当方、20代前半の会社員です。趣味として宗教を勉強したいです。汎神論(?)的な神道や、無我を強調する仏教よりも、一神教的な神と個人との関係性がどのように考えられてきたかに関心があり、キリスト教の枠内で勉強したいと考えています。ところが、これまで生きてきた中で得た実感として、新約聖書で語られるエピソードやイエスの復活等のいわゆる「物語」の信仰抜きにしてキリスト教の枠内で思索することは不可能では?とのイメージを持っているのですが、どうしても「物語」を信仰レベルで読み、考えることは、これまでも、これからも出来そうにありません。だからといってユダヤ教やイスラム教を勉強したいという気もありません。
そうなると、逆に無神論や不可知論の範囲になってしまうのでしょうか?ニーチェのようにキリスト教を否定せずに、イエスを介さず神と個人との関係に言及した西洋の学者、及び著書はありますか?あるいは、この種の問題の概説書等で参考になるものがあれば教えてください。よろしくお願いします。
No.4ベストアンサー
- 回答日時:
シモーヌ・ヴェイユの「神を待ち望む」("Attente de Dieu" 1942)はどうでしょうね。
存在の根底から神と個人の関係を問いかける誠実な哲学者だと思います。
キリスト教の風土から逸脱せずにとくに信仰と関わりなく読み深められると思います。
神学というスタンスで書かれてはいません。
イエス抜きのキリスト教神学となると、近いのは神秘神学の範疇になってしまいそうですね。
エックハルトの流れを汲むドイツ神秘主義は、観照を重視するものであり傑物を多く産んでいます。
興味の向かうベクトルがどのようなものなのかわかりませんが、
キリスト教は、古代エジプトのヘルメス思想とイスラム科学を後継することで正当性を蓄えたのです。
これらはギリシャ哲学にもキリスト教の母胎であるユダヤ教にも影響を与えました。一神教はその過程の中で定着したのです。あとはユダヤ教からどのようにキリスト教が乖離するかという問題になってくるのですが、「物語」を信じるのでなければ、ユダヤ教にせよキリスト教にせよ学びを限定する意味はないかと思われます。近代の精神を理解し洞察するにはキリスト教との関わりが不可欠ですが、唯一神の概念と人間の心を知るためであれば、キリスト教にこだわらずに歴史と地理を横断するのもよいのではないかと思います。
>シモーヌ・ヴェイユの「神を待ち望む」
>エックハルトの流れを汲むドイツ神秘主義
面白そうですね。このようなアドバイスを待ち望んでいました!早速読んでみようと思います。ありがとうございました。
No.6
- 回答日時:
・逆に無神論や不可知論の範囲になってしまうのでしょうか?
↓ ↓ ↓
決して、無神論にはならないでしょうし、不可知論の範疇にも入らないと思いますよ。
・ニーチェのようにキリスト教を否定せずに、イエスを介さず神と個人との関係に言及した西洋の学者、及び著書はありますか?あるいは、この種の問題の概説書等で参考になるものがあれば教えてください。
↓ ↓↓
ちょっと古いですが、神と個人との対峙、に着目したキルケゴールが最も知られた存在でしょうか。
主著「死に至る病」
No.5
- 回答日時:
ご返答をいただきました。
★(No.2お礼欄) やはり信仰とキリスト教とを切り離して考えることは不可能なのでしょうか。
☆ 細かいことになりますが 《キリスト教》と言ったときには いくつかの内容に分かれていませんか?
わたしの回答は:
信仰と聖書〔を弟子たちに書かせたようなかたちでキリスト・
イエスが伝えようとした内容〕とは 切り離すことが出来ない。
でした。
言いかえるなら 聖書を歴史物語をふくめた文学作品としてなり倫理規範集なりあるいはそれらをつうじての組織宗教(そのオシエ)なりとして〔のみ〕扱うのならば その扱い方は わたしの見方としては芳しくないと見ます。そしてそれは もちろん自由です。
そのような意味だったでしょうか?
★★(趣旨説明欄) 趣味として宗教を勉強したいです。
☆ とおっしゃるのは。
さらには次のようにも書いておられます。
★★(趣旨説明欄) ~~~~
ところが、これまで生きてきた中で得た実感として、新約聖書で語られるエピソードやイエスの復活等のいわゆる「物語」の信仰抜きにしてキリスト教の枠内で思索することは不可能では?とのイメージを持っているのですが、どうしても「物語」を信仰レベルで読み、考えることは、これまでも、これからも出来そうにありません。
~~~~~~~~~~~~~
☆ わたしの回答No.2は 実質的にはこのご感懐と同じ趣旨でしたが それでも《その不可能と思われる思索》を問い求めてみたい こういう方向を向いておられましょうか?
いまのところ特には前回の回答につけ加えることもないのですが ひと言ふた言添えます。
★ そうなると、逆に無神論や不可知論の範囲になってしまうのでしょうか?
☆ まづ《無神論》は キリストなる神ないしヤハヱーとも呼ばれる父なる神をただ《無い神》と呼び換えたに過ぎないと見ますから 《無い神と ワタシとの関係》は まったく同じく《信仰》です。と考えます。
《不可知論》は あくまで経験思想ないし経験科学に属します。その範囲を出ません。つまり信仰ではありません。つまり《神と人間との関係》では 直接には・じつは ありません。
なぜなら 《知り得ない》と知り得たのなら それは《しんじる》ではなく《考える》であるからです。
神(ないし無い神)の場合は 非知論となるはずです。《知り得るか知り得ないか それが知り得ない》という説明なはずです。聖書がこのことを指し示しました。
(はっきりしたかたちで この非知論を著わしたのは――わたしは嫌いなのですがその吉本隆明が言うには――ほかには 親鸞がいるようです。《自然法爾》あるいは《ハカラヒ無き》などです。あるいは
【Q:親鸞の《義なきを義とす》は 神の依怙贔屓か?】
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa7894579.html )
★ ニーチェのようにキリスト教を否定せずに、
☆ もしこの《キリスト教》が 組織宗教としてのそれでありその組織をつうじて内外にわたって生活習慣をかたちづくったそのオシエやナラワシのことを言っているとすれば 確かにニーチェはこれを《否定した》わけです。異をとなえました。そのようなオシエをとうとぶ輩は 《畜類》であると。
ニーチェはこの一面がむしろ基本ですよね。そうではありませんか?
【Q:どんな《神は死んだ》のか?】
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa7912286.html
他の一面では 《大地》とも呼び代えうる《超人》を持ち出し これをあたかも《神とワタシとの関係》すなわち信仰として 類型的には捉えるような方向をも打ち出したのでしょう。その意味で《キリスト教を否定せずに》ということでしょうか。
だとしても けっきょくひと言で言えば 《信仰》の何たるかが分かっていませんね ニーチェは。
たとえば先ほどの《無神論》 これもいやしくも《神》を問題にするかぎりでは・《非知》としては《無い神》も ほかの名の神とまったく同等に神であり 対等なかたちで信仰の問題だとなるはずですが そういった内容について ニーチェはおよびません。ディオニュソスの狂喜に逃れたとすればすでに 無理です。
さらに宣伝しますが
【Q:神は ヤハヱーもキリストもアッラーフも同じでは?】
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa7999125.html
これをいまやっています。
☆☆(同上のQ・趣旨説明欄) ~~~~
6. シントウイズム:《あはっ!》:もののあはれを知る
=きよらかなおそれ
=聖なる甘え
=わび・さび
~~~~~~~~~~~~~~
☆ これなどは 《イエスを介さず神と個人との関係に言及した》ものではあります。ただしイエスないし聖書を得た目で捉え直すのでないならば なかなか 神道としての信仰論は身と心につかないように思われます。
ちょっとしゃべりすぎたかと思いますが。
たびたびのご返答をありがとうございます。私の関心のベクトルがどこを向いているのかをよりはっきりと自覚できた気がします。つまり、神と個人との関係において、どのように「信仰」されたのかよりも、その関係がどのように「考え」られたかという点に関心があります。そのような意味で、No.4さんの回答が私の伺いたかったことに最も噛み合っているようにみえます。
No.3
- 回答日時:
明治から大正にかけて活動された浄土宗系の僧侶「山崎弁栄(やまざきべんねい)上人」というお方を知っていますか。
あまり世間には知られていませんが、浄土宗の世界に於いては別格扱いされているようで、このお方が著された《宗祖の皮髄》(宗祖とは法然上人・皮髄とは骨と皮即ち総べて)は学僧の教科書になっているようです。
釈尊と同じ境地・悟りの世界に入られたお方と浄土宗系に於いては認められているらしく、現代のお経とも云うべき『光明体系』(十一冊)を著しています。
この山崎弁栄上人の意志を受け継ぐ教団「光明会」は兵庫県芦屋市に本部を置いて地味に活動されているようですが、どの教団にも共通する“我らの教団・教えこそ最高”と云った空気がこの教団からも感じられて、それがいやで私は教団には加わってはいません。ですが、『光明体系』を通して“宗教の世界・心”を学んでいます。
質問者さんがどんな好みを持っているかはわかりませんが、質問文からもしかすると興味を持たれるのではないかと、紹介する次第です。
ちなみに私は信仰生活と云えるようなことはしていません。学問的な学び方をしているだけだと思いますが、それでもこのお方には心底“帰依”しています。
この書籍は教団から求めることもできますが、東京の神田の古書店街・東洋堂にも常時数冊が置かれているようです。
まずは「人生の帰趣」「光明の生活」から入るのが抵抗がないかと思います。それから「お慈悲のたより・上・中下巻」からでも入りやすいかと思います。あるいは田中木叉著「日本の光(弁栄聖者伝)」もお勧めです。
No.2
- 回答日時:
こんばんは。
例のアブラム――のちのアブラハム――が《父祖の地を去って行け》というお告げを或る日あるとき聞きその内容に従ったときから
★ 神と個人との関係
☆ が始まります。
(もっと言えば その関係が《しんじる》ことであったわけですが その信仰をつうじた《神の民》の歴史がその子イサクへ・またその子ヤコブへと重ねられて行ったとき 今度はアブラハムより昔の人びとについても その信仰というものがどうであったかを考えるようになり とうとう人類の始祖にまでさかのぼり 普遍的な話になるよう《神と人との関係》の総合的な歴史物語として信仰論が編まれました)。
このアブラハムの信仰が じつは――イエス・キリストないし新約聖書の記者によれば―― 《キリストの神の信徒としてのチカラ》であり 《その説明としては神学》であるとなります。
ひとつにユダヤ民族ないしヤコブ・イスラエルの民として 一定の――そのときの世界の国々のあいだの情況よりやむを得ず――閉鎖的な民族社会をかたちづくっていた。
――これが イエス・キリストの登場によって その閉鎖が解かれ開かれるようになった。
ひとつにアブラハムのあと やはり民族の団結のためにだったのでしょうか・あるいは社会の安定秩序のためだったのでしょうか 目に見えず理論化されていなかった《信仰の内容》が モーセという男をつうじて倫理規範とされた。つまり 律法が持たれるようになった。
――これが イエス・キリストの指し示した神〔と人との関係〕として その規範への従属ないし規範による拘束がやはり解かれた。つまりは アブラハムの信仰に戻った。信仰が律法に先行するのだと。
▲ (ハバクク書2:4) ~~~
たかめられたる
わがたましいも
ああ
ただしからず。
きよき人びとは
しんじることによって
生きる。
~~~~~~~~~~~~~
☆ この聖句は パウロがローマ書(1:17)に引きました。
よってアブラハムは――そのほかモーセらもですが―― キリスト・イエスのじんるい史への登場を俟っていた。と言われることに落ち着くはずです。
よって
★ イエスを介さず神と個人との関係に言及した
☆ という議論は 聖書にもとづくかぎり まづ成り立たないと考えますが どうでしょう。どうしてもイエスを介するはずですから。
★ 「物語」を信仰レベルで読み、考えること
☆ が王道だと思われます。
ご指示に添えませんでしたが。
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