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共産主義や社会主義と言った無神論者は別として、世界の多くの国で一神教を信仰されていますが、どうしてなのでしょうか?

A 回答 (12件中1~10件)

一神教が流行したのではなく、キリスト教とイスラム教だけが「世界宗教」と自称し、侵略し拡大したからです。



一神教で知らなければならない宗教といえば、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教です。この3宗教は、同じような神を信仰しますが(微妙に信仰の対象が違う)、ユダヤ教は拡大しませんでした。つまり拡大の理由は、一神教が原因ではありません。

ユダヤ教は、「ユダヤ人はユダヤ教徒」としているために、排他的ではありますが、拡大はしません。
他民族は、ユダヤ教徒ではありませんがただそれだけです。当たり前の話ですね。


一方、キリスト教は、「キリスト教徒は人間である」と言う思想で(今は違うが当時)、異教徒は人間ではないので改宗させる事で救わなければならないと言う思想です。世界の人を救うために積極的に拡大を進めました。(カトリックは布教するが、プロテスタントは布教しないと言う違いはあります。)

イスラム教にとって、平和とは全世界のイスラーム化を意味しますので、世界平和のために拡大を積極的にしました。

このような思想を、世界宗教と呼びます。
彼らにとっては、救済なのでしょうが、はっきり言って迷惑極まりないですね。


一神教だから拡大したのではない。
理由は以下。

①世界宗教という思想を持った宗教である事。
②その宗教を国教にしている勢力が世界の多くを植民地支配を達成させた。そして、世界の植民地の人に改宗を強制した事が、「世界で多く信仰された理由」です。

②の理由が特に大きいです。それを成し遂げたのが中東ではイスラム教。ヨーロッパやアメリカ大陸では、キリスト教でした。

ユダヤ教が支配するローマ時代から、一神教は沢山ありました。分けの分らんカルト宗教が沢山ありました。その競争に勝ち抜いたのが、キリスト教でした。
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2つ理由があります。



一つ目は、唯一神にしたほうが、人々を統治しやすいからです。
権力者は、自らを預言者(神の言葉を預かる者)として、
人々を支配しました。
たくさん神様がいると多くの預言者が出てきてもおかしくない。
神様の格付けも、後から解釈を付け加えるだけで、いかようにもなる。
なので、一神教にしたほうが統治がしやすいとうい事になります。

二つ目は、これも簡単です。一神教を崇拝する国が強大で周辺の国々に、多くの影響を与えたからです。
今も尚、アメリカや、ヨーロッパの主要国はキリスト教ですし、イスラム国家にしても、言うまでもありません。

結論としましては、一神教にしたほうが他の国と比べ統治しやすい為、統治者の力がますます強大になり、多方面に影響していったと考えれるのではないでしょうか?

大航海時代、カトリック教徒が布教活動を繰り広げたというのも、多大な影響を与えていると思います。
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まず一神教の特徴として、「排他的」「攻撃的」と言う側面が生じますので、宗教闘争や宗教戦争を厭いませんね。


それ以外の宗教が、闘争などを好まない教えであれば、まあ淘汰されます。

また唯一神であれば、分派などか行われにくく、結束が強いので、多数派や大勢力にもなりやすいです。
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なかなか面白い本


http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%80%E7%A5%9E%E6%95 …

webでも少し読めるので
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日本は多神教ですねえ。

八百万の神です。一神教の誕生は砂漠地帯ですねえ。砂漠では太陽は有難いばかりではなく

寧ろ熱く照りつける怖い存在です。悪魔とする考えもある程です。

砂漠には多神教になるべき大木や湖や海や動物も少ないです。そう言う所で、夜考えていると、居るのは自分だけです

自分と対峙するものは夜空かもしれません。昔は天動説が漠然と信じられていたので 星の回転には中心があるのでは?

星を回してる何かがあるのでは・・・と考えるのではないでしょうか。

それに自分ひとりで考えてるわけですから自分の問い掛けに答えるものも空と大地です。まあ母なる大地

父なる神と言いますから。空に向かて心で話しかけたのでしょう。そしたら一問一答式で空から答えが返ってきたような気がした。

神が居るのでは?神が世界を作ったのでは?と思ったのでしょう。

つまり砂漠の大地に立って問いかけるのは空だけだったからでしょう。天に神が誕生した訳です。

実際には自分の心に誕生したのにねえ。
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歴史上、人類の伝承が一神教だったからです。



その伝承に自分達、民族の話をくっつけて行ったのが、西洋のイエス・キリスト教だったり、
中東のイスラム教だったり、インドの仏教だったりするわけです。

神という存在に自分たちの民族に登場してくる身近な人物をくっつけて、その話を広め、
人心を掌握する。

それが人類の政治における常とう手段です。

宗教とは民心を掌握する政治手段です。
人を支配する、秩序を守らせる、言うことを聞かせるためには恐怖や不安をあおり、
未知なるものをちらつかせて脅迫する。
共産党も宗教と同じです。
独裁的な人物や過去の偉人を崇拝させて人心を掌握する。
多神教の場合は、自然の脅威や偶然の出来事、無知な人間が理解しづらい未知なる現象などを
細かく分けてそれぞれに役割を与えて説明し、これまた不安や恐怖心をあおって
人心を掌握する。

話法の違いなだけです。

大陸に住まない私達、日本人は地球上の主要な話題やニュースを伝承されるのが遅かっただけです。
(インターネットがない時代なので)
そのため、一部しか話が伝わらず、それほど一神教について聞いていない。
でも、アダムとイブの話大陸で大流行したように、
日本にも天皇の祖としてイザナミとイザナギの話が言い伝えられています。
一応、話としてお互い共有している部分は古代からあったということです。

人類の伝承話としてシルクロードなどの大陸を渡る商人や移民などから伝えられ、
いろんな地で変形や創作が加えられ、似たような話がいい伝えられて
それが宗教となっているだけです。
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人が産まれて幼児期、児童期、青年期、成人期と育っていくとき、一人で成長してしまうのではなくて、親や友人、年長者、先生、社会の中でいろんなことを学び、思考し、考え方を修正しながら多くの知識を総合的な思考の枠組みで推測できるように頭脳を発達させます。


そのとき大事なことは、因果的枠組みに組み入れて単純な概念化、類型化を進めることです。
暑い寒いのようなことでも夏だから冬だから四季が巡るからという思考の仕方を身につけて理解します。
犬猫の行動でも親や教師の行動や発言でも、目的論や因果の枠組みに嵌め込んで、「○○だから▽▽するんだ」と理解するような発達を遂げるのが素朴理論の習得と言われる発達の仕方です。
試行錯誤や成功、失敗などの身近な経験で学習できる範囲ですませることも可能ですが、社会が大きく複雑になれば直接自分では経験していないことでもそれなりに理解する必要が高まります。
その場合には、友人や先輩、先生、親などから受けた説明を「因果の枠組み」として自分の思考の中に受け入れることで自分の素朴理論を高度にしていきます。
例えば、地球と太陽の関係の説明を受け入れて四季や寒暖を理解し、気圧などの説明を受け入れて前線活動や台風、梅雨を理解し、天気が西から来るような理解の仕方も自分の理解を大きなものにします。
科学的なことでは理解の枠組みを作り難いこと、例えば幸不幸や繁栄没落、健康丈夫病気怪我、子宝不妊、火災地震破壊洪水落雷、豊作不作、豊漁不漁、戦や競争での勝ち負けなどを、雷神風神、ナマズ、海神、山神、里神、田神、土地神、祖霊、背後霊、怨霊、戦の神、商売の神、安産の神、竈の神、井戸の神とたくさんの個別の因果に結びつけたのでは、煩雑になるばかりで「因果の枠組み」を高度化する発達には繋がらず、そもそも因果の枠組みをもつ意味をあまりなくなってしまいます。 単純に言えば、幼児的・児童的なバラバラの世界観で発達が止まってしまっています。
自然現象、社会状況、人間関係、自分の生き方などの因果的理解に役だって、かつ行動や思考の方向性、努力目標を定める上で統一的でわかり易い理解の枠組みは、世界原理を説明しうる体系であり、汎神的世界観ではなくて、少数の神が上下関係をもつ世界観、ニ神の競い合い、一神的世界観が次第に優勢になるのでしょう。
自然宗教?ではなくて、創唱者や超越者が宗教を説く場合は、最初から体系的な宗教を説きます。自然宗教よりは思考の枠組みをきちんと示すものなので、他人にも理解しやすいだけでなく、それを受け入れることで行動や思考の方向性、努力目標を定める上で統一的でわかり易い理解の枠組みが得られるので、信者が増えやすいという面があるのは当たり前のように思います。
一神教は素朴理論だから、多くの信者ができて、信仰は強固になるのだと思います。
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日本文化は、労働集約的な温帯モンスーンのジャポニカ米


稲作農耕分化に基づく、集団主義的な性格=強制しなくて
も自発的に集団行動をとるので、強力な教義や戒律を持つ
一神教ではない、コミュニティの帰属意識を補強する儀式
宗教的な神道や仏教といった多神教が生き残っている。

全ての変化には、淘汰がはたらく。
宇宙開闢以来、安定した物質を蓄積していく物質進化、海
中での化合物の反応において安定な化学反応が持続して
いく化学進化、その中で増殖性を生じて生存競争を始める
生物進化、人類の組織化における社会内淘汰による社会
進化に至るまで、一連の進化を遂げている。
原理的単位の相互作用の中から、より安定な反応が残り、
それが新たな上位現象の単位となる、階層現象化なのだ。

人類も、最初は個体が生存単位であったのが、血族のファ
ミリーが集団生活し、集落単位で争うようになり、都市国家
から国単位へと生存単位(同等な機能を有するもの同士は
競合する)が拡張し、社会性(分業化・組織化)を発達させ
てきた。
その過程で、個人の意識に社会性を持たせる方法として、
分業化=助け合いにおける自己の生命性の社会的延長の
自覚化による自律的社会行動ではなく、お金や地位といった
アメ(馬車馬の目の前のニンジン)や、モラル(宗教)や
法規(政治体制)といったムチによって他律的に社会行動を
導く方法をとったために、社会進化は社会構造的な変質を
伴うものとなった。

血族の延長としての集落が生存単位だったのが、その競合に
おいて他集落を統合して大きな武力を有したものが生き残る
封建社会へと変質した。
封建社会は、武力による土地の確保=農業を主産業とする
社会だったところ、手工業の発達による分業化とそれに付随
した貨幣制の浸透において工業と商業が力を得、権力者は
武力から市民へと移行した。
その工業が、手工業から産業革命による大量生産によって、
市場の拡大と物流の発達、地域格差、生産手段の高度化に
よる資本家の台頭により、資本主義的な自由競争社会へと
移行した。
さらに、その市場の拡大と資本主義社会における投機や
株式市場が力を得る事で、そうした流通や経済を中間で
コントロールする金融や政治家が、新たな権力者となった。

そうした社会性の発展とそこにおける社会行動の複雑化は、
個人の意識において、当初の血族的共同の本能的・情緒的
な社会行動と、それと遊離した死や自然の驚異に対しての
アニミズムの二本立てから、個人の自己中心的な衝動が
社会的要請と乖離してゆくのに対応して、強力な教義を有す
る一神教による社会性の維持が必要になり、ほぼ同時期に
(国家体制の発展と平行して)キリスト教やイスラム教、仏教
といった世界宗教が勃興したのだ。
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理由は おそらく《一神教にしてもそうではないシュウキョウにしても オシへを信じる》というふうに人びとがあやまって考えているところにあるのではないでしょうか。



 オシへは 人間の言葉で書かれたものであり 人間が考えるものです。批判しあうものです。信じるものではないからです。
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人が多いので、布教する人も多くなるんだと思いますよ


もう一つは、科学技術的として高い所から布教の人が来るので
信じやすいという事ではないでしょうか

もう一つは、集団になって相手を攻撃するのにまとまりやすい
というのもあると思いますね
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