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キリスト教や、特にユダヤ教・イスラムでは、偶像というか神の形象表現
が非常に毛嫌いされ、してしまった人間は殺してしまえ、とさえ言って
いますよね? これって、何故でしょうかね?
一応、ユダヤ教の律法には目を通していますが、理由については全く
触れていなかったように記憶しています。コーランには、その辺は何か
説明されているのでしょうか?
単純に考えれば、後のカトリックがそうであったように、形象化した方が
具体的イメージが湧きあがり、無学の人間にも容易に近づけ、宗教内部
の権力者にとっては、勢力拡大に都合がよい気がするのですが。
「生ける神」だからでしょうか? それとも他の民族の神と差別化を計って
共同体意識を一層強めるためでしょうか?
No.6ベストアンサー
- 回答日時:
十戒の偶像禁止の発生理由は、一番説得力がある説では、ユダヤ教誕生の頃のエジプトの宗教が大変豪奢で煌びやかな像や装飾品に彩られていたため、それに対して偶像を禁止することで比較されないようにしたというのがあります。
エジプトに捕まっていたユダヤ人たちは豪華な像を造れませんから。ただ、十戒というのはユダヤ人解放のための神との契約になりますから、宗教的には理由はいりません。
回答、有難うございます。大変、参考になりました。
確かに一方が豪奢を極めていれば、それに対抗する勢力としては、
あえて極端に反対の立場をとろうと思うものかもしれません。
キリスト教徒が、後に美術を作っていく時、古典的造形から離れ、
あえて東方的造形を選んだ心理も、そのようなものだったと聞きます。
No.11
- 回答日時:
#6の回答者です。
>心理学・史学・社会学・文化人類学などから、
>ユダヤ教等に見られる
>偶像崇拝禁止の解釈を、私は知りたいのです。
偶像崇拝禁止自体は布教や統制には直接影響しません。
むしろ既存の宗教を取り込むのに邪魔になり布教しにくくなります。
ただし、それらの戒律が宗教的な安定となると考えられます。キリスト教は戒律を無くしていくことで、偶像崇拝やマリア崇拝をも認め、その自由度の高さから経済的な繁栄をもたらしましたが、宗教自体は逆に輪郭を失っていき抽象的になっていきました。イスラム教は戒律を増やすことで具体的になっていき、分かりやすい宗教になり社会風習・法制度・国家体制などと同化していくことになり今も拡大しています。
心理学的には、語られない事柄は理想となるというものがあります。キリスト教での天国はイスラム教や仏教のように具体的に語られることはありませんが、その効力を失ってはいませんから、理想的であるべき絶対存在は具体的に表現しないのかもしれません。いったん戒律等が根付くと社会道徳と同化しますから、偶像崇拝は近親相姦と同じように忌み嫌われることになります。
歴史的には、戒律をおろそかにするとユダヤ人は不幸にみまわれたということで、戒律が強化され維持されたというところでしょうか。
この回答への補足
再度回答して頂き有難うございます。
>偶像崇拝禁止自体は布教や統制には直接影響しません
そうなんですかね・・ ビザンティン帝国の一連のイコノクラスムだとか、対抗宗教
改革などと見ていますと、民衆の視覚の欲求なんから、強く感じるのですが。
>理想的であるべき絶対存在は具体的に表現しないのかもしれません
ユダヤ教の神は、結構詳細に記述されているような・・
観念的・抽象的な存在ではなく、実存的といいますか、実際に民の前に現れ、
共にある「生ける神」ですから。
>戒律が強化され維持されたというところでしょうか
モーセ五書の編纂はバビロン捕囚後ですから、その可能性はあるように
思いました。
No.10
- 回答日時:
#7のmmkyです。
追伸まで:
仏教の開祖、釈尊は南部(現在のパキスタンあたり出身)から来ていた熱心な王様に、仏像の許可を出しているんですね。あまりに遠くて何度も説法を聞きにこれないのでと嘆願されて許可を出していますね。
一般的には、あまり尊いお方ということで、仏像の代わりに法輪を使っていますね。
キリスト教は、教祖自信が迫害されてゴルゴダの丘で処刑されてしまいましたね。その弟子も迫害され続けていましたので、像を作ろうにも出来なかったのが真実ではないですかね。後代にローマの国教になってからやっと自由に作れたということでしょうか。でも面々と書いたものや絵はあったと思われますね。ということでちょっと参考にはならないかもね。
再度の回答、有難うございます。
>仏教の開祖、釈尊は南部(現在のパキスタンあたり出身)・・・・・
これは大変面白い話ですね。もしよろしかったら、出典を教えていただけると
有難いのですが・・
>後代にローマの国教になってからやっと自由に作れたということでしょうか。
「教会の勝利」以前にも、キリスト教美術はありました。
カタコンベの美術なのですが、大体2世紀末から作られ始めたと考えられています。
No.9
- 回答日時:
「でしょう」「はずです」「かもしれません」「思います」などは私の勝手な考えですので、申し訳なくも、よろしくです^^;
ところで、臨死体験(脳のある部分を刺激しても同様の体験をしてしまうらしい)は、宗教的な悟りによく似ているように思います。
これを経験した人は、そのとき何か大きな、人間ではない存在を感じる場合があるといいます(立花隆「臨死体験」)。
各宗教には、その教義を最初に口にし、広めた人(教祖)がいるわけですが、教祖もまた、あるきっかけで同様の体験をしたのかもしれません。
おそらく、教祖は常に「人とは、世界とは、苦しみとは何か。」などといった問いをずっと考えていて、瞑想やその他の方法によって、ある瞬間、ひらめいた(悟った)と思われます。その悟った考え方を、大きな存在からの知恵として感じ、その存在を「神」として心に強く感じたのではないでしょうか。
さて、それを口で説明しようとしたとき困ります。その存在は、臨死体験のそれでいくと、実体のない、ただ、大きな包み込んでくれる存在であるわけで、具体的な形をもちません(お坊さんなどが「仏様(仏像の形)が出てきた」とか言うのは、日常的に仏像を見ているからではないかと思います。)。具体的な形を持たないところに超越的な存在感があるとも言えます。
具体的な形にすることは、教祖にとって、自分の悟りを正確に伝えないことになってしまうので、実に不満足なわけです。それで、偶像にして表すな、と言うのだと思います。
しかし、教祖が亡くなって、弟子達が布教しようとしたとき、その不便に困ります。いろんなところで神を説明しようとしたとき、神は祈りの対象ですから、何かがないと困るわけです。
うーん、それならじゃあ、神の言葉を伝えた「キリスト」、あるいはその「十字架」を祈りの対象にしてもいいんじゃない、てなところはあったのではないでしょうか。三位一体説(つまり「神、キリスト、聖霊は一緒」)が広まるまでは、キリストはすごいけど、神とまた別のすごい存在、ってなかんじだったはずです。
木材二本を垂直に組めばシンボルが作れてしまう。おっしゃるように、布教の上で非常に便利であったわけです。
イスラム教でも、作ってはいけないことになっているのですが、「メッカの方角に向かって祈る」ことで、祈る対象を作っています。
というわけで、神秘的な体験をした教祖の思いに、偶像をつくりたくない、っていうのがあった、というのが私の考えです。
この回答への補足
回答、有難うございます。
>神秘的な体験をした教祖の思いに、偶像をつくりたくない
よくわかるのですが、ユダヤ教の形成を見ていくと、まず教祖がいて、彼が神秘的
体験をして、そして民族規範を作り出した、というのとはちょっと違うようなのです。
律法は、モーセが啓示を受けて、それをそのまま伝えたというより、実際には、
何百年かの間に民族の中で形成されていったらしいのです。
宗教組織の中でも、幻視者といいますか、巫術を備えた人間というのはほんの一握りでして、
宗教というものは概して宗教運営側の都合の良いものに変質していきます。
実際、他の律法なんかを見ていると、祭祀が儲かってウハウハになるような
ものばっかりなのです。
ところが、普通に見れば明らかに都合の悪そうな偶像崇拝が、何故か残っている。
偶像といいますか神像と言うのは、旧約聖書自身が語ってしているように、
民衆にとっては非常に魅力的なんですよね。
それで私は、偶像崇拝禁止っていうのは、何か為政者にとっても都合の良い
律法ではなかったのかと思い、質問させてもらったのです。
イスラムの場合は、かなりそういった部分があったのかもしれませんね
No.8
- 回答日時:
No.3の補足に対するコメントです。
>しかしその理由が、私が読んだ限りでは書かれていないんですね。
>それを知りたくて、質問した次第です。
宗教的には、意味のない質問です。
神様がそうおっしゃったから、としたか答えようがありません。
十戒を授かったモーセは(神のお告げを伝えるだけの)預言者
であって、教祖様ではないからです。
ただ理由らしきものを推察すると、他の方の回答は参考に
なります。
私の意見としては、第一戒の
『あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。』
ということが考えられます。
ヤハウェの神は創造主であり、物体(創造物)とは明らか
に別の位置にあります。偶像を拝むということは神でない
ものを拝むことですから、これは認められなかったのでしょう。
他の考えとして、偶像を作る宗教はたいてい多神教ですから
それと明確に区別する必要もあったのかもしれません。
それから余談ですが、No.7の方の
>開祖が実在していれば像も存在するんですね。
>ということかと。
というのは面白い見解でした。
しかし、
>つまり、実在した神や仏だからお顔を見た人がいるわけ
>ですね。だから像が作れますね。
という意見についてですが、イエス・キリストもお釈迦様
も弟子がいましたので当然顔を見た人はいるわけですが、
イエス・キリストや仏陀の像を作り始めたのは、何百年も
後の時代からです。
キリストやお釈迦様の直弟子たちは、決して師の像や絵を
作ろうとはしませんでした。したがって、キリストやお釈迦様
が実際にどういう顔であったかは、後世には何も伝わって
いません。後に作られた像や絵は後世の人々の想像の産物です。
この回答への補足
再度の回答、有難うございます。
>宗教的には、意味のない質問です。
宗教的にはその通りなんですが、私が知りたいのはその裏事情でして、
どうしてそういった考えが生まれてきたのか、ということです。
宗教や倫理は人間が生んだものですから、心理学・史学・社会学・文化人類学
といったものから、分析が可能ですね。実際、そういったアプローチが
されています。例えばユダヤ教の同性愛禁止などは、ある程度ユダヤ社会
がおかれていた状況から説明出来るのです。
心理学・史学・社会学・文化人類学などから、ユダヤ教等に見られる
偶像崇拝禁止の解釈を、私は知りたいのです。
>ヤハウェの神は創造主であり・・・・・偶像を拝むということは神でないものを
>拝むことですから・・・・・
>偶像を作る宗教はたいてい多神教ですから
この理由では、ユダヤ教他の偶像崇拝禁止を説明できないように思います。
エジプトには幾つかの創造神がいますが、いずれも図像に表されているようです。
また、アボリジニの絵画を見ていますと、創造神らしきものが描かれています。
エジプトのアメン・ラー、ゾロアスター教(の一部)やヒンドゥー(の一部)にも
一神教に近い考えがありますが、いずれも神像を作ることに抵抗はないようです。
また、ギリシアやゲルマン民族神話でも、創造神ではありませんが、
最高神を視覚化しています。
No.7
- 回答日時:
参考程度に
イエスは神の子といっていますが、イエスはキリスト教では救世主(=神)ですね。イエスもご自身でメシアといっていますね。
釈尊は仏陀ということで地上に生まれていますね。
つまり、実在した神や仏だからお顔を見た人がいるわけですね。だから像が作れますね。
ユダヤ教やイスラム教は救世主というよりは預言者による口述で経典が出来ているんですね。預言者ですから本物の神や仏と違うので、お顔がわからないんですね。だから像を作りようがないという点があります。
像を作ると為政者の顔になりやすいので、偶像崇拝の禁止になるんですね。だからユダヤ教の預言者たちも立派な人たちでしょうが、大神ではないということですね。イスラム教のムハマンドも同じく預言者ですね。アラー(大神)からの啓示を記録したものがコーランですね。宗教というのは大神がいますので、宗教をはじめた本人が神であるかないかは本人が一番良く知っているんですね。偶像崇拝を禁止している宗教は開祖が一番えらい神ではないということの証明でしょう。神道の神社も偶像はありませんね。アマテラス神などの名前が残っていいるのですから実在した神でしょうが、古すぎてわからないので、像を作りようがないということでしょうか。だから高床式の家を象徴にしているのですね。これも偶像の一種でしょうけど。
ということで、開祖が実在していれば像も存在するんですね。ということかと。
この回答への補足
回答、有難うございます。
>つまり、実在した神や仏だからお顔を見た人がいるわけですね。
ふーむ、実在するか否かという観点では、ちょっと説明できないように思います。
例えば、未開民族の神像は、風の神の何たらとか、生殖の神何たらと、
科学的・物理的には存在しないものを形象化しています。
それと、神道にも神像はあります。幾つかは国宝にも指定されていますよ。
逆にユダヤ教やイスラムでは、(実際には僅かに存在するのですが)
モーセやムハンマドの肖像を描くことも禁じられていますね?
No.5
- 回答日時:
『イメージの固定化』を恐れている為っていうのが一
番の理由ではないでしょうか?
宗教においては、神こそが絶対です、だから「イメージが固定化」される事を一番危惧しているのです。世界で唯一である神の姿が、統制を執ろうする者達にとって複数であっては困るわけです。そう考えていくと、
>単純に考えれば、後のカトリックがそうであったように、形象化した方が
具体的イメージが湧きあがり、無学の人間にも容易に近づけ、宗教内部
の権力者にとっては、勢力拡大に都合がよい気がするのですが。、、、
というのはごもっともの話しなんですが、
当時には、それを可能にし、流布するだけの技術力が
無かった。だから、敢えて「イメージの固定化」を避けたわけです。
例えば、10人にドラえもんを描けと命じたら、10人10色のドラえもんが出来てしまう。現代のようにコピーも、スキャナーもないのですから、例え訓練して同じ物を創りだす技を身につけても、大量生産は難しい、そのうえ、その技を身につけたとしてもその職人が亡くなったら終わりなんです。とくに、イスラム社会のような、自然と常に戦い、生と死が隣あわせにあるような環境下では、そういった事に時間を費やす事自体が大変なわけで、だとしたら、敢えて「イメージを放棄する」事のほうが都合が良かったわけです、特に特権階級層にとっては。
たとえば、今流行ってる「ハリ-ポッタ-」。原文よまずに、映画を先みちゃった人は、多分ず~と、
ダニエル ラドクリフの顔かたちが固定観念となってしまう為、後から本を読んでも、頭の中のイメージは己が創り出すより先に、ラドクリフになってしまいませんか、多分世界中、大体において、、、。それは、我々が、映像という伝達方法で、世界中どこでも、同じ姿、声のラドクリフを伝え見る事ができるからなんです。これが「イメージの固定化」です。もし、そういった手段が当時あれば、多分、偶像崇拝を否定する見解はうまれなかったかもしれませんね。
ただ、あの頃は、後世に永久に普遍的に繰り返し伝達していく技術がなかった、だから、かえって混乱させる事になりがちな手段が選ばなかったというのが本音でしょう。闇雲に電報ゲームをやるのは危険ですもの。
現代であれば、印刷やコピー、写真といった技術で、同じ形やデザインを繰り返し、どこでも伝達する事は可能ですが、宗教が生まれた時代では、複数に同様のものを配る事自体不可能です。まあ、のちに少しでもそれを乗り越えようと、キリスト教は、イエスキリストやマリアの「ブロマイド」を多方面に広める為に、多くの画家を雇い、作成させていったわけで、それが、ヨーロッパ美術の始まりとなったわけです、だからその頃の絵画や彫刻は、作者は違えど、形も色もポーズもなーんとなく似たり寄ったりではありませんか?(のちに写真技術へと肖像画は発展しますが、でもその頃は、神はもうこの世から去っているわけで、カメラにおさめる事はできませんものね。)
そのように考えていくと、何故、偶像崇拝が否定されたか?ということは、コーランにも、聖書にも記載されてはいないはずです。なぜなら、彼らの生きた時代には、イメージをコピーできる複写機なんて存在しないわけなんで、それらを比較して物事を考える事が出来なかったからです。今でこそ我々は、様々な歴史や文化を容易に比較する事が可能です、だからこそ、文献には載っていない事柄を、注意深く己の想像力でイメージし膨らませていく必要が求められるのだと感じます。
この回答への補足
回答、有難うございます。
すみません、ちょっと意味がわからないのですが・・
一段落と二段落の一行目では、神のイメージの固定化を危惧したからと
仰っているのに、それ以降の文章では、イメージの固定化が技術的に無理
であったから:もしできたらしていたであろう、と結論してらっしゃいますよね?
矛盾しているように思えるのですが・・
前者のご意見はなるほどと思いました。ただ、他の宗教を見ていると、
偶像によって神のイメージが固定化されることによる実害というは
無いように思えますが、どうなんしょう。
それと、当時は同じ形のものを作るのが不可能だったと仰いますが、
先行するエジプトでは実際に行われていると思うのですが・・
私は一応美術史を専攻していたのですが、エジプトの美術は「不変」を
特徴とする美術であると説明されています。実際、アマルナ美術のような
例外を除いて、千数百年、殆ど造形が変わっていませんよ。
No.3
- 回答日時:
一番わかりやすい答えは、聖書の神様が禁じているからですね。
旧約聖書で神様がイスラエル人に十戒を与えているのですが、
その2つめの戒めはこんな記述です。
|あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。
|上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下
|の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならな
|い。それらを拝んではならない。それらに仕えてはなら
|ない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わた
|しを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで
|及ぼし、わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵
|みを千代にまで施すからである。
この内容をそのまま解釈すれば、偶像崇拝は絶対ダメという
結論になりますね。
後世のカトリックは、ゲルマン人への布教のためキリスト
の聖像を使うようになりますが、この時も東方教会と大論争
になっています。
イスラム教になるともっと徹底していて、ついには一切の
絵画や彫刻が禁止されます。ですのでイスラム教文明圏には
原則として絵画・彫刻などの美術品はありません。
その代わりに幾何学紋様のデザインなどが発達します。
ペルシャ絨毯などはその一例かと思います。
参考URL:http://members.jcom.home.ne.jp/tamach/bible/intr …
この回答への補足
回答、有難うございます。
えーと、私も一応「律法(モーセ五書)」あたりは目を通しているので、
ユダヤ教の神が一方的に禁じているのは知っていました。
しかしその理由が、私が読んだ限りでは書かれていないんですね。
それを知りたくて、質問した次第です。
No.2
- 回答日時:
あるキリスト教では、サタンという反逆の神がいて、サタンは、金や偶像、アミニズム、もろもろの他宗教の神として、人々を欺き、自分を崇拝させる。
と、言っているのを聞いたことがあります。そうすることで、真の神から、人々を引き離そうとしていると。拝金主義や、偶像崇拝はその典型で、多くの人がそれに陥っているぞ、と、言うわけです。
寺の仏像を拝んだり、教会にかかってる十字架も駄目だそうで。金がなきゃ何にもできないという幻想など。
そんなことは、あってもなくてもどうでもいいだろうと、俺は思うのですが、。
そんな不幸な幻想は、とうとうと流れる現実の前に、度々打ち砕かれてしまうから。
ただ、原始社会では、それ(偶像崇拝)が民意の統合に役立たされてきたということは、少しはいえると思います。
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