは 出雲に流れつき そこでスガのミヤを築く。オホクニヌシへと継がれていく。そこへ アマテラスの側から 服属の要求が来た。うんぬんでよいと見る立ち場ですから。
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この回答へのお礼

 スサノヲが新羅系だとすると その姉だとされるアマテラスもそうなる。そのことについて問題が起きないですか?
 つまり われわれ一般の日本人は 征服された者であるのか? という問いが起こるのではないでしょうか?
 ですから その点は スサノヲの出自を問い求めることと同時一体だと思いますが どうなのでしょう? という補足要求でした。


ですから、そのように考えられるのは、記紀神話が史実に基づいて記されていると回答者様がお考えだからです。
実は私もそう思っていますが、史実を反映したものではない、と考えられる方もいます。

また日本人のルーツにまでふみこまず持統天皇代のことを繁栄させたものだとする説をおっしゃる方もいます。

>アマテラスが スサノヲと同じく 新羅系なのか? という問いがついてまわると思うのです。

ですから、それについての考え方を皆さん回答くださっているわけです。
アマテラスとスサノオは切っても切れない。

質問にアマテラスとないのがいけないのでしょうか。

>それは いいとしても(何らかの資料にはなるはず) それは何処に比定するにしろ 新羅ではないのでしょう?

ところが邪馬台国は朝鮮にあったとする説もあります。

>卑弥呼の弟は 卑弥呼と一緒にいるわけでしょ? スサノヲは 子どものときから泣いてばかりいたのでしょう? なんだか無理がありませんか?

>スサノヲとの姉弟の関係は どう解釈するのか?

ですからそれがわからないから質問しているんですが?


一体何をおっしゃりたいのかよくわかりません。
重箱の隅をつつくようなことをすることに意味がありますか?
申し訳ないですが、質問の趣旨から外れたことで議論をして貴重な時間を潰す気はありませんので。
このような回答はおやめください。

> やはり アマテラスが新羅系であるかどうかが ここでは問題だと思います。

あなた自身が質問をたてられたらよろしいのでは。

>スサノヲが新羅人であろうと日本人であろうと どうでもよいという考えです

私はスサノオと新羅の関係が気になるのです。(日本と新羅と言い換えてもいいかもしれませんが)
あなたと私の考え方はちがう、それだけのことです。

宗教に関する質問なので哲学カテゴリーに質問したのが間違いだったのかもしれません。

>スサノヲが新羅人であろうと日本人であろうと どうでもよいという考えです

というような考え方は歴史という学問をする態度ではありえません。

>出雲に流れつき そこでスガのミヤを築く。オホクニヌシへと継がれていく。そこへ アマテラスの側から 服属の要求が来た。

なぜそう考えるのか、という説明がないものは受け入れられません。
それが正しい、正しくないは別にして。

お礼日時:2010/07/16 08:38

 No.6です。


 すみません。わたくしは 史実の比定という考えで歴史をまなんだことが――学校を出てからは――いちどもありません。ですから スサノヲが新羅とどうかかわりがあるか 分かりません。
 ただ もしそういう主題として問い求めるのなら アマテラスの出身についても同時に問い求めないと 中途半端になる こう思って――これからさらに回答者の方々が投稿されるにしても――その点をひとこと申し述べました。よこから口を出してしまいました。
 もうなかったことにしてください。



 あぁ もし横やりが意味があるとしたら それは やはり騎馬民族征服説あたりの問題をきちんと整理することと同時でなければ やはり中途半端なのではないかと思います。
 この点は 訪問者(読者)として お伝えしてもよいことではないかとは思います。

 失礼しました。

この回答への補足

>天智・天武の時代をなぞったものだという見方もあります。

というよりは持統天皇代ですかね。

それによれば持統天皇をアマテラスとするようです。
持統の子は早世し、孫を即位させるために持統は中継ぎの天皇として皇位につきました。
なので・・・天子ではなく天孫なのだ、というようなことだったと思います。

補足日時:2010/07/15 23:04
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この回答へのお礼

何度もありがとうございます。

>アマテラスの出身についても同時に問い求めないと 中途半端になる

スサノオについて問うこと=アマテラスについて問うことであると考えます。
ここでもスサノオとアマテラスは同体であるという説が出ています。

>やはり騎馬民族征服説あたりの問題をきちんと整理することと同時でなければ やはり中途半端なのではないかと思います。

ということは回答者様は騎馬民族制服説とスサノオ・アマテラスを関連付けておられるのだと思います。
しかしながら、いろいろな説があるようで
記紀神話は天智・天武の時代をなぞったものだという見方もあります。
私のように邪馬台国と結びつける見方もあります。
そのため、騎馬民族制服説との関連はあえて問うておりません。
もちろん、騎馬民族制服説と関連付けてスサノオ・アマテラスを語って下さることも歓迎します。

騎馬民族制服説については私自身はよくわかりませんので参考になります。
ただ韓国の壁画古墳と高松塚古墳の女官の服装は大変似ていますね。

お礼日時:2010/07/15 22:59

 こんにちは。



 ご質問の趣旨について 補足をお願いしたいのですが?

 スサノヲが新羅系だとすると その姉のアマテラスも 同じだという趣旨が含まれていますか?

 それとも 古事記のその記事は 摂らないで アマテラスは別だという見方でしょうか?
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この回答へのお礼

補足要求をありがとうございます。
アマテラスも同じか、というのはアマテラスも新羅系という意味ですか?

私が今まで考えていたのは質問にあるとおりですが
八坂神社の縁起に「新羅のスサノオを勧請した」とあったので
どう考えていいのかわからなくなりました。

ですので、、別かは私にはよくわかりません。

またなんで高句麗人が新羅の神を勧請したのかもよくわかりません。

なので回答者様がどのように考えられるか、をお聞かせいただければありがたいです。


歴史のカテゴリーでたてた質問で
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6035393.html

広峰神社の資料では
869年、藤原基経が広峰神社の神を勧請して、藤原基経が八坂にあった邸宅を寄進して感神院祇園社を建立した。

とあって八坂神社縁起との食い違いがあることを教えていただきました。

これも判断材料になるかと思います。

お礼日時:2010/07/15 20:55

>空海が開いた真言宗の潅頂の儀式はキリスト教の洗礼式にそっくりですね。



真言宗の儀式については知らないのでですが、神道の神官の服装を見たユダヤ教のラビ、「古代のユダヤ教の祭祀の服装だ」と驚いたそうです。
聖書に祭祀の服装の規定が書いてあるのですが、その規定された服装を再現すると神道の神官の服装になる。

謎の一つです。
2000年も前にエルサレム神殿がローマ帝国によって破壊され、そのために社を失った聖職者系列の人たちは聖職者の仕事を失職してしまった。
だから、今その衣装を着て祭儀を行えない。
でも、神道の神官は社(神殿)を持っており聖書に定められた服装をして祭儀を行っている。

この服装の規定って大陸から来た人々が祖先から受け継いできたんでしょうかね。
誰が神道の服装で儀式をするときはこの衣装で、って決めたんでしょうね。
加茂氏?


>秦河勝って申楽の祖だとされてたんですよね。

申楽が古代のユダヤ教の申楽と同じかどうかわかればいいんですけどね。
この祭儀の時に演奏する楽器の規定も聖書にあったと思います。
この音楽を再現できるラビはいるのだろうか?
やはり神への奉納として演奏していたみたいです。


>>なんだっけな? 多重同時なんとかの法則で可能だって。
http://plaza.rakuten.co.jp/kotoha/7008
>これですね。

あ、それです。
籠神社。
元伊勢なので元伊勢神宮があったところで由緒正しく日本最古とも言える神社。
この宮司は代々海部氏が行ってきており、総理大臣も輩出している名家。
その82代目の宮司海部光彦氏が「多次元同時存在の法則」と言ったわけですね。

宮司:「ニヒハヤヒ命は籠神社の主祭神である火明命の別名です。」

記者:「記紀神話によれば、天照大神とニギハヤヒ命、そして火明命は、まったく別の神として登場するのですが、、、」

宮司:「神様の世界は、現実の世界とは違います。神は空間も時間も超越することができます。ときには、御霊を分けいわゆる分身を作ることができます。SF的かもしれませんが、私はこれを『多次元同時存在の法則』と呼んでいます」


神話はベースの事実があっても、基本的にフィクション。
現実に事実から神話を創作するとき、1人の偉大な人物を二人の神にすれば、それだけ多くのキャラクターを設定することができる。
この最大のメリットは、古代の豪族たちが、自分たちの出自を偉大な紙に結びつけることが可能になるという点。
たくさんの分身をつくり、さらにそれを系図で結びつければ、豪族同士をまとめあげることができる。
そうやって編纂されたのが聖書、違った記紀。

だが、神社の伝承は違う。
これらの神々の分身、すなわち別名を個々に取り出して祭る。
古い神社になれば、その別名を知った上で祭る。
そうすることで、記紀を編纂した体制側の政治的な圧力をかわした。

よって記紀神話の裏にある真実を突き止めるには、逆をすればいい。
おのおのの分身のキャラクターのオリジナルが誰か突き止めればいい。


ここから先 漢字づくしで、当用漢字じゃないので辛いんですけど・・・がんばります!

ニギハヤヒ命の正式名は『天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日命』
天照もしくは天照国照彦は天照大神。
天火明は火明命。
饒速日命はののままニギハヤヒ命。

残りは櫛甕玉。 記紀ににはその名前は無い。
この神を祭った神社は大神神社。(おおみわじんじゃ)
この神社の主祭神の名前は(いやーー もう読めないーー)倭大物主櫛甕魂命。
櫛甕魂はニヒハヤヒの正式名の一部、つまりこいつもニギハヤヒのこと。

ってなことをやっていくと、天照もスサノオも同一になるんです。
字数が足らないので、スサノオ=天照=ニギハヤヒ命って説明を書けませんが。
(書くには新しいページが必用。もう200文字切ったからかけない、要望があれば書きますが、もちろん私の説じゃなく本からの抜粋。)

ただその本を書いた人自身が怪しげな人なので、これを学会で主張したら笑われちゃうと思う・・・。
まあ 民間人がUFOだぁって騒ぐレベルと同じスタンスでなら、面白いって目くじら立てられなくて済む。

この回答への補足

回答ありがとうございます。
これからメシのしたくをしないといけないんでのちほど詳しくお礼します。

補足日時:2010/07/15 20:32
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この回答へのお礼

何度も回答をありがとうございます。


>その規定された服装を再現すると神道の神官の服装になる。
そうなんですか!
私は修験道の服装が似てるなーと思います。
山伏は額に頭巾をつけていますが、ユダヤ人は祈るときに同じ様なもの(フィラクテリー)をつけるのだそうですね。

山伏が身につける麻の上下を鈴懸(すずかけ)というそうですね。
鈴はついていないのに、鈴懸とはこれいかにー。

旧約聖書に、神ヤハウェが大祭司アロンに祭服について指示したという記述があり
『上着にはカラフルな毛糸でつくったざくろの飾りと、金の鈴を交互につける。』
鈴懸ってこの聖書の記述から来るんではないかと思ったり。

天狗は手に山の上で神から授かった巻物『虎の巻』を持っていますよね。。
旧約聖書によればモーゼがシナイ山で神ヤーウェから授かった十戒が記された文書を『トーラー』と記されています。
『トーラー』は巻物の形態をしていたそうで、虎の巻ってここから繰るんじゃないかと思ったり。

私は日ユ同祖論支持者です。

>神道の神官は社(神殿)を持っており聖書に定められた服装をして祭儀を行っている。

どのあたりが似てるんでしょう?
興味津々です。教えて下さい~


>申楽が古代のユダヤ教の申楽と同じかどうかわかればいいんですけどね。

これはうっかりしてました。
私は秦河勝はのルーツなのか、と思ったんですが
たしかに彼がユダヤ教の申楽を日本に持ち込んだとも考えられますね!

「多次元同時存在の法則」は私は飛鳥昭雄さんの本でよみました。
トンデモ説で有名な人で、そりゃーないだろう!みたいな説もありますけど
(極秘情報というのが信用できない)
頭のいい人だと思うしよく勉強されていると思います。
いろんな人の説をよみやすくまとめてある。

>最大のメリットは、古代の豪族たちが、自分たちの出自を偉大な紙に結びつけることが可能になるという点。

なるほど~

>そうやって編纂されたのが聖書、違った記紀。

確かに似てます。

>神社の伝承は違う。
これらの神々の分身、すなわち別名を個々に取り出して祭る。
古い神社になれば、その別名を知った上で祭る。
そうすることで、記紀を編纂した体制側の政治的な圧力をかわした。

なるほど、勉強になります~。

>てなことをやっていくと、天照もスサノオも同一になるんです。
ニギハヤヒは物部氏の祖なので、私は天照大神とは物部氏の神だと思うんです。

>(書くには新しいページが必用。もう200文字切ったからかけない、要望があれば書きますが、もちろん私の説じゃなく本からの抜粋。)

すいません・・・図々しいですが教えて欲しいです!

私は天照大神とはサルタヒコとアメノウズメの男女双体の神(=道祖神=歓喜天と習合)
と思っていますが。

天孫ニニギの葦原中国降臨の際、天上の道が八衢に分かれている場所に立ち、高天原から葦原中国までを照らす神、サルタヒコがあった。

高天原から葦原中国までを照らす神って天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日命のことだと思います。
∴サルタヒコ=ニギハヤヒ(物部氏の祖神)

ニニギは天鈿女に
『猿田彦神をもともと彼が住んでいた伊勢へと送り届け、猿田彦神の名前を伝えて仕え祭れ』
と命じた。

伊勢には天照大神が祭られている。
∴天照大神=サルタヒコ=ニギハヤヒ

天鈿女は猿田彦神の名前を伝えて仕え祭った=天鈿女は猿田彦神と結婚した
∴サルタヒコ+アメノウズメ=天照大神(男女双体の神である・・・歓喜天やマタラ神と習合されている)

とまあ、こんな風に考えているんですが。

お礼日時:2010/07/16 00:29

それではアマテラスはいつごろの時代の女王なのでしょうか。


上記のようにおっしゃるからには何か理由があると思いますが
どういった理由でそうお考えなのですか。
よろしければ教えて下さい。

○ 古事記:稗田阿礼の口述は神話としても、アマテラスから割りとはっきり書かれてますね。(まともに読まないで行間だけを読めばですね。古い宗教というのはどれも大げさですからね。)
当時の状況では1000年以上経つと神話でしょうね。天の御中主が日本神道の主宰神ですが、古事記では神話の世界ですね。これは稗田阿礼の時代から1000年以上経っているということでしょうね。実際は紀元前1000年ごろといわれてますから稗田阿礼の時代からは1700年ほど経っていたのでしょうね。稗田阿礼からすれば神話ですよね。神話では天の御中主の後に7人ほど立派な王(神話に名前を残した神)が出てますね。そんなに次から次へとは人物は続きませんから1000年ぐらいが妥当なとこでしょう。
ところがアマテラスは神話にしては詳しすぎるでしょ。だから1000年は経ってないのですね。1世紀ごろだと思われますね。それでも稗田阿礼からすれば600年ぐらいは経っていたのでしょうね。一方、ヒムカ(ヒミコ)は三国志の時代ですから3世紀ごろですよね。まあヒムカはアマテラスの200年ほど後ということですね。ヒムカは魏志倭人伝に名前がなければ記憶にさえ残らなかった人物かもしれませんね。
神道の司祭(天皇)が血族になったのはかなり後代でおそらく5世紀以降でしょうね。それ以前は巫女による神託で司祭の長(天皇)が決まっていたのですね。
アマテラスもご神託(高天原の主宰神による)によって選ばれた女王(天皇)ですね。九州の一地方の豪族の娘だったのですね。ご両親がイザナギ・イザナミで弟のスサノウなどいたのでしょうね。おそらくやまとの国で初めて女性が王になったということ、またそのため争いごとがなくなったということで多くの人の記憶に残ったということかと思いますね。女性の優しさがあったのでしょうね。それで神道の主宰神のようになったのでしょうね、でも本当は古事記にもあるように天の御中主が神道の主宰神というのが正しいのですね。国づくりの大神ですね。
アマテラスの歴史と同じようなことは後代の聖徳太子にもありましたね。みんな聖徳太子を知ってますものね。
そういうことぐらしか答えようがないですが、古墳をほじくり返さなくとも事実はそんなものなのですね。参考程度に
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この回答へのお礼

再回答をありがとうございます。

神代の記述はアマテラスから詳細になるから、というのがその理由なのですね。

参考にさせていただきます。

お礼日時:2010/07/15 11:57

「渡来人」というと、マイノリティのイメージがありますが、現代日本の


マジョリティは渡来人であり、『渡来』以前の縄文系=ポリネシアンや
ネイティブ・アメリカンと同じO型の比率の高いのは、九州南部~四国
南部~紀伊半島南部~東北の限られた地域に過ぎません。

一方、先進国で珍しいA型がマジョリティな日本のルーツと考えられる、
アジアでA型濃度の高い地域は、中国・江南地方~雲南~ブータンの
ジャポニカ米稲作農耕地域で、日本では九州北部~瀬戸内海~近畿までで、
いわゆる「徐福伝説」の元となった、稲作の伝来の道である中国南部から
のルートを示唆しています。

大陸から日本へのもう1つのルートは、朝鮮半島や日本海経由ですが、
この地域にはジャポニカ米稲作農耕は普及しておらず、遊牧文化を伝承
したと考えられます(醍醐味の「醍醐」がチーズを指すように、あるいは
関西圏に「牧」のつく地名が多いように、古代日本において牧畜文化は
大きな地位を占めていたと考えられます)。
今でも、山陰~北陸~東北はB型(中東~モンゴル~中国北部で高濃度)
の比率が高くなっています。

その「日本海経由」の遊牧文化圏と「東シナ海経由」の稲作農耕文化圏の
抗争の歴史は、ヤマトタケルによるイズモ>アズミ(遊牧系)征伐の話や、
大和朝廷が日向から船出しながら、(出雲圏だった)瀬戸内海に落ち着けず、
さらに大阪から上陸しようとして撃退され、紀伊半島の裏口から山奥の
奈良・京都に逃げ込んだ歴史にも表れています。
(中国においては、遊牧民(B型)を防ぐために万里の長城という世界最大
の構造物までできたほどA型との相性が悪い)

その大和朝廷のルーツである日向(ヒムカ=ヒミコ)から追われた原因が、
兄弟=お隣の部族でありながら乱暴者の熊襲(@九州南部)であり、
スサノオノミコトなのです。
彼らは、新羅=朝鮮半島経由の遊牧文化圏というよりは、O型比率が高い
=縄文文化圏だったと考えられますが、同じ「反主流」として、「スサノオ」
にひとくくりにされた可能性は大でしょう(新羅に「スサノオ」という名称が
あれば別ですが)。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
A型・B型・О型というのは血液型と考えてよろしいんですね。

縄文系・・・O型・・・スサノオ・・反主流として新羅の神と習合された。
弥生系・・・A型・・・アマテラス

そういった視点で古代史を考えたことがなかったのですが、大変興味深く拝読いたしました。

お礼日時:2010/07/15 11:54

アマテラスの弟ノスサノウは乱暴者でね。

どうしようもないので大和の国から追放になったのですね。
大和の国からの追放というのは、つまり、当時は対馬海峡を隔てた「韓国地方」へということですね。
未だ、アマテラスの時代は九州・中国地方から東方は大和の国になってなかったからですね。
ノスサノウは、乱暴者だけど強かったのですね。地元では神様扱いで神になったということですね。
神道でいうところの降臨というのは生まれるという意味と上陸・占領という意味があるのですね。
韓国追放のスサノウは二度と大和の国へは戻れなかったですが、望郷の思いは強かったということですね。それが「埴輪の船で帰りたい。」ということでしょう。
それから、ヒムカ(日向:中国では卑弥呼と当て字)はアマテラスからずっと後代の女王ですね。
参考に
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

なるほど、スサノオは生きて日本に帰ることができなかった
ということを、「埴輪の船で帰りたい。」と言ったわけですね。
納得です!

http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/oni-megam …

上記の、昔氏の『阿珍浦伝説』によれば

昔、倭国の東北千里に多婆那国(たばな=丹波国)があり、一名を龍城国といった。そこの国王は含達婆といい、女王国の女を王妃としていたが、王妃は妊娠7年目に大きな卵を産んだ。国王は怪しいと思って、それを棄てさせた。王妃は絹布で卵を包むと、櫃(ひつ)の中に入れて船で海に流し「有縁の地に到り、国を建て、家を成しなさい」と祝福して別れを告げた。

その船は阿珍浦(慶州郡陽南羅児里)に流れ着いた。鵲(かささぎ)が鳴き騒ぐので、地元の老婆が海岸に行ってみると、船の中に子供を見つけ、大切に育てると、人々が尊敬するような人物になった。鵲が縁で発見したので、鵲の字の鳥を除いた字である「昔」を姓とし、櫃を解くと現われたので名を「脱解」とした。

これが新羅国の第四代国王『脱解』である。 

とあります。
朝鮮には前方後円墳があるそうですね、これはもしかしたらスサノオが作ったのかもしれませんね。
もっと調べてみる必要がありますが。

>ヒムカ(日向:中国では卑弥呼と当て字)はアマテラスからずっと後代の女王ですね。
ここから察するに質問者様は邪馬台国=九州説ですね。

それではアマテラスはいつごろの時代の女王なのでしょうか。

上記のようにおっしゃるからには何か理由があると思いますが
どういった理由でそうお考えなのですか。

よろしければ教えて下さい。

大変参考になりました♪

お礼日時:2010/07/14 18:16

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